あらすじ
【東西哲学界の雄が、全体主義から世界を救い出す!】全体主義の渦に、再び世界は巻き込まれようとしているのではないか。日独ともに哲学は、二〇世紀の全体主義に加担してしまったが、では次なる全体主義の台頭をいかに阻止すればよいのか。その答えを出そうとしているのが、マルクス・ガブリエルだ。彼の「新実在論」は、全体主義の礎を築いたドイツ哲学を克服するために打ち立てられたものだったのだ。克服にむけてのヒントは東アジア哲学の中にあるという。本書は、東西哲学の雄が対話を重ねて生み出した危機の時代のための「精神のワクチン」である。○「上から」の力によって、民主主義が攻撃されているわけではありません。民主主義を破壊しているのは私たち自身なのです。市民的服従が、あらたな全体主義の本質です。――マルクス・ガブリエル
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Posted by ブクログ
科学は倫理・道徳を推し進めない、哲学を実践する意味はそこにあるという。
なんでも広告やら資本主義に組み込まれる社会。その中で、民主主義は自壊していくという。
なんでもSNSやインターネットに公開することで、ある・ないの二元的に自身の行動を捉えられる(公開していないものはないものとされる。)し、Googleに対して個人データや検索履歴などあらゆる行動を与えている。ただそれらの行動自体がGoogleやSNS会社の養分になっている。そして、それらの会社が我々の行動をサジェスト機能等で規定しうる。我々自身が無自覚に巨大ソフトウェア会社に従うことになる。ただ、それらのソフトウェア会社は民主的ではない。検索アルゴリズムは民主プロセスを踏まず、ただGoogleの思うままに表示されるし、Airbnbで借りた家でのトラブルは自己責任となり、Airbnbを運営する会社は借用者の権利を保障しない。無自覚に自主的に、非民主的なテクノロジーに従わざるを得ない状況はまさに全体主義の形が表れていると。テクノロジーが規定するものに従うつまり全体主義に加担するということになるからだ。そして、この全体主義の萌芽が国家単位で発生していたこれまでとは違い、国家の単位を超えたグローバル規模で発生しているということが現代の病理。
便利になること、効率よくなることが良いことだとすること自体が特定の「普遍」の押しつけである。過去のナチズムや大日本帝国もその自分達の勝手な普遍性を押し付けるために理性的に侵略していたと。
科学ですら、ガブリエルから言わせると一つの神話に過ぎない。一つの信仰であって普遍とは言えない。
なぜなら、存在者の無限に長い連鎖(=おそらく原因と呼べるもの)は無限にあるから。それぞれの存在者の連鎖が無限であって、それらのすべてを包含する文脈、背景、原因は究極的にはない。宇宙の始まりであるビッグバンでさえなんらかが先行して、、、という話と思われる。その究極的な原因、根拠と呼べるようなものがなく、それぞれの存在者がお互いに影響を与え続けているようなこと自体が安定性をもたらしていると。その運動自体は法則がない。科学ですらそれがどこでも統一的に通用する根拠はない。
どのスケールにおいても量子力学における確率論が展開されると。シェリングのいう原偶然性を認めることが重要としている。それが「普遍」の押しつけに陥らないための哲学であり、彼の提唱する新実在論。
常に他者が入り込む隙間があることを認めるということ。
自由意志のような哲学(意志と己とが分かれていて、原因となる意志と結果の己の行動とが明確に存在し、いつどこでも意志が同じであれば同じ結果になるとするような考え)ではなく、自己や出来事それ自体が自由であるという考え方(つまりどうなるかは分からない、神すらもいない)のもとで、どう生きるかって話をしている。
想像を働かせること。立ち止まること。
今、目の前にあるチキンのもともとの鳥の姿を想像すること、ファストファッションが作られる労働環境を想像すること、自分達の消費行動が誰かの搾取の上に成立しているかもしれないことに目を向けること。そういった想像力が重要である。売れればOK、自分が便利になればOKという話からの脱却。
対話によって文化それぞれの非対称を感じることがなくなる世界、つまり様々な伝統が自分たちの歴史の一部だと考える世界を目指す。想像を世界にまで広げるて、社会的想像の刷新・更新をしていくということを掲げている。
そうして出来上がる社会的想像が全を取り込むような力を持たないか、またそもそも理想はそうだとして、どういうものになりうるのかが想像しにくい点が気になったし、今後ももう少し考えてみたい。