あらすじ
パンデミックを前にあらゆるものが停滞し、動きを止めた世界。17歳でイタリアに渡り、キューバ、ブラジル、アメリカと、世界を渡り歩いてきた漫画家・ヤマザキマリさんにとって、これほど長い期間、家に閉じこもって自分や社会と向き合った経験はありませんでした。でもそこで深く深く考えた結果、「今たちどまることが、実は私たちには必要だったのかもしれない」という想いにたどり着いています。この先世界は、日本はどう変わる? 黒死病からルネサンスが開花したように、また新しい何かが生まれるのか? 混とんとする毎日のなか、それでも力強く生きていくために必要なものとは? 自分の頭で考え、自分の足でボーダーを超えて。さあ、あなただけの人生を進め!
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Posted by ブクログ
『テルマエ・ロマエ』の作家さんでメディア等に露出もあるので強めの印象があります。
コロナ禍で今までの価値観が揺らぐ中、ヤマザキさんの力強い言葉が胸に刺さります。
【人はどうも信じることを美徳とし、疑いは良くないこととして解釈する傾向がある。たしかに信じるほうが、疑いを抱くよりは楽だし、裏切られた場合もその責任を信じた相手に負わせればいい。疑いという想像力には、それなりのエネルギーを要します。怠惰な人にとっては「信用」のほうがはるかに気楽でしょう。しかし、この「疑念」こそが社会の質を高め、栄養素の多い社会環境をつくり上げていくきっかけとなるのではないかと感じます。】
【「難しい問題を前にすると思考停止に陥る」というのも日本でよく聞く話です。でもこれだけ西洋の影響を受け、日常にもそれが浸透してしまった今は、もうそんなことを言っている場合ではないと思います。メディアの誰かの発信する言葉に「そうそう、これが自分の言いたかったこと!」とうなずくのではなく、自分の頭で考える訓練をしていかなければ、かつての世界大戦前のように、誰かの思想や思念に洗脳されてしまいかねません。】
Posted by ブクログ
ヤマザキマリさん、イタリアを含め様々な国に行き、経験を積まれて、世の中を俯瞰的に見れる人なんだなぁということがわかった。
日本という国が民主主義を育める土壌を持っているのか、という問いが全編通して練り込まれた話だった思う。私としては、主張のできない、空気を読む、リーダーが決めたことに反対しない、そういう国民性を持った日本人が民主主義を発展させられるか、民主主義の強みを活かした国営ができるかと言われたら、無理だよなぁと思うし、そもそも民主主義的な政治運営が戦後続いてるか?と言われると、それすらもノーだと思う。むしろ政治そのものへの議論が全くされない義務教育でどうやって民主主義を育むんだろう…?
日本人は為政者が舵を取る国という船に乗って、その人が指し示す方向が正しかろうが正しくなかろうが、「もうすぐ転覆しちゃうねー」「まぁ誰か助かるでしょう」「そしたらその人がきっとなんとかするよ」「そうだね」っていいながら船室で花札をしているような暢気な国民なんじゃないかと思ってる。
Posted by ブクログ
コロナ禍で見つめた日本。
ヤマザキマリ氏は漫画家である。海外での暮らしが長く、日本を相対化したコメントをよくテレビなどで聞く。コロナ禍でイタリアの家族と会えなかったり海外に出られなかったりというのは聞いていた。さぞかしストレスが溜まるだろうなぁと思っていた。
この本は2020年に出版された。2020年の8月に書いていたとある。著者はただストレスを溜めていたのではなかった。動けない中で内にこもるというよりは、内を見つめていた。そしてこの本に言語化している。
コロナ禍は海外に行くチャンスも、人と出会って語り合う機会も奪ってしまった。あの最初の頃、やけに本を読む気になったのは、何かを吸い上げて、自分なりにこの経験を語る言葉を得ようと思ったからかもしれない。
コロナ禍の対応に、日本政府はまぁよくやったよとか、日本人は世間体を気にしてルールを徹底しているなぁとは思った。不満がないわけではない。でも不満を言葉にはしない。それが基本的に日本でずっと生きてきた自分の生き方だ。報道の数値に引っかかりがあっても、社会の輪を乱すことはできないから周囲の人と同じようにする。やれと言われればやる。少ない経験なりに、海外ではこうはならないとは思っている。
ちょっとだけ、ほんの少しだけ、自分は「日本」からはみ出ている気もしている。文法より前にとにかくしゃべり出してしまうし、報道は疑ってもいいと思うし、日本型政治には苛立つし。でも異質なものは即排除される社会で、抗い続けるエネルギーが足りていない。だから「いないように生きて」いる。この本の出版から2年が経ち、コロナ政策はますます訳のわからない方向に進んでも、まだ自分は立ち止まっている。
しかしまだ立ち止まっていることを、マイナスには捉えないでいようと思った。まだまだ考えていたい。とにかく歩き出すというのもひとつだけど。いやこの態度は失敗したくない、摩擦を避けたい、「いないように生きていたい」態度なのかもしれない。交流は積極的に。でも自分の内側を見つめて、少しずつでも思うことを言語化していこう。
Posted by ブクログ
●「弁証力」というヨーロッパの教養
●言葉の力は「熟考」がもたらす
→日本人には演説が得意なリーダーが少ない。それは、西洋式の民主主義が日本に根付いていない、かつ根付きにくいことに原因があるのではないか。そもそも「和」「空気を読む」ことを重視してきた日本社会においては、言葉を通じて人を動かす必要性も習慣もない。各々が社会の中で学んで、集団を形成してきた経緯もあるため、なかなかリーダーが言葉で示し、煽動していくという形が作りづらい文化なのではないか。
●ローマ帝国を滅ぼした疫病の記憶
●古代ローマ史並みの、家族のドラマ
→イタリアでは感染症の歴史を教育の中で学んでいくが、日本は「形で見える崩壊でなければ史実として残らない」ため、地震や災害と違いパンデミックについて学ぶ機会はあまりない。歴史の中で生き残ってきた経験や、史実をしっかりと学んできた賢者たちは「またか」というスタンスで乗り越えていくことができる。
●「弁証」と「謙虚」の理想像
●弁証力を育む学びのシステム
→民主主義を成立させるためには、参加する国民一人一人が自ら考え、それを言語化する必要がある。利他的で謙虚な人でも、自分の考えを言語化することを求められる。「自らが発した言葉をしっかり反芻し、時には反感や顰蹙を買っても、それを客観的に省みるゆとりをもつ。」
●「自家発電」のススメ
●なぜ日本人の内なる"広辞苑"は薄いのか
→読書や映画鑑賞によって言論のキャパシティを広くし、言語力を豊かにしていかなければ、流言飛語や第三者の言葉にたやすく右往左往させられてしまう。戦時下の日本やナチズム、ファシズムがそうであったように、自分の頭で物事を考えられない国民が構成する社会の行末は、破滅であろう。
●人生は思い通りにならない
→どんな思いがけない展開も、人生を豊かにしてくれる。
●西洋化の歪み
●SNS上に見る凶暴な言葉の刃
●異質な人を排除する脆弱性
●「失敗したくない」という病
●戒律としての世間体
→明治維新、文明開化後に急速に西洋化が進んでしまった結果、「誰でも自由に思ったことを発言するのがデモクラシー」という西洋式の習慣が推奨されるようになってしまった。しかし、日本人の根本にある精神性は変わらない。西洋式民主主義は、果たして日本人に根付くのだろうか。
●日本を見る、日本人を知る
●「いないように生きていきたい」
→「日本はもしかすると、成熟すること自体に興味がない国なのかもしれない」「無邪気で天真爛漫で、時々背伸びを楽しみたいだけの国なのかもしれない」「しかし、主張したり、反論されたり、疑念を抱いたり、といった様々な仕様のコミュニケーションを重ねていかなければ、人として、社会として、また民主主義として成熟はしていかない」
新型コロナウイルスの蔓延により、あらゆる価値観や体制が変化した。この停滞期を機に様々なことに思いを馳せ、タイトルの通り「たちどまって考える」ことが、この不確実な時代を生き抜いていく上で大切なのかもしれない。