あらすじ
都会育ちの素人猟師が、鴨を追いかけ、鹿を捌き、猪と格闘して掴んだこの社会の歪んだ構造と、自然や命の姿。ワイルド・サイドからこれからの「生きること」を考えた痛快ドキュメント。
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Posted by ブクログ
何故朝日新聞の記者だった著者が全くの未経験から猟師とコメ農家を始めたのか。
生きるということは、食うということ。他者の命をいただくということ。当たり前のことなのに、世間大多数の人は普段全く意識しないテーゼ。
スーパーやコンビニで既に用意された「モノ」ではなく、自らの手で直接「他者の命」を調達することで、そのテーゼに意識的になることに決めた。
そんな著者の思考の流れ、感情の動き、何を大事にするかなどがとても丁寧に記されている本作。
流石朝日新聞記者、筆がすごく上手い。描写が巧みで教養の高さが感じられる。好きなタイプの文章だった。
政治的なスタンスの濃さや若干の説法じみた物言いを感じなくもないが、かえってそれが適度な距離感で読めて良かったかもしれない。
これはたまに読み返したくなる、良い本だった。
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今後の私のバイブルになりそうな本だった。猟師としての体験、百姓としての体験とそこから考えたことを面白く読ませる筆致。そして終章はさながら学術論文のようであった。一つの目指すべき方向性がここにある気がする。
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贈与論に基づき、合理的な新自由主義や資本主義に抗おうとする本は多く、よく頷きながら読む
この本では、その贈与の根幹にあるものが「いのち」であるため読んでいて深く突き刺さる
自分が見返りを求めずに贈与できるものとは何だろう、と考える
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面白かった。最初はちょっと面白可笑しく書いたのかなぁ、と思ったが、だんだん深い内容になっていった。狩猟は暴力だが、弱い者虐めであってはならない。礼節を持つ。死をこの手で抱える。殺生そのものに快楽は無く、その後に笑いや飢えからの解放、腹の充足、セックス、深い眠りと言う快楽が訪れる。
獣の息遣いや匂いまでしてきそうな表現に感動しました。
ブリコラージュ(器用人仕事)なるべく金を使わずある物で工夫するって言うのは心がけたいと思う。
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窮屈な今の社会からこんな「ばっくれ」方があるのかと感動。
終章の「ボスト資本主義」に関する論考も大変興味深い。元気が出た。朝日新聞で柄谷行人が書評を書いたわけもわかった。
鴨を食べた「芥川賞受賞作家」ってだれたろう?
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半農半Xを地で生きている著者が、自身の狩猟や米づくりの経験をもとに、生きること、経済、戦争・平和などについて思索をしたものをまとめたエッセイ。実際の狩猟や精肉の描写やコメ作りの実際の体験談から、半農半X(ライター)、自然資源を活用した生き方、贈与経済による人間関係の形成、物質文明へのアンチテーゼの提示・人間の能力の維持、資本主義から半歩ズレた生活、オルタナティブな生計手段を複数持った生活の提示などなど、内容は多岐に渡る。著者は、正に私が実現したい生き方を実践している人だ。
他方で、この生活のアプローチだけでは、開発途上国の環境問題や社会問題、地球規模でのエネルギー問題、国家間の戦争・安全保障の課題を解決することはできないということもよくわかる。例えば、アフリカのマラウイでは、エネルギー革命が起きていないための薪炭利用による森林破壊や、生産性の低い農業や産業がないことによる労働人口の農業への集中による土地の乱開発、産業がないことによる高等教育人材の受け皿がない問題とそれによる教育の不振などなどの課題がある。これらには、やはり産業の育成、生産性の向上、ガスや電力といった代替エネルギーのインフラ整備など、経済発展による課題の解決が必要だ。また、地球規模の環境問題の解決のためにも、イノベーションによる再生可能エネルギーの開発・普及なども必要だと思う。また、戦争抑止力の観点からは、経済成長による武力の維持なども必要だろう。こうした課題に対応するには、資本主義経済による経済発展を持続可能な開発に変えていくことが必要であり、その手段が、SDGsやESG投資、持続可能な調達なのだと思う。
著者のような、半農半Xの生き方を是として憧れているし、自分も実践したいと考えているにも関わらず、持続可能な開発による資本主義経済の発展に相当拘っている自分がいることに気が付かされた。
だがしかし、本当にSDGsやESGなどの仕事に、自身はこれ以上関わりたいのだろうか。なんだか胡散臭いし、やりがいを感じられなくなっているのが本音なのではないのか。そうした資本主義・成長モデルに自分がこだわっている一方、その中で生きることに、違和感を感じてそりが合わなくなり、いい加減、辟易してやる気をなくしているのが自分の本音ではないのかとも思う。
正直、悩む。二つの価値観の中で、身が割かれる。まだ自分の生き方を決めきれない。このままでは、動けない。どうすればよいのか。
そんな中、著者の提示してくれた「ばっくれる」という姿勢が、自分の道を示してくれるような予感がする。そりが合わなくなったその場から、逃げる(180度違う方向に進む)のではなく、真面目さや真剣さを放りだして、明後日の方向へ鼻歌を歌いながら、ふらふらと進む「ばっくれる」という姿勢。「ばっくれる」ということは、目的地への地図など持たず、自分でもわからぬままどこかへ向かうという姿勢だと著者は説く。そんな姿勢で、自分も次の生き方を探ってみたいと思う。
半農半Xの、Xを何にするか。願わくば、何等か持続可能な開発に少しでも貢献できるXを見つけて、今の仕事と東京から「ばっくれたい」と思う。
それにしても、こうした半農半X・田舎での定常経済での暮らしの本には、文化人類学が出てきて、贈与論が語られるのが興味深い。資本主義の貨幣経済へのアンチテーゼとしての贈与経済が、周縁の田舎ではまだ生きているということなのだろう。
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時折出てくる説法のような内容や、引用文、少し面倒くさい、でも熱くて憎めない先輩のような感じで語ってきてくれる。猟師に興味がなくても引き込まれる内容でした。
Posted by ブクログ
・本来、殺生そのものに快楽はなく、殺生の後に快楽がやってくる。報酬としての肉、とか。
・人は感覚を麻痺させる生き物だが、その性質そのものに麻痺して忘れてはならない
・贈与によって結果的に関係性を作っていく。お金では変えられない貸し借り。
自分も肉を取った暁に、色んな人にプレゼントしたいなと思う。
・人の最大の特徴に贈与し合うことがある。それだけ根源的な行為だということを忘れない。また貨幣信仰がなくなったあとに立ち返る場所になるかもしれない。
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数年前に野外活動で農業体験と猟師さんにお会いする機会があり、夜には鹿肉もいただいたのだが、狩猟の大変さを全く持って理解していなかった自分を反省したい。
猟師の世界は想像を遥かに超えた過酷さと重労働で、狩猟をするにあたって人との繋がりは重要であるし、まず獲物が居る場所を見つけるのが非常に難しく探すために山の中を這いずり回らなくてはいけない。また、五感を研ぎ澄ませ森を見る力を養い、銃の重さに耐え、命がけで格闘する。
銃の重さ命の重さを実際に体感したからこその著者の言葉にはとても心に響くものがあった。
一つ抜粋する。
「わたしは、わたしになると、いま、決意する。生きるために食っているのではない。食うならば生きる。殺す以上は、生きるのだ。
生き延びろ。そして、善く、生きろ。」
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筆者の体験談から
普段生きているだけでは思わないことや
その社会のこととかを知ることができる。
知ろうとしないとわからない世界。
人間は交換して生きている。
知らなくてもいいかもしれないけど
知って考えるのも大切だと感じました。
Posted by ブクログ
農作放棄地で米を作る農家になり、鴨を取る猟師になり。その生活のなかで見えてくる経済、資本主義、戦争、とはなんなのか。
力強い文章で描写される特に猟のシーンは読んでいて衝撃を受ける。我々はほぼ完全に殺菌された社会に生きていて、「生」や「死」について触れる機会がほぼない。いや、そういったものに触れる機会があるのは映画やドラマ、本、漫画などのエンターテイメントが中心で圧倒的に実感が伴わない。そういった中で狩猟などの行為に対しては想像をするしかないのだが、その想像をするための前提すら持ち合わせていないことに気がつかされる。
他人との関わり、人間とは何か。もちろん納得することだけではなく意見が合わない部分もあるが、それも含めて素晴らしい読書体験であった。
Posted by ブクログ
「貨幣は便利だ。なににでも/なにからも、交換可能だ。逆説的だが、だからこそ貨幣の能力は限定的になる。強度がない。弾力性がなくなる。カネの切れ目は縁の切れ目。 ところが、鴨でも猪でも鹿でも、米でも野菜でも、あるいは、農作業の手伝いなどの労力でも、モノやサービスを無償で贈与すると、縁に切れ目がなくなる。なぜか。 人と人とがつながるからだ。顔を見知った、声をかけたことがある、笑い合ったことさえある、人間同士のネットワークができるからだ。」
この視点と言語化は相当に慧眼だと思う。金で買えるものは、たしかに幅広いんだけども、金で買えないものはすべからく人と人との関係性にしか存在し得ない。
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動植物の大切さ、生かされているということが、強く伝わりました。
猟師には絶対になれないけれど、著者の文章力をもってリアルに体感、狩猟と農耕の歴史に納得。
最終章はいささかくどかった気がするけれど、「おいしい資本主義」も読んで、あらためて、現代の資本主義について考えてみます。
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手間がかかる事ほど、充実感を得られる。こうして言葉にすると、魅力的だ。
言うがやすし、行うが難しとは、正にこういう事だろう。生きる素晴らしさ(憧れ)と、その本質を実感する難しさ(現実)の狭間で揺れる感情に自分を重ねる。著者の実行力が凄い。登場するキャラも濃い。これがまた良いのだ。
Posted by ブクログ
まず、秘伝的な猟の方法について書かれており大変興味深かった。食べる事は命と向き合う事と時々思い出したい。そして、作者の様にどこででも逞しく生きられる人でいたい。
人生論的なものを展開するのだが、冗長で理屈っぽく、字数稼ぎ感があるので減点1。
Posted by ブクログ
自分の資本主義についての認識が、ホロホロと、でも確実に壊されていく。
極端な右や左の思考、スピリチュアルや自然主義には心動かされないけど、近藤さんの言うことには現実の重みがあって心にのしかかってくる。
命を感じて生きる猟師であり百姓であるから。そして、人との信頼関係を一歩ずつ築きながら貨幣制度を超えた人付き合いをしてきているから。
その説得力たるや!
良い本だった。
「おいしい資本主義」も読んでみたい。
----印象に残ったところ---
カネを払って教えてくれるものは、しょせん、それ(価格)だけのものだ。カネを受け取ったのだから価格に応分のものを教えると、教える側は思うし、カネを支払ったのだから分からせてくれと、教わる側も契約関係にあぐらをかいている。それは、「学び」ではない。学校で済ませておくたぐいの「習いごと」だ。(p153)
政治的立場は違うが、人間そのものは信じられる。
そういう関係は、今は結べなくなった。(p170)
(猟での信頼のおけるブラ師だが、筆者と政治的見解はずいぶん違うということを述べたあとで)
共猟は、チームワークがすべてである。自らが信をおかない人間と、腹の底が割れていない相方と、ましてや馬鹿とは、山に入れない。銃を持って同じ場所にいられない。命に関わる。直接的に危険だからだ。(p172)
自分と政治的見解の違う他者も、属性はひとつでないはずなのだ。(中略)どこかで、私とつながれる。人間対人間として、対峙できる。それは、属性がひとつではないからだ。つながれる回路は、どこかに、ある。(p173)
人間は、言葉を、貨幣を、承認関係を、愛情を、無償の贈与、交換し合う生物だ。
そしてその交換も、金と違い、贈与の連鎖であれば途切れない。顔が見える。言葉が聞こえる。だから心が通うし、上も映る。貨幣を解さない直接的な贈与。交換によって交換する生物が人間なのだ。(p230)
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タイトルからして、おふざけ系の内容かと思ったら、さにあらず生命とは、人生とは何かを考えさせられる本でした。
野生動物を仕留める瞬間の生々しさや解体するときの血肉溢れる感は、人によっては苦手かもしれません。仕事から、動物実験に立ち会うことがありますが、食用のブタを電気メスで切開するときの焦げ臭さ等、家族にイキイキして話すとドン引きされます。本書は新聞に連載されていたようですが、屠殺シーンに対して、予想通りのクレームが来たそうです。
誤読する権利は読者にはあるとしながらも、命を弄ぶようなことは決してないと主張しており、全編を通じて、生きることは、すなわち他を殺して食べること、ということに改めて気づかされます。
日本人のあいさつ「いただきます」は素晴らしいなと思いました。
気になった点
・鴨の羽毛は天然の迷彩服。獲物を探すときには、カモをみるのではなく、わずかな「波紋」をみること
・農業生産が安定して食い扶持に困らないということは、支配される側=民衆にとっても好都合ではある。(中略)被支配階級自身が、自ら支配されること、抑圧されることを、欲望する。(中略)だから、農業さえやっていれば万事うまくいく、自然のと人間の本来の関係性を取り戻せるというような、お気楽な「農本主義」は、自分にとってはお笑い草なのだ。頭ではない。肉体でわかるのだ。
・(ドフトエフスキー『死の家の記録』からの引用)人間はどんなことにでも慣れるられる存在だ。わたしはこれが人間のもっとも適切な定義だと思う。
・初心者には、まさかと思うようなことばかりなのだが、けもの目線になれる猟師にしか見えない世界は、ある。(中略)ライターと全く同じなのだ。世界の見方の様々なバリエーションを持つ、ライターにしか見えない、リアルはある。
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朝日新聞の記者の近藤さんの本。文字通り猟師になった経験談。農業革命前まで人類は皆猟師だった。猟師に、なって初めて見えてくる世界がある。しぜんを感じ、獲物気持ちになって行動しないと獲物に出会う事さえままならない。そうして学ぶ猟師の世界。猟師に、なって見えてきた今の社会の矛盾、問題。体験して初めて分かる命の尊さ。ちなみにアロハシャツ着ているものの本の内容を示すならアロハはいらなかったかも!嗚呼、野生の鴨食べて見たいね。先日エゾジカは食べました。
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ライター業、猟師業にプライドを持っていることはわかるのだが、自分の評価基準に合わない人を見下す高慢さを感じて、そこがなんだかな、と思った。
確かに、猟師として目の前の生き物を殺すことの重さは、経験した者でないとわからないものがあるのだろうと思う。そういうことを心から真摯に書いているという印象はあり、確かにそうなのだろうな、と感じた。とはいえ、誰もがそういう経験ができるわけではないから、「あーだこーだ言うなら、猟師として命を扱ってみろ」という方向に話を持っていくのはちょっと乱暴な気もするけど。
資本主義と貨幣経済に、狩猟で獲った鴨のような贈与経済を混ぜることで、過剰な新自由主義に変化を加えられるのではないか、という発想は、確かに面白い視点はある。けれど、贈与経済がなぜインパクトを持ちうるかというところが、共同体の人間関係が豊かになる、というところと繋がった考え方で、それだけだと、共同体というもの自体にうまく入れない人を排除する論理が残り続けてしまうのではないかと思う。ちょうど『庭の話』でアンチ共同体論みたいなものが展開されていたので、そういう視点から批判的にみてしまうところがある。
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ライターと兼業で農業と狩猟を行なっている著者の経験と、現代社会で狩猟を行うことの意義を述べた本
ある芸人さんがお薦めされており、狩猟に少し興味があったこともあって手に取りました。思うに著者はかなり繊細で、かつ深く考え込むタイプの方なのだと思います。狩猟に関して述べた本で生命の大切さと、誰しもが生きていく上でそれを奪っていることの現実を述べたものは数多くありますが、それだけでなく狩猟を通して著者が考えた現代社会のあり方や哲学的な思索などが散文的に記載されていました。
目を背けようと思えば、いくらでも背けられる現実にあえて対峙することで、著者が何を感じたのか、これは経験しないと本質的には理解できないのでしょうが、少なくとも頭で咀嚼することはできた良い本でした。
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サクッと読める狩の本...?ぐらいの気持ちで手に取ったが...
重く、深い本であった。
著者近藤氏は『三行で撃つ』『百冊で耕す』の著者...
狩猟を通して多くのことが書かれている。
食や経済...etc
時々出てくる「オルタナティブ」の単語
二者択一や既存のものに変わる新しいもの という意味のようだが
どちらも手に入れて双方を行き来している。
私が感じだ一番大事なこと「信用を得ること」
お金では買えない人間関係を築くこと。
自分のできることで、世の中の貨幣価値に左右されない
独自の価値を築くこと....
既存の自分の周りの世界を見渡して一歩その環から踏み出してみること、試みてみること、
真面目に切羽詰まって逃げ出すのではなく、ちょっと試しに片足だけ踏み出して見ること
著者はこのことを「ばっくれる」と書いていた。
周りの環境を違う角度で見ることで何か一歩が始まるのかもしれないと思った。
「私は何者か」の自分探しではなく「何が私であるのか?」
文中にあったこの意味はちょっと難しく、もう一度読み返さないとわからないと思うけれど...
「これが私!」と言える何かに行き着く道のりは長そうである。
信頼の置ける...という言い方があっているかどうかわからないけれど...
世の中と全く関係ないもう一つの社会(=環)の中で
絶対的な居場所があるというのも面白そうと感じた次第...
著者...
田んぼを作り狩猟をして...6年で別世界を構築...すごい!
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具体的な鴨猟のやり方が個人的にありがたかった
金銭ではない人との繋がりのありがたさというものについて、実感を持って肯定できない都会の勤め人の悲しさはあるが、娘たちには自立と同時に人に「助けて」と言える人になってほしいなと思った
Posted by ブクログ
アロハで猟師、はじめました 近藤康太郎
新聞記者として都会で生まれ育った作者。
書くことが生きること。食うために朝一時間だけ農夫となる企画を始める。農夫をするなかで害獣の狩猟も始めることとなる。
こうした生活を過ごすなかで感じた資本主義社会の限界(資源の有限性による経済成長の限界)とその打開策を論じてもいる。
人間は交換する生き物である。
貨幣を介さない交換に活動の一部を置き換える。無償贈与によって成り立つ連鎖の面白さについて話している。
狩猟を行うことで、生きることは他の死によって成り立つことを身を持って経験している。
特に罠に掛かった鹿を殺めるシーンの描写は適格かつ独特な言葉表現でリアリティーを感じる
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読みようによっては重い一冊
新聞社の記者である著者が、赴任に伴い耕作放棄地で米作りをきっかけに害獣駆除の為に猟師になり、命への考察に至る
都会に住む人間はスーパーに行けば、命があったとは思わずに買える肉
美味しいと思いながら食べる肉片にもかつてはあった命
人の生活に害を与えるから害獣と呼ばれる命にも自らの生を守る権利があり、田畑を荒らすからと命を取られる
ジビエとして人に食べられるのならまだ本望かもせれないが、自治体から出る金銭目当ての賞金稼ぎの猟師はいかがなものか
人は他の命を取り入れる事で自分の命を繋いでいることを認識すべきではあるが、認識しづらい資本主義の中に自分が立たされていることを再度考えなくてはならないと感じた
Posted by ブクログ
タイトルがカジュアルで、挿絵もある(しかも伊藤ハムスター)ので、新聞の不定期連載をまとめた軽いエッセイかと思ったが、そうではなく、狩猟から日本文化や歴史から経済システム、贈与・交換といった文化人類学的な話まで発展する読み応えのある本だった。
人の懐に入って話を聞き出す記者の特性が、農業や狩猟にも生きているように感じた。思想信条で切り捨てず、どんな人ともとことん話をして(というよりはとことん話を聞いて)人間性を見出していくことが好きだから、田舎の絡み合った人間関係にあとから入った余所者なのにやっていけるのだと思う。田舎で育ってもそれが苦手で都会に出ていく人はいっぱいいるが、こういう人はどこに行ってもやっていける。そのたくましさはすごいと思った。
農業と狩猟によって貨幣経済から半分降りるというところは魅力的だが、それに伴う苦労に大抵の人は躊躇するだろう。なかなか面白がれるものではない。しかし、ライターであれば、それもまたネタになる。
また、自然とガチでつきあうことで感受性を磨くこともできる。「世界は、見ようとする者にしか、見えない。」(P53)
P58あたりに書いてある農業が格差や差別を生み出したというはなしは、稲垣栄洋の本にも書いてあったし他の人も書いているに違いないが、やったからこその実感なのだろう。
狩猟は殺戮に快楽があるのではなく、その後の共同作業、共食、仲間との語らいなどによる精神的満足に快楽があるというところも説得力があった。
Posted by ブクログ
朝日新聞記者。猟師の体験より思想の書。
初めて獲物を獲ることに成功する場面のほか、暴力装置、ネトウヨ、農耕と人類など思想の内容が多い。題名からもう少し軽い猟師の体験談を期待して読んだので、ちちょっと期待外れ。
資本主義の悪にそまらず、少しは原始に戻った体験を上から目線で語る内容。