あらすじ
生活学の先駆者として生涯を貫いた著者最晩年の貴重な話――「塩の道」、「日本人と食べもの」、「暮らしの形と美」の3点を収録した。日本人の生きる姿を庶民の中に求め、村から村へと歩きつづけた著者の厖大な見聞と体験がここにはある。日本文化の基層にあるものは一色ではなく、いくつかの系譜を異にするものの複合と重なりである、という独自の史観が随所に読み取れる本書は、宮本民俗学の体系を知るための最良の手引きとなるだろう。
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「塩の道」「日本人と食べもの」「暮らしの形と美」
文献だけでなくフィールドワークで得た情報が、リアルに立ち上がってくる。
塩は必要不可欠なものだから、山の民は灰(麻を白くする)と交換したとか、牛を使って運ぶと道草を餌にできるし、ついでに向こうで牛も売れる(馬は管理が厳しかった)とか、当時の生活が垣間見れておもしろい。
また、塩の摂取の仕方も現実的で興味深かった。塩イワシは必ず焼く(煮たら塩が散る)し貴重品だから四日かけて食べる、わざとニガリのある悪い塩を買って分離させ豆腐作りに使う、塩が不足すると新陳代謝が悪くなって吹き出物が出たり目が悪くなる、等々。
動物も塩を欲するから、野宿をする場合は必ず火をたく(そうしないと翌朝牛が獣に喰われている)、小便を壺にためたり立ち小便をするとオオカミが舐めに来るから駄目、という話に驚いた。
わらじは消耗品で三日に1つ破れるから一年に百足は作らなければならない、ということさえ実感としてわかなくなってしまった今、こういう生活に密着した記録は非常に貴重なものだと感じた。
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20131223 講演会のまとめのため、読みやすい。日本人とは?ということを考えるきっかけになりそうな本。日本人として大事な事は何か、考えさせられる。
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塩が貴重だった時代、山に住む人にとっての塩。
その塩を活用するための日本人が編み出した暮らしに密着する知恵と工夫。
「日本人と食べもの」の内容に関心がありましたが、どの章をとっても、どの節をとっても、得るものが多かったです。
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日々の暮らしの中に ひっそりと息づいている 大事なことが
腑に落ちる・・・村から村へと歩き続けた宮本常一さんの見聞と体験が
ぎっしりつまっています。
「日本人と食べもの」「暮らしの形と美」とあわせて3作が薄い文庫本におさめられています。目からうろこ、のエピソードもたくさんあって、海外への旅のお供にも おすすめ。
p.77 すべての道が海につながる
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塩がいかにして作られ、運ばれてきたのか。
塩は神として祭られたことがないという話から始まり、山奥に住む人が苦労して塩を手に入れていた話や、塩を運ぶために道が作られたという話などが続きます。
塩だけにとどまらず、日本の食べ物や道具や暮らしなど、興味を掻き立てられることがぎっしりと詰まっていました。
宮本常一さんは実際に自分が見聞きしたことを書き記しているからか、文章に血の通っているような温かみがあって好きです。
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塩の流通だけに終わらず、日本の至るところまでの文化、生活基盤を見事に解き明かしている。日本の文化と生活を知る上では最高の一書です。
◆稲作は中国の雲南省のあたりから戦から逃れ朝鮮を経て九州に伝わった。一方で東北ではヒエの栽培が行われていた
◆稲作をする上で最大の懸念は風であり、風を避ける為に各盆地で集落が形成される。稲作における共同作業により祭りが行われて祭祀を司る人物が統治者として必要になった。
◆稲作が伝わった当初、米は炊くのではなく蒸したと思われる。最初の稲作はもち米が多かった為に炊くと土器にへばりつく破損に繋がる。竈の発達へ。
◆戦国時代に平戸へサツマイモが伝わり水田のない地域に広がり、その後に餓死者はいなくなった。九州から大阪までの西日本では人口が増え、明治期では女性の労力が利用されて木綿織が発達
◆日本に入ってきたジャガイモはエグイモだったが、甲斐の代官である中井清太夫が改良しセイダイモを各地で流通、北海道において川田龍吉男爵が広めたから男爵イモと云われる。
◆不毛の地であった東北では月に100回味噌汁をすすり、栄養を保った。
◆強靭になったわらを利用した日本人は家族総出で藁製品を作った。藁製品は子供でも作らせたので日本人の手先の器用さに繋がった。わらをゴザの下へつけて厚みをつけて床の上へ敷くことで畳が生まれた。
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本の題は『塩の道』ですが
Ⅰ塩の道
Ⅱ日本人と食べ物
Ⅲ暮らしの形と美 の3部から成る。
塩を通して、また稲作を通して日本の成り立ちを読み解こうとする。
塩は糖と違って、自分の体の中では生成できない。しかしながら、
塩は循環機能を保つためには必須のものだから、この塩を手に
入れるために古くから交易が行われていた。その塩の道をたどり
暮らしの変化を見つめてゆく。
稲作は稲の作り方だけが流布したのではなく、家族、技術や高床式
の家と一緒になって日本にやってきた。それが後々の日本の文化と
なって定着してゆく。単に食べるだけの自給ではなく、仕事をするた
めに、その地で自給して生活をたてていくといったスタイルは古くから
あったのではないでしょうか?といったところを探ってゆく。
高床式の家はやがて、障子や畳といったものを生み出してゆく。生活
様式は変化してゆくとともに、日本独特の美も生まれてゆく。
もう一度、長い歴史の間に生み出されてきた独自の文化を再評価しよ
うではありませんか?
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読みやすい文章
商圏や文化圏が
どう伝わって
どう広がっていったか
イメージしやすく
分かりやすい
それにしても
ほんの少し前の世代の話なのに
全く知らない事が多い
そういう情報が
途絶えてしまっているのは
悲しい事だ
とよたブックマーケット内
積ん読屋にて購入
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宮本常一氏の晩年の講演をまとめた一冊。「塩の道」「日本人とたべもの」「暮らしと形の美」の三篇を収録。
日本全国を歩き回って得た知識を縦横無尽に駆使して、新たな宮本常一ワールド紬上げる、魔法のようです。
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元々内陸ではほとんど塩の取れない日本では、山で伐採した木を川に流し、海の河口で回収して薪に使い、海水を煮て得た塩を内陸に持ち帰ったという。生きるための知恵と
労力を惜しまぬ力技に感動。
また、そもそも塩魚というのは大量流通によって安くなった塩に付加価値をつけたもので、魚よりも塩を摂取することが本来の目的であったという。1日目は塩を舐め、2日目は頭を食べ、3日目は胴体、4日目に尻尾と大事に食べ分けたとのこと。まさに目からウロコの話し。
Posted by ブクログ
宮本民俗学なるものを一度くらい読んでみようと思って。話し口調で説明もわかりやすく、たいへん読みやすかった。
塩水をそのまま煮詰める方法から揚浜式へ、石釜方式へ。
山から材木を流してそれを海に行って焼く。材木と塩の物々交換。麻をさらすための軽い灰を売って塩を焼く。牛で塩を運ぶ。細い道の道草を食わせる。人の背で運ぶ、塩魚を売る。
米の伝来、騎馬民族、壺の発達、畳の発明、一つ一つの営みを合理的に限られた中でやっていくことに、文化の繋がりや社会制度が見えてきて面白い。
民俗学に詳しくないからこの見解がどこまで正しいのかわからないけど。
P200
それは、そこにいる人たちのたんなる美意識というよりも、そこにあるものを、長い生活の体験の中から見つけていって、そしてそれを美に転化していった。その美がたんなる美ではなくて、自分らの生活を守る強さをもつ美であった、ということを忘れてはいけないと思います。
Posted by ブクログ
2014.9記。
生きるために欠かせない「塩」と、人々はどう関わり合ってきたか。
著者はまず、「八百万の神」を祀る習俗の日本において「塩」そのものを祭った神社がない、という事実に着眼して筆を起こす。
容易に塩を得ることのできなかった古い時代。山奥の人は薪を川に流す、川下の人はそれを拾って海水を茹で、塩に変える、それを山奥に返す。まさしく、流通経済が塩を媒介として育っていた。昭和初期くらいまでは薪のことを「塩木」と呼ぶ地域があったという。
また、人々は山中で立小便をすることを厳しく戒めた。理由は、狼が塩をなめに来るため。以前読んだ「イマドキの野生動物」という本の中で、現代でも、野生のシカが道路凍結予防に散布される塩を舐めて大繁殖している、というエピソードが載っていた。我々は「立小便禁止」を近代的道徳の範囲でしか理解せず、古の知恵を失ってしまっているのかもしれない。
最後に、結局回答が言及されていない「塩が祀られない理由」についての私個人の仮説。つまり、塩は一種の貨幣、「交換を媒介する手段」としての側面を持っていたから、という発想はどうだろうか。貨幣も、神社で神様として祭られているという話は聞かない。そして、網野善彦氏の歴史学の知見を借りれば、交換=経済を媒介するものは、モノと所有者との関係を断ち切る(「無縁にする」)性質を持っている(例えば市場)。
「浄化」という機能も含め、塩には貨幣や市場に通じる交換手段としての「無縁性」があり、よって八百万信仰の外にあったのではないだろうか。なんか、我ながら結構いい線いっている気がしてきたが、多分違うしまあいいや。
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最晩年の講演3編を収録。語り口からして良いです。
「塩の道」
製塩法や塩の交易の移りかわり。
日本では塩は基本的に海水から作る(外国では塩井、岩塩の利用も多い)。単純に海水を煮詰める方法から、揚浜・入浜といった効率的な生産方法がおこり、瀬戸内などで大量生産されるようになる。原始的な少量生産をしていたころは本格的な塩の交易はなかったと考えられるが、集中生産されるようになると塩の道をたどって交易されるようになる。運搬については牛の果たした役割が強調される。馬と違って、細い山道もこなし、道草を食いながら移動できるので活躍した。塩を運んでいった先で牛を売って人間だけ帰るなんてことも。険しい山道は人間(ボッカ)が運んだ。塩魚も運ばれたが、これも塩の補給が第一義であった。初日は舐めるだけで、一尾をさらに3日間かけて食べた。
「日本人と食べもの」
トウモロコシは戦国時代の終わりくらいに日本に入ってきた。民間の力で、ヒエに代わって九州から関東にかけての山間地に普及したのではないか。サツマイモとともに飢饉を逃れる力になった。
ソバとかアワとか北から早く農耕が発達したのではないか。
日本からクリ山が姿を消したのは明治30年代から。鉄道の枕木として伐採されてしまった。トチの木、タコ穴が女系で伝承・管理されていた例も。備荒食。縄文以来の山地民の文化。
中国の人口増減、前漢末6千万→後漢初1.5千万→後漢末5千万→三国時代0.6千万→南北朝末2千万→→→安定するのは明代になってからby岡田英弘教授。ホントか?
米は最初は田植えをしない乾田式だったろう。舟によって内陸に伝播。調理法は土器に焦げ付くと始末に終えないので、煮るのではなくかまどと甑で蒸すことから始まったのだろう。すると囲炉裏の自在鉤では甑は扱えないので、そちらは山地民の文化。
江戸時代は藩単位の食物自給自足が基本。飢饉が起こると周囲の藩は津留をしてしまう。
米を食う生活の方が魅力的なのになぜ山地に住むか?・・・山地の産業がある、林業、狩猟、採鉱。山地に住んで現地で自給自足する。
もともと発酵食品は壺で作っていた。関西に「たが」の技術が入って、桶・樽で酒が作られるようになる。その酒が東国へ来る。もちろん空樽を送り返す手間は取れない。それらを再利用して練馬の大根の漬物や、銚子の醤油づくりがはじまった。
「暮らしの形と美」
馬に乗らずに引くというのは世界的に見て特殊な風俗。貴族は割りと上手に馬に乗っているところから見て宮本先生は騎馬民族渡来説推し。もともと蝦夷地にはたくさん馬がいたらしいこともポイント。
大きな木材と墨縄による直線構造でできあがった家屋。
わら細工による軟質文化。
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親父の本棚から持ってきた本。
「塩の道」「日本人と食べ物」「暮らしの形と美」の3作が収録されています。
いずれも日本人の生活レベルの文化を読み解くお話。
・塩の生産法と販売ルート
塩の生産方法の伝播と販売ルートに関する丁寧な記述が面白い。
塩は生活に欠かせないもの。今では手に入れる苦労なんてほとんどなく、著者曰く「意識することもない」が、歴史上塩を生産し、手に入れることには多くの工夫と労力が割かれてきた。とんでもなく足を使ったであろう渾身の研究ですね。
・戦乱と食料生産
食料を生産する人口と、戦う人口はまったく区別されてきたのが日本の歴史。
戦国時代にあっても民衆はなるべく戦乱に巻き込まれないようにすることが重要事であり、
ゲリラ戦は一般的ではなかった。
⇒自然の植物食料が非常に豊富だったこととはどういう関係があるのか?
・「軟文化」と「硬文化」
日本は軟らかい物質を巧みに利用する軟文化であった。とくに生活を支えていたのが「わら」
草鞋をはじめとしたわら文化は日本の大きな特色。3日に1回は履きつぶしてしまう草鞋は非常に大量に必要になるものであり、子ども時代からわら細工を覚える必要があった。また、この軟文化の特色は刃物をほとんど使わずに多くのものを作ること。わらだけでなく竹細工も同じ。これを各家庭、個人それぞれが身に付けることが生活上必要だったことは日本人の器用さの背景にあった。
⇒他の日本的文化の発現にもこうした生活上の必要の説明が多くあると良かった。
・日本家屋と畳文化
まっすぐな木を使用する住宅だったからこそふすまによって、間取りを自由に変更できる形式が発達した。また、畳も部屋を自由に使える空間にした。
民俗学の本、だけどそれほど小難しいことが書いてあるわけではないです。
日本の歴史読み物として非常に面白い本です。
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昔の日本で、塩をどのように作り、運んでいたかを民俗学者が語る。内陸の村民が伐った木を川に流して、その木を海岸の村民が薪にして海水を煮詰めて塩を作っていたとか、馬よりも細い道を歩ける牛の背を使って塩を運んでいたとか、まったく知らない話が具体的に説明されていて面白かった。塩自体の神がいない説明が興味深い。
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塩と塩味が好きなので読んでみたのだが、次から次へと、日本の文化や生活に関する謎が明らかになって「ほほー」「へぇー」「はー」と感じ入る。
日本人の生活習慣や風習で、なんでかなーと思うことや、疑うこともなく行っている行為について掘り下げるとこんな歴史があったのかと知ることができた。
岩手の牛、牛のすごさ、これまた知らなかったよ。未明の地と思われていた東北・北海道が、大昔から日本経済を支えていたのである。
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宮本常一晩年の話がたり。日本人とは何か?というかそれを育てた型やあり方についての深遠膨大な知識。韓国人がどうのという前に、自らの民族史を読み返しても損は無いですは。
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「塩の道」「日本人と食べ物」「暮らしの形と美」という3つのテーマについての講演をもとにした本。
表題の「塩の道」がやはり興味深い。今でこそ専売制も崩れいろいろな銘柄の塩を好き勝手に使えるが、歴史にあっては貴重かつ不可欠なものとして生活・経済と歩みを共にしてきたことがわかる。
柔らかい語り口ですんなり読めるいい本だった。
Posted by ブクログ
柳田国男や折口信夫はそれぞれに独特な、文学的な語り口で、晦渋なところがある。日本民俗学の古典的著者としては、この宮本常一がいちばん易しく、すっと入っていけるのではないだろうか。
巻末の解説に明記されていないが、ここに収められた3編とも、講演の記録と思われ、いっそう平易な文章が読める。
柔軟な思考で、さまざまな観点から庶民の文化現象のルーツをさぐっていく手法は、歴史学とはときに交わるようでいて、軌を一にしない。この「庶民」へのまなざしはウェットでもドライでもないが、たぶん優しいものだろう。
「われわれの目の見えないところで大きな生産と文化の波が、そのような形で揺れ動き、その上層に、記録に残っている今日の歴史があるというわけです。これはとりもなおさず、じつは国民のわれわれが国全体を支えていたのだということをご記憶いただきたいのです。」(P60)
しかしここでいう「われわれ」とは誰なのか?と問い始めると難問に突き当たってしまう。「庶民」とは誰なのか? それらのゲシュタルトは、実在する個々の(無数の)個体をいかに包括し、あるいは捨象しているのか?・・・しかしこういう難問はとりあえず後回しにしておこう。
最近はグローバル化によって世界中どの国も同じなどと言う人が増えた。しかしそれはたぶん表面の一角にすぎない。日本は今でも、民俗学的に描かれるところの古き日本の遺伝を引いている。たぶん300年後も、日本は日本であるだろう、と思っている。
ヴィム・ヴェンダースの「東京画」という映画で、監督は小津安二郎への畏敬の念を抱き、小津映画における東京は、現在(1980年代)も何らかの形で残っているのか? と問いかけた。その回答は、映画の中では明確にコメントされていなかったが、私は小津映画に映し出されたものも、現在の日本に残っていると考えている。姿形はかわっていても、それは通時的に、どこかでつながっている。
この「つながり」の線を発見してゆく旅、それが民俗学の本を読む際の興奮を呼び覚ます。
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いいですね。宮本常一の文体は常に市井の人のそばにありて読んでて平和な気持ちになります。
本書は塩を手に入れるための庶民の生きる術、生活の術、そこから作り出された社会の構造を描いています。
それにしても、上流の村人が薪を流して海辺の村人が塩を焼くくだりは、人の交流と富の交換が昔から自然発生的に機能してきたことに感銘を受けます。
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民俗学の古典ともいうべき本ですね。
勿論、今、読んでみると古臭いネタも多く、
非現実的な話もあるのですが、(何故か三陸の人たちが自分たちのところで塩を作らず、わざわざ遠くから塩を調達しようとしてたり(´∀`;))
戦後の時代にこの本にあるような論文が書かれたという事実を、
時代背景を考えながら、読んでみると、やっぱり宮本常一という人は、
凄くバイタリティに溢れていた人なんだろうなと思えます。
そのような意味で元気の出る本ですね。
Posted by ブクログ
宮本常一という
民衆の生活に根ざした視点で
研究を続けた民俗学者の本。
この本には
『塩の道』『日本人と食べ物』『暮らしの形と美』
という3本の著作が入っている。
なかでも表題の『塩の道』がおもしろかった。
塩は神に祭られた例がない。という導入。
米やほかの作物は神棚に祭られるが
塩はないという。
それだけ生活に近すぎた。
そして、塩を手にするために
道ができていったという話。
塩は日本では海の水から作られたため
山の集落では塩を得るための
いろいろな努力をしていた。
塩を作るには薪がいる。
木を切って川の河口まで流して
その代償に河口でできた塩を入手して
山へ帰っていく。
そのための道ができる。
なかなかに含蓄のある話が書かれている。
これらは民衆に分け入って
実際に聞いていったもの。
書物に残らない民衆の歴史が
ここにある。
Posted by ブクログ
日本の文化や歴史を、庶民の生活の視点から調べてまとめてある本は、とても貴重で、興味深かった。
・確かに塩はどこでも採れるわけではないけど、人体に必要不可欠であり、ないと生きていけない。当時の流通網を調べるには、とてもいい糸口だと思った。
・日本の人口は中国などと比べて、過去二千年の間に大きな増減をすることなく、緩やかに増え続けてきた。戦争をする者/食糧を生産する者が分けられていたからだ。
・日本の食糧自給が安定していた理由として、民衆が戦争から離れたところに存在していたことがあるが、民衆の生活の工夫が続けられてきたことも大きい。
米だけではなく、その土地の特徴に合わせて新しい作物を民間レベルで積極的に受け入れてきたこと。
トチやドングリなどの実のなる木を代々管理し続けて飢饉を乗り切ったこと。
山間部で発達した発酵食品などの保存食の知恵などなど…長い間、民間で繰り返されてきた努力と工夫で、日本の文化はできている。
現在は平和な世の中で飢えとは縁遠い生活をしており、生きるためというより、楽しむための食になっている。
ただ、また戦争などでいつ自給自足の生活に戻らないといけない日がくるか分からない。そんなときのために、自分で生きていくための食糧を得るための伝統的な文化はある程度伝承していかなければいけないんだなと思った。
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人間にとって不可欠な「塩」を手に入れるため、昔の日本人がどのような手段を取っていたかが紹介されています。中でも、山の中に住む人々が塩を手に入れるため、木を伐って川に流し、河口まで行ってその材木を拾って焼いて塩を取っていたというのは衝撃でした。そこまでの苦労をしないと塩を手に入れられなかったというのがすごいなと。
これ以外にも、日本での製塩方法がいくつか紹介されていて、その辺の雑学も楽しいです。
著者によると、塩の道はかつては牛が踏み固めた道であり、道草が牛によって食われた道であるとされています。つまり、その先に必ず何かがあると確定している道であり、旅人はそれを頼りに道を進んでいったことになります。その意味でも、塩が通る道は非常に重要だったことが分かります。
この本では、塩以外にもサツマイモの安定供給によって江戸時代の人口が急増し、様々な職業が増えていったことや、畳が発明されたことで座ったまま生活をするようになり、食事が膳になってそこから幕の内弁当が作られるようになったことなどが紹介されています。塩の道以外のテーマについてはあまり詳しくないですが、面白い情報がいくつも入っている本です。
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明治時代の日本人の暮らしとは隔世の感がある。
本書は昭和50年代に書かれている。
日本全国を訪ね歩き調査するときに話を聞いた地元の長老はまだ明治生まれが健在であった。
現在では戦前の話を聞くことすら難しいだろう。
そういった意味で、すでにかつての日本の姿を新たに見つけ出すのは不可能だ。
昔の日本の暮らしが知りたければ書物に聞くしかない。
本書では「塩の道」「日本人と食べもの」「蔵氏の形と美」の三点が収録されている。
海からしか採ることが出来ない塩を山村の住民はどのようにして確保していたのか。
木を切り川に流し、それを海辺で回収し自ら塩を浜辺で炊いていた。
それが瀬戸内海産の塩が海運で全国に運ばれるようになってからは、中から外の流れが外から中への流れに変わる。
陸船を呼ばれた牛の隊列が日本全国に塩を運んでいた。
失われた日本の姿は書物の中にしか残っていないのだ。
Posted by ブクログ
・牛の大きな産地は西日本にあった。牛が東で飼われるようになったのは戦後。
・鎌倉時代、国々に地頭が置かれ、鎌倉の御家人が警察権と租税の徴収を行ったが、そこで自分の勢力をもった武士が戦争を起こした。奈良などの寺社勢力が強い場所には武士がいなかったため、戦争も起きていない。
・トウモロコシは根が深く下りるために、やせた土地でも育つ。
・18世紀初頭、瀬戸内海にサツマイモがもたらされ、その後の享保大飢饉ではほとんど人が死ななかった。サツマイモがつくられた西日本では、江戸時代の人口は増えた。
・古代中国の越が最後に建てた都は山東半島のつけねの琅邪山。
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専売制であった塩について、知りたいなと思い購入。専売制時代のお話はほとんどありませんでしたが、興味深い内容がたくさんあった。
3部構成で、「塩の道」「日本人と食べ物」「暮らしの形と美」からなる。
日本は、内陸に塩井なるものや岩塩などを存在しなかったため、海岸で塩を造作りそれを内陸まで輸送していた。その輸送する方法や輸送に生業とする者の話、そして輸送には馬よりも牛が使われ、牛の伝播についても書かれていた。
第2部の「日本人と食べ物」辺ではトリビア的な知識が多く得られた。
世界でも類がないこととして、日本は過去二千年はどの間に人口がずっと漸増してきている。異民族が大挙して侵攻してきたことがないのが大きな原因。
また、大規模餓死がないことも原因の一つ。戦国時代に100年も戦争が続いて、みんなが餓死しなかったのは、戦争している人と、食べ物を作っている人たちが別であったことが餓死を防いだ。
これも世界敵に珍しいことだが、ゲリラ戦が行われたことがない。戦争する者と食べ物を作る者が分かれているためゲリラ戦も行われない。ゲリラ戦とは民衆も参加して行われることがおこってくるものらしい。
保存食なるものも紹介されていたが、記述量が少なく消化不良な感じ。発酵に関して興味がわいてきたので、別で読む必要あり。
民俗学者が書いた本。科学者が書く本とやっぱり違いますね。これはこれでおもしろかった。
Posted by ブクログ
うらカバー
宮本常一、最晩年の講演
「塩の道」 「日本人と食べ物」 「暮らしの形と美」。
日本人の生きる姿を庶民の中に求めて村から村へと歩きつづけた著者の膨大な見聞と体験が中心になっている。
日本文化の基層にあるものは一色でなく、 いくつかの系譜を異にするものの複合と重なりであるという独自の史観が随所に読みとれ、 宮本民俗学の体系を知る格好の手引き書といえよう。
Posted by ブクログ
『塩の道』は、
Ⅰ 塩の道
Ⅱ 日本人と食べもの
Ⅲ 暮らしの形と美、
初出は昭和54〜56年で、最晩年に行った講演だそう。
とても読みやすい。
そんなに昔でないはずなのに、
知らないことがたくさん書いてあった。
Posted by ブクログ
宮本常一の晩年の書である。「塩の道」、「日本人と食べ物」、「暮らしの形と美」からなる。「塩の道」は製塩・釜を作った製鉄・燃料を提供した木材・牛馬での移送などの産業ネットワークを論じている。「食べ物」では、ソバ・トウモロコシ・米・サツマイモ・魚食などを論じている。「形と美」では、家のデザインが舟から来ているらしいこと、ワラを使った軟質文化などを論じている。馬での塩の移送は宿が必要だが、牛は道草を食って、野宿で旅ができること、山の民が木を切って川に流し、それを追いかけて海までいき、そこで木を燃やして塩を作ったこと、近江の鉄のネットワークなどを論じている。「食べ物」では、「オカズ」が祭りの日に出される数ある料理のこと、「献立」は酒宴の一献ごとにだされる料理のことだと言っている。「形と美」は日本の貴族は騎馬民族で船にのる民族と協力して渡ってきたらしいことが語られている。十二単衣などは寒いかららしい。日本人が器用だとされるのはワラを使った細工をせねばならなかったからだという。ワラジは三日に一足履きつぶされ、年間で100足必要だった。冬には作られねばならない。