【感想・ネタバレ】東條英機 「独裁者」を演じた男のレビュー

あらすじ

定説を覆す本格評伝!

敗戦の責任を一身に背負わされた東條英機。しかし、その実像は、意外に知られていない。
日本の航空事情を知り尽くし、メディアを使った国民動員を実践した宰相は、なぜ敗れ去ったのか。「総力戦指導者」としての東條を再検証する。
軍人になり、そして政治家に。東條英機はいかに「独裁者」を演じたのか――。

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

このページにはネタバレを含むレビューが表示されています

Posted by ブクログ

ネタバレ

●→引用、他は感想

●鈴木貞一は敗戦後「開戦は国内政治だった」と述べた。これは当たっているところがある。まず陸軍の日中戦争早期終結という政治情勢があった。陸軍の強硬姿勢が主として国民の不満の爆発を警戒してのものだったことを思えば、それは国内政治の問題である。この問題はやがて、対米戦備を口実に予算や物資を獲得してきた海軍の利害や面子、つまり政治問題を浮き上がらせた。対米開戦は、短期的には両者の抱える問題をもっともすみやかに解決しうる手段だった。そこへハル・ノートが到来し、全会一致で開戦決断に至ったのである。
●東條が各所で「水戸黄門」的視察を行ったのは、自己を「国民の給養」につき「真剣に検討する」総力戦の「総帥」」に任じていたからではなかったか。もっとも、東條の国民に対するアプローチや航空軍備に関する啓蒙の積極性は、彼の個人的な創意や芝居っ気の発露というよりは、第一次世界大戦後の陸軍が行ってきた国民啓蒙政策の結果とみなすべきである。「総帥」東條の生き方、考え方は、日露戦争後から1930年代にかけてのデモクラシー思想や、第一次世界大戦の総力戦思想の影響を色濃く受けていた。(略)東條をはじめとする戦争指導者層の「総力戦」の認識において最重要視されていたのは、航空戦力と国民の「精神力」の両方であった。後者の象徴たる竹槍のみでは対米戦争は不可能である。航空戦の「総帥」たらんとして結果的に失敗し、敵の空襲で国を焦土と化させた東條を批判するのは簡単だが、彼のやり方を戦時下の国民がどうみていたのか、という視点があっても良いはずである。その国民の少なくとも一部の間には、唯一の軍事指導者とみなす意識があった。東條への批判も、よく読めば航空戦・総力戦の指導者として適格か否かをめぐって繰り広げられていたのである。だが完膚なきまでの敗戦、国民生活の崩壊とともに「総帥」としての東條は忘れ去られた。東條自身は、古い―それこそ同時代人の重光葵からみても古い、大東亜共栄圏の思想に殉じて死んだ。後に残ったのは、国民に竹槍での無謀な戦を強いた愚かな指導者としての記憶だった。

『未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命』(片山杜秀著、新潮社)参照。

0
2021年02月07日

「学術・語学」ランキング