あらすじ
女子高生たちの手探りの関係に、心をかきたてられる。
泉鏡花文学賞受賞作、待望の文庫化。
〈パパ〉日夏、〈ママ〉真汐、〈王子〉空穂、同級の女子高生三人が演じる疑似家族の行方は――。それぞれのかかえる孤独ゆえに、家族のように親密な三人の女子高生。同級生の「わたしたち」の見守る中、愛も性も手探りの三人の関係は、しだいに揺らぎ、変容してゆく。家族、少女、友愛といった言葉の意味を新たにする、時代を切り開く作家が到達しえた傑作。
解説・村田沙耶香
※この電子書籍は2017年4月に文藝春秋より刊行された単行本の文庫版を底本としています。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
舞台は私立玉藻学園高等部2年の女子クラス。彼女達は、クラスメイトの日夏、真汐、空穂の3人をパパ、ママ、王子様と模した『わたしたちのファミリー』の推し活をしていた。
人生の経験が不足し、知識、自意識が肥大化している彼女達の妄想は、それゆえに現実的な制約を受けずに理想の家族像を紡ぎ出し、『わたしたちのファミリー』に投影・神格化していく。
女子高校生純度が高そうな内容で、読み始めてすぐ「あ、苦手なやつだ」と思ったのだけれど、なぜだか引き込まれてしまった。
居心地が良いのだ。この居心地の良さは、『わたしたち』が物語りを語ると言う画期的なシステムによるものだと思われる。一人の語り部ではなく、皆で共同で一つの幻想を語る。読者である自分もひっそりと席に加わる。あの頃、何が気に入らず、何を求めていたのか。
評価5は付けすぎだと思うけれど、村田紗耶香さんの解説がこれまた素晴らしかったので、解説含みで星5つとしました。
Posted by ブクログ
わけの分からない胸の痛みで涙が出て仕方なかった。
とても巧妙な構成で高校生の女子達の心の中をのぞく。どの子も賢く、好奇心に溢れ、仲間想いで、観察眼が鋭い。
家庭環境、親との関係に痛みをかかえる真汐、日夏、空穂の関係性の変化を”わたしたちのファミリー”として観察(想像、捏造?)する同級生たちの視点から心象が描かれる。
真汐の最初の作文でいきなり引き込まれて、読んでいる間中今も心にある痛みがずっと胸で疼くような感じがした。
真汐に自分は近いと思った。心を鍛えなければ、といい、心に蓋をして懸命に傷つかないように自分を保とうとする姿。
うまく言葉にできないけれど、高校生の女子たちの賢さ、優しさ、仲間の痛みを思う気持ち、色々な姿が発光するようにうつくしく、女子であることへの語り口のフラットで誠実な様に、心を抱きしめられたように感じた。男子と女子の対立、鞠村の示すトキシックな男性性。同級生の幼馴染、磯貝と女子の間にあるフラットな関係性が可能だと示すやり方。空穂の母伊都子の未熟さとその毒、真汐の母の息子と娘への対応の差別。藤巻先生や合唱に参加した教師、美織の両親などが示す大人の有り様の可能性。日夏が示す愛情に、私もそんな風に人に扱って欲しかったんだ、と感じさせるやり方。
社会において、私たちが何に傷つき、どう支えあいたいのかが示されている。
ミソジニーから自由な場所、毒されていない場所、そこでの安堵と安心感をひととき感じられる、そんな読書で、女性同士の連帯、支え合いの可能性を感じられる時間だった。
Posted by ブクログ
こんな友達たちがいたら面白かったんだろうなと思う。学生時代って一つ一つが大ごとで友達同士とごちゃごちゃと言い合うのが楽しかったんだよなあ〜。
表現がいい意味で生々しく、秀逸で、世の中に疑問を持ちつつもまだちょっと未熟で、でもとても賢い女子高生たちの学生時代を覗いてる気分になった。
200ページちょっとだけど中身はとっても濃い作品でした。
Posted by ブクログ
制覇はしていないものの、読んできた松浦理英子作品では一番好きだった。私もこの学園で過ごしたかった。あらゆるタグに囚われることなく友達を愛したかった。真汐と日夏には『ナチュラル・ウーマン』の容子と花世の面影があったけれど、彼女たちへの眼差しは温かく柔らかかった。
それなりに物事の分別もつき、且つ社会に出る直前、教室の中で世界が完結する微妙な未分化を表すのに女子高生を主人公に据えること、真汐、日夏、空穂の関係性を見守るクラスメイトたちの距離感と「わたしたち」という主語、単語と関係性の再定義、全てが、上手いな〜とうっとりしてしまったのだった。
とにかく真汐がいとおしくてしかたがない。
Posted by ブクログ
クラスメイトから〈わたしたちのファミリー〉と呼ばれるパパ、ママ、王子という役柄に収まっている3人の女子高校生の話。
その話と語りの2つの見どころがある。
語りの部分は冒頭から早々にその存在を認識させられる。
話としても面白く、仕掛けとそれについて考えるのも面白いけどそれについてはそうである以上ではないのでどう思うかは読者次第。
Posted by ブクログ
『コンビニ人間』の村田紗耶香さんが解説で
「家族」の中での肉体というものについて考えた、と書き、
「大切な、信頼できる相手の前で、心地よく筋肉が弛緩すること。・・誰かの体温の中を安堵しながら漂うこと・・・
身体が相手を家族だと認識し、そうした反応をするなら、現実での関係性の名前がどうであるかなど関係なく、肉体にとってその人は『家族』なのではないかと思う。」
と書いている。
夫の日夏、妻の真汐、王子様=最愛の子どもに空穂という三人の女子高生を中心に、家族関係を妄想する周りの友だちたち。
どう定義できるのか分からなかった「家族」が、
三人の肉体の反応を通して、村田氏が指摘するように
とても鮮やかに浮かび上がったのには、本当に驚いた。
しかも、とても清々しい。
とても新鮮。
Posted by ブクログ
「どれだけ美しければ世間にだいじにされるのだろう。どれだけ性格がよければ今のわたしが全く愛せない人たちを愛せるのだろう。」
とても純度の高いものを読んだ気分だ。でもそう言葉にしたら、やや違和感も覚えた。
「疑似家族」と「三人をアイドル視する周囲」という女の子同士の甘さ、十代のきれいさ、というとちょっと違って、でも違わなくて、上手く言えない。
若手作家じゃないからこそ書ける女子高生、という印象を受けた。
ちょっと風変わりだけれど奇をてらっているとは思わない、地に足の着いた無二さ。
みんな微熱を帯びていて、それでいて過度に浮かされすぎない冷静さを感じる。
筆致の所為もあるだろうか?
濃くて、あっさりしていて、凝縮されていて、さらりとしていた。
なんとなく落ち着いた距離があって、箱庭を見つめている気分になって、やたらと安心する安定感があった。
購入時、帯の文が端から端まで惹かれるもので構成されていて、がっちり掴まれてしまった。
中身の内容そのまま+引用でしかなくて、情報に装飾がなくて、改めて信頼度100%。
(↑の引用では抜いた部分こそ中身に直通で沿っている)
Posted by ブクログ
苦手かも、どう読み解いていいかわからないな、と思いながら読み進めたけど、最後の「わたしたち」が生み出したエピローグとしての真汐の独白と、村田沙耶香の解説が良かった。
〈物語〉の中で行われていることに対する、薄っすら伴う嫌悪感と自分との距離の遠さは、私がこの行為をきちんと自分事として解体できてないからなのかもしれない。
美織の両親が日夏に行った「闘う価値のないものと闘うより、ひとまず離れた方がいいよ」という教え、参考になる。日夏は閉ざされた世界から離れて、閉ざされた荒れた世界を地均ししにまた戻ってきてほしい。と「わたしたち」目線でただ願う。