あらすじ
LGBTの枠をも相対化する「クィア」な視点から巨匠たちの作品を集約。本邦初訳G.ムーア「アルバート氏の人生」を含む不思議で奇妙で切ない珠玉の8編。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
queer の語は、いわゆるLGBT全体を指すと共に、
その中のどれでもない、名付け得ぬ欲望を表してもいて、
QはLGBTを補完すべき要素――と、監訳者は述べる。
この本は根底に名付け得ぬ欲望を抱えた、
不思議で奇妙な味わい(=queer の原義)の作品を集めた
アンソロジーである。
表紙に採用されたのは印象派の画家
ギュスターヴ・カイユボット(1848-1894)「床削り」。
カイユボット作品の題材や雰囲気に
クィア性を認める評が多いと解説にあり、
その意味を考えながら読んでみた。
以下、全8編についてネタバレしない範囲(?)で。
■ハーマン・メルヴィル
「わしとわが煙突」 I and My Chimney(1856年)
屋敷の不格好かつ全体の調和を乱す煙突を、
妻や娘たちやその他の人々に文字通り煙たがられ、
責められ続ける《わし》は、
しかし《わが煙突》は敬意を払うべき上官のごとき
存在であって――と、のらりくらり、
皆を煙(けむ)に巻き続ける。
ただそれだけの、とぼけた味わいの話で、
本文(原文)にも「風変わりな」の意で queer
の語が登場するが、
どこが性愛に関連するのかと思いつつ、
ぼんやり読み過ごしたら、
解説に目を通して「あっ!」。
煙突の「灰落とし穴」
=灰孔,灰溜めを指すash-hole と言う語も
気になる……(笑)。
■アンブローズ・ビアス
「モッキングバード」 The Mocking-Bird(1891年)
南北戦争の渦中、
北軍のウィリアム・グレイロック一等兵は
敵兵の銃撃に成功したと思ったが……。
家庭の事情というミクロな悲劇と、
戦争というマクロな悲劇に翻弄された兄弟の再会
――だが、それは本当に起きたこと(虚構内現実)
だったのだろうか。
ラテンアメリカの幻想小説のような、
美しく悲しい話。
■アーサー・コナン・ドイル
「赤毛連盟」 The Red-Headed League(1924年)
子供の頃にジュニア向け翻訳版で読み、
大人になってから通常版でも読んだので、
これで何度目か。
しかし、クィア要素云々については、
今回読むまで意識していなかった。
「三人のガリデブの冒険」
The Adventure of the Three Garridebs(1924年)
「赤毛連盟」と基本的な仕組みは同じ。
事件に立ち向かうホームズと、
彼を支えるワトソンのクィア的関係が
浮き彫りになっている作品とのことだが、
そこは改めて指摘されるまでもなく
先から承知しており、逆に言えば、
謎解きバディものはコンビを組んで
敵に立ち向かう結構からして
同性愛的な雰囲気を纏いがちであり、
その先駆がホームズシリーズだったと受け止めると
何だか胸が熱くなる(笑)。
■[伝]オスカー・ワイルド
「ティルニー」 Telney(1893年)
作者は複数人で、宣伝効果を狙って
オスカー・ワイルドの名を掲げたか?
と目される、男性の同性愛を扱った官能小説――
の抜粋。
内容そのものよりも、
同性愛行為が違法とされていた時代・地域に、
それを主題とする長編小説が出版されていたことに
驚いた。
■ウィラ・キャザー
「ポールの場合――気質の研究」
Paul's Case: A Study in Temperament(1905年)
周りに馴染めないというより、親や家庭も含めて
環境が自らに相応しくないと感じている少年の物語。
そこから抜け出して、
自分にピッタリな美しい世界へ飛び込みたいと
思っているのだが、何かを創造したいわけでも、
他者の役に立ちたいのでもなく、
ただ豪奢でスノッブな雰囲気に憧れているだけ――
という空虚さ。
馬鹿馬鹿しい話と言えばそれまでだが、
現実を最適化せんと腐心する少年の、
上辺だけを整えようとする空っぽな心の動きが
妙に胸を打つ。
「彫刻家の葬式」 The Sculptor's Funeral(1905年)
「ポールの場合」とは逆に、
環境の方が少しどうかしているケースだが、
忌まわしい空間から抜け出して独立した
芸術家であっても、やはり自分自身も
その土地の一部だと認めざるを得なかったという不幸。
師である彫刻家ハーヴェイと弁護士ジムの間に
“特別な心の交流”があったらしいと
弟子ヘンリーが察する話。
■ジョージ・ムア
「アルバート・ノッブスの人生」 Albert Nobbs(1918年)
長編『物語作家の休日』第45~第53章抜粋。
作者自身が出会ったアレック・トラッセルビィと
互いに物語を話すという小説の一部で、
ジョージ・ムアがアレックに、
ダブリンのモリソンズ・ホテルのウェイター、
アルバート・ノッブスについて語るパート。
肉体と心の性別が一致していないので
外見を内面に合わせるGIDの人ではなく、
職を得るため異装に身を包み、
性別を偽って暮らさざるを得なかった人物のエピソード。
誤魔化しと後ろめたさが交錯する中で
懸命に生きようとする姿が滑稽であり、
同時に真摯で、何とも言えないおかしみを漂わせている。
Posted by ブクログ
クィア小説コレクション、とはいっても一般に「LGBTQ」というカテゴリーで想像されるような内容には到底とどまっていない。収録作品の中には、ゲイ・セックスをあからさまかつ幻想的に描写するオスカー・ワイルドの「ティルニー」や、男性としてパスしてきたうぶなホテルの給仕係が若い女との結婚生活を夢見るジョージ・ムアの「アルバート・ノップスの人生」(映画の原作)もある一方、シャーロック・ホームズもの(パロディではない)あり、規範に縛られた田舎町で生と芸術への熱望に浮かされる若者の小説あり。
「名づけ得ぬ欲望の物語」という副題が示唆する通り、行間から浮かび上がる欲望を読み取ろうとするクィア・リーディングの教科書ともいえるかもしれない。
なんといっても驚かされ、かつ大いに楽しませるのが、冒頭に所収されたハーマン・メルヴィルの「わしとわが煙突」だ。屋敷の真ん中にそびえたつ巨大な煙突を愛する老人が語るところによれば、「わしのほうがわが煙突よりも先に来るこの自己中心的な言い回しには、事実による裏付けがほとんどない。というのも、この言い回し以外のすべてにおいて、わが煙突は私よりも優位に立っておるからだ」。このように、「わが煙突」の前ではなく後ろに立ち、上官に対するようにしんがりを務めていると自認する「わし」と、屋敷の中心たる煙突をなんとか排除したい「わが奥方」との攻防がおかしみを誘う。
にしてもこれがクィア小説って?と思いながら、大橋洋一氏の「メルヴィルってほんとにファルス大好きな人で」という解説に爆笑し大納得。こういうセンスがわかる人には楽しめる短編集といえましょう。