【感想・ネタバレ】アナザー1964 パラリンピック序章のレビュー

あらすじ

あの日の主役は僕らだった!

五輪とともにパラリンピックが開かれることになったのは約1年前。傷痍軍人や障害者ら53人は突如「選手」として大会を目指すことになった――。

ある出場者はこう回想する。
「当時の日本は、やって来た外国人から『日本に障害者はいないのか』と聞かれていたような時代。息子も娘も出るのを嫌がって、家族も出すのを嫌がって、みんな家の中に引っ込んでいたんだから」
障害者スポーツという概念は存在しない。彼らは、人前に自らの姿を晒すことさえ、抵抗があった。だが、いざ大会が幕明けすると――。
「競技場へ行って思ったのは、この大会は我々が主役なんだということでした。お客さんたちも僕らを主人公として見てくれていたと確かに感じる雰囲気があったんだ」

物怖じする出場者らを励ましながら大会に送り出した異端の医師・中村裕(「太陽の家」創設者)。会場で外国人選手をエスコートした“元祖ボランティア”語学奉仕団。その結成に深く関わり、その後も障害者スポーツをサポートした美智子妃・・・出場選手たちのインタビューに加え、大会を支えた人々の奮闘も描く。

列島が五輪に熱狂した1964年に繰り広げられていた、もう一つの物語。

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Posted by ブクログ

1964年。それは障害者にとってエポックメイキングな東京パラリンピック(ストーク・マンデル競技大会)があった年。当時、日本にはリハビリテーションもバリアフリーもボランティアもなかった。障害者といえば戦争の傷痍軍人のことで、それ以外の障害者は家や病院で隠れて生きていた。それが変化の兆しを見せてきたのが1964年のパラリンピック。寄せ集めの、病人として日陰にいたスポーツに素人の日本選手たちは、海外の明るく自立した選手に衝撃を受ける。その後、自立に向かう者や、障害者の権利を勝ち取ろうとするものが現れてくる。そんな歴史を「障害者は納税者になりなさい」と励まし先頭で引っ張っていく中村裕と、語学奉仕団の橋本祐子の二人の健常者の活動に関わった人々のインタビューで構成されている。そして彼らの努力を美智子上皇后が支えていく。まだまだ、日本の理解は不足しているが、確実に1964年が転機になっていた。
最後に最近、SNSで美智子上皇后をディスる投稿をよく見るが、天皇家の人々の青春を、人生を賭した生き方を、些細なことやフェイクに踊らされて大騒ぎする方々はもっと勉強すべきだと思う。

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2025年04月22日

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