【感想・ネタバレ】魂でもいいから、そばにいて―3・11後の霊体験を聞く―(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

未曾有の災害で愛する者に突然死なれ、絶望の淵に立たされた人々の心を救ったのは、奇跡としかいいようのない体験だった。布団に入ってきた夫を「抱いてあげればよかった」と悔いる妻。階上の息子の足音を聞く母。死亡届を書いている時に兄からメールを受け取った妹。それは夢だったのか、幻なのか――。再会を願う痛切な声と奇跡を丹念に拾い集めた感動のドキュメンタリー、待望の文庫化。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

科学的には説明のできない、根拠のない被災地でのエピソード。最初はちょっと読んだら怖いと思うのかなって思っていたけど、どの出来事にもちゃんとメッセージが込められているようで、胸にストンとおちていく感じがしました。恐怖よりも、ぬくもりを感じます。
「彼らが不思議な体験をするのは、亡くなったあの人を忘れたくないからであり、同時にそれが、死者の願いでもあることを知っているからだ。」
この一文がこの本を的確に表現しているなと感じました。
忘れたくないし、忘れられたくない。死にはつきものだと思うけど、突然訪れたからこそ、その想いは一段と強いのだろうなと感じます。

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2023年01月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

山怪に続き?、途中まで読んでいたこちらを読み進めた。
「霊体験」というとスピリチュアルだが、作者自身が「近代科学は、再現性があることが原則でしょう?幽霊話はどうも…」という抵抗心がある中で、それでも「人間が持つ内的自然というか、集合的無意識の力を度外視してはいかんということだよ。それが人間の宗教性になり、文化文明を広げていったんじゃないかね」という言葉に励まされ、物語を収集していく。
一つ一つがとても胸に迫るものがあって、超自然的体験の有無に関わらず「読ませる」ものだったし、読んでいるのが辛いところも多かった。最愛の人を失うという過酷な環境下の中でも、人間は回復/状態が変化していくわけで、その一助としてこういった体験があるとも解釈できるし、本当に霊的な存在がいて交流してくれているのかもしれない、と思う。白黒つけるといった態度ではなく、それがそうとして語られる様は抵抗なく読めた。

まさに解説で語られているように、
「奥野さん自身、「これが"ノンフィクション"として成り立つのか」と幾たびも反芻し、困惑する姿が本の冒頭で描かれている。しかし書かざるを得ない貴重ななにかがそこにはあって、科学の網目で掬えないからといってそれを切り捨てては、人間の総体を見誤ることになるのではないか。そんな真摯な問題意識が、奥野さんの背中を後押ししている」という態度自体はすごく共感するのがあって、それで読めたのも大きい。こういう話は少しでもトーンがずれたり、む?と思うと読み進められないので…。でも本書は面白かったです。

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2025年08月13日

Posted by ブクログ

ネタバレ

東日本大震災で、家族を亡くされた方の遺族が体験した不思議な霊的な話。夢であらわれたり、おもちゃのスイッチがかってについたり、遺体が見つかった場所に行くたびに、遺品が見つかったり不思議な体験がたくさん乗っていました。私が一番驚いたのは、津波で家族をたくさん亡くした人が避けられたり、たくさん保証金がでたんだろと噂されたり、同じ被害者の中で、人間不振になるような行為があるんだと思いました。天皇陛下が訪れて、お声掛けしてもらい立ち直ったというエピソードもありました。

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2024年04月12日

Posted by ブクログ

ネタバレ

愛する人を失った哀しみを、過ぎる時は慰めてくれない。でも、もし魂があるなら、それは唯一の救いだ。

私がそれまで縁もゆかりもなかった岩手の大学に進んだのは、柳田國男の『遠野物語』を読んで、「昔話とか言い伝えとかって、学問になるんだ」と、衝撃を受けて、民俗学を民俗学が生まれた地で学んでみたいと思い立ったからだ。
卒業して東京に戻ってからも、岩手で出会った人たちとの交流は続けているし、遊びにも行っている。
岩手は私の第2の故郷だ。

だから、あの日、テレビに映された光景に、悲しみと不安と焦りと絶望が渦巻いた。
何度もテレビで流された黒い波がガードレールを越えて道路を覆い被さるように襲う場面。
岩手県の沿岸地方にも友だちが住んでいる。
幸いにも友だちと家族はみんな無事だった。
ただ、大学のクラスメートは、親兄弟を津波で亡くしたと聞いた。
突然、家族を失う哀しみや辛さは、弟を事故で失った私にもわかるが、あんな大きな災害で、目の前で家族や友人を津波で流された人たちの哀しみや後悔なんて、私の想像すら追いつかないもの。

子どもを救えなかった親。
親に声をかけなかったことを後悔する子ども。

今でもあの日の後悔や哀しみが遺族に残されたまま。時が止まるのは、死者だけではなく、生者もだ。
子どもの遺骨を納骨出来ない親が多いのは、彼らがまだあの日にとどまったまま、子と共に生きているからだろう。

ここに出てくる死者のほとんどは音や気配や夢の中で、存在を表している。
それなら、気のせいではないか?と思ってしまうかもしれないが、例えば、死んだ兄から数ヶ月後にメールが届いた話(携帯電話は壊れている)、ご飯だよと声をかけたら、亡くなった子どもが大好きだったアンパンマンのオモチャが突然動いた話、絶対に出るはずのない死者の声が電話から聞こえ、折り返し鳴った話、誰もいない部屋の鉄道のオモチャから突然アナウンスがした話など、たくさんの不思議な話が遺族から語られている。

彼らの魂は生き残った家族が辛い時や哀しい時には現れず、そういうのを乗り越えた時に現れることが多いらしい。
慰めるために出るのではなく、家族と一緒に喜びたい、笑いたいという方が強いらしい。
泣いているお母さんやお父さんよりも、にこにこしている家族に子どもは会いたいのだろう。
親だって、子どもが哀しんでいる姿なんて見たくない。
私はこの箇所を読んだ時に、体験者が語っている魂の存在が気のせいではなく、本物なのだとなんとなく思ってしまった。

震災から数年経った時、沿岸に住む友だちを訪ねた。
海沿いを車で走りながら、「ここに家がたくさんあったんだけど、まだ何にもないんだ」と、まっさらな土地と防波堤と、その向こうのどこまでも広がっていく海に浮かぶ漁船を見ながら、友だちがポツリと呟いた。

あそこにいた人たちは助かったのだろうか。
この本に出てきた死者のように、魂になって、家族を待っている人もいるのだろうか。

どこまでも伸びていた防波堤を思い出しながら、私は今年もあの日を供養する。

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2020年08月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 大学の民俗学の講義で紹介されて読んでみた。
 霊体験だけでなく、震災に遭った方々のそれまでの人生も書かれている。東北の古い信仰やあの世とこの世を繋がったものとしてとらえる精神世界が、この本で紹介される霊体験と深く関係している。
 彼らにとって、震災での悲しみはまだ続いていて、私たちに復興なんてないという言葉は、震災を経験しておらず、震災は過去の出来事だという感覚だった私の心に深く突き刺さった。
 亡くなった大切な人との物語は、生きていたときの物語から、死を境に、不思議な体験としての物語へと一続きになっている。大切な人の魂はまだ遺された人々のそばにあって、彼らをずっと見守り、ともにこの世を"生きている“。それは科学的に証明できなくても、“事実“なのだと思えるようになった。かけがえのない人を突然に亡くした人の悲しみ、喪失感は、それを経験していない人が理解することはできないが、感じるということはできると思った。
 震災という大きな脅威の前に、オガミサマもそうだが、科学の力ではなく、非合理的な出来事が人に救いをもたらすということもある。この本を読んで、「そんなことあるはずない、魂なんて存在しない」と言える人はいないはずだ。
 読みながら、悲しくて何度か涙がこぼれそうになったが、本当に読んでよかった。

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2025年04月13日

Posted by ブクログ

ネタバレ

筆者が取材した内容をそのまま記録した一冊という感じに思えました。

私は幽霊の類は、見えないしそんなに信じないタイプですが、
最愛の亡くなった人からの合図なんだと言われるとそれは確かに嬉しくてあったかく感じるようなものなのだなと思いました。

体験談の別れてしまう瞬間は泣けるものがありました。
一番辛いときに出てきてくれないのは辛いですね・・・!
続きの冬の旅も読みたいと思いました。

旅立ちの準備・・・筆者の執筆に向けてのあらすじみたいなもの
春の旅・・・5体験
夏の旅・・・5体験
秋の旅・・・6体験
旅のあとで・・・冬の旅についても語っている。ぜひ続きが出たら読みたい!

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2022年01月04日

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