あらすじ
未曾有の災害で愛する者に突然死なれ、絶望の淵に立たされた人々の心を救ったのは、奇跡としかいいようのない体験だった。布団に入ってきた夫を「抱いてあげればよかった」と悔いる妻。階上の息子の足音を聞く母。死亡届を書いている時に兄からメールを受け取った妹。それは夢だったのか、幻なのか――。再会を願う痛切な声と奇跡を丹念に拾い集めた感動のドキュメンタリー、待望の文庫化。
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Posted by ブクログ
今迄読んだ本で1番好きだと言っても過言では無い1冊。
心霊現象って言われるとちょっとおののくが、そんな事ないとてもとてもあたたかい話ばかり。
幽霊も誰かにとっての大切な人だった、ただただそこで生きていた人だったと思うと、恐怖心なんか抱かなくなる。
定期的に読み返してる。
Posted by ブクログ
最初はタイトルに惹かれて、興味半分の購入でした。
最初は怖いかなと思ったのですが、読んでいくうちに鳥肌が立ったり、相手に対する愛する思いみたいなので泣いたりとしました。
私は、被災者ではないので、当時のこともニュースで見たぐらいで詳しくは知らなかったです。
ただ、この本を読んでみると、体験したことないはずなのにその現場にいるような気持ちになる、みたいな、言葉で説明するのが難しいですが、そのような気持ちになっていました。
また、本にも書かれていたように、この様な霊体体験をしたというのは、科学的には説明も再現もできないため、本人の気の所為や幻覚せん妄、偶然と言われてしまえばそれまでです。
ただ、この本を読むと、世の中には科学では説明できないことはたくさんあり、私が知らないだけで多くの人がその様な体験をしていたことがあるのではと思いました。
Posted by ブクログ
科学的には説明のできない、根拠のない被災地でのエピソード。最初はちょっと読んだら怖いと思うのかなって思っていたけど、どの出来事にもちゃんとメッセージが込められているようで、胸にストンとおちていく感じがしました。恐怖よりも、ぬくもりを感じます。
「彼らが不思議な体験をするのは、亡くなったあの人を忘れたくないからであり、同時にそれが、死者の願いでもあることを知っているからだ。」
この一文がこの本を的確に表現しているなと感じました。
忘れたくないし、忘れられたくない。死にはつきものだと思うけど、突然訪れたからこそ、その想いは一段と強いのだろうなと感じます。
Posted by ブクログ
東日本大震災で家族を失った方の不思議な体験をまとめた話。津波で家族を失った苦しみ、亡くなった方からのメッセージなどから愛を感じて感動する。
岩田書店の一万円選書で送られてきた本。とてもよかった。
遠野物語についても本の中で触れられており、読んでみようと思った。
Posted by ブクログ
壊れたはずの携帯が光り、メールが送られてくるなどあり得ないと思うのが普通だが、本当にあったのなら信じるしかない。まだまだ世の中には分かっていないことがたくさんあると感じた。
Posted by ブクログ
10000円選書本
幽霊は、たぶんいるんだろうなと漠然と思っている。
私は理系で科学の子(笑)だけど、世の中に幽霊がいた方が、世界への理解が進む気がするからだ。
ただ、幽霊が「良いもん」か「悪いもん」かの判断はつけかねている。稲川淳二の世界に出てくる幽霊は、きっと「悪いもん」。人を怖がらせる幽霊なんて、「悪いもん」に決まっている。
でも、今回読んだ本に出てきた人たちは、みんな誰かの愛しい人で、「魂でもいいから、そばにいて」と願われる人・動物たちだった。
読んでいると、
「いやいや、寂しい気持ちを紛らわせるために、自分の都合のいいように生み出した幻影でしょ?」って思ってしまうシーンは多々あった。基本的には、その人の生み出した都合の良い「夢だ」って。
そう思う自分は、大事な人を急に奪われたことのない、幸せな国の住人なんだろうな。
いつから、死に際にみる「お迎え」を、「幻覚」や「せん妄」という言葉で片付けるようになったのかな。大切な人が迎えにきてくれるという、幸せな人生を送ることができたという証につける言葉としては、いささか無機質すぎるなと。
最後の最後まで、生きた証を示したいと願うことはつまり、最後の最後まで精一杯生きるということ。
そして、魂になった彼らの思いを、生あるものが感じることは、彼らが生きた証を受け取ることなのだなと思った。
死を思うことは、生を思うこと。
あまり科学で凝り固まると、見失うものがあるんじゃないか?そう学んだ。
Posted by ブクログ
山怪に続き?、途中まで読んでいたこちらを読み進めた。
「霊体験」というとスピリチュアルだが、作者自身が「近代科学は、再現性があることが原則でしょう?幽霊話はどうも…」という抵抗心がある中で、それでも「人間が持つ内的自然というか、集合的無意識の力を度外視してはいかんということだよ。それが人間の宗教性になり、文化文明を広げていったんじゃないかね」という言葉に励まされ、物語を収集していく。
一つ一つがとても胸に迫るものがあって、超自然的体験の有無に関わらず「読ませる」ものだったし、読んでいるのが辛いところも多かった。最愛の人を失うという過酷な環境下の中でも、人間は回復/状態が変化していくわけで、その一助としてこういった体験があるとも解釈できるし、本当に霊的な存在がいて交流してくれているのかもしれない、と思う。白黒つけるといった態度ではなく、それがそうとして語られる様は抵抗なく読めた。
まさに解説で語られているように、
「奥野さん自身、「これが"ノンフィクション"として成り立つのか」と幾たびも反芻し、困惑する姿が本の冒頭で描かれている。しかし書かざるを得ない貴重ななにかがそこにはあって、科学の網目で掬えないからといってそれを切り捨てては、人間の総体を見誤ることになるのではないか。そんな真摯な問題意識が、奥野さんの背中を後押ししている」という態度自体はすごく共感するのがあって、それで読めたのも大きい。こういう話は少しでもトーンがずれたり、む?と思うと読み進められないので…。でも本書は面白かったです。
Posted by ブクログ
その人その人の人生や生き様も読み取れる。
私が産まれる前に亡くなった曽祖父の部屋に置かれていた壊れて長年動いていなかった古時計が、私が生まれる前日に音を立てて動いたと母から聞いた。
自分が思っているより、人間同士の魂の繋がりは強い。
Posted by ブクログ
東日本大震災で、家族を亡くされた方の遺族が体験した不思議な霊的な話。夢であらわれたり、おもちゃのスイッチがかってについたり、遺体が見つかった場所に行くたびに、遺品が見つかったり不思議な体験がたくさん乗っていました。私が一番驚いたのは、津波で家族をたくさん亡くした人が避けられたり、たくさん保証金がでたんだろと噂されたり、同じ被害者の中で、人間不振になるような行為があるんだと思いました。天皇陛下が訪れて、お声掛けしてもらい立ち直ったというエピソードもありました。
Posted by ブクログ
震災から年月が経ち復興が少し進んでも、生まれ育った街や失ってしまった人は元には戻らない。
あの日、一緒に逃げられなかった後悔にいまだ苦しむ残された人の夢に現れる今は亡きその人達。
もう触れる事も話す事も出来ないのに感じる。
想像でも妄想でも良い。そばにいる。
Posted by ブクログ
正直なところ、震災当時は九州に住んでおり、関東の様な余震すら感じられなかった事、さらに10年以上の月日が経過し、記憶からはだいぶ薄れてきていた。勤めていた会社は本社が東京にあったし、同僚の親族や社員自身も数名が行方不明となり、家族も関東に暮らしていたから聴き伝わってくる情報はある程度はあった。しかし自身が直接的に経験していないことが、何処か遠い世界の様にも感じられた。仙台始め東北地方を周遊したりと若い頃は何度か訪れた地が津波の映像で流されていく様は、そんな外側の人間から見ても恐怖と悲しみに渦巻いていた様に思う。当然被害に遭われた方々や家族を亡くした多くの方々にとっては、私などでは想像も出来ない苦しみがあったと思う。
本書を読む前にも、情報として触れてきた被災者の不思議な体験は衝撃的だったし涙なしには見る事もできない様な体験話が多かった。だがやはり時が経過すると記憶も薄れる。そんな私が何気なく本屋で手に取ったのが本書だ。時間が経つにつれ、歳をとるにつれ同じ国で起こったこの大きな悲劇を記憶に残さなければと急に思った。誰かが「忘れないで」と言っているかのように。
普段霊的なものを信じるとも信じないともどちらの立場とも言えない。幼い頃や若気の至りで「危ない」場所で体験した事も、当時は事実と信じていたが今となっては詳細は忘れたし、偶々とか見違えたとか酔ってたと言われれば確かにそうだったのかもしれない。とは言え人のその様な経験も心理的なものか非科学的な何かあっても、特段おかしくはないと思う。よく見てる夢だって実際の体験とは違うから、私の記憶や考え方が、眠りによって外界から遮断され、頭が一番フラットな状態で意識を映像化しただけだと思う。それが強い願望、深い悲しみなど通常とは違う精神状態にある時に、眠っていない状況で見える事もあろう。また同時に複数人で体験する事も科学的に証明できない以上は「ない事も証明できない」と考えれば否定はできないと考える。
その様な考えであっても、本書を読み進めるのはかなり辛い。筆者が言うとおりノンフィクション作家が扱って良い内容かという葛藤もわかる。あまりにリアルであまりに悲しく、そしてあまりに切ない。読書が追体験であればあるほど胸が苦しくなる。人目も憚らず涙が溢れて止まらない。
なぜあの時、なぜ言わずに、なぜ救えなかった、この様な心の叫びがインタビューの描写と文章から滲み出てくる。また、それを抱えながらも強く生きようとする人々。失った大切な人と一緒にいるから救われている。それを否定できる人間などいないだろう。
感受性の高い方は読む場所や時間は選んだほうが良い。また本書を読む事で強く生きる糧として欲しい。
Posted by ブクログ
「ナツコ 沖縄密貿易の女王」
「心にナイフをしのばせて」
「再生の島」
…
数々の名ノンフィクションを世に送りだしてきた
奥野修司さんが綴られた
その奥野さんの
ー3・11後の霊体験を聞く
だから、
手に取りました。
聞き取っておられる
そのお一人お一人の様子が
浮かび上がってきます
その方たちの
想いを共有されて
そして
綴られた「痛切な声」が
胸に届いてきます。
Posted by ブクログ
熊本地震の時、今まで生きてきた中で感じた事の無い恐怖を、家族と抱き合って必死に耐えていた時間を思い出した。
本震後も、電気も水もなく寝床は車。
余震も頻繁に起きて心も体も限界な中支え合う家族が居たから乗り越えられた。
本書を読んで、同じ被災者として、本震だけでは終わらない余震の恐怖やいつまで続くか分からない現状だけでも耐えられないのに、最愛の家族がいない。本当に胸が締め付けられた。
遺された人にとって"納得できる物語"が創れたらいいな。と心から思った。この地震を絶対に忘れない。
Posted by ブクログ
東日本大震災の津波で家族を喪った人々が体験した出来事であり、どこにでもある家族愛の物語であり、困難に向き合おうとする人間のしなやかさを綴った本でもある。
怪談ではないので恐怖は覚えないが、切なさや愛おしさで目の奥が痛んでくる。
Posted by ブクログ
私の中では日本を代表するノンフィクション作家の一人として信頼している奥野修司が、東日本大震災で愛する家族を亡くした人々の身に起こった霊体験とも呼ぶべき不思議な事象をまとめあげた一冊。
出てくるエピソードは第三者から見ればそれが真実かどうかを判断することはできない。しかし、本人たちが科学的には説明が付かないような事象を主観的に経験したという事実だけは残り続ける。
科学的に正しいかどうかはある種どうでも良い。徹底的にその主観性のみにフォーカスし、その経験によって彼らが多少なりとも心の傷を癒すことができた、そういう事実を知れるだけで本書の価値は十分にあると思う。
Posted by ブクログ
愛する人を失った哀しみを、過ぎる時は慰めてくれない。でも、もし魂があるなら、それは唯一の救いだ。
私がそれまで縁もゆかりもなかった岩手の大学に進んだのは、柳田國男の『遠野物語』を読んで、「昔話とか言い伝えとかって、学問になるんだ」と、衝撃を受けて、民俗学を民俗学が生まれた地で学んでみたいと思い立ったからだ。
卒業して東京に戻ってからも、岩手で出会った人たちとの交流は続けているし、遊びにも行っている。
岩手は私の第2の故郷だ。
だから、あの日、テレビに映された光景に、悲しみと不安と焦りと絶望が渦巻いた。
何度もテレビで流された黒い波がガードレールを越えて道路を覆い被さるように襲う場面。
岩手県の沿岸地方にも友だちが住んでいる。
幸いにも友だちと家族はみんな無事だった。
ただ、大学のクラスメートは、親兄弟を津波で亡くしたと聞いた。
突然、家族を失う哀しみや辛さは、弟を事故で失った私にもわかるが、あんな大きな災害で、目の前で家族や友人を津波で流された人たちの哀しみや後悔なんて、私の想像すら追いつかないもの。
子どもを救えなかった親。
親に声をかけなかったことを後悔する子ども。
今でもあの日の後悔や哀しみが遺族に残されたまま。時が止まるのは、死者だけではなく、生者もだ。
子どもの遺骨を納骨出来ない親が多いのは、彼らがまだあの日にとどまったまま、子と共に生きているからだろう。
ここに出てくる死者のほとんどは音や気配や夢の中で、存在を表している。
それなら、気のせいではないか?と思ってしまうかもしれないが、例えば、死んだ兄から数ヶ月後にメールが届いた話(携帯電話は壊れている)、ご飯だよと声をかけたら、亡くなった子どもが大好きだったアンパンマンのオモチャが突然動いた話、絶対に出るはずのない死者の声が電話から聞こえ、折り返し鳴った話、誰もいない部屋の鉄道のオモチャから突然アナウンスがした話など、たくさんの不思議な話が遺族から語られている。
彼らの魂は生き残った家族が辛い時や哀しい時には現れず、そういうのを乗り越えた時に現れることが多いらしい。
慰めるために出るのではなく、家族と一緒に喜びたい、笑いたいという方が強いらしい。
泣いているお母さんやお父さんよりも、にこにこしている家族に子どもは会いたいのだろう。
親だって、子どもが哀しんでいる姿なんて見たくない。
私はこの箇所を読んだ時に、体験者が語っている魂の存在が気のせいではなく、本物なのだとなんとなく思ってしまった。
震災から数年経った時、沿岸に住む友だちを訪ねた。
海沿いを車で走りながら、「ここに家がたくさんあったんだけど、まだ何にもないんだ」と、まっさらな土地と防波堤と、その向こうのどこまでも広がっていく海に浮かぶ漁船を見ながら、友だちがポツリと呟いた。
あそこにいた人たちは助かったのだろうか。
この本に出てきた死者のように、魂になって、家族を待っている人もいるのだろうか。
どこまでも伸びていた防波堤を思い出しながら、私は今年もあの日を供養する。
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震災で家族を亡くした方々の貴重な体験談を集めたノンフィクション。それぞれの物語というより著者との対話を通じたナラティブな内容が胸に迫る。あの日をあの人を忘れない...。残された者たちの回復過程がここにある。「冬の旅」の発刊を待望。
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奥野修司(1948年~)氏は、立命館大経済学部卒のフリージャーナリスト。2006年に『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2014年度より大宅壮一ノンフィクション賞選考委員(雑誌部門)。
2011年3月11日の東日本大震災は、1万8千余人に上る死者・行方不明者(このように数字で書くのは憚られるが)を出した、日本の歴史でも稀に見る大きな自然災害であった。
本書は、著者が、震災後3年ほど経った頃から3年半に亘り、震災による死者・行方不明者にまつわる「不思議な体験」をした人びと16人(組)に話を聞き、月刊「新潮」と別冊現代「G2」に掲載したものまとめたものである。2017年に出版、2020年に文庫化された。
私は、基本的には非科学的と言われるものは信じないタイプで、客観的な「霊」の存在には懐疑的にならざるを得ない。しかし、本書を読み終えて感じるのは、客観的な「霊」の存在を云々することと、本書で語られているような人々の体験を受け入れるか否かという問題は、全く別物だということである。
東北地方では、昔から、柳田國男の『遠野物語』に描かれたような妖怪、神隠し、臨死体験などの話や、恐山のイタコが行う口寄せのような、生者と死者をつなぐ「霊」のような存在が自然に受け入れられてきた。阪神・淡路大震災のときにはそれほど語られなかった霊的体験が、東日本大震災のときに多く聞かれるのは、東北の人びとの心に、そうした精神・魂が連綿と引き継がれているからなのだろう。
そして、そういう人びとが出会う霊的体験は、著者が語る通り、「人は物語を生きる動物だが、その物語はけっして不変ではない。津波という不可抗力によって突然断ち切られた物語を、彼岸と此岸がつながるという不思議な体験によってふたたび紡ぎ出す。とりあえずつながった物語は、時の経過と共に自分が納得できる物語に紡ぎ直されていく。創り直すことで、遺された者は、大切なあの人と今を生き直しているのである。」といえるのであろうし、本人たちにとって、掛け替えのないものだと思うのだ。
そう考えると、本書の本当の意味は、著者が記録したものを読者である私が読むことにあるのではなく、著者が、被害に遭った人びとが(信じてもらえないと思って)それまで他人に話せなかった物語を語ってもらったことにあると言えるのではないだろうか。
(2020年4月了)
Posted by ブクログ
大学の民俗学の講義で紹介されて読んでみた。
霊体験だけでなく、震災に遭った方々のそれまでの人生も書かれている。東北の古い信仰やあの世とこの世を繋がったものとしてとらえる精神世界が、この本で紹介される霊体験と深く関係している。
彼らにとって、震災での悲しみはまだ続いていて、私たちに復興なんてないという言葉は、震災を経験しておらず、震災は過去の出来事だという感覚だった私の心に深く突き刺さった。
亡くなった大切な人との物語は、生きていたときの物語から、死を境に、不思議な体験としての物語へと一続きになっている。大切な人の魂はまだ遺された人々のそばにあって、彼らをずっと見守り、ともにこの世を"生きている“。それは科学的に証明できなくても、“事実“なのだと思えるようになった。かけがえのない人を突然に亡くした人の悲しみ、喪失感は、それを経験していない人が理解することはできないが、感じるということはできると思った。
震災という大きな脅威の前に、オガミサマもそうだが、科学の力ではなく、非合理的な出来事が人に救いをもたらすということもある。この本を読んで、「そんなことあるはずない、魂なんて存在しない」と言える人はいないはずだ。
読みながら、悲しくて何度か涙がこぼれそうになったが、本当に読んでよかった。
Posted by ブクログ
筆者が取材した内容をそのまま記録した一冊という感じに思えました。
私は幽霊の類は、見えないしそんなに信じないタイプですが、
最愛の亡くなった人からの合図なんだと言われるとそれは確かに嬉しくてあったかく感じるようなものなのだなと思いました。
体験談の別れてしまう瞬間は泣けるものがありました。
一番辛いときに出てきてくれないのは辛いですね・・・!
続きの冬の旅も読みたいと思いました。
旅立ちの準備・・・筆者の執筆に向けてのあらすじみたいなもの
春の旅・・・5体験
夏の旅・・・5体験
秋の旅・・・6体験
旅のあとで・・・冬の旅についても語っている。ぜひ続きが出たら読みたい!
Posted by ブクログ
身近な人を亡くす体験はいつになっても癒されることはないのかもしれない。どういう形であってもそばにいてくれるという現象があると嬉しいものだ。震災の年に両親を病気で亡くした自分にもその気持ちは痛いほどわかる。
Posted by ブクログ
考えてみれば自分は、同居家族を亡くす、ずっと一緒に暮らしていた人がある日突然いなくなってしまうという経験をしていない。その悲しみがどれだけ深いものなのかを知らない。
なのでここに紹介されている霊体験を語る人々の話には逆に違和感がない。そういうものなのかもしれない、と思う。
P14 「お迎え現象は、臨終が近づくにつれて訪れる生理現象で説明できるが、幽霊は正常な意識を持ちながら、身体的にも異常がないのに発現する現象だ。それもおk人氏や宗教観は関係なしに出てくる。つまり脳循環の機能が低下したとかそういう生理現象ではないという事だ。おそらく、この社会が合理的ですべて予測可能だと思っていたのにそれが壊れた時に出てくるんじゃないのか?」
P15「霊は科学で認識できないが、霊に遭遇した生者にとっては事実であると?」
「人間が持つ内的自然というか、集合的無意識の力を度外視してはいかんという事だよ。」
P73 オガミサマを信じない人にはたわごとでしかないが、信じる人にはあの世に繋げるかけがえのない言葉である。死者とコミュニケーションをとれることは、遺された人にとって最高のグリーフケアなのだと思う。
P191 人は物語を生きる動物だが、その物語はけっして不変ではない。津波という不可抗力によって突然断ち切られた物語を、彼岸と此岸がつながるという不思議な体験によってふたたび紡ぎなおす。とりあえずつながった物語は、時の経過とともに自分が納得できる物語に作り直されていく。作り直すことで、遺されたものは大切なあの人と今を生き直しているのである。
P308 家に漂う、もういない人たちの気配。そうした説明のできない現象に直面したとき、証言者たちに生じるのは恐怖ではなく、安堵や喜びといった感情だ。死者たちのメッセージの多くは「自分はもう大丈夫だ」「苦しんでいない」と伝える。きっと証言者たちが、何よりも欲していた概念なのではないだろうか。(解説・彩瀬まる)