【感想・ネタバレ】貘の耳たぶのレビュー

あらすじ

自ら産んだ子を「取り替え」た、繭子。発覚
に怯えながらも、息子・航太への愛情が深ま
る。一方、郁絵は「取り替えられた」子と知
らず、息子・璃空を愛情深く育ててきた。そ
れぞれの子が四歳を過ぎた頃、「取り違え」
が発覚。元に戻すことを拒む郁絵、沈黙を続
ける繭子、そして一心に「母」を慕う幼子た
ち。切なすぎる「事件」の、慟哭の結末は……。

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Posted by ブクログ

子育て世帯にぶっ刺さり
最初は変な事件を起こした変な人の話で終わるのかと思いきや主題は別の所にあって
子供との本当の関わり方を考えさせられる内容
素晴らしかったです

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2025年11月11日

Posted by ブクログ

夢中で読んで一気読み。
もっと続きが読みたい。
子供が小学生、中学生、高校生・・・と成長していく過程で、取り違えについてどう思うか、どう考えるか、子供視点での話も読みたい。

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2025年07月11日

Posted by ブクログ

あなたは、新生児の『取り違え』が現実に起こっていることを知っているでしょうか?

『新生児 取り違え』、これら二つの言葉を検索ワードにボタンを押すと驚くことに幾つもの結果が返ってきます。『ほとんどは外国で起きた事件のニュース』という一方で、現在進行形で裁判が行われている例など、日本でも実際に『取り違え』が起こっていることがわかります。『産院側のミス』によって起こったそれらの悲劇。何年も何十年も経ってからその事実が発覚しても、それは『取り返しがつかない』事態です。

安心できる材料としては、それらは昭和の時代に起こった事ばかりであり、現在は何かしらの対策が取られていることです。

 『現在はほとんどの産院でもそうした事故を防止するために生後すぐ、分娩室から出る前にネームタグを母子の手足首につけている』

実際にそのような悲劇が起こったからこそ現場にもその再発を防ぐ手立てがなされてる現状があります。しかし、ミスではなく故意に『取り替え』が起こることはないのでしょうか?そのような事態を想定した対策は取られているのでしょうか?

さてここに、『母親が犯人だった』というまさかの新生児『取り替え』を描く物語があります。作品冒頭から読者をトイレに立つことさえままならなくさせるこの作品。どんな結末が待っているか全く予想もつかないこの作品。そしてそれは、『耳たぶの感触はおっぱいの先の硬さと同じなんだって』という言葉に希望を感じたとおっしゃる芦沢央さんが綴る慟哭の物語です。

『残念だったね、という声が耳の奥で反響』する中に、『大きな窓に両手をついて』『〈石田繭子ベビー〉並んだベッドの一番左、青いプレートに書かれた自分の名前が他人のもののように見えた』と、『その下で眠る、小さな赤子』を見て『この子が、わたしの子』と思うのは主人公の一人、石田繭子(いしだ まゆこ)。『この子は、残念な子なんだろうか。わたしのせいで、幸せにはなれないんだろうか』と、『残念だったね、という』郁絵の言葉を思い出す繭子は、『見学に訪れた別の助産院で言われた』『女性が本来持っている力だけで産むのが自然なお産』と説明されたことを振り返ります。『何となくそこで産む気にはならなくて分娩予約を入れないまま帰り、それ以来思い出すこともなかった』という繭子は、『内臓が外へ押し出されてしまうような収まりどころのない激痛から逃れられるのなら何でもいいと思った』という先に『早く切ってくれと先生に頼』みます。『もうこれ以上苦しまなくていい。これで、とにかく終わる』と思った繭子でしたが、『今になって、あのとき助産院で聞いた言葉が蘇』ってきました。『普通に産めなくて残念だったね。先生ももう少し頑張らせてくれればよかったのにね』と郁絵に言われた言葉を思い出す繭子は、『出血量が多すぎて輸血までしたという郁絵』が『まだ起き上がることすらできていない』という中、『けれど、彼女は ー 赤ちゃんに最高の出会いをプレゼントてきたんじゃないか』とも思います。そして、『目の前の戸を開け』、『新生児用ベッドを覗き込んだ』繭子は、『バスタオルを開』きます。『七月二十七日十時二十三分生まれ 二六四〇グラム 四十八センチ 男の子』というプレートの数字を見て、『小さい、と思』う繭子は『こんなにも小さな生き物を、わたしが育てることができるんだろうか』という気持ちになります。『呆然と、隣に並んだ郁絵の子どもを見下ろす』と、そこには『二八五〇グラム』という数字が見えます。『たった二一〇グラムの差でも、その分だけ生きる力が強いように見えた』繭子。さまざまな思いが去来する中、『一生、この子の人生に責任を持たなければならない』と思いつめる繭子。そんな中に『腕が、隣のベッドへと伸びた』という先に、『バスタオルに手をかける』と、『ピンク色のネームタグが、外れてい』るのに気づきます。『〈平野郁絵ベビー〉』と書かれた『バンドが、肌着の裾に引っかかってい』ます。『わたしが肌着をめくった拍子に外れてしまった?』と思い『背後を振り返る』も『まだ誰の気配も』しません。『外れたのだから、元に戻せるはずだ』と『考えた瞬間』、『残念な子、という言葉が再び脳裏で響』きます。『この子は、わたしのせいで幸せになれない』と思う中、『気づけば、震える手で、自分の子の足首をつかんでいた』繭子は、『そこに巻かれていたネームタグを指で挟』みます。そして『踵で引っかか』ったタグからやがて抵抗が消えた一方で、『遠くのドアが開く音』に『タグを落と』してしまい、慌てて拾い『自分の子の足を押し込む』繭子。しかし、『泣き声が上が』る中、『わたしは今、何をしようとしていたのだろう』と思う繭子は、『郁絵の子のネームタグも戻』そうとしますが『ネームタグ』が見当たりません。『床に落ちていた』のを見つけ同様に足首に戻した繭子。そんな瞬間、『〈石田繭子ベビー〉』という文字が見え、『どうしてこれが』と『隣のベッド』を見ると『〈平野郁絵ベビー〉』という文字が見えます。『間違えた』と、『血の気が一気に引いていくのがわかった』という繭子。そんなところに『あら、石田さん』と『窓越しに看護師と目が合い、声にならない悲鳴が喉を締め上げる』繭子は、『間に合わない。バレてしまう。わたしが』と焦ります。『石田さん』、『どうしたの?』と声をかけられ『しゃがみ込んだ途端、肩を支えるようにつかまれ』、『石田さん、大丈夫?』と訊かれると『力を抜いて。ほら、そこの壁に寄りかかって。大丈夫、落ち着くまで座っていていいから…』、『ちょっと無理しちゃったかな?…だけど本当はできるだけ動いた方がいいからね』と言われる繭子。『赤ちゃんに会いに来たんでしょう?頑張ったわね』と『滑らかな声が、ぐらぐらと揺れる頭の中で反響する』繭子。そんな繭子が『ネームタグ』を交換してしまった先に待つ運命の物語が描かれていきます。

“自ら産んだ子を「取り替え」た、繭子。発覚 に怯えながらも、息子・航太への愛情が深まる。一方、郁絵は「取り替えられた」子と知らず、息子・璃空を愛情深く育ててきた。それぞれの子が四歳を過ぎた頃、「取り違え」が発覚。元に戻すことを拒む郁絵、沈黙を続ける繭子、そして一心に「母」を慕う幼子たち。切なすぎる「事件」の、慟哭の結末は…”と内容紹介にうたわれるこの作品。新生児の『取り違え』ではなく、『取り替え』というまさかの前提の先に衝撃的としか言いようのない物語が紡がれていきます。

文庫本451ページという物量の中に描かれていくこの作品は〈プロローグ〉と〈エピローグ〉の間に挟まれた、たった二つの章だけで構成されています。そして、それら二つの章には女性の名前が章題としてつけられています。

 ・〈第一章 石田繭子〉

 ・〈第二章 平野郁絵〉

二つの章が物語を形作っていく作品というと私には加納朋子さん「いつかの岸辺に跳ねていく」が思い出されます。〈フラット〉と〈レリーフ〉の二つの章から構成される加納さんの作品はそれぞれの章ごとに視点の主を切り替え、〈フラット〉で見せた世界を〈レリーフ〉で鮮やかに反転させる画期的な構成で魅せてくれます。この芦沢央さんの作品は時系列としては〈第一章〉に時間的に継続した物語を〈第二章〉で見せていくため、物語が反転するわけではありません。どちらかと言うと、〈第一章〉の物語が引き起こした出来事を〈第二章〉で結果論として見せていく物語です。しかし、加納さんの作品も芦沢さんの作品も二人の人物に視点を切り替えることで、見える世界がガラッと変わるという、小説ならではの醍醐味を味わわせてくれる点では同じです。

では、芦沢さんのこの作品を見ていくに際して物語に登場する二つの家族をご紹介しましょう。

 ● 物語に登場する二つの家族
  ・石田繭子(化粧品会社を退職)、旭(パイロット)
    子供: 航太(こうた)-出生時 2850g
     ※ 葛飾区のマンションに暮らす(最寄駅: 青砥)
      旭の父親は弁護士
 
  ・平野郁絵(保育士)、哲平(会社員)
    子供: 璃空(りく)-出生時 2640g
     ※ 葛飾区の一戸建てに暮らす(最寄駅:京成高砂)

この物語は2012年7月27日を起点として動き出します。この日、同じ産院において石田家と平野家にそれぞれ男の子が誕生しますが、繭子が『帝王切開』を自らの意思で選択したのに対して、郁絵は『五十二時間も』かけ『出血量が多すぎて輸血までした』という中に自然分娩するという対象的な経緯の違いを見せます。ここに物語が生まれる余地が生まれます。『手術を終え、ストレッチャーで廊下を移動していた』繭子に郁絵はこんなひとことをつぶやきます。

 『普通に産めなくて残念だったね。先生ももう少し頑張らせてくれればよかったのにね』

『陣痛が始まって四十五時間が経過していた』という郁絵にはことさら『帝王切開』を見下す意図はなかったものと思われますが、そんな言葉は繭子の心を蝕んでいきます。『女性が本来持っている力だけで産むのが自然なお産ですよ』と『見学に訪れた別の助産院で言われた言葉』が脳裏に蘇る繭子はこんな思いに囚われます。

 『この子は、残念な子なんだろうか。わたしのせいで、幸せにはなれないんだろうか』。

そんな思いに満たされていく繭子は、他の大人が誰もいない新生児室へと立ち入り、自らが産んだ子どもを見下ろします。『〈石田繭子ベビー〉』と『〈平野郁絵ベビー〉』と『ネームタグ』が足首に付けられていますが、郁絵の子どもの『ネームタグ』が外れていることに気づく繭子は二人の体重差も気になる中、自らの子どもにつけられた『ネームタグ』を外してしまいます。そんなところに誰かが来る気配に気づいた繭子は慌てて『ネームタグ』を戻すも結果として逆に付けてしまいます。

 『間違えた。血の気が一気に引いていくのがわかった』。

ここまでが〈プロローグ〉で提示される内容です。まだ本編には一切入っていませんが、この作品の大前提がここに出来上がってしまうことがわかります。一方で、自らの子から『ネームタグ』を取り外す行為に出た繭子ですが、つけ間違いをして焦る様子が描かれているのも事実です。そういう意味では、最後まで強い意思を持った上で『取り替え』たわけではなく、結果論的な事故とも言えます。しかし、その先の幾つもの段でそれを訂正できる場面はあり、それをせずにその先を生きていくことを選んだことを考えると、やはり自らの意思で『取り替え』たと言わざるを得ないと思います。なかなか衝撃的な物語の幕開けです。

そんな物語は、本編へと移り、まずは『取り替え』た張本人である石田繭子視点で航太と名付けた、本来は郁絵の子どもを育児する繭子の物語が描かれていきます。そして、そこに描かれるのは、育児に多々思い悩む繭子の姿です。

 繭子: 『ねえ、こうちゃん。ママと一緒に公園に行こうか』
 航太: 『やだ』
  (ほとんど反射のように航太が答えた)
 繭子: 『どうして?行こうよ。滑り台楽しいよ』
 航太: 『やだ』
 繭子: 『じゃあお買い物にする?』
 航太: 『やだ』
  (にべもない返事に、ため息が漏れそうになる)
 繭子: 『じゃあどうしたいの』
 航太: 『やだ』
  (航太は首を思いきり横に振った。やーだー!顔を赤くして、自分の声に急き立てられるようにして泣き始める)

『一歳半を過ぎた頃からイヤイヤ期らしきものが始まった航太は、二歳を過ぎた今、ほとんど毎日こうして泣いている』と、航太の育児に悩みを深めていく繭子の姿が描かれていきます。こういった場合、周囲に相談する人がいれば違うのかもしれませんが、夫の旭はパイロットとして不在がちであり、頼みの綱であるべき実母はある一件で精神を病み教師を退職したという中に頼れる人なく一人で悩みを深めていきます。そんな中にこんな思いが顔を持ち上げます。

 ・『あの子は、どんな子になっているんだろう』。

 ・『血の繫がったあの子の言うことなら、理解してあげられたんじゃないか』。

この作品の〈第一章〉は繭子視点で展開する物語です。『帝王切開』を見下すような発言が起点ということも含め、読者は間違いなく視点の主である繭子に感情移入していくはずです。例え、『取り替え』というありえない行為をした人物であるとしてでもです。

しかし、そんな物語は折り返しとなる2016年9月30日、平野郁絵視点の〈第二章〉に切り替わった途端、見えていた景色が別物に変化します。これが二つの章から構成される作品の何よりもの醍醐味です。物語は、内容紹介にある通り、”元に戻すことを拒む郁絵、沈黙を続ける繭子”と対象的な姿を見せます。というより、郁絵視点の〈第二章〉で描かれる繭子の影の薄さに驚く他ない物語が展開していきます。何を考えているのか全くわからない繭子を見る読者は、〈第一章〉で感情移入してきた繭子だからこその違和感に間違いなく戸惑います。その一方で、〈第一章〉で垣間見えた姿とは異なり、極めて人間味あふれる郁絵の姿を見る物語の中に一気に感情移入先が移り替わっていくのを感じざるをえません。

 ・『璃空を手放したりなんて、そんなことできるわけがない』。

 ・『血の繫がりがどうであろうと、私の子どもは璃空でしかない。まずは夫妻に会うだけ会って、義務を果たした後は交換に反対し続ければいい』。

物語は、子どもの『取り違え』がわかった先に、どう決着をつけるべきかをそれぞれの夫妻に突きつけていきます。あまりに非情な現実を突きつける物語の中で視点の主である郁絵の心は大きく揺れ動いていきます。その動きの激しさ、深さは読者の心を間違いなく射抜きます。途中で、読書を中断することを一切許さない恐ろしいほどの密度の濃さで物語は展開していきます。そこには、郁絵の心情のみならず、何の罪もない二人の子どもたちが見せるあまりに切ない思いが垣間見えてもきます。そして、そんな物語が至る結末、そこには、こんな思いのままに本を置かなければならないのか…と、もどかしい思いがいつまでも尾を引く物語の姿がありました。

 『自分がしたことが信じられなかった。わたしと夫の血を継いだ子を、妊娠がわかってからの八カ月間、ずっとお腹の中で育ててきたはずの子を、自分が手放そうとしたのだということ。そして、わたしは、それをごまかすために一番やってはならないことをした』。

そんな結果論の先に、まさかの新生児『取り替え』という事態が起こってしまった二つの家族の姿を描くこの作品。そこには、対象的な母親に育てられた二人の子どもたちの気持ちに感じ入りもする物語が描かれていました。育児の大変さを改めて思うこの作品。そんな物語の中に親と子の繋がりを改めて考えさせてもくれるこの作品。

読後、二人の子どもたちの未来にいつまでも思いを馳せてしまう、なんとも言い表せない思いが渦巻くその結末含め、小説を読むことでこんなにも感情が揺さぶられてしまうものなのか!と驚いてもしまう、これぞ傑作だと思いました。

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2025年07月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

繭子は自分で産んだ子どもを、同じ日に産まれた郁絵の子どもと取り替えてしまう。
繭子は事実を隠したまま、郁絵は我が子を取り替えるられたとは知らず4年がすぎた。
あるきっかけにより取り違えが発覚。

郁絵の「残念だったね」一言がきっかけだった。
繭子は分娩に時間がかかり自然分娩から帝王切開になったのだった。
一方郁絵は45時間以上の陣痛に耐え、出血多量になりながらも自然分娩で出産。
繭子は我が子をこんな自分が育てたら不幸、我が子には幸せになってほしいと取り替えてしまう。
第一章は繭子、第二章は郁絵の目線
どちらの母の気持ちもわかるだけに辛い。
できればこのままバレずに…バレても繭子の仕業とバレないように…そして子どもたちが傷つかないように…
この2人の子どもたちはどのように育つのか気になる。その後の繭子も気になる。みんな幸せになっていてほしい。
自然分娩と帝王切開、子どもを産むことに違いはないのに、面倒くさいこと言う人たちがいるおかげで
翻弄されてしまう母たちがいるんだよね。

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2023年03月10日

Posted by ブクログ

自分が産んだばかりの息子を、新生児室に寝ている同じ日に生まれた隣の子供と入れ替えるというありえない行為を、誰もが実行してしまう可能性があるかもしれないと思えるほどの精神状態の描写を表現している。その後のいつバレるか分からないとビクビク暮らす日々、入れ替えられた家族の精神描写もリアルすぎて読み始めると止まらなかった。

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2023年01月16日

Posted by ブクログ

ネタバレ

取り違え出産の話。どうか、リクにもコウタにも幸せになってほしい。リクが結果的に繭子の元へ行かなくてよかったと思う。コウタと父親の玄関先で離れ離れになるシーンでは涙が出そうになってしまった。最後に、繭子視点のストーリが欲しかった。取り違え発覚以降の繭子の心情がどうだったのか気になる。

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2022年05月16日

Posted by ブクログ

福山雅治主演の映画「そして父になる」では看護師が故意に取り違えたが、この作品は母親が取り替えた。でもそこには悪意なんてものはなく、十分に同情する状況でもあるし、なにより子供を愛していた。仮に取り違えなくても愛しただろうに。そして取り違えられた側ももちろん。同情してしまう感情もあり、でも取り返しのつかなすぎることでもあり。はやく映像化してたくさんの人に知ってほしい作品

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2022年01月24日

Posted by ブクログ

ネタバレ

こんなにも読むのが辛く、苦しい本は読んだことがないです。
同じ歳くらいの子どもを持つ母親として、そしてどちらかといえば(自分は母親になるべきじゃなかったのでは?と思う意味では)繭子寄りの自分にとっては共感なんでしょうか、震えるほど怖くなりました。
自分は大丈夫だと思う一方で、自分の子供がいなくなる恐怖を背後に感じながら、自分の子供が泣いている姿を思い浮かべながら読んでしまったので、本を読んでいるのが電車の中だったとしても涙目だったと思います。
本当に辛くて帰ってからは焦るように子どもを保育園に迎えに行って、抱きしめました。

実際に自分が他の子と取り替えをするかといえばたぶんしないけど、してしまうほどに追い詰められる気持ちは出産したからこそわかります。まだ母親になりきれない自分がこの子を本当に幸せにできるのか?そう思いながら私も育児をしてきました。
保育園でしっかりしている子を見て働く人を羨む気持ちも、本当はもっと子どもと一緒に過ごすべきなのでは?と思う気持ちもどちらもわかります。そして、いつか終わりが来るということを常に感じていないと子供との時間を本当に大切に出来ない皮肉も感じます。

私が思う母であることの辛さが全部詰まってる本でした。繭子がタグを取り替える前に踏みとどまる世界線を想像して幸せを願ってしまいます。

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2025年10月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

繭子に自然分娩以外を否定的に伝えてしまった助産院は非常に罪な事を言ってしまったと思う。その一方で郁絵の義母が言った、帝王切開での出産は赤ん坊へのリスクを母親が引き受けてあげるのだといった肯定的な言葉を繭子が聞いていたらどうだったのか。
繭子と郁絵はそれぞれに悩みを抱えながら子育てに邁進しており、頭が下がる思いで読んだ。ハッピーエンドになることはないと分かっていてもどこかに皆が幸せと感じる落とし所はないかと読み終わった今でも思わずにはいられない。
繭子も郁絵も素敵な母親であったと思う。

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2024年08月05日

Posted by ブクログ

出産後の、最初に我が子を見た時に「もう逃れられない、この子の人生に全責任を持たなければならない」とその責任の重さに押しつぶされそうになったことを思い出す。

2人の母親の気持ちを丁寧に描写してあり、唸らされる。
後半、物語がうねり始めると、読んでいる私もそのうねりに飲み込まれてしまった。

読み応えがある一冊だった。

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2024年07月19日

Posted by ブクログ

きっと繭子の気持ちをわからないと切り捨てられる人は、強い人。精神の不安定の末の行動は理屈じゃない。嫉妬や自尊心の揺らぎ、生々しい慟哭のような心理描写。2人の主人公それぞれの、弱さと強さ両面を捉えながら描かれていく。

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2024年07月03日

Posted by ブクログ

産院で衝動的に自分の産んだ子と他人の子を取り替えてしまった母親が、精神的に追い詰められていく様を描いた前半。後半は、その4年後に取り替えられていたことを知った母親側の苦悩を描く。

読み手が男性か女性か、出産の経験の有無、普通分娩か帝王切開か、子育て時に専業主婦か仕事を持っていたかなど、その立ち位置によって受け止め方や衝撃度が大きく異なる作品だと思う。
私は子育てを終えて久しいが、二人の母親の苦しみが途切れることなく伝わってきて、胃が痛くなるような読書だった。
読後も、将来二人の子ども、特に取り替えた親の子どもが事実を知ったときどうなるのかを想像してしまい、憂鬱な気分がしばらくは抜けなかった。
余談だが、そう言えば我が家では断乳後の息子が耳たぶを触るのが好きで、私のはもちろん近くにいる人の耳によく触れていたなと、懐かしく思い出した。

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2023年02月22日

Posted by ブクログ

面白くて一気読みした。

繭子の自分を犠牲にした母性もわかる気がしたし、郁恵の気持ちも痛いほど分かった。

普段、育児にかかる手間を厭うていた気持ちを、正してもらえた気がした。

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2022年09月03日

Posted by ブクログ

ネタバレ

赤ちゃんの取り違え。
皆が辛い結末。わかった以上交換するのも辛い。しないのも辛い。子供も親も辛い。
仮にここで発覚しなかったとしても、やっぱり子供はこの先の人生でなんかしっくりこないことがあったりしたのかな。
その後が気になる。辛いことがあった分、幸せな人生を送って欲しいけど。

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2022年07月31日

Posted by ブクログ

ネタバレ

実際、自分が母親になり子供が4歳の時に取り違えが発覚したら最初は血の繋がりなんて関係なく、生まれてから4年間必死に育て上げた息子を手放すなんて考えられないのだろう、という気持ちで読んでいた。だが、途中に出てくる郁絵の母親の"自分の子供がこれから小学校、中学校へと上がりそこで虐められるかもしれないし逆に虐める立場になり相手を死に追い詰めてしまうかもしれないその時、血の繋がりを無視して応じれるのか"といった言葉に深く感心した。その文を読み、私は子供のためにも自分のためにも相手の家族のためにも、交換するべきだ、と思った。

自分の子供はいくら4年間他の親に育てられたからといって自分の子でなくなることはない。血の繋がりがある以上、容姿や性格の本質的な部分は実際自分を産んだ親に似るのだろう。

この本は繭子と郁絵の2人の視点から書かれていたが一冊を通して非常に心が揺さぶられた本だった。
内容は正直重かったし終わりもスッキリはしなかったが、事を理解できない子供や親の複雑すぎる心境が表されていて読んでいていくつかの部分で泣きそうになった。

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2022年03月13日

Posted by ブクログ

ネタバレ

母による子供の取り替え。何でそんなことするのかな?そこが理解できず、そんなことしたらそらそうなるよね、という登場人物の誰もが心から幸せを感じられないというイヤミス。時間が解決してくれることを願います。

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2021年08月26日

Posted by ブクログ

読んでいてこんなにも苦しくなったのは、私も子育て中だからだと思う。
我が子は血が繋がっているから可愛いのか、と聞かれるとそうではないと思いつつも、どこかで自分と似たものを感じるというところも大きい気がする。何年であれ、子どもと過ごす濃密な時間は限られているのだろうから、写真や動画に収めることに囚われすぎず、自分の目で見ていきたい、と思った。

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2021年08月10日

Posted by ブクログ

自ら産んだ子を「取り替え」た繭子。
発覚に怯えながらも、息子・航太への愛情が深まる一方、郁絵は「取り替えられた」子と知らず、息子・璃空を愛情深く育ててきた。
それぞれの子が四歳を過ぎた頃、「取り違え」が発覚する。
元に戻すことを拒む郁絵、沈黙を続ける繭子、そして一心に「母」を慕う幼子たち。切なすぎる「事件」の、慟哭の結末は・・・。


子の取り違えといえば、「そして父になる」が記憶に新しいところだが、この物語は取り違いを起こした人物が、当の母親だというところが大きく違った。
「そして父になる」も苦しくて、苦しくて、登場人物全てが苦しみぬくのだが、取り違いに差があるものの、この物語も終始苦しい、悲しい感情が自分に乗り移ってきてしまった。


物語の序盤では、普通分娩を望んでいた繭子が、急遽帝王切開になり、自分を責めるところから物語は幕が開く。

私にも子供が二人要るが、どちらも普通分娩で生まれた為、帝王切開の人がここまで心を痛めるものなのか!?
その辺は全く理解が出来なかった。
繭子の母親も、心を病んでおり、そんなこともあってか、どんどん自分を追い込んでしまう。

序盤の育児の場面は、懐かしいなぁ~という気持ちで読んでいた。

育児は全てが初めてのことだから、何が正解なのかもわからず、右往左往してしまう。
自分にもそんな頃があったなぁ~と・・・。
自分は良い母ではない、何でちゃんと出来ないんだろう?なんて、他人と比較して自分を責めたこともたくさんあったなぁ。

子供が赤ちゃんで居るのなんて、ほんの短い時間でしかないのに、あの時間は永遠に続くと思っていたなぁ。
幸せと不安が交互に押し寄せてきたり、寝不足で死んでしまうんじゃないかと思ったり、自分の育児は間違っているんじゃないかと自分を責めたり。

そんな自分の過去を思い出しながら、繭子と郁絵の愛情深い子育てに、嵌り込んでしまった。

辛く切なく苦しい話だったけど、心掴まれて、ググっと最後まで一気読みしてしまった。

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2021年04月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

『ねえ、ママに、つたえて』『ぼく、だいじょうぶじゃないよ』 物語を開いた瞬間から心をどこに持っていたらいいのかわからなくなった。震えて読んだ。産まれたばかりの我が子を見て恐怖を感じた繭子の思いが痛い程わかってしまったから、もう震えて読むしかなかった。繭子の章。郁絵の章。じわりじわりと物語が取り返しのつかない渦へと飲み込まれていった。

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2021年04月22日

Posted by ブクログ

子どもの意図的な取り違え事件を描いた本。
繭子が帝王切開きっかけで産後うつのようになっていくのはちょっと共感できなかったが、後半になるにつれ描写に圧倒されてなんと泣いてしまった。子どもの描写がとても上手。

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2021年03月11日

Posted by ブクログ

自分は出産経験が無いのだけど、解説の方のように繭子のことは好きになれません。本人を含めて全員のことを苦しめ抜いてる繭子を本当に許せない怒りの気持ちでずっと読んでいました。本当に苦しくなります。航太に1日も早い穏やかな日が来ますように。

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2025年09月20日

Posted by ブクログ

出てくる人たちの叫びが重かった…
読んでいて苦しくなって150ページくらいで一旦ストップ。でも、続きが気になって一気に読んだ。
妊娠・出産は明るいイメージがあるけど、命懸けだし、命がかかってるし、大人にとっても生まれてくる赤ちゃんにとっても人生を左右するもの。
だからこそ言葉には気をつけたいと思いました。

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2025年05月03日

Posted by ブクログ

同じく4歳3か月の息子がいるので、辛くて何度も涙が出ました。
息子は夜たまに目覚めたとき私がいないと、たとえパパが隣にいても大泣きするので、ほかの親に慣れることはありえないだろうと思い、私なら交換するなんて1%も考えられないと思いながら読みました。

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2025年04月05日

Posted by ブクログ

普通分娩か帝王切開か。有痛か、無痛(和痛)分娩か。
そんなもので子供に対する愛情が変わるわけがない。
けれどもそれに対して良いとか悪いとか周りが言うことで産後の母親は自信をなくしてしまうのだ。
小さく産んだこと、病気を持ったこと、早く産んだこと。
悪いことなんかしていないのに、母親は自分を責める。
周りは赤ちゃんのことで頭がいっぱいで、心も体もボロボロになった母親のことは二の次三の次。
それでも母親はこの弱い生き物を育てなければならない。
でも、私に、そんなことできるんだろうか?

自ら子供を取り替えた繭子には同情する。
自分の子供が幸せになって欲しくて、そして少しだけ郁絵への暗い気持ちがあったのだろう。
それが取り返しのつかないことになると分かっていたのに。
子供の心に消えない傷をつけたことは間違いない。
糾弾されても仕方がない。
そもそもどうして誰も繭子に寄り添わなかったんだろう?
本当は繭子の夫の母は気にしてくれていたのだけれど、繭子にはそれを受け入れられないくらい弱っていた。
愛とは、どうしてこんなに難しいのだろう。

いつだって育児は手探りだ。
愛情と思っていたことが違うのではないか、あの時どうしてしてしまったのか、できなかったのか。
本書はそんな悩む親の心の中をさらに掻き乱す。
しかし、そのことで自分の心が整理されるような気もするのだ。

あなたと共に。
小さな手足をばたつかせる我が子を抱きながら自分の心を見つめた。

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2024年09月09日

Posted by ブクログ

2017年 第6回 新井賞受賞
自ら産んだ子を 同日に生まれた他の子と取り替えた母親
ちょっとしたトラブルによる衝動的な行動だった
妊娠中の不安、出産時の苦痛、育児への憂慮
その一瞬の出来心に背景はある
告白する機会を失ったまま、子供達は4歳となる
自分の子ではないと知っている母親と
自分の子供と信じている母親
二人の母親の育児と生活の違いは、考えさせられる 母親に期限があるとすれば子供を預けて仕事をする事ができるのか?日常生活をもっと大切に過ごすのか?
この小説の読みどころは、DNA鑑定により本当の両親が確定した後、二人の子供達と育ての親との分断の場となるのだけれど
取り替えの犯人となる母親は、育てる間の苦悩も大きかったとは思うが 告白だけでは、罪のない子供達の痛々しい辛抱への償いは、終わらない

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2024年06月13日

Posted by ブクログ

めちゃめちゃしんどくさせるという意味ではすごいと思う。が、とにかく読んでいてしんどい。あとは疑いもなく自分は子育てできる、保育園にも入れない、と考えていたが、そんなことが果たして絶対にできるのだろうかと、考えさせられた。

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2023年03月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

読みごたえはありました。
内容は背表紙に紹介されていた通り。
「自ら産んだ子を「取り替え」た繭子。発覚に怯えながらも息子・航太への愛情が深まる。一方、郁絵は「取り替えられた子」と知らず、息子・璃空を愛情深く育ててきた。
それぞれの息子が四歳を過ぎた頃「取り違え」が発覚。元に戻すことを拒む郁絵、沈黙を続ける繭子、そして一心に「母」を慕う幼子たち。切なすぎる「事件」の慟哭の結末は・・・」

芦沢央の作品でこの気分は初めてであるが、イヤミスであればもやもやが残るのもしかたないのか。
面白くないわけではない。

郁絵の「残念だったね。普通に産めなくて」という言葉で、実の母の「あなたがひとりで育てられるわけがないでしょう」繭子には打ち消してきた不安が確定してしまう。
その前にも助産院で「自然なお産。本当のお産をすることで女性は母親になれる。うちで産んだ人で赤ちゃんがかわいく思えない人なんかひとりもいませんよ」という言葉も覆いかぶさる。その助産院にはお産の予約を入れなかった。
人それぞれ考えはあろうが、帝王切開でしか産めない人、母乳の出ない人もいるので根拠のない神話を押しつけるのはどうかと思う。

繭子は30時間を超える陣痛に耐えかねて、帝王切開に切り替えた。帝王切開の基準は満たしているので、自然分娩に失敗したわけではない。
30時間と一言でいうが痛い1分はとてつもなく長い。
1分が長いのに30時間なのだから。
医師だって30時間横に待機なんかしていない。状況が変われば見に来るだけなので、立ち合いも廊下で待っている家族もいない繭子はひとりで頑張ったのだ。
そして、痛い、つらい、苦しい。帝王切開の後がこんなに痛いなんて知らなかったと更に術後の痛みが繭子を襲う。

私は帝王切開だったが、4日間はいろんな管でベッドに縛り付けられ、トイレさえ行けなかったので、時代が変わってすぐに新生児室に行くのだなあと思ったが、繭子の産院も母子別室なのは「おかあさんをなるべく休ませるため」なので、行かなくてもよかったし、自分の赤ちゃんの顔がどうしても見たいとも書かれてなかった。
そして「ベッドのプレートがなければ自分の赤ちゃんがどの子かさえ私にはわからない」とまた落ち込む。
「誰だってわからないってば」と思わずツッこむが繭子には聞こえないよね。

「取り替え」のために新生児室に行ったのではないが、郁絵の赤ん坊がたった210g体重が多いだけでも「この子は残念な子なのか」と負の烙印を捺すばかりである。

「取り替え」てしまった後、「言わなければ」と思うのに言えない状況。これで「わかってしまう」と怯える気持ちと「わかってほしい、楽になれる」と思う気持ちが揺れ動くあたりも感情移入ができる。この心理状態ならそうだろうなと。
早く発覚して元に戻さなければいけないと焦るのだが、日が経つにつれ自分からは告白できずに「だれか気づいて」と願うばかりになる。

「どうして産みさえすればどうにかなるって思ってしまったの」という気持ちも幾度も出てくるのだが、
ひとつめの疑問は、「産まない選択肢はあったのか」ということ。
弁護士の義父、パイロットの夫、避妊や中絶って協力してくれそうにないけど。

ふたつめの疑問は「取り替え」たら「育てられるの」か。捨て子をしたわけじゃないのだから、取り替えたら郁絵の産んだ赤ちゃんを繭子は育てるのである。
育児ノイローゼになりそうないやいや期の壮絶さも含めて。
それを作家は書いていない。
郁絵さんなら保育士だし立派に子育てができるだろうと繭子が思っていることはわかるが、郁絵の子供だから何の問題もなく自分でも育てられるなんて考えがよぎることすら書いてない。

そして4歳で取り替えは発覚する。
産院の取り違えとして・・・
ここからは郁絵の物語だけになる。
今まで育ててきた璃空をどうしても手放したくない郁絵は、自分の産んだ子は選んでやらないのかと言われて悩むが、繭子にべったりな実の息子航太をみて、引き離せるわけがないとも思う。
交換したら別の土地で暮らし、二度と会えないことも郁絵が漠然と隣に住んでお互いの子供二人を二組の父親と母親で暮らせればいいななんて思っていたが、そうすれば、こどもたちはいつまでも前の親を忘れないだろう。
4年間の間に、そして交換までの間にとりこぼしたことはないかと哲平も璃空が忘れてしまっている2年前の約束の花火を冬空の下でしてみたり、いきなりあなたのお子さんではありませんと言われた夫婦ってこんなのだろうかって描写が丁寧である。

みっつめの疑問は、「取り違え」が発覚した時の繭子側の家族の反応や暮らしが一切書かれていないこと。
「違ったんですか。交換します。別の土地に住みます。新学期に合わせて顔合わせやお泊りなど準備していったほうがいいですね。産院は良心的な補償を考えていますよ。示談がいいと思います。」意向は郁絵たちに産院の弁護士を通じてもたらされるが、彼らの言葉では語られない。
別れまでの数か月を繭子の夫や両親、義父母は何を思ったのか。そちらも描いてほしかった。

結末は繭子の母が示談になんてしない、裁判にする、お金だけ払って罪にならないなんてずるいとわめきだしたので、繭子は自分が取り替えたのだと告白する。
この後の繭子側の家庭は何を思ったのか事情は聞いてくれたのか、何も説明がなく、繭子と離婚したこと、繭子には二度と航太を会わせないこと、こうなったらこの子もそちらで育てて頂いた方がいいのでしょうねと郁絵たちのもとに航太を捨てにくるのだ。
航太は繭子が「これが悪い夢を食べてくれるからね、大丈夫よ」と持たした獏のぬいぐるみを抱いている。

「ママ、ママ」と張り裂けんばかりに泣き続ける航太。
そしてごみ箱にぬいぐるみを棄てる。
「おばさん、ママに伝えて。ぼく、大丈夫じゃない。大丈夫じゃないよ」
4歳児の記憶は薄れるとは思う。
すっかり忘れることはなくて、何かいつも自分は捨てられるというトラウマがこの子に残る気がして
読み終わった感のない小説でした。

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2022年12月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

この本を読んで1番感じたことは「人にはどんな背景があるかわからないんだから、余計なことは言わない方がいい」ってことかなあ。

帝王切開だったことを「残念だったね」って、私だったら「は? 何が残念なわけ? うるせえなコノヤロウ」と思うだけだけど、とことん気にしちゃう人はいるだろうから。

それにしても産まれたてとはいっても、一度見た、しかも写真撮っておいた赤ちゃんがかわってることに気づかないかね?郁絵の旦那よ。
とはいえ、入れかわってしまった子をいまさら交換なんて、想像を絶する辛さだろうし、なにより子供たちがかわいそうでならなかった。

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2021年07月28日

Posted by ブクログ

取り違えではなく、母親が我が子を取り替え。
何度も自らの罪を言い出す機会を逃し、罪悪感を抱えながら何年も他人の子を育てる繭子。

誰も救われないなんとも悲しい話だった。
2人の子供が幸せに育ちますように。

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2021年06月21日

Posted by ブクログ

繭子が子供を入れ替えた動機があまり共感できないが、その後の展開や夫婦の心情などは良くかけてたと思う。

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2021年05月20日

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