あらすじ
この世のみちづれとなった、詩人と小説家。
起伏に富んだ夫婦の日々を描いて講談社エッセイ賞を受賞した名随想。
「もし、こんな男でよければ、どうかこの世のみちづれにして下され。」
四十八歳の風変わりな私小説作家の求愛を受け入れた四十九歳の詩人。
強迫神経症、「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞受賞、訴訟、カブトムシ愛、四国遍路、二人での句会、そして不意の死別。
起伏に富んだ夫婦の日々を至純の筆致で描き、高い評価を得た回想記。
文庫版特典として、著者の講演「詩と小説の間――夫・車谷長吉とともに」を収録。
解説・角田光代
※この電子書籍は2017年5月に文藝春秋より刊行された単行本の文庫版を底本としています。
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Posted by ブクログ
いや、なかなか筆舌に尽くしがたい夫婦の形である。ともに詩人、小説家というと、もうそれだけで互いの自我が張り合って壮絶な夫婦関係を想像しがちだが、実際のところはともかく本書の中では二人の衝突というよりも、長吉が外部の世間と常に衝突しあらゆる知人友人親戚関係者を傷つけ、自らも病を得てボロボロになる姿を至近距離から克明に追っている。時にほうり出し時にはまた丁寧にケアする妻の視点からは毒よりもユーモアが勝って、ところどころ吹き出してしまうような場面も多い。一定の年齢になると常に「大人」としての振る舞いを求められる現代だが、こういう自由でありながら、自分の中では何かに雁字搦めになっているような不思議な生き方もあるのだと気づかせてもらった。
Posted by ブクログ
最も敬愛する作家である車谷長吉の、
妻で詩人の高橋順子による回想録。
長吉というどこまでも生の人間を追求する作家は、
薄っぺらな表層を剥ごうとすることで、
骨の髄までたどり着いてしまうような鋭さでもって、
その生々しさと罪深さを極めることで、
どうしようもなく純度の高い美と本質へと昇華させることができる、
類まれなる存在だと思っているので、
急死した時にはひどく落ち込んだものだった。
『飆風』に引用されている高橋順子の詩を読んだ時、
これまたなんて対局にある言葉を用いる人なのだろうと、
対局であるが、すっと本質に針をさすような在り方に、
すごい人もいるものだ、
この人でなければ長吉の妻は勤まらないだろうと、
むむむと唸った記憶がある。
しかしどうだろう。
この回想録というか、日記の継ぎ接ぎのような二人の物語を読むと、
確かに長吉の持つ狂気や毒や、
禍々しささえ感じる縁への執着は確かにあっても、
それ以上に夫婦二人が句を読み、悪態を付き合い、
旅をする姿は、
独特の遊びが漂い、非常にピュアネスなのである。
二人がうんちうんち言うのもそうだが、
長吉の純粋な魂を抱え込むには、
相応のもしくはそれ以上の純粋な魂を持っていなくては、
成り立たなかったのではないだろうか。
愛とか恋とか、そんな煌めくようなものではなく、
二人が二人共を道連れにしたような、
魂の繋がりを見た。