あらすじ
兄の朔(さく)が1年ぶりに家へと帰ってきた。朔と弟の新(あき)は、一昨年の大晦日、父親の故郷で正月を迎えるために高速バスで仙台に向かい、バスが横転する事故に巻き込まれた。朔は視力を失い、盲学校での生活を送っていたのだ。大晦日に帰省することになったのは、新が母親と衝突したことが原因だった。本来の予定より一日遅れでバスに乗ったのが、運命を変えたのだ。
中学時代、新は長距離走者として注目を浴びていたが、ランナーとしての未来を自ら閉ざし、高校に進学した後も走ることをやめた。
そんな新に、突然、朔が願いを伝える。
「伴走者になってもらいたいんだ、オレの」
激しく抵抗する新だったが、バスの事故に巻き込まれたことへの自責の念もあり、その願いを断ることはできなかった。かくして兄と弟は、1本のロープをにぎり、コースへと踏み出してゆく――。
東京2020オリンピック・パラリンピックをむかえるにあたり年、ブラインドマラソンを舞台に、近いからこそ遠くに感じる兄弟、家族の関係を描き切った一作。日本児童文芸家協会賞を受賞し、2年連続で夏の読書感想文全国コンクールの課題図書に作品が選出された、児童文学界屈指の書き手、いとうみくが渾身の書き下ろし!
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Posted by ブクログ
バスの交通事故により視力を失った兄・朔と、そのバスに乗る原因をつくった弟・新を軸に、後悔や羨望といった暗い感情を整理していくお話。
朔が突然視力を失い、急激に変化する環境で新を許せないのも、母親が現実逃避の手段として新を責めるのも、新が自分を責めると同時に母親の言葉に(本人は自覚していないかもしれないが)傷つくのも、すべてが追い詰められた人間の自然な感情であり、それがむしろ物語全体の切なさややるせなさを強調していると感じた。人間の汚い、暗い感情から目を逸らさず、丁寧に言葉を紡ぐことができるいとうみくさんには脱帽する。
中学受験時代、塾のテストで出題されたことを機に読み始めた。小学生の頃は、話や感情を理解するのが難しく、ただただ朔への同情と朔の最後の本音に裏切られたような驚きが胸に残った。だが、中学生になって読んでみると物語に対する視点が変わり、新の心情を深く理解することができたように思う。自分の心の成長もともに感じられ、また内容も割とヘビーではあるが現実味があり、何度読んでもおもしろい本である。
Posted by ブクログ
感想を書き直しました。
お気に入りの本で、何度も読んでいる一冊。
朔(さく)と新(あき)は兄弟だが、久しぶりに再会した。理由は、朔が盲学校に通っていたためだ。事故で失明した朔は、長い間家族に顔を見せず、寺社に籠っていた。飲酒した運転手が運転するバスに偶然乗り込んだ朔と新。事故が起こる直前、近くの席の女の子が落とした荷物を拾おうと、朔はシートベルトを外していた。
重い。辛い。事故が起こったのは飲酒運転していたせいなのは明確だ。けれども朔と新の母、加子が新に当たるのも分かってしまう。そのバスに乗る原因となったのは新で、前々から新は反抗期だったため加子によく当たっていた。だからこそ、新のせいに、心の隅ではしてしまうのだろう。
ブラインドマラソン。新には魅力的な響きなのだと思う。朔が失明し、明確には言っていないけれども新は、責任を感じ、今まで多くの時間を費やしてきた陸上部を退部した。それは新にとって、とても辛いことだろう。けれど朔は、勝手に新が退部していたことに驚きと怒りを示した。その理由は最後に述べられている。朔の本音。それがはっきりと書かれていた。
朔は人に頼るのが苦手で、大切なパートナーの梓にも頼ることができなかった。でも、新には頼れる。兄弟の絆のようなものを感じることができた。
未読で気になる人は、ここから先は読まないでください。
朔の本音は、「部活を退部しただけで罪滅ぼしできると思うなよ」。新は、その気持ちに、真剣に向き合う。そして、ブラインドマラソンが始まった。
Posted by ブクログ
事故により視力を失った兄と、兄が視力を失ったのは自分のせいだと感じている弟の話。
兄がブラインドマラソンをする為、伴走者に陸上経験者の弟を誘った。
それらの練習をする中での2人の心境の変化やお互いの関係性が描かれている。
お母さんの様子にちょっと共感できなかったが、お汁粉の場面で少し安堵した。
最後はその後どうなったのかと余韻を残し終わる。
Posted by ブクログ
誠実な筆致で、一日で一気に読んだ。
事故で視力を失った兄、そのことに負い目を感じる弟、兄の障害を弟に原因があると感じてしまう母…。
事故であるからには、個人の誰かのせいではないのだけれど、それはわかっているのだけれど、それでも、そう思わずにはいられない。それぞれが、そのどうしようもない気持ちを抱え、押し殺しつつ苦しんでいる。どこかで開放したいと願いながら。
これは、その刺さったトゲを、それぞれに抜いていこうとする物語だ。
走るということは、やはり哲学的なことに通じるのだな、と思う。
『走ることは、孤独だ。どんなに苦しくても、つらくても、誰かに助けてもらえるものではない。走れなくなったら、その場に立ち止まり、倒れ込むだけだ。それはブラインドマラソンも同じだ。ふたりで走っていても、伴走車が支えるわけじゃない。手を引くわけでも、代わりに走るわけでもない。走ることはやっぱり孤独だ。孤独で、自由だ。』
走ることで、兄と弟は自由になれたのかもしれない。