【感想・ネタバレ】カルト宗教やめました。のレビュー

あらすじ

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幼いころに母親がエホバの証人に入信したため、2世として25年間エホバの証人の教えを信じてきたたもさん。
ひとり息子の病をきっかけに、エホバの証人を脱会することとなったのですが、もちろん一筋縄ではいかず…。
母との確執、一般の人との距離感、慣れない一般の人たちのルール…実際に信仰を捨てたら、こんなことが起きました!
『カルト宗教信じてました。』待望の第2弾!!

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Posted by ブクログ

エホバの証人に限らず、こうゆうコミュニティって色々存在するんだと思うとモヤッとした気持ちになります。
高校の頃、好きな人がエホバの人でとても辛い恋愛をしたのを思い出し胸が痛くなりました。
手も繋げず、ましてやキスなんて出来ず、若さに任せ「一緒に逃げよう」と誘ったのは遠い昔。
今頃、どうしているのかなぁ。。。

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2022年06月25日

購入済み

二世の方の大変さがわかります

この本の前に「カルト宗教信じてました」を読んでいました。抜けてからもこんなに大変なんだと思いました。辞めたから終わり、なんじゃなくてその時の辛さとかずっと続くのだと思うと、沢山の方が大変な思いをされて今生きているんだということがよく分かる内容でした。

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2021年10月29日

Posted by ブクログ

カルト宗教信じてました。の続編。
やっぱり興味深かった。
こういう誰かの人生のマンガどんどん読んでいきたい。

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2021年03月02日

ネタバレ 購入済み

信じてました、に引き続き

カルト宗教信じてました。に続いて購入です。たもさんは、子育てを契機にもう脱退する意思を貫いていますが、やはり元二世なので、入信している方の気持ちも分かります。一度脱退して戻った方に対しても、色んな人がいると受け止められるのは、やはりもともと経験があるからこそだと思います。エホバは性犯罪が明るみに出ても、それは組織が不完全だからと開き直れるのは、ある意味生命力の現れかと思いますが、自分はそこまでして自分の信仰する宗教を認められないかと思います。自分もとある宗教の信仰者として、信じて守っていきたいと思います。エホバは自分の中ではけじめのない団体と言う風に映りますが、彼らがそれでも前に進みたいと言うなら、止める理由もないし、関わる必要もないので、自分は自分の宗教を大切にしたいです。他の著でも同様ですが、宗教は人生なので、家族関係をなかなか無視は出来ないかと思います。お母さんがお線香を否定した場面では、なかなかこの家族は一致団結出来ないし、ハッピーエンドにならないなと思いましたが、やはりちはるちゃんの存在が大きいのでしょう。家族の気持ちの変化と共に宗教の付き合い方を柔軟に続けていかなければいけないので、たもさんは今後も大変そうだなと思いますが、本は売れたし、旦那さんの前では抑圧する気持ちもないし、彼女なりに気持ちの整頓は出来ているようだし、幸せな方だなと思いました。またネタがたまったら、続編期待しています!

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2020年04月16日

Posted by ブクログ

発売と同時に購入。

たもさん著『カルト宗教やめました』

エホバではないが、私自身十代と二十代前半はカルトに所属していたことがあり、
半分は、誰にも言えない、分かってもらえない葛藤に費やされていた。

集まっていた青少年たちは、私たちと何も変わらない純朴で素敵な人々で、
つまり、今この記事を読んでいるあなたが居ても全く違和感がない。
キャンプファイヤーを囲んで歌い、涙ながらに本音を話し合い、全国の同じ信仰を持った仲間と交流し、絆ができ、楽しく幸せな感覚で、魂が美しくなったような、
ああこんな人たちになりたいと思っていた。

こういう幸福も分かってもらえないが、
そういう幸福が埋め込められているからこそ、
自分の主体性が自分でないものに強制され、誰かの都合の良い道具としかみられておらず、
それを「立派な信仰」とされる現場の気持ち悪い恐ろしさも分かってはもらえない。


また、奇妙なことに、
思い通りにならないと癇癪を起こし子どもを怒鳴って叩き、外ではニコニコ優しい良妻賢母を演じるような、
それらのカルト宗教の話に出てくる母親像と、
うちの母が不思議と被るのである。


その時の体験を書いたものが、四千円でも売れたりするのだから、
人間の他人の珍しい大変さを覗きみたい欲求は、「成功や幸福のためのハウツー」なんかよりもよっぽど強い。

Twitter界隈でも、「アンチ」「信者」が集まり、上手いこと結託して、
一方では、教団の異常性を世に訴えかけ、一方ではアンチの心根をこき下ろし、教団がいかに素晴らしいかをアピールし、、、。

私がそういう問題に口出しをしないのは、
「もうこれ以上巻き込まれたくないから」
「私が叫びをあげることで周りにいる人を不快にさせたくない」
「誰も分かってはくれない。受け止められる人はいないだろう。」
「必然的に、特定の宗教の批判につながり穏やかではいられない」
という理由もあるし、

そして、現在、「さほどの脅威でない」「もうどうでもいいや」と思っているので、
記事が流れてきても人ごとでスルーしているのだが、、、



宗教二世というのは、マイノリティのニッチな世界だと思っていたのが
「五万部突破」という帯を見る限り、「めっちゃバズってる」。

伝統宗教が、「立派な教え」を言っても、一部の真面目な人だけ丁寧に読んで、後はそこまで広がりはしないだろう。

「毒親」「発達障害」などというキーワード同様、
実は潜在的に、「カルト宗教」に対するニーズのポテンシャルは大きいのではないか。

それまでマイノリティで日陰で人に言えず閉鎖的空間の中、
苦しんできた人たちが表に出て、大声で自分を表現できる。

教祖の息子がYouTubeで内部告発し、教団と裁判合戦。



属していた組織で、
そしてそれが濃密で閉鎖的で絶対的であればあるほど、
そこから出た時の辛さ、
そしてそれを批判して、組織から返ってくる攻撃ほど引き裂かれるようなものはない。

「地獄に落ちる」「悪魔」「嘘つき」とレッテルをはられ、
「あなたに問題がある」「魂が腐っている」と次から次へと暴言を吐かれ、
しかもそれを、「あなたを愛しているから」などとのたまう。

個人が、その人としての尊厳を持って尊重されず、
そこで語られる「愛」も「反省」という美しい言葉も、コントロールのための都合の良い道具。


キリスト教が歴史の中で「異端」を選り分けてそれらと戦ってきたことにも、排他的独善的なレッテル貼りがなかったとは言えないが、
こうした、人間の霊魂を厳格さと恐怖で支配する危険性を認識していたからだろう。
無論時代の中で教会そのものが巨大なカルト化していたこともあったが。


こうした問題を扱う際に必要なリテラシーは、
「単なる悪口」「ゴシップ」でなく、本質をついた人間論だろう。

週刊誌や本、YouTubeでの情報には単にアクセス数や話題集めのためのような憶測とレッテル貼りのストライクゾーンからずれたものが多々見られるが、
そんなものは、誤解であればあるほど、教団を正しいとつけ上がらせ、団結させ、
被害にあっている人からしたら慰めにも薬にもならないばかりか、
「自分たちのことは見てくれてない」と落胆するばかりだ。


信教の自由は保障されなくてはならないし、尊重されねばならないが、
問題になってくるのは、「基本的人権」の保障である。

これも単純なようで居て難しい問題で、
仮に、外で爆弾がバンバン落ちてきたり、ターミネーターが襲ってきたり、津波が押し寄せてくる現場において、
親は子どもを「基本的人権を尊重して」普通に学校に行かせはしないだろう。

ホラーやパニック映画では、カタストロフィから生き延び大切な人を守るため、
バットで人を殴りつけ、自転車を窃盗し、銃を乱射し、トラックで民家に突っ込み、
あらゆる犯罪や暴力が英雄的な行為として描かれる。

狂っていることが正常で、正常であることが狂っているのだ。

つまり、人間の合意によって法律で定められた普遍的原理よりも、
絶対神の啓示する未来の方に行動の原則が置かれる。

オウムだって、最終戦争が起こると本気で信じて、
それが殺人罪になることくらいわかって善意でポアをした結果、
日本国の法律によって裁かれた。

破壊的カルトにおいては、「価値観の違い」なんていう生温いものでない、社会よりもはるかに上位の差し迫ったカタストロフィのビジョンがありありと刷り込まれている。
そのため、その上位のビジョンのためであれば詐欺も窃盗も殺人も「世界を守るためには仕方がない」と正当化されうる。




その反動で、
「もう宗教は懲り懲りです」と、世俗に完全に一致して慎ましく生活する人もいれば、
しっかりした宗教のうちで信仰を持ち直す人もいる。
(それでも、洗礼を受けるのにとても恐れがあったと言う)




それにしても、エホバは組織としてこの本を訴えないのだろうか、もしくはHPや組織の貼り紙で禁書令を敷いたりしないのか、気になるところである。

うちではわずか少しの批判でもあれば鬼の首を取ったように恫喝し訴えてくる。



健全な組織の一つの指標があると思う。

「問題があるかないか」よりも、
「問題を告白できるかどうか」。

「問題のない」組織や人の集まりは無論存在しない。

『二人のローマ教皇』の映画を観たが、
フランシスコも、後輩の司祭を死なせ、
ベネディクトも、司祭虐待の隠蔽に加担した。


組織の暗部や問題を、勇気を持って内側から晒すことのできる組織は、美しい。

卑屈になってなんでも「私が悪うございました、私は罪人、人間の屑でごぜえます。正しいのはあなた様でございます。」と、屈服せよと言っているわけではない。
「罪人の自分には生きている価値はない」とその場で自分をひたすらに責め、絶望するのでもない。

そうではない。

必要なのは痛悔と心からの償いと決意だ。

そこには、やはり運命全体に対する、赦しを信じる勇気ある決断が必要で、
この決断だけが私たちの自分では克服できない罪を洗い流してくれる。


どれほど倫理的に真面目に見えても、
「私は潔白です。悪いのは周りや誰それです。」
と自らをやたら正当化するところは傲慢とも言える。

そして、そこに本当の意味での安心や喜び、心の安らぎはない。
自分が自分であれることを喜ぶことができない。



人祖が楽園から追放された(自ら出る羽目になった)のも、
「自分を正当化して、他者に責任転嫁した」からだ。

素直に謝ることができない。
自分の過ちが許されないと思って、他者を裁き出す。
いつのまにか、自分が神になる。


生きている限り、私たち全員にその自己保身の傾向性は根深くある。

カルトの問題は、どうも、人類根源の罪に根っこがあるような気がするのだがどうだろう。



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2020年01月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「カルト宗教信じてました」の続編。
子供の頃から親に洗脳され、カルト宗教を本気で信じていた著者が 我が子の病を経験し、自分が今まで何十年間も信じてきたものは全て嘘だったのだと悟る。
無事洗脳から脱するも奉仕に出る夢を見たり、再び勧誘してくる電話がかかってきたり…根強く残存するカルト宗教のトラウマ。
今まで宗教について詳しく考えたことがなかったので、本当にこんな世界があるのか…と衝撃の連続だった。
部活禁止だとか、10代の恋愛禁止だとか、進学禁止だとか…青春時代を棒に打ってしまいかねない規律がたくさんあることに驚き。
信じる心って大事だけれど、距離感や客観性も同時に大切なものだと思った。

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2024年12月15日

Posted by ブクログ

2世の大変さが少しでも分かった気がする。今から人生を楽しんでほしいし、私も日々の暮らしをめいっぱい楽しむぞー☆と思った。

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2024年08月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

前作の続編。
なんでかな、私はこちら(2作目)のほうが
とても好きだと思った。
たもさんに、とても親近感を感じるし、
しっかり生きててステキな人。友達になりたいぐらい。

中学、高校、大学、就職、当たり前に経験して身に付くはずのことが、わからない。。。。
トラウマのように夢に出てくる過去の光景。
角で活動してる信者たち、届くパンフレット、
なんで逃げ隠れしないといけないのか、
と、思いつつ、ドキドキする。
人間関係の距離感がわからない。
お葬式のお作法もわからない。
宗教やってた子、って会話も耳に入る。
もしかしたら、どこかで差別を受けたりしてるかもしれないんだよなって思った。
親の老後も心配だよね。。。

でも、たもさんは、悩みながらもしっかり生きてる。カンちゃんもちはる君もいる。良かった。。。
あとがきに、自分は教祖にはならない、と
書かれていて、その理由の部分が、辛かった。
世の中にたくさんいるであろう宗教2世。
やっとやめても、そのあとにも影響は続いているんだなと知った。
どうか、みんなが心穏やかに安心して自由に暮らせるように、もう誰にも傷つけられないようにと願ってやみません。

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2023年02月10日

Posted by ブクログ

カルトをやめてからも子供の頃から植え付けられた思想は抜けていない作者。
挫けそうになっても旦那と子供の存在が大きな支えとなっているようでよかった。

そして作者の父親がいい人過ぎる。
自分の妻と子供がカルト宗教にハマってしまっても変わらず接し続けて支えるのは中々できないことなのでは。

てっきりカルト宗教を大批判する漫画かと思いきや、宗教も需要がある居場所の一つのくくりとして見ている作者は冷静だと思った。

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2022年08月23日

Posted by ブクログ

居場所が欲しい、話を聞いて欲しい、認められたい、その通りだと思います。宗教もドラッグもギャンブルも、心の穴を満たすのにちょうどよかったのかなあ。

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2021年09月14日

Posted by ブクログ

 前作と比べて表紙が笑顔で嬉しい。

 過去に何があろうとも、未来を選ぶことが出来るんだなぁと思える。

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2020年06月07日

Posted by ブクログ

宗教にハマる人は基本真面目な人が多いんじゃ、と思った。 楽園に行けるという見返りがあってもあの苦行…。

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2020年02月23日

Posted by ブクログ

表紙のキマってる笑顔を見ると始めたようにも見えなくもないがエホバの証人を辞めた後のお話。
子供の頃からの刷り込みの解除が難しい一例。母親が毒親にしか見えないがコレが宗教というものだろう。同じ二世同士でお子様を健やかに育成されているのは素晴らしいと思った。
旦那さんの企画より悉く作者の体験漫画の方が食いつきがいいのは笑えた。
この先の展開も気になる。

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2024年05月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

続編。格段に絵がうまくなってる。さすが2作目。たもさん達家族がそれほど苦しまずに生活できてるようで安心した。やっぱ夫・カンちゃんと相談し合えてるからだろうな。お金を貯めなきゃ、というのはなるほどと思った。エホバにも献金的なものはあるだろうし、そもそも楽園にお金は持っていけないんだもんな。つーか、お金がなくても幸せなのが楽園なんだもんな。しかし、楽園ってなんだよ、と思う。どういう世界をイメージしてるんだろうな。信者さん達は。

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2023年07月28日

Posted by ブクログ

1冊目が面白かったので引き続き。

世間から離れた生活をしていると大変なことも多かったろうに、明るく描いていらっしゃることがすごいなぁと思った。
あと1冊目より圧倒的に画力が上達していることも、見ててなんだか嬉しかった。笑

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2022年12月12日

Posted by ブクログ

カルト宗教(エホバ)を抜けた後の生活やどう「普通」の生活に戻っていっているか、の話だった。
前作があるみたいなので、どうして抜けようと思ったかが気になる。
本編ではなく後書きだが、「同じように宗教を抜けた人からの人生相談に最初は嬉々として答えていたが、自分が教祖になってはいけないと思ってやめた(意訳)」と書いてあったのが印象的だった。

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2022年08月26日

購入済み

人の心理

何かにハマったり依存したり、人ってそう言うものなのかなって思いました。その対象が違うだけ。
私も恋愛に依存したり占いにハマったりしてますからね……。弱っているとき、悩んでいるときの助けになることも事実。

しかし何かあれば神様のお陰、悪いことがあれば信仰心が足りないから、良い意味でも悪い意味でも何でも神様や人のせいにして、そこに自分はいない……その方が楽なのかな……。自分に責任がない的な感じ……。
まー何はともあれ人生は山あり谷ありですよね。

永遠の命が本当に幸せかな?不確かなアルマゲドン……不確かな楽園にすがり何かを犠牲にし生きるよりも今が大切。今を笑顔で過ごしたいものですよね。その笑顔が明るい未来に繋がる気がする。


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2022年07月14日

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