あらすじ
黒船で来航したペリーが、唯一頭を下げた相手といわれる、幕末最大の知識人・佐久間象山。国際人としての自覚を持ち、日本のナポレオンと自称した彼は、自由奔放に、決して私利私欲を持つことなく、我が国が進むべき針路を説き示した。純粋な精神を持ち続けた彼の、孤高にして波乱万丈の生涯を描く、歴史ドキュメント。壮大孤高の先覚者――幕末の国際人が魅せる奔放にして気高き精神!
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
佐久間象山がいかなる人物かが凡そ理解できた。松代藩士で、藩主真田幸貫の信認を得ていたこと、横浜村で来航したペリーを観ていること、門下の吉田松陰の黒船で密航企てに賛同したこと、海防の観点から下田ではなく横浜の開港を主張したこと、砲術の教えを江川太郎左衛門英龍とは反りが合わなかったこと、などがエピソードとして記憶に残る。気位が高く孤立しがちだったというが、開国論者なのか国防論者なのか、捉えどころがない。
史実を離れた雑記として、P.211で、日産自動車を再建したカルロス・ゴーンを讃えている記述がある。その後ゴーンのレバノン逃避行が世の顰蹙を買ったことで、人の評価は難しいという例示になっているのが皮肉である。
Posted by ブクログ
この書籍が伝えるものから自分が注目したのは以下の2点。
①和魂洋芸の伝授
学問所へ学びに来る者たちに対しては、常に儒学をもととする東洋の道徳を叩きこむのと同時に、砲術などの西洋の技術も学ばせていたようだ。また、本などで学ぶだけの座学に留まらず、実際に海防施設などを見学させる実地調査も勉学の一つとして取り入れていたようである。
②「飛耳長目」という言葉を大切にしていた吉田松陰の姿勢
「吉田寅次郎ほど日本を歩き回った青年はいない」と佐久間象山に言わしめた人物で、著者の童門冬二氏は「『何でも聞いてやろう、見てやろう』という果敢なジャーナリズム精神(中略)単なる好奇心とは違う。聞いたこと、見たことの底に、『どこに問題があるのか』と根底まで掘り下げる考え方」を有していたことを佐久間も感じていたと述べている。
以上の2点の姿勢は、私事ながら、自分自身にとっても大切にしたい在り方である。