あらすじ
第二次大戦下、神戸トーアロードの奇妙なホテル。“東京の何もかも”から脱走した私はここに滞在した。エジプト人、白系ロシヤ人など、外国人たちが居据わり、ドイツ潜水艦の水兵が女性目当てに訪れる。死と隣り合わせながらも祝祭的だった日々。港町神戸にしか存在しなかったコスモポリタニズムが、新興俳句の鬼才の魂と化学反応を起こして生まれた、魔術のような二篇。(解説・森見登美彦)
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Posted by ブクログ
この頃、生きて明日を迎える事がどれだけ大変だったかがよく分かった。個性豊かで人間味たっぷりの隣人たちがバタバタと死んでいくのはショックだが、それでも人々の毎日は続いていく。あまり感傷的にならずに記しているところが良かった。
この時代を生きている人にとって死とはどういう感覚だったのだろう。空襲で亡くなった描写は現場の様子が目に浮かぶようだった。生きたい人たちの元にも、暴力的な死が一瞬でやってくるのが怖い。
女たちがどんな風に神戸の街を生きていたか、考えるのも辛い。困窮の末に辿り着いた人もいれば、モラルの崩壊した人もいて、実情は分からない。でも戦争がなければこんな事にはなっていないだろう。
どれも興味深い話ばかりだったが、白井氏との謎のドライブの話は特に面白かった。
『続神戸』は戦争末期や戦後の重い話も多く、この混乱した時代をなんとか生きなければならなかった人たちを思うと悲痛な気持ちになる。
弾圧のために創作を諦めざるを得なかった俳人たちが再び作品作りに打ち込めるようになったのはよかった。食べるのに困るその時も俳句のために集まる、その情熱にグッときた。すべてを諦めたであろう数年間がどれだけ酷なものだったかが分かる。
貴重な話ばかりだった。
Posted by ブクログ
お世話になっている古本屋さんからオススメして頂いた一冊。
著者の作品は初読みとなりましたが、著者が俳人だからなのだろうが味わったことのない文体に惹き込まれてしまいました。
タイトルにある神戸は私の地元からほど近く、何度か私の地元の地名が出てきたり、知っている地名や通りが一層親近感を与えてくれたとはいえ、時は太平洋戦争の前後のストーリー。
ストーリーというよりは日記に近い感じと言ったほうが表現としては近い気がします。
登場する人物も個性豊かであり、それぞれの魅力が詰まっていますが、やはり本作の醍醐味は文体だと思います。
日本語って奥が深いなぁ…
改めて実感しました。
説明
内容紹介
「おすすめ文庫王国2020」年間最優秀文庫編集者賞受賞!
(本作品刊行により)
森見登美彦氏、賛嘆!
「戦時下の神戸に、幻のように出現する『千一夜物語』の世界」
高野秀行氏、賛嘆!
「私の理想とする、内容が面白い、文章がうまい、ユーモアがある、の3点をパーフェクトに満たした名著」
穂村 弘氏、賛嘆!
「アウトサイダーの輝きという点において、この作品は阿佐田哲也の『麻雀放浪記』 と並ぶ傑作だと思う」(「週刊文春」2019年8月1日号「私の読書日記」より)
南條竹則氏、賛嘆!
「文句なしに面白い。金子光晴などとはまた異なる、軽やかなコスモポリタニズムを感じる」
東山彰良氏、賛嘆!
「港町に仮寓することが自由と同義だった時代の、これは神戸という街が見せる人生の幻影だ」
瀧羽麻子氏、賛嘆!
「今とはまるで違う景色と、今はもういない人々の、鮮烈な存在感にただ圧倒される」
谷津矢車氏、賛嘆!
「戦中のわずかなひと時、神戸に現れた奇跡のアジール。この怪しげな輝きは一体何だろう」
葉真中顕氏、賛嘆!
「なんと楽しく恐ろしい読書体験だろうか。ユーモアと自由という人の精神の最も尊い輝きの隙間から、ときおり戦争という人の最も愚かな行為がぬっと顔を出すのだ」
永嶋恵美氏、賛嘆!
「読み手を問答無用で現実から引き剥がして、異界の夜に放り込む、そんな物語。唯一の欠点は、文庫一冊で終わっていること。西東三鬼をあの世から呼び戻して続きを書いてもらいたい」
いまみちともたか氏、賛嘆!
「柔らかな反骨がしなっている」
語り継がれる名作、ここに復活──。
「神戸」の文章を読むとき、私は「まるで人の良い天狗が書いたようだ」と感じる。(略)フワリと宙に浮かんで人間たちの営みを俯瞰しているようでありながら、俗世で生きる彼等への愛情ゆえに見捨てて飛び去ってしまうこともできない。(森見登美彦「解説」より)
第二次大戦下、神戸トーアロードの奇妙なホテル。東京から脱走した私はここに滞在した。エジプト人、白系ロシヤ人、トルコタタール夫婦……外国人たちが居据わり、ドイツの潜水艦や貨物船の乗組員が、缶詰持参で女性目当てに訪れる。死と隣り合わせながらも祝祭的だった日々。港町神戸にしか存在しなかったコスモポリタニズムが、新興俳句の鬼才の魂と化学反応を起こして生まれた、魔術のような二篇。
昭和十七年の冬、私は単身、東京の何もかもから脱走した。そしてある日の夕方、神戸の坂道を下りていた。街の背後の山へ吹き上げて来る海風は寒かったが、私は私自身の東京の歴史から解放されたことで、胸ふくらむ思いであった。その晩のうちに是非、手頃なアパートを探さねばならない。東京の経験では、バーに行けば必ずアパート住いの女がいる筈である。私は外套の襟を立てて、ゆっくり坂を下りて行った。その前を、どこの横町から出て来たのか、バーに働いていそうな女が寒そうに急いでいた。私は猟犬のように彼女を尾行した。彼女は果して三宮駅の近くのバーへはいったので、私もそのままバーへはいって行った。そして一時間の後には、アパートを兼ねたホテルを、その女から教わったのである。/それは奇妙なホテルであった。(「第一話 奇妙なエジプト人の話」より)
内容(「BOOK」データベースより)
第二次大戦下、神戸トーアロードの奇妙なホテル。“東京の何もかも”から脱走した私はここに滞在した。エジプト人、白系ロシヤ人など、外国人たちが居据わり、ドイツ潜水艦の水兵が女性目当てに訪れる。死と隣り合わせながらも祝祭的だった日々。港町神戸にしか存在しなかったコスモポリタニズムが、新興俳句の鬼才の魂と化学反応を起こして生まれた、魔術のような二篇。
著者について
西東三鬼(さいとう・さんき)(1900-1962)
岡山県生れ。日本歯科医専卒業後、シンガポールにて歯科医院を開業。帰国後、33歳で俳句を始め、新興俳句運動に力を注ぐ。「水枕ガバリと寒い海がある」の句で知られる。1940(昭和15)年、いわゆる「京大俳句事件」で検挙される。'42年に神戸に転居。終戦後に現代俳句協会を創設。一時、雑誌「俳句」の編集長も務めた。句集に『旗』『夜の桃』『変身』など。自伝的作品『神戸・続神戸・俳愚伝』でも高い評価を得る。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
西東/三鬼
1900‐1962。岡山県生れ。日本歯科医専卒業後、シンガポールにて歯科医院を開業。帰国後、33歳で俳句を始め、新興俳句運動に力を注ぐ。1940(昭和15)年、いわゆる「京大俳句事件」で検挙される。’42年に神戸に転居。終戦後に現代俳句協会を創設。一時、雑誌「俳句」の編集長も務めた。句集の他、自伝的作品『神戸・続神戸・俳愚伝』でも高い評価を得る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
Posted by ブクログ
まず書いておかなければならないのは、俳人よりも歌人を重視したいと、要らぬ偏見を持っている。寺山のせいだ。
情けないことだが「水枕ガバリと寒い海がある」しか聞いたことがなく、その句を聞いても、作者に注目したことがなかった。
が、神戸の、しかもトアロードといえば足穂のだなっ! と鼻息を激しくし、いわばミーハー的に読んだのだ。反省。
しかし足穂の生年が1900-1977。
西東三鬼の生年が1900-1962。お、すごい、ニアミス有り得るかも……?
ただし足穂の神戸時代はおそらく二十歳まで。
かたや西東三鬼の神戸時代は四十代。
合わないではないか。
しかし、神戸のコスモポリタニズム・ダンディズム・モダニズム・エキゾチシズム・コズモポリタニズム・ボヘミアニズムは、きっと時代を超えるのだ。
通じるものを感じた。
33歳で俳句を始めたという、若干の遅さも、また。
ひとまず「物づくし」という言葉がある。
それを派生させて「人づくし」という言葉を作れば、西東三鬼。
(足穂は「物づくし」の遥か彼方にあって思想をもオブジェ化する「オブジェづくし」だろう)
本書は雑誌「俳句」昭和29-31年、「天狼」昭和34年への寄稿。
つまり終戦10年熟成して、ようやく戦中戦後について発表できたものなのではないか。
西東三鬼ほどのコスモポリタン・ダンディスト・モダニズスト・エキゾチシズト・コズモポリタン・ボヘミアンにおいてすら、戦禍が過酷だったのではないか、と思う。
太宰や安吾を連想するが、その列に並べてもよさそうだ。
ところで本書で光るのは、やはり語学。
相手の言葉がわかるからこそ、壁を作らない……といえば2020年現在の「分断ー批判ー流行り」に迎合しすぎだろうか。
いやいや、外国語で思考を複眼化することは、かつてでも今でも、外国でも日本でも、戦時下でも平和な世でも、「跳び出す力」になるのだ。
この力を持っていたからこそ、作者は、日本人ー外国人ー売春ー惚れた腫れたという重さ、に、ユーモアー哄笑ー含み笑いの軽さ、を追記できた。
いわば太宰にも安吾にもできなかった、性的人間としての別側面を、文学史の壁画に描いてくれた。唯一無二。
それは祝祭のイメージ。読書中、映画「アンダーグラウンド」の音楽を流していた。
神戸つながりで時代を前後して、谷崎潤一郎、久坂葉子、中島らものヘル・ハウス、村上春樹の思春期、を連想してもよさそうだ。
また渡辺温「ああ華族様だよと私は嘘を吐くのであった」をも。
→《チャブ屋(チャブや)は、1860年代から1930年代の日本において、日本在住の外国人や、外国船の船乗りを相手にした「あいまい宿」の俗称。「横浜独自の売春宿」といわれることもあるが、函館や神戸など他の港町にも存在していた。また、食事やダンス、社交など買春以外の目的で遊びに来る客もおり、必ずしも「売春宿」とは言い切れない。》
以上のごときごった煮を、
《この「神戸」の登場人物の大方は、戦争前後に死んでしまうのだが、これは私が特に死んだ人のことばかりを書こうとしたのではない。ひとりでにそうなってしまったのである。何故そうなったかは私には判らない。ただ一つ判っていることは、私がこれらの死者を心中で愛していることだ。》
とまとめてしまえる、抒情と老獪が同時に屹立するところに、西東三鬼の魅力を、読む。
Posted by ブクログ
戦時中の話は戦災や貧困など悲壮感を感じずにはいられないものだが、この本はちょっと違う。かといってふざけているわけでもなく、何か重要な記録を残そうとしているのでもない。ただちょっと(かなり?)風変りな生活の背景に戦争があり、著者と登場人物との関わりが描かれている。それだけなのに面白い。
それでいて広島のくだりはたったの1ページあまりで、圧倒的な米国との力の差を見せつけられた敗戦の現実が表現されている。
良くも悪くも時代の男性目線。女性達の生きざまについての表現に反感を持つ人もいるかな?
shaun martin/7 summer