あらすじ
西欧キリスト教国を「魔女狩り」が荒れ狂ったのは、ルネサンスの華ひらく十五―十七世紀のことであった。密告、拷問、強いられた自白、まことしやかな証拠、残酷な処刑。しかもこれを煽り立てたのが法皇・国王・貴族および大学者・文化人であった。狂信と政治が結びついたときに現出する世にも恐ろしい光景をここに見る。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
西欧キリスト教国を「魔女狩り」が荒れ狂ったのは、ルネサンスの華ひらく十五‐十七世紀のことであった。
密告、拷問、強いられた自白、まことしやかな証拠、残酷な処刑。
しかもこれを煽り立てたのが法皇・国王・貴族および大学者・文化人であった。
狂信と政治が結びついたときに現出する世にも恐ろしい光景をここに見る。
[ 目次 ]
1 平穏だった「古い魔女」の時代(魔女の歴史 寛容な魔女対策)
2 険悪な「新しい魔女」の時代(ローマ・カトリック教会と異端運動 異端審問制の成立とその発展 ほか)
3 魔女裁判(魔女は何をしたのか 救いなき暗黒裁判 ほか)
4 裁判のあとで(魔女の「真実の自白」 「新しい錬金術」―財産没収 ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
中世の、それもルネサンス期のヨーロッパを中心にして起こった
「魔女狩り」について、その内容や背景について書いた本です。
まず、魔女狩りの前段階として、
キリスト教異端者の撲滅のための審問というのがあったそうだけれど、
それが1人の異端者を滅ぼすためならば、
1000人の無実を犠牲にすることをいとわない、という姿勢だったんだそうです。
当時の異端っていったって、
邪悪な感じの悪魔崇拝とかではなくて(もちろん、そういうのもあったかもしれないが)、
カトリックの堕落を嘆いて聖書原理主義になっていった人たちだったりする。
原理主義といえばテロを思い浮かべる人もいるけれど、
もともと原理主義といっても暴力的だと決定しているものではないですよね。
当時のカトリックは免罪符など、お金の力で清浄が買えるとし、
聖職の地位までお金次第というような体たらくなくせにプライドはやたら高くて、
聖職者の下位のものですら一国の王よりも地位は上だなんてやっていたようです。
そういう腐敗した土壌から魔女狩りが生まれていく。
王も聖職者も文化人も科学者も、
社会的に発言力のある人々のみんなといっていいほどの多くが魔女狩りに賛同して、
たくさんの残酷な火刑などによる死をもたらしたわけで。
魔女狩りの前段階に異端審問の制度がととのい、
さらにその前段階にはカトリックの異端を根絶やしにするためのアルビ十字軍が殺戮を行った。
ヨーロッパのこういった血なまぐさい歴史が
現代のヨーロッパ人の奥深さに繋がっているのかもしれない。
また、なにか、この魔女狩りへの過程から社会学的に教訓としうるものって多くあると思う。
権威ある教会や貴族たちがみな魔女狩りに同意するということ、
負の側にオーソリティがついて、それが正しいとされてしまうこと、
これは怖いことだ。
民主主義じゃなかったから魔女狩りだとか異端審問はおこったのだ、
という考えもありそう。
民主的な自由な気風の南フランスから、
自由な思想としてのアルビ派などの異端が出てきたように、
民主的な雰囲気自体がマイノリティだったから、
力で弾圧されたとも見れるかも。
しかし、そうやって民主主義がマジョリティになると、
魔女狩りなどは起こりにくくなるかというと、
アメリカではセイラムで大きな魔女狩りがあったりして。
じゃ、IT革命後の現代ではどうかというと、
炎上だの誰誰叩きだのがあって、
これは一種の軽い魔女狩りの様相を持っているように見える。
カトリック協会は、自分自身が腐っていってだめになっていったせいで、
異端を生んだりなどし、立場が危うくなったのに、
自分のせいには決してしないから、魔女狩りという悲劇を生んだと考えられもする。
自分は絶対に悪くないという立場。
魔女狩りの時代はそういう種類の輩がのさばるんだから、
社会の不公平っていうのは原理的にそういうものなのかな、なんて悲しく思えたりもする。
当時のカトリックをひとつの人格ととらえてると、
自省せよ、内省せよと言いたくなる。
自分の言動や行いを省みることのない人は、
かなり迷惑な人になると日ごろから考えています。
魔女狩りを例にとっても、それは言える。
けして自らの過失や間違いを認めない者は迷惑な者である。
以上から、きっと、ネットの炎上も誰誰叩きも、
それをやる人の多くは、なにか間違いやいたらない点があっても、
自分のせいにしないタイプの人なんじゃないかなあなんて考えたりもしました。
博識で良心的で慈悲深い人という評価をされた人が、
異端審問で1000人だとか焼き殺しているという、
この根本からねじくれてる感じ。
前提がおかしいからこうなるんじゃないのかな。
本書に二度も引用されている言葉ですが、
「人は宗教的信念によって行うときほど喜び勇んで、徹底的に悪を行うことはない」
(パスカル『パンセ』)
というのがありました。
中世ヨーロッパでの魔女狩りでなされる、
拷問の内容の残酷無比さやでっちあげられた罪状の内容の低度の低い汚さを、
本書で知るにつけ、怒りと怖さを同時に感じた。
この一時だけだろうけど、欧米人が嫌いになりましたよ。
まあ残酷だったり汚かったりっていうのは、中世の欧米人に限りはしないだろうけど。
著者ですら、こんなひどい拷問が本当にあったかどうか疑うといっているほどの、
苛烈な内容なんですよね。
よく言われるけれど、よくもまあ人を苦しめる想像力だけは人間って長け過ぎている。
魔女狩りが行われた約300年間で、
その犠牲者は30万人とも900万人とも言われているそうです。
すべて、でっちあげの罪状を自白として言わせられた無実の人たちです。
もう、この時代のキリスト教は、もっとも強い権力を握ってしまった、
カルト団体だとも言えるんじゃないか。
それにしても、拷問の内容の残虐さの説明は苛烈で、
そういうものがすごく苦手な人だと読み進めることができないでしょう。
また、どうして魔女裁判が終わったかについては、
自然消滅とあるだけで、まあ実際に教会の力が落ちて無くなったようなので、
人々が「これは間違っているからなんとかしよう!」と決意して
勝ちとったものではないようです。
そのあたりにもやもやは残ります。
なにせ、さきほども書きましたが、
軽めの魔女狩りみたいなことって今でもありますからね。
原発事故後の放射能にたいする反応のいろいろについてもそうです。
ぼくら人類は、こういう歴史の上に今あって、
立っているものなんだということを知ると、
きっと、自分や他人に対する捉え方、価値観って、
ちょっと変わってくると思います。
今回の読書は、人類の黒歴史をみてしまったな、という感覚でした。
Posted by ブクログ
17世紀に最盛期を迎えた魔女狩りはどういった経緯で起きたのだろうか。キリスト教の魔女に対する捉え方の変化と異端審問から説明している。
また、魔女狩りが起きた社会的背景ついてキリスト教国での比較を通じて述べられている。