【感想・ネタバレ】【電子版限定特典付】 少年の名はジルベールのレビュー

あらすじ

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竹宮惠子の大ヒット自伝が、ついに文庫化!

★文中に多々登場する竹宮作品、書籍執筆時に著者が本当は入れたかった作品の中身(コミック立ち読みファイル)を、主だった12作品・計130頁の参考画像集として電子版だけに収録。


石ノ森章太郎先生に憧れた郷里・徳島での少女時代。
高校時代にマンガ家デビューし、
上京した時に待っていた、出版社からの「缶詰」という極限状況。

のちに「大泉サロン」と呼ばれる東京都練馬区大泉のアパートで
「少女マンガで革命を起こす!」と仲間と語り合った日々。

当時、まだタブー視されていた少年同士の恋愛を見事に描ききり、
現在のBL(ボーイズ・ラブ)の礎を築く大ヒット作品『風と木の詩』執筆秘話。

そして現在、教育者として、
学生たちに教えている、クリエイターが大切にすべきこととは。

1970年代に『ファラオの墓』『地球(テラ)へ…』など
ベストセラーを連発して、
少女マンガの黎明期を第一線のマンガ家として駆け抜けた竹宮惠子が、
「創作するということ」を余すことなく語った必読自伝。

漫画ファンはもちろん、そうではない読者からも
感動の声が続々と寄せられ、
朝日、読売、毎日など各紙書評や
各種SNSで大反響だった単行本が、ついに文庫化。

カラーイラスト増ページ、「文庫刊行によせて」を収録。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

 漫画家、竹宮惠子さんが、ご自身を振り返ってかかれた話。
 主に、故郷徳島から上京してきて、東京で漫画家としてのスタートを切ってから、同じ頃デビューした漫画家萩尾望都さんと大泉で暮らした「大泉サロン」でのことを書かれています。

 後々、プロデューサー的な働きをされる増山法恵さんとの関係。
 少女漫画版「トキワ荘」のように、「大泉サロン」に竹宮さん、萩尾さんを慕って集まってきます。漫画家仲間や、若手漫画家、デビュー前だけど才能の片鱗のある人々。
 竹宮さん自身は、その環境に多大な影響を受けたし、増山さんなどの文学や芸術の教えもあり、充実した日々だったように見えます。
 当時はタブーとされていた少年どうしの愛について描きたい、けれども編集者のYさんとの売れる雑誌を作る立場の人との衝突もあり。
 それでも後に『風と木の詩』となる作品を描きたいという強い思いがあったのだなあと感じました。

 ただ、萩尾望都さんの作品の物語性、その深さに焦りや嫉妬、苛立ちもくすぶっていたのでしょう。
 ヨーロッパへの取材旅行を経ても、萩尾さんへの嫉妬は消えることはなく、袂を分かつことになります。

 後々、「風と木の詩」「地球(テラ)へ」などの作品で、その人気を不動のものにしていきます。

 この本は竹宮さん側の思いを綴ったものです。
 漫画家として、自分の望む作品を生み出す苦しさや、自分が描きたいものが編集部に理解されないことの苦しさが、竹宮さんの言葉で書かれています。
 今までになかった漫画を生み出す、漫画も芸術的なんだと作品で主張する姿勢がすごいと思いました。

 後日、『一度きりの大泉の話』で萩尾望都さんの立場で大泉サロンのことも読んでみたいと思っています。

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2021年12月25日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「扉はひらくいくたびも」のほうが近作だからそれを読んで済ませようと思ったが、念のため大泉騒動の火付け役になった本書も読んでみることにした。
近作は子供時代や親のことまで書かれているのに対し大泉時代前後のことがメインに書かれている。
下井草で萩尾さんに実質別れを言い渡した件は竹宮さん側はわりとあっさりと述べられている。その前後の葛藤は結構克明に描かれてはいるが。
萩尾さんへのお礼のことばも書かれているのでやはり書き表すことによって和解したい気持ちがあったのだろう。個人的には「空が好き!」は当時好きな作品だったが、「ファラオの墓」より前あたりまでは作家としての自分の個性がだせなくて悶々とされていたのが意外だった。浮き草稼業の漫画家生活を大変な努力をして生き抜いてこられ、いつまでも人の記憶にとどめられる代表作を産みだせたのは偉業だと思う。
★★★+0.8

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2021年10月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 増山さんは、東京生まれの東京育ち。本格的にピアノの勉強をしていて、音楽大学を受けると言っていた。あらゆる文化を子どものころから吸収し続けているような話しぶりに、東京の子って、みんなこんな感じなのかぁ、と初対面のときから圧倒されていた。
 彼女が住んでいる大泉学園(東京都練馬区)までは、桜台から電車で15分くらい。やがて私たちは互いに時間を見つけて頻繁に会うようになった。彼女は音大を目ざす浪人生だったから、最初は遠慮しつつ会っていた。
 二人で観に行って一番印象的だったのは、都内で開かれていたバルビゾン派の美術展覧会だ。日ごろマンガしか見ていない私の目には、バルビゾン派は自然描写のなかにも物語性が豊かで、たった一枚の絵に強い世界観があることが堪能できて勉強になった。
 なかでも特に気に入ったのが、魚釣りをしているミレーの『ダフニスとクロエ』。多くの画家が扱っているモチーフだが、その田園風景の美しさに私は魅了された。この絵のポスターを部屋のロッカーに貼り、何が気に入ったのかと思いながらしばらく眺めていた。

 彼女のマンガに対する熱意の源をたどると、そこには必ず文学があり、映画があった。
 お気に入りの作品に関しては、こと細かに情景を描写し、脚本を分析し、登場人物の心理を読み解く。同種の映画作品との比較も得意だったし、文学作品がベースになっている場合は、その原作との違いを考えることがクセになっているくらいだった。比較するなかで対象としている作品がいかに優れているかを力説したり、批評家の考察が足りないことなどでいかにその作品が冷遇されているかを嘆くのである。

 当時は、今よりも編集者の意図というものが、あまりはっきりと伝えられることがなく、まだその技術に乏しかったのだろうか、その判断が的を外れているように感じられることも多く、マンガ家が不満を持つことがよくあった。簡単にいうと企画性が乏しいのだ。というか、最初から企画性がない。
 そもそも執筆依頼の仕方が電話で開口一番、「〇月号に、△ページ描いてくれる? 締切は×日ということで。よろしくお願いします」だけなのだから。
 こういうあまりにざっくりした注文が現在もあるとは思えないのだが、当時はそんなふうに言われて、おしまいということが多々あった。
 私が憧れる打ち合わせや企画会議とは、たとえば編集者が熱を込めてこう言うのだ。「例年この時期に読者が反応するのは、こういうテーマです。それはアンケートや販売部数といった数字からも顕著なんですが、今回はぜひ取り上げていただきたい新しいトピックがありまして、それをこういったジャンルの中で絡めて……」と。考えることが楽しくなりそうではないか。

 食卓を囲みつつ彼女が、「貴種流離譚が、いいよ」と低い声でぼそっと言う。
「えっ、何? キシュリュウリタンって?」
「ほら、光源氏が都から遠ざけられたり、業平が都を離れて東国に下る。要するに高い身分の子が島流しに遭っちゃって、あとで見分がわかるんだけど、それまでは散々な思いをしちゃって、いやしい身分の人に拾われて優しくされながら復讐の機会を待つっていうストーリーのこと」
「ああっ! でも、そんなんでいいの? ありものじゃない?」
「人気があるのは、全部、ありものだよ。絶対に1位取りたいんでしょ?」
 ちなみに彼女は、大っ嫌いなものはどこまで行っても嫌いだが、物語の構造そのものの分析は昔から超得意分野である。
 ここで言う貴種流離譚とは、日本の物語文学の原型の一つだ。もちろん同様のものは海外にも、神話の世界にもある。極めて一般的で様々なヴァリエーションが楽しめる物語類型の一つである。
 高貴な家に子供が生まれる。その子によって親の不幸が予言される。それゆえに子は遠くに引き離される。その子は低い身分の者や動物などに拾われ、大事に育てられる。大人になってからその子は、自分の本当の両親に出会う。捨てられ遠ざけられた子どもは親に復讐する。ラストはもともとの高貴な身分を取り戻し、祝福を受ける。
 若いころというのはその作家性をオリジナルだけに求めてしまいがちだ。自分にはそれができると信じているし、そうありたいとも思う。しかし今回はむしろ類型を積極的に取り入れ、それをどう崩すか、どうひねりを入れるかに躍起にならなければいけなくなるのである。
 たまに私の若いころはこうだったという話をすることがある。学生たちが一番反応するのは、私がスランプに陥り3年間ものたうち回っていた話だ。『脚本概論』という授業を行う最初に、私はまずこう切り出す。
「私が『脚本概論』を教えるのはなぜか? それは私も脚本というものをきちんと勉強せずにマンガを描いてきて、苦労をしたからです。最初、私はこう思っていた。マンガは脚本なんかで作れない。感覚的にコマを紡いでいくことでマンガになるのであって、これをまず文字で脚本として書いてしまったら、最初の作り手としての高揚感は薄れてしまって、思いついたことをその興奮のままに画面にすることはできなくなると思っていたの。だから脚本なんてもので縛られてやっても意味がないと。皆さんのなかでもそう思う人は多いことでしょう。入口くらいまでは勉強するのだけれど、そのうちにポイッと捨ててしまう。でもそうであったがために私がプロになってからどれだけ苦労したか」と。
 言いたいことははっきりしている。いいエピソードもある。でもマンガとしては面白くないし、盛り上がらない。つまり演出というものがよくわかっていなかった。これはやはり学ぶべきものだと思う。先人がいっぱい書き残している知恵に学ぶべきだ。映画でも演劇でも小説でも様々な創作の分野において、「人はどこで感動しているか」とか「面白いと感じているか」の技術があり、そうした「感動」は作ることができるものなのだ。そういうことを『ファラオの墓』を連載するときになって、私はやっと理解したのだった。
 ストーリーを自分でコントロールしきれたときに、やっと長いスランプのトンネルをくぐり抜けたと思えたこと、それは作家としての大きな力になったよ、とアドバイスしている。
 むしろその高揚感をエピソードにしてネームを起こすと、淡々としてしまうこともある。いい話だと思ったのに、なぜ?ということがあって、それをどうやったら盛り上がるストーリーラインにできるかということを考えてみると、やはり脚本術は役に立つ。
 それを覚えておけば、いざというときに字引のように引ける。せっかく先人が研究してくれたことは使わなくちゃ。それを学んだとしても、自分が描きたいものの勢いは減ったりしないということ。学生たちの、すぐにでもマンガとして描きたいという高揚感や胸の高まりは、脚本術に照らして準備する間に減ったりするわけじゃないということも伝えた。

 あなたに「つらい」という感情があったときに、「大丈夫? どうしたの? 元気出して」と、誰かあなたの友達が励ましてくれたとしよう。気にしてくれたのは嬉しい。でも何かが違うと感じないだろうか。その少ないやり取りには含まれない、もやもやとした大きなものが心のどこかにあって、むしろこちらの方が大きいという落差に気が付く瞬間。そもそも私は「つらい」のだろうか……とそこさえも疑い、のみ込んでいる状態かもしれない。しかし、このもやもやを突き止めない限り、なんだか一歩も前へ進めない……。その霧のような塊のベールをはぐように、絵にしたり、文字にしたり、セリフにしたりといった作業が創作の原動力の一つなのではないか。はぎとってみて、目の前にその形が見えるものとして現れたときに、作ったのは自分なのに、自分で驚いてしまったり、ショックを受けてしまったり、不思議と癒されたり、全然違うと思ったり、めんどくさいといえば、非常にめんどくさい作業だ。でもこれをしないと心が前に向かない。そして、その私にとってのもやもやの正体が、読者にとっても、突き止めたかった感情の大きな部分であったということもあるのだろう。たぶんそれが「伝わる」ということなのかもしれない。

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2024年08月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

萩尾望都の「一度きりの大泉の話」を読んで竹宮恵子側も読まねばと思い読んでみたが、ただの自伝だったのでがっかりした。「風と木の詩」をいかにして発表したかの話であるが、それほど大した作品かとちょっとしらけてしまった、特にバッドエンドにしたのは自ら少年愛を否定したかの様だった。少女漫画革命と何度も言っているが、今も少女漫画は恋愛ものばかり、そのせいで映画までクソ映画の連続だ。それに少女漫画に変革をもたらしたのは萩尾望都、山岸凉子、大島弓子だ、竹宮恵子はそこからは外れる。まあ石ノ森章太郎を師事したのが間違いの元だろう。

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2022年06月19日

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