あらすじ
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竹宮惠子の大ヒット自伝が、ついに文庫化!
★文中に多々登場する竹宮作品、書籍執筆時に著者が本当は入れたかった作品の中身(コミック立ち読みファイル)を、主だった12作品・計130頁の参考画像集として電子版だけに収録。
石ノ森章太郎先生に憧れた郷里・徳島での少女時代。
高校時代にマンガ家デビューし、
上京した時に待っていた、出版社からの「缶詰」という極限状況。
のちに「大泉サロン」と呼ばれる東京都練馬区大泉のアパートで
「少女マンガで革命を起こす!」と仲間と語り合った日々。
当時、まだタブー視されていた少年同士の恋愛を見事に描ききり、
現在のBL(ボーイズ・ラブ)の礎を築く大ヒット作品『風と木の詩』執筆秘話。
そして現在、教育者として、
学生たちに教えている、クリエイターが大切にすべきこととは。
1970年代に『ファラオの墓』『地球(テラ)へ…』など
ベストセラーを連発して、
少女マンガの黎明期を第一線のマンガ家として駆け抜けた竹宮惠子が、
「創作するということ」を余すことなく語った必読自伝。
漫画ファンはもちろん、そうではない読者からも
感動の声が続々と寄せられ、
朝日、読売、毎日など各紙書評や
各種SNSで大反響だった単行本が、ついに文庫化。
カラーイラスト増ページ、「文庫刊行によせて」を収録。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
私は少女漫画で育った。「風と木の詩」を初めて読んだ時の驚き。私が生まれるよりずっと前に発表された作品だというのに、ものすごい漫画に出会ったという衝撃を感じた。その「風と木の詩」の竹宮惠子先生。自伝本とあれば読まないわけには行かない。「大泉サロン」での仲間たちとの青春、描きたい漫画をなかなか描かせてもらえなかった苦労、スランプ、そしてどのようにして少女漫画界に革命を起こしたのか。先生自ら語られるお話は大変貴重だ。サンキュータツオさんの解説もとても良く、竹宮先生を評した言葉に共感し感動した。
Posted by ブクログ
あの名作はどのようにして生まれたのか。竹宮恵子さんが語る大泉サロンとその後の日々は、少女マンガの革命を生んだ作家たちが、何を悩みどう踏み出していったのかを描いて心を打つ。伝説でしか知らなかった日々は、その実像を知ると貧乏で情けなくて感動的だった。ああ、また少女マンガを読みたい。
Posted by ブクログ
表紙のジルベールが半端なく美しい。単行本で出たときは、購入するのを躊躇ったくらいだった(苦笑)。文庫本は意を決して購入した。サンキュータツオ氏のあとがきの最初の一文は、「これほどシビれる読後感を抱くことはなかなかない」。思わず膝をたたいていまった。全くそのとおりだった。
この本は主に竹宮先生のデビュー間もない頃から、代表作(問題作?衝撃作?)「風と木の詩」の連載時あたりまでの自叙伝。萩尾望都先生の才能へ嫉妬したり、「風と木の詩」の掲載を熱望し画策する自分を赤裸々に書いている。これを読んでいて竹宮先生は、マンガに対する「情熱」と「冷静」を併せ持ち、マンガ学部の教員に向いているなと感じた。
ちなみに「地球へ…」は、月刊マンガ少年連載時にリアルタイムで読んでいて、別冊総集編も全巻持っている。
Posted by ブクログ
今や少女漫画は、60代80代になった大人をも満足させられる芸術の一部門になっているが、竹宮さんがデビューした頃はまだ、“女子供のモノ”と少年漫画に比べて少し下に見られる分野だった。
かく言う私も、中学生になると、お決まりハッピーエンドの少女漫画に興味を失い、少年漫画を主に読むようになった。
それゆえ、竹宮さんをはじめとする人たちによって、少女漫画界に革命が起きていることも知らず、『風と木の詩』は後から人に勧められて読んだのだった。
今、市民権を得ているBLは、『風と木の詩』で竹宮さんが描きたかったものとは少し違うような気もするが、『風と木の詩』無くしてはあり得なかった、というのは確かだと思う。
駆け出しの頃、こなし切れないほどの作品を抱えてついにパンク、困った編集者たちに「この子どうしよう」と話し合われるところから始まる。
それが、『風と木の詩』の掲載が認められる頃のことになると、「仕事をきちんとこなし、その中身に責任が持てたことは、自立することにつながった」と書かれている。
そこまでの長い道のりが、この作品には主に語られている。
七転八倒のスランプの日々、頭の固い編集者との戦いも描かれるが、読み終えてみると意外なほどに客観的に書かれた印象で、何かを成し遂げた人にとっては、苦しかった思い出も、今の自分にとっては必要な栄養だったと自覚しているように思えた。
ストーリーを書き慣れている人だからか、小説のように読みやすかった。
この本の中で、同業者の萩尾 望都さんはひときわ大きな存在感をもって描かれている。
大いなる親しみと共感がありながらも、彼女の才能への羨望、嫉妬が竹宮さんを苦しめた。
物語的に言えば、最大のライバルであり、乗り越えるべき壁だった。
もう一人。
初期の頃から竹宮さん、萩尾さんと寄り添い、大いなる芸術の知識とセンスを持ち、いつも的確で、時には毒舌とも言える口調でアドバイスをし続けた、増山法恵(ますやまのりえ)さん。
後々まで竹宮さんのマネージャー兼プロデューサーのような立場でともに歩み続けた。
長く支えてくれた担当の編集さんたちにも、合わせて感謝の気持ちが述べられている。
同時代の人として名前が挙がる漫画家の人たちももちろん、竹宮さんの成長の糧となり、少女漫画界の殻を破って革命を成し遂げた大きな協力者であったのだと思う。
Posted by ブクログ
「大泉」の死によせて、竹宮惠子は壮麗な墓へ美しい花を手向けるように語るけれど、萩尾望都はいまだ埋葬も叶わぬその死体と暮らしていると悲痛に告げる。
わたしは10代からの萩尾望都の大ファンであるけれども彼女たちが少女漫画雑誌の表紙を飾っていたころの世代ではない後追いファンで、『一度きりの大泉の話』の読後、補論として『少年の名はジルベール』を読んだ。
非常に整然とした面白い回顧録だった。「頭がよくそつのない何でもできる人」という著者への評価が腑に落ちる。
Posted by ブクログ
萩尾望都の「一度だけの大泉の話」を読んでから、こちらの作品を。
人間が、全く違う視点で同じ出来事を見る、「藪の中」の実話だなあ、と。
そして、萩尾望都が天才であれば、その才能の凄さを分かってしまう努力型秀才の竹宮惠子の苦悩、読んでてヒリヒリと辛かった。
しかし、それを乗り越えたからこそ、「風と木の詩」があり、その後の充実した日々があったのだろう、とも思う。
Posted by ブクログ
私が小学生の頃二つ上の兄が読んでいた漫画は余り興味が無かったが、萩尾望都は凄い綺麗な絵で他の漫画家とは違うと自分の中で勝手に思っていた。漫画は余り読まなかったが、兄のお陰で買わなくても読める環境にはいたようだ。そうこう言っているうちに自分で本屋に行くような年になると、私は竹宮恵子に出会う。萩尾望都に似たような絵柄と他の漫画家と違うBL的な絵が私を刺激する。こんな世界があったんだ。私は竹宮恵子の漫画を買い集め1人で悦に入っては何が凄いのかもわからないまま同じ本を何回も読んでは兄に萩尾望都と竹宮恵子を語っていた。ある日兄は高校を卒業すると、働きながら東京デザイナー学園に入学することを両親に許して貰い、影で漫画家を目指した。私は凄いと兄を尊敬した。2年後何者にもなれずに兄は地元に戻って来た。ホッとした。絵が上手いだけじゃ漫画家にはなれないのだ。出版社から戻って来た兄の原稿を見たがこれが中々上手なんだけど、誤字脱字が多いと講評に書かれていた。笑笑笑 青春映画の様な兄を私は今でも好きだ。東京に行くということが大事なのだ。挫折の先にあるものは行ったもので無ければわからない事だと思う。私は行くという考えすら無かったのだから...と言うか絵が下手なのだ。大泉サロン知っていれば行ってみたかったなァ。萩尾望都と竹宮恵子の若い頃に会ってみたかったです。本当に...
Posted by ブクログ
『一度きりの大泉の話』を読んだので、こちらも読まなければフェアじゃないと思い、読む。
やっぱり竹宮さんは賢くて情熱的な人だなと思う。
萩尾さんの本でもアシスタントに対する注文が非常に的確だったとあったが、この本を読んで納得した。漫画だけでなくあらゆる芸術作品をきちんと研究・分析し、それをどう漫画の表現に活かすかを考え抜いてきた人だと思う。だから大学で教えるというのも向いていた。
徳島大学に行っていたというのも、当時の世間の常識(女の子は学歴は必要ない、親元から通える学校に行くのが当然)を考えると、相当頭が良かったのだと思う。
この本はスランプに陥りながらも『ファラオの墓』を経て、代表作『風と木の詩』を生み出すまでの過程を丁寧に描いている。大泉サロンの見取り図もあり、当時の様子を想像しやすい。
ヨーロッパ旅行の様子も詳しく、外国の情報を得る手段が圧倒的に少なかったあの時代、若い漫画家たちがヨーロッパ文化にいかに刺戟を受けたかがリアルに伝わってきた。また、たかが少女マンガ、と考えている人が多かったのに、いかにリアルに描くかにこれほどこだわっていたことに胸が熱くなった。
当時の少女マンガの編集者は(もちろん出版社のトップも)全て男性で、「女の子はこんなのが好きなんでしょ」という思い込みのもとに作られていたこともよくわかった。そこに「革命を起こす」(自分たちが描きたいもの、読者が本当に読みたいものを描く)ことを意識してやったのは増山さんと竹宮さんだった。萩尾さんも革命的ではあったが、意識的に行ったわけではない。(なのに萩尾さんの方が先に革新的な作品で評価されたことは、竹宮さんを苦しめた。)
『風と木の詩』の連載が決まったあとはすぐに「大学で教えるということ」になっており、24年間は省略されている。
ここが、ちょっとな…と思った。
大泉サロンが解散したのは仕方ないと思う。ゴッホとゴーギャンじゃなくても、才能のある作家が同居するというのは無理があったのだ。萩尾さんを傷つけてしまったことも自覚しているようだし、そこはもうそっとしておいてあげたい。
しかし、増山さんについては、竹宮さんはきちんと書き残す義務があるのではないかな。
言動はきつかったけれど、まさにミューズであり、彼女が竹宮さんに与えたインスピレーションは多大だった。忠告は的確で、美意識の高さ、教養の深さは目を見張るものがあった。何より少年愛を描くという困難を竹宮さんが成し遂げられたのは増山さんがいたからだと思う。
しかし、マンガのプロデューサーという仕事自体が当時は存在せず、彼女の立場は公式には認められなかった。収入だって契約してないとすれば竹宮さんの意識だけにかかっているわけで、それは心許ないことだっただろう。
そして増山さんは亡くなっているのだから、竹宮さんは増山さんと別れる(実際には亡くなる前に蜜月が終わっていたとしても)までを書くべきだったのではないかな、と。でないと増山さんが浮かばれないと思う。
三人の中で、ただ一人(自分の、と言える)作品を残せていない増山さんの気持ちはどうだったのだろう、と思わずにはいられない。
もともと萩尾さんのペンフレンドだった増山さんと竹宮さんが出会い、増山さんの家のすぐそばで竹宮さんと萩尾さんが暮らし、そこに名だたる少女マンガ家たちが集ったというのは本当に奇跡だと思う。
また、上原きみ子みたいな王道の少女マンガ(今となっては古く感じる)がどのように描かれていたのかもよくわかった。
少女マンガの歴史的資料としても貴重な本だと思う。
Posted by ブクログ
萩尾望都先生の大泉の話を読んだので、もうお一方の側面からと思いこちらも。
デビューから「風と木の詩」で地位を確立されるまでの竹宮惠子先生のお気持ち、葛藤が綴られている。もちろん、萩尾望都さんとの日々や彼女に他強いて感じていた感情も。
望都先生の本にも書かれているエピソードともつながり、こんな私的なお話を御二方から聞いていいのかしら…という気持ちになった。
望都先生の世界の感じ方は少し独特なのかも、と大泉の話を読んで感じたので、竹宮先生の葛藤やお気持ちがうまく伝わらなかった故の決別となったように感じた。
気持ちが分かり合えず決別することは若かりし頃には多かれ少なかれ皆経験するところで、きれいにハッピーエンドにはならないのはむしろありふれた出来事のひとつ。
でも、大きな才能が重なり合った大泉で起こった出来事であるが故に、そして愛されるおふたりのお人柄ゆえに周囲の方々も気を揉んだだろうし、あまり関わりのない人たちは引っ掻き回したかもしれないし、なんともやるせない。
当時、一緒にいることが辛すぎて離別を選んだ竹宮先生も、今、思い出したくない静かに暮らしたいと願い大泉の話を出版した萩尾先生も、そのときそのときの気持ちに沿った行動なのだなと思う。
読んで良かった二冊です。
Posted by ブクログ
漫画家、竹宮惠子さんが、ご自身を振り返ってかかれた話。
主に、故郷徳島から上京してきて、東京で漫画家としてのスタートを切ってから、同じ頃デビューした漫画家萩尾望都さんと大泉で暮らした「大泉サロン」でのことを書かれています。
後々、プロデューサー的な働きをされる増山法恵さんとの関係。
少女漫画版「トキワ荘」のように、「大泉サロン」に竹宮さん、萩尾さんを慕って集まってきます。漫画家仲間や、若手漫画家、デビュー前だけど才能の片鱗のある人々。
竹宮さん自身は、その環境に多大な影響を受けたし、増山さんなどの文学や芸術の教えもあり、充実した日々だったように見えます。
当時はタブーとされていた少年どうしの愛について描きたい、けれども編集者のYさんとの売れる雑誌を作る立場の人との衝突もあり。
それでも後に『風と木の詩』となる作品を描きたいという強い思いがあったのだなあと感じました。
ただ、萩尾望都さんの作品の物語性、その深さに焦りや嫉妬、苛立ちもくすぶっていたのでしょう。
ヨーロッパへの取材旅行を経ても、萩尾さんへの嫉妬は消えることはなく、袂を分かつことになります。
後々、「風と木の詩」「地球(テラ)へ」などの作品で、その人気を不動のものにしていきます。
この本は竹宮さん側の思いを綴ったものです。
漫画家として、自分の望む作品を生み出す苦しさや、自分が描きたいものが編集部に理解されないことの苦しさが、竹宮さんの言葉で書かれています。
今までになかった漫画を生み出す、漫画も芸術的なんだと作品で主張する姿勢がすごいと思いました。
後日、『一度きりの大泉の話』で萩尾望都さんの立場で大泉サロンのことも読んでみたいと思っています。
Posted by ブクログ
「扉はひらくいくたびも」のほうが近作だからそれを読んで済ませようと思ったが、念のため大泉騒動の火付け役になった本書も読んでみることにした。
近作は子供時代や親のことまで書かれているのに対し大泉時代前後のことがメインに書かれている。
下井草で萩尾さんに実質別れを言い渡した件は竹宮さん側はわりとあっさりと述べられている。その前後の葛藤は結構克明に描かれてはいるが。
萩尾さんへのお礼のことばも書かれているのでやはり書き表すことによって和解したい気持ちがあったのだろう。個人的には「空が好き!」は当時好きな作品だったが、「ファラオの墓」より前あたりまでは作家としての自分の個性がだせなくて悶々とされていたのが意外だった。浮き草稼業の漫画家生活を大変な努力をして生き抜いてこられ、いつまでも人の記憶にとどめられる代表作を産みだせたのは偉業だと思う。
★★★+0.8
Posted by ブクログ
著者である竹宮恵子先生の自伝
ファラオの墓 執筆中の様子が非常に印象深い
読者の好みの把握、自分の描きたいものと描けるもののバランス、徹底した分析と研鑽
マーケットインのビジネスそのものと感じた
Posted by ブクログ
萩尾望都派だけど竹宮恵子の名に反応してしまうのは、やはりどちらも読み漁った世代だからなのか。デビュー前後のこと、代表作秘話、「大泉サロン」での繋がりなど、これまで知らなかった知りたかったいろんなことを興味深く読んだ。あのときこうなったのはそういうことだったのかーとか(ただコミックス追っかけ派なので雑誌連載中のことはよく知らない)。
後半、風木の最終巻の辺りがちょっと駆け足で、いくつか物足りない部分もあったけど、創作する人にはとても大事なことが書いてあると思う。望都サマの本も探そう。
Posted by ブクログ
少女漫画の大家、竹宮惠子自らが、デビュー当時を振り返ってエッセイとしてしたためた本書。60-70年代、可愛らしい少女しか出てこなかった当時の少女漫画界に、少年を主人公にして精神性をフィーチャーしたり、元祖BL系に踏み込んだり、新たな時代を革命的に作ってきた世代の方。
自分が生まれるよりずっと前の時代だが、萩尾望都作品が好きなので、このあたりの時代の作品にも親しんでいる。その中でも、竹宮惠子と萩尾望都はデビュー前後で同居をしながら描いていた仲間ということで、一括りにされることが多い。しかし、彼女たちは実は仲がよくないようだ…ということをつい最近初めて知り、俄然、竹宮惠子側の話を知りたくなり手に取った本書。
感想は、まず、竹宮惠子と萩尾望都はたぶん性格や性質が正反対。萩尾望都はおそらく、他人の才にむとんちゃくな、職人や芸術家のような人。竹宮惠子は、時代や周囲への感度が高く、マーケット視点やビジネスセンスのある人。思想も嗜好も違う。
竹宮惠子は、萩尾望都に激しく嫉妬するし、売れたいと強く思いながら描くし、やりたいという思いだけで突っ走ってスケジュール管理ができずに編集者を困らせる。熱い想いを語りまくってムーブメントをつくるし、原作者兼プロデューサー的な存在をうまく利用してのし上がったし、花の24年組や大泉サロンという美味しいコンセプトを美しいものとして世間にアピールするし、ゆくゆくは大学の学長にもなる。
まるでビジネスの成功者のような才能のある人だ。
しかし彼女の描く絵の美しさに私は惹かれる。
BL系はあまり好きにはならなかったが、「私を月まで連れてって」のようなチャーミングでキュートなSFコメディは、とってもセンスがあると思ってる。間違いなく漫画家としての才能だって、あるんだよなぁ…
こんな本を読んでおいて今更だけど、好きなフィクション作品はその作品だけで楽しむべきで、決して作り手の抱える現実やどろっとした人間関係は、知らなくても良いってこと…
でも乗りかかった船、今度は萩尾望都側の言い分も知りたくなる。「一度きりの大泉の話」も、読んでみるかぁ…
ちなみに、この本で一番ワクワクしたのは、駆け出しの少女漫画たちが、45日間のヨーロッパ旅行に出かけたところ。いまほど簡単に旅行をしたり、海外の情報を集められない時代に、現地に足を運んで取材旅行をプライベートで敢行した。インターネットもない時代の生の異国体験に、若き才能たちは、どれだけ興奮しただろう。その行動力と情熱は、竹宮惠子を竹宮惠子たらしめた能力の一つだと思う。
Posted by ブクログ
増山さんは、東京生まれの東京育ち。本格的にピアノの勉強をしていて、音楽大学を受けると言っていた。あらゆる文化を子どものころから吸収し続けているような話しぶりに、東京の子って、みんなこんな感じなのかぁ、と初対面のときから圧倒されていた。
彼女が住んでいる大泉学園(東京都練馬区)までは、桜台から電車で15分くらい。やがて私たちは互いに時間を見つけて頻繁に会うようになった。彼女は音大を目ざす浪人生だったから、最初は遠慮しつつ会っていた。
二人で観に行って一番印象的だったのは、都内で開かれていたバルビゾン派の美術展覧会だ。日ごろマンガしか見ていない私の目には、バルビゾン派は自然描写のなかにも物語性が豊かで、たった一枚の絵に強い世界観があることが堪能できて勉強になった。
なかでも特に気に入ったのが、魚釣りをしているミレーの『ダフニスとクロエ』。多くの画家が扱っているモチーフだが、その田園風景の美しさに私は魅了された。この絵のポスターを部屋のロッカーに貼り、何が気に入ったのかと思いながらしばらく眺めていた。
彼女のマンガに対する熱意の源をたどると、そこには必ず文学があり、映画があった。
お気に入りの作品に関しては、こと細かに情景を描写し、脚本を分析し、登場人物の心理を読み解く。同種の映画作品との比較も得意だったし、文学作品がベースになっている場合は、その原作との違いを考えることがクセになっているくらいだった。比較するなかで対象としている作品がいかに優れているかを力説したり、批評家の考察が足りないことなどでいかにその作品が冷遇されているかを嘆くのである。
当時は、今よりも編集者の意図というものが、あまりはっきりと伝えられることがなく、まだその技術に乏しかったのだろうか、その判断が的を外れているように感じられることも多く、マンガ家が不満を持つことがよくあった。簡単にいうと企画性が乏しいのだ。というか、最初から企画性がない。
そもそも執筆依頼の仕方が電話で開口一番、「〇月号に、△ページ描いてくれる? 締切は×日ということで。よろしくお願いします」だけなのだから。
こういうあまりにざっくりした注文が現在もあるとは思えないのだが、当時はそんなふうに言われて、おしまいということが多々あった。
私が憧れる打ち合わせや企画会議とは、たとえば編集者が熱を込めてこう言うのだ。「例年この時期に読者が反応するのは、こういうテーマです。それはアンケートや販売部数といった数字からも顕著なんですが、今回はぜひ取り上げていただきたい新しいトピックがありまして、それをこういったジャンルの中で絡めて……」と。考えることが楽しくなりそうではないか。
食卓を囲みつつ彼女が、「貴種流離譚が、いいよ」と低い声でぼそっと言う。
「えっ、何? キシュリュウリタンって?」
「ほら、光源氏が都から遠ざけられたり、業平が都を離れて東国に下る。要するに高い身分の子が島流しに遭っちゃって、あとで見分がわかるんだけど、それまでは散々な思いをしちゃって、いやしい身分の人に拾われて優しくされながら復讐の機会を待つっていうストーリーのこと」
「ああっ! でも、そんなんでいいの? ありものじゃない?」
「人気があるのは、全部、ありものだよ。絶対に1位取りたいんでしょ?」
ちなみに彼女は、大っ嫌いなものはどこまで行っても嫌いだが、物語の構造そのものの分析は昔から超得意分野である。
ここで言う貴種流離譚とは、日本の物語文学の原型の一つだ。もちろん同様のものは海外にも、神話の世界にもある。極めて一般的で様々なヴァリエーションが楽しめる物語類型の一つである。
高貴な家に子供が生まれる。その子によって親の不幸が予言される。それゆえに子は遠くに引き離される。その子は低い身分の者や動物などに拾われ、大事に育てられる。大人になってからその子は、自分の本当の両親に出会う。捨てられ遠ざけられた子どもは親に復讐する。ラストはもともとの高貴な身分を取り戻し、祝福を受ける。
若いころというのはその作家性をオリジナルだけに求めてしまいがちだ。自分にはそれができると信じているし、そうありたいとも思う。しかし今回はむしろ類型を積極的に取り入れ、それをどう崩すか、どうひねりを入れるかに躍起にならなければいけなくなるのである。
たまに私の若いころはこうだったという話をすることがある。学生たちが一番反応するのは、私がスランプに陥り3年間ものたうち回っていた話だ。『脚本概論』という授業を行う最初に、私はまずこう切り出す。
「私が『脚本概論』を教えるのはなぜか? それは私も脚本というものをきちんと勉強せずにマンガを描いてきて、苦労をしたからです。最初、私はこう思っていた。マンガは脚本なんかで作れない。感覚的にコマを紡いでいくことでマンガになるのであって、これをまず文字で脚本として書いてしまったら、最初の作り手としての高揚感は薄れてしまって、思いついたことをその興奮のままに画面にすることはできなくなると思っていたの。だから脚本なんてもので縛られてやっても意味がないと。皆さんのなかでもそう思う人は多いことでしょう。入口くらいまでは勉強するのだけれど、そのうちにポイッと捨ててしまう。でもそうであったがために私がプロになってからどれだけ苦労したか」と。
言いたいことははっきりしている。いいエピソードもある。でもマンガとしては面白くないし、盛り上がらない。つまり演出というものがよくわかっていなかった。これはやはり学ぶべきものだと思う。先人がいっぱい書き残している知恵に学ぶべきだ。映画でも演劇でも小説でも様々な創作の分野において、「人はどこで感動しているか」とか「面白いと感じているか」の技術があり、そうした「感動」は作ることができるものなのだ。そういうことを『ファラオの墓』を連載するときになって、私はやっと理解したのだった。
ストーリーを自分でコントロールしきれたときに、やっと長いスランプのトンネルをくぐり抜けたと思えたこと、それは作家としての大きな力になったよ、とアドバイスしている。
むしろその高揚感をエピソードにしてネームを起こすと、淡々としてしまうこともある。いい話だと思ったのに、なぜ?ということがあって、それをどうやったら盛り上がるストーリーラインにできるかということを考えてみると、やはり脚本術は役に立つ。
それを覚えておけば、いざというときに字引のように引ける。せっかく先人が研究してくれたことは使わなくちゃ。それを学んだとしても、自分が描きたいものの勢いは減ったりしないということ。学生たちの、すぐにでもマンガとして描きたいという高揚感や胸の高まりは、脚本術に照らして準備する間に減ったりするわけじゃないということも伝えた。
あなたに「つらい」という感情があったときに、「大丈夫? どうしたの? 元気出して」と、誰かあなたの友達が励ましてくれたとしよう。気にしてくれたのは嬉しい。でも何かが違うと感じないだろうか。その少ないやり取りには含まれない、もやもやとした大きなものが心のどこかにあって、むしろこちらの方が大きいという落差に気が付く瞬間。そもそも私は「つらい」のだろうか……とそこさえも疑い、のみ込んでいる状態かもしれない。しかし、このもやもやを突き止めない限り、なんだか一歩も前へ進めない……。その霧のような塊のベールをはぐように、絵にしたり、文字にしたり、セリフにしたりといった作業が創作の原動力の一つなのではないか。はぎとってみて、目の前にその形が見えるものとして現れたときに、作ったのは自分なのに、自分で驚いてしまったり、ショックを受けてしまったり、不思議と癒されたり、全然違うと思ったり、めんどくさいといえば、非常にめんどくさい作業だ。でもこれをしないと心が前に向かない。そして、その私にとってのもやもやの正体が、読者にとっても、突き止めたかった感情の大きな部分であったということもあるのだろう。たぶんそれが「伝わる」ということなのかもしれない。
Posted by ブクログ
まず表紙のジルベールの美しさに惹かれ
やはり竹宮先生は素晴らしいと第一に
思った。
先に萩尾望都先生の、一度切りの大泉の話を
読んでいたのでどちらの立場が良いか悪いか
は別として、大泉サロンと言う場所から
全てがはじまり二人の偉大な漫画家が
誕生した事に読み手の私達は感謝している。
竹宮先生の風と木の詩は、初めて読んだ時
衝撃を受けた。
作画の繊細さも美しく、内容にもときめいた。
この漫画が出版されるまでの、竹宮先生の
苦悩や挫折が全て曝け出している。
萩尾望都先生との出会いと別れは、当事者
同士しか分からない事だと思うが
多くの天才が、伝説の大泉サロンから刺激
を受け私達読者に素晴らしい作品で
夢を見させてくれたのは間違いない。
Posted by ブクログ
萩尾望都の「一度きりの大泉の話」を読んで竹宮恵子側も読まねばと思い読んでみたが、ただの自伝だったのでがっかりした。「風と木の詩」をいかにして発表したかの話であるが、それほど大した作品かとちょっとしらけてしまった、特にバッドエンドにしたのは自ら少年愛を否定したかの様だった。少女漫画革命と何度も言っているが、今も少女漫画は恋愛ものばかり、そのせいで映画までクソ映画の連続だ。それに少女漫画に変革をもたらしたのは萩尾望都、山岸凉子、大島弓子だ、竹宮恵子はそこからは外れる。まあ石ノ森章太郎を師事したのが間違いの元だろう。
Posted by ブクログ
秀才の苦悩と独白。
でも、それだけではなく
個人的には創作の過程や、
ストーリー作りなどにおいて
とても参考になりました。
萩尾望都さんの「一度きりの大泉の話」
の存在が気になり、
まずはこちらからと思い手に取った本です。
動機は不純ですが、
竹宮惠子さんと萩尾望都さん。
少女漫画界の重鎮とされるお二方の、
時代を共有した視点がどうしても
見たかったからです!
因みに、私は年代的に著者の
熱心なファンというわけではないですが、
この本に出てくる方々の凄さは
読めばわかると思います。
圧倒的な天才を前に、
自分の才能のなさに押し潰されそうだった
という竹宮さん。
そこから脱していく過程はまさに、
マーケティング能力と彼女を側で支えた人々、
彼女自身の血の滲むような努力が成せた賜物だと
感じさせてくれました。
Posted by ブクログ
一度きりの大泉の話と並行して読んだ
若かった日々のことを苦々しく覚えている人もいれば、楽しかったことしか記憶に残らない人もいる。
まさしく、竹宮先生は前者で萩尾先生は後者だと思う。
Posted by ブクログ
会社帰りに本屋さんで購入。通勤のお供のはずが、今日も夜更かし。
萩尾望都と竹宮惠子が一緒に住んでたなんて全く知らなかったし、増山さんという存在の凄さに興奮。山岸涼子まで一緒にあの時代にヨーロッパ旅行に行ってたなんて!オールスター感。
映画を観ると萩尾望都と竹宮惠子は映像をそのまま記憶できるので絵面や衣装のディティールについて延々と感想を述べ合う、という記述があり、さすが。
そして70年代の女性漫画家の扱い、少女マンガの制約も興味深く読んだ。
ネームを郵送して…などという通信事情も面白い。徳島ではマンガの新刊を注文しても届くのに3ヶ月かかったとか。
絵の上手い人、才能のある人への憧れを改めて感じる。
この本が書店で目についたのはきのう何食べた?でジルベールジルベール言ってた影響がかなりあると思う。
実は未読の風と木の詩、一度読んでみようかな。
日出処の天子も今読んだら違う感想を抱きそう。