あらすじ
日本の古典文学を愛する一方で、常に現代文学の目撃者たらんとしたドナルド・キーン。深い愛情と冷徹な眼差しが同居する特異な批評精神を発揮し、日本文学を世界文学の域に高めるべく巨大な足跡を残した。『細雪』の秘密を語る谷崎の思い出。川端の前衛主義者としての意外な横顔。自決直前の三島から受け取った手紙。安部や司馬とののびやかな友情。珠玉の追想集にして稀有なる文学論。(解説・尾崎真理子)
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谷崎、川端、三島、阿部、司馬の5名に対する親愛に満ちた論評・エピソード集。いずれも著者のあたたかい眼差しが彼らに向けられている。
谷崎:「この新訳(源氏物語)に費やした四年間を、彼自身の創作に打ち込んでいたならばと思うと、やはり残念と言わざるを得ない。」とは、谷崎に対する最大限の賛辞だと思う。
川端:「美しさと哀しみとの賞讃者にして日本初の前衛映画のシナリオ作者、日本伝統の保護者にして破戒された街の探査者(エクスプローラー)この矛盾した様相が作品に与える複雑さが川端を、現代日本文学の至当なる代表者にしてノーベル賞のふさわしき受賞者にしたのである。」も、至言といえよう。私にとっては難解でとらえどころのない川端の本質を、端的に指摘してくれている。
三島、阿部については、にじみ出る友情が行間からたちのぼる。同世代を生きた著者と彼らの交流には心に沁みるものがある。
著者が最後に司馬を取り上げたのには意外な感を否むことができない。しかし著者は司馬の人柄を愛し、彼の類ない格調高き歴史小説の文体が外国人に伝達することが極めて困難であることを指摘しつつ、「歴史を通じた冷静な認識によって、日本とは、日本人とはと問い続けた。彼は、その著作だけでなく、人となりによっても、国民全体を鼓舞したのである。」と結論付けたキーン氏の洞察には感動を覚える。外国の立場から、日本文学を通じて日本とは、日本人とはと問い続けてくれた著者ならではの指摘だといえると思う。
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崇拝する 谷崎潤一郎 川端康成
親友の 三島由紀夫 安部公房
戦友の 司馬遼太郎
とのエピソードを語った本。大作家たちを惹きつける 著者の翻訳能力や人間力が凄いのだと思う
新潮文庫 ドナルドキーン 思い出の作家たち
司馬遼太郎 評が特に面白い
「バスク民族への司馬の興味は、固有の言語と古代からの文化を保ちながら、自身の国家を持たないこと〜国家主義は 世界平和の最大の障害と考えている」
「司馬は、外国人であっても日本語を完璧に話し、日本文化を愛するのであれば、顔立ちはどうであれ日本人として受け入れるべきと信じていた〜そのような新日本人が増えれるほど〜国家主義的な偏見を抑止できる」
「愛国的な熱意からでなく、歴史を通じた冷静な認識によって、日本とは、日本人とはと問い続けた〜国民全体を鼓舞した」
「司馬の全作品を通じて、非日本人の鑑賞を困難にしている第一の要素はその文体である〜いかなる熟練の翻訳をもってしても、大部分は伝達不可能である」
谷崎潤一郎 評
「彼の小説は〜文学なればこその喜びや、人間にとって永遠不変な事象の反映を求める読者にとって、谷崎を越える作家を発見することは不可能であろう」
川端康成 評
「川端には、作家は政治や社会の参加者たれ、と強いられることが何よりも苦痛だった」
三島由紀夫 評
「三島がくり返し強調した夭折(ようせつ)の美〜桜の花の最大の魅力は、花そのものの美しさよりも、散りやすさにある」
安部公房 評
「土地への公然たる愛情に全体主義を感じとった彼が、愛郷的な態度に対して疑念を抱き、憎悪するまで至った」
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エッセイというには分析的で、でも評論というには温かく…。5人の文豪たちのエピソードもさることながら、キーン先生の偉大さを感じずにはいられなかった。キーン先生のような方が、日本文学のよき理解者・批評者であったことに、本当に心から感謝したい。
Posted by ブクログ
ドナルド・キーン氏が、今年(2019年)の2月に96歳で亡くなったことは、まだ記憶に新しい。外国人でありながら、日本文学や日本文化にこれだけ精通している研究者は、まずいないだろう。
そんなキーン氏が自ら選んだ5人の日本人作家について、特別な思い出を語り記したエッセイが本書である。それにしても、日本の文学史上でも巨匠と言われるようなこの5人について語ることができるほどの親密な関係性を持つキーン氏もまた、恐るべき人物であると思う。
最初の谷崎、川端については、おそらくキーン氏の研究対象としての偉大な存在であったのだと思う。キーン氏は、1953年に研究のために日本へ来たが、居を構えたのは、谷崎邸のある京都だった。谷崎のとの初の接点は、谷崎の書作(「蓼食ふ虫」)の翻訳原稿を谷崎邸に届けたことだったようだ。
キーン氏の人物評を読んでいると、自分なんぞは「エロ親父」「西洋かぶれ」という悪い第一印象をもってしまうが、キーン氏は文学の視点でとらえるならば、谷崎を越える存在はいないとまで評価している。一度代表作「細雪」を読んでからその結論を自分なりに考えてみたい。
次に、川端康成、三島由紀夫と続くが、キーン氏にとっては、当時ノーベル賞受賞に最も近い才能の持ち主と認識していたのは川端よりも三島のほうだったようだ。そしてそのことを川端自身も感じていたようだ。川端の受賞の経緯、三島の自殺と川端の自殺について、キーン氏の視点から述べられている。
また、三島との関係も親密だったようだ。三島の遺作となった「豊饒の海」の原稿には、キーン氏にしかわからない謎が隠されていた。「豊饒の海」4部作の最後の原稿をキーン氏はその年の8月に預かったという。三島に代わって出版社に届けてほしいという名目である。
そして、その原稿には「「豊饒の海」完 昭和45年11月25日」と記されていたという。その日こそ、三島が自決した日であった。そういう謎を提起され、未読のこの4部作に非常に興味がわいている。
そして、キーン氏は阿部公房とも親しかったようである。二人の対話が記された「反劇的人間」についても興味深い。
そして、最終章が「司馬遼太郎」について記されている。キーン氏が、司馬氏と対談した折には、司馬氏の膨大な知識量に感嘆し、その対談における司馬氏のキーン氏に対する心遣いについても感動したという。
キーン氏曰く。「私は司馬の著作を高く評価しているが、小説家としてよりも、素晴らしい人間としての彼が、私の記憶の中で生きている。私のこういう見解は、作品に全身全霊を捧げていた彼をがっかりさせるだろうが、成功した作家を発見することなどより、司馬のような人物を見出すことのほうが、よっぽど稀有なのだ。彼は立派な男であった。その意味は、単に間違いをおかさない、といった月並みなことではない。愛国的な情熱によってではなく、日本人であることの、歴史を通じた冷静な認識によって、彼の著作は国民全体を鼓舞したのである。」
Posted by ブクログ
有名な作家だから読まなかったりしてきた…
そんな作品や作家をドナルドキーンという海外の方が語る…
それだけ日本を知り愛してくれているのだろう。
少し上の世代の方にはとても馴染みがある方のようだ。
文量はとても薄いので、触れてみたい人にはちょうど良い。