あらすじ
小説は人びとの精神と生活のもっとも偽りのない鏡である。本書は、成島柳北や仮名垣魯文の開化期から、森鴎外や夏目漱石を経て芥川竜之介の死にいたるまで、明治・大正期の作家とその代表的作品のすべてを網羅した近代小説入門。円熟した批評家の深い洞察と鋭い批評は、作家たちの思想と作品の価値とをあますところなく解明している。
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この本は日本の近代小説の「簡単な鳥瞰図」を描いている。ここで言う近代とは明治時代に入ってから大正時代が終わるまでを示しているが、著者は「小説が明治以来の日本人の精神と生活のもっとも偽りの少ない鏡」だと述べて、社会と小説の関係を説明するのである。そして、そこから生じる弊害と可能性を見ることの重要性を主張する。
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初版1954年。
この本の近代は明治・大正期で、芥川竜之介が昭和2年に自死するまでの小説史が解説されている。
日本の近代小説の初期に重要な小説家は坪内逍遥で、それからさまざまな小説家が登場する。
著者の文章の流れが明解で、説明が詳しく面白いので勉強になる。
夏目漱石と森鴎外と芥川竜之介は近代小説の3巨人。芥川の師漱石は独自の文明観1つを全ての作品に貫き通し、純文学の枠を超えて読まれた。芥川は芸術性が神がかっている。漱石は自分の命を削ってまで作品を創る姿勢であったし、芥川は「ぼんやりした不安」があると言って自死した。
鴎外は漱石と2人国費で西洋留学。日本代表の小説家でもある。実質的にこの2人が近代文学の2大巨頭。
これから近現代小説を坪内逍遥から読んでみようと思う。古いものの土台の上に成り立っているから、古いものを知らないとわからないこともあると思う。温故知新。
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あとがきに書かれていることが全てのような気がする。幾多の小説家がもがき苦しんで限界に挑みながら到達しようとした目標も、結局はその時代に翻弄されたことで生まれた虚像に過ぎず、従って当時の文学を読み直したところで現代に生きる我々が指針とすべきものは何ら見つからない。
産業革命を経て帝国主義化した西欧列強による植民地化から身を躱す手段として自らが西欧列強に倣うことを選んだ当時の日本は、結局猿真似をしていただけで中身は何一つ変わらなかったばかりか、そのリバウンドが人々の生活に暗い影を落とし社会の様相が一変した。その影を今以てなおも引き摺っているのが現代人である我々であり、小説の発展に命を賭した文豪や小作家たちの夢はそういう意味ではまだ何一つ実現せられていない。
結局、小説を読み直すことは日本という一個の国がもがき苦しんできた過程を見つめ直すことに他ならず、今後日本をどう変えていくかはとどのつまり現代人の課題であるということ。気が重くなった。
Wikipediaでみたのかこの本でみたのか最早思い出せないが、小説は小編言説の略らしい。物語とは区別せらるべきものであると。
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[ 内容 ]
小説は人びとの精神と生活のもっとも偽りのない鏡である。
本書は、成島柳北や仮名垣魯文の開化期から、森鴎外や夏目漱石を経て芥川竜之介の死にいたるまで、明治・大正期の作家とその代表的作品のすべてを網羅した近代小説入門。
円熟した批評家の深い洞察と鋭い批評は、作家たちの思想と作品の価値とをあますところなく解明している。
[ 目次 ]
[ POP ]
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☆☆☆☆☆☆☆ 文章
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
近代小説の誕生から現代小説前までの小説の歴史が概観できる内容だった。近代の小説家の複雑な思考や思想の形を述べるだけでなく、小説同士のかかわり合いや、実績を著作と実名を上げながら説明しているため、とても読みやすかった。
近代小説は特に戦争に影響を受けていると実感した。日清・日露戦争が起こった時期に登場した社会小説というジャンルは、混沌とした現在を生きる自分たちに何かしらの示唆を与えてくれるのではないかと思った。
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とりあえず一周することが目標、と思って流し読み。常識かのように知らん小説家の名前が出てきて刺激になった。数年単位でコロコロと作風の流行りが変わっていたんだなあと思った。
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成島柳北、仮名垣魯文から、芥川龍之介の死にいたるまで、明治・大正期の日本文学を概観することができる本です。
著者は『風俗小説論』(新潮文庫)などで、田山花袋の『布団』を代表とする私小説について検討をおこなっており、ゾラに代表される自然主義文学が作家の個我の解放という意味に置き換えられていったことを批判的に論じていました。本書でも、自然主義から白樺派への流れを同様の視点から描き出しており、いまなお「日本という場所」にひそんでいると思われる問題について考えるための視点を示しているように思います。