【感想・ネタバレ】関ヶ原合戦は「作り話」だったのか 一次史料が語る天下分け目の真実のレビュー

あらすじ

三成と上杉の「挟撃策」、午前中は押し気味だった西軍、迷う小早川秀秋……。通説の「関ヶ原」は完全に覆った! 豊臣秀吉の死後、天下を狙う徳川家康。一方、豊臣政権を守ろうとする石田三成は、上杉家の直江兼続とともに家康を東西から挟撃する策を練る。さらに関ヶ原で西軍は、後年、ドイツのメッケルに「西軍勝利」と言わしめたほど見事な布陣をし、東軍と互角以上に戦いながらも、小早川秀秋の裏切りで敗れた……。小説やテレビドラマ、映画等でおなじみのこれらの逸話は、後世に編纂された二次史料から生まれたフィクションであった。では、同時代の一次史料から関ヶ原合戦を眺めたとき、何が見えてくるのか。最新の研究を踏まえて、従来の関ヶ原のイメージを完全に覆す書。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

時代の節目が楽しい
アフター本能寺
アフター秀吉死去
今まで決めつけていたゴールは、別の物語ではスタートになるんだな
さて、本書の毛利輝元が1598年五大老になったとき、石田三成達四奉行と勢力を作ったにしても、一番巨大だった家康にはかなわない、また前田利家・宇喜多秀家・浅野長政グループも勢力があったらしい。
家康がマウントを取るキッカケは家康暗殺計画
前田グループ脱落
家康は勢力強化を目指し、上杉上洛催促からの成り行きで討伐を仕掛ける
その動きを迂闊と見たのか、次は自分たちの番だと見たのか、輝元(主役は石田)は、討伐に出かけた家康討伐の軍を起こしたのが、関ヶ原の戦いにつながる
今の政治と同じ、同調したり対立したり、相手の失策につっけ込んだりすることで、豊臣政権内でのポジションUP目的のイザコザである(戦国時代の後だから戦争含む)
なのに
どうした輝元
お前が集めたのに、土壇場で家康と(コッソリ)和睦なんて、応仁の乱よりも訳が分からない!

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2020年05月02日

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