【感想・ネタバレ】失われた近代を求めて(下)のレビュー

あらすじ

島崎藤村と国木田独歩を中心に、「自然主義」との関わりから日本近代文学の核心を衝く。そして、明治維新の前年に生まれた夏目漱石、尾崎紅葉、幸田露伴、正岡子規、一つ年下の北村透谷──明治生まれの第一世代の群像から、近代文学の成り立ちに迫る。

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Posted by ブクログ

上巻に続けて読む。

藤村の「破戒」は、中学生の頃に読んだ。破戒の意味も判っていなかった。橋本さんは、主人公は新平民として差別に対し、いたって鈍感な人物と説く。新平民として活動する猪子蓮太郎の思慕。「言えない」を主題としたとする。僕は、全然読めていなかったんだな。

国木田独歩は辻原昇さんが書評の本で取り上げていたので読み返した。さらっとマイペースに自然主義を達成した人。「武蔵野」読み返そうかな。

本署の論考は、再び藤村に戻る。嵐山光三郎さんが藤村を批判した文を読んだことがある。現在の世評でも酷評されていると思う。姪と関係し、責任取らずに逃げる。そしてそれを暴露する。肝心な部分をぼやかしながら。橋本さんは罪を償う為ではなく、「もう幸福だから白状してもつらくない」と思ったからとする。橋本さんの分析は細部を切り分け、納得させられるものだけど、藤村を読もうという気にはならないなあ。

漱石について。ぼっちゃんは近代教育を受けただけの前近代人とする。清=調子はずれでマヌケで、しかし善なる豊穣を持ち合わせて慈しんでくれた前近代への愛情を小説は語っている。関川夏央原作、谷口ジロー作画の「坊ちゃんの時代」を思い出した。

北村透谷についてページを割いているのが不思議。透谷の墓は何度か見た。自由民権運動に身を置いたことや素封家の奥さんとの結婚も頭に入っていた。成程、早熟の天才だったんだな。生活に疲れた晩年は八つ当たりのような論争を起こしている。

最後の紅露時代が一番馴染みが無い。尾崎紅葉と幸田露伴。正岡子規は二人の文章は井原西鶴の文体をまねたものと云う。何を言いたいのか言わないままで、雰囲気らしきものを伝えながらダラダラ続いていく文章。
江戸の遊郭は疑似恋愛を提供する場所。恋愛が生まれてしまうと破綻する。相手を好ましく思う二人は好きという感情を表明しない。自分の軍門に下れと、より相手に惚れさせるゲームをする。露伴の寝耳鉄砲はそういう小説とのこと。
終盤に「五重塔」についての分析もある。小説の筋は知っていたが、橋本さんは主人公ののっそり十兵衛の心象が殆ど語られていないと指摘する。郎円上人に信用されていなかったと誤解したときの心根は、まるで義太夫のようだ。
露伴の長女の幸田文さんの小説や随筆は読んでいるので、なんとも不思議な印象。

極めて散文的なレビューとなった。あとがきの「近代をやりなおす」ということはどういうことだろうと考えてしまった。

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2026年06月06日

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