あらすじ
習近平体制下で、人々が政府・大企業へと個人情報・行動記録を自ら提供するなど、AI・アルゴリズムを用いた統治が進む「幸福な監視国家」への道をひた走っているかに見える中国。
セサミ・クレジットから新疆ウイグル問題まで、果たしていま何が起きているのか!?
気鋭の経済学者とジャーナリストが多角的に掘り下げる!
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Posted by ブクログ
今中国では、アリババ、テンセント、ファーウェイといったIT企業が目覚ましい発展を遂げる一方で、中国政府は監視カメラの設置やIT企業に対する統制によって監視国家を形成しているようにみえる。デジタル社会の到来は、非常に大きな利便性をもたらす一方で監視社会を作り出している。そして中国の人々は、それを忌避するのではなく、むしろ歓迎しているのではないか?それは決して民主化が遅れているといった中国固有の問題ではなく、人類共通の課題なのではないか。筆者の問題提起はここにある。
香港への弾圧や台湾への強行姿勢、ウィグル族の強制収用などから、中国は権威主義的で民主化されていない国、というイメージが強い。そのため中国で行われている監視カメラによる監視やインターネットの統制について聞くと、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』の世界をダブらせてしまうことも多いようだ。しかし、むしろ“オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』が描く世界のほうによっぽど近い”と筆者は指摘する。
『すばらしい新世界』で描かれた世界では、“人々は煩わしい家族関係や、子育て、介護などから解放され、やりがいのある仕事を持ち、不特定のパートナーとの性的関係を含む享楽的な生活を謳歌して”おり、“人々が己の欲望のままに振る舞ったとしても、決してそのことで社会秩序が崩壊すること”はない。「安全」で「便利」な社会なのだ。
中国では、モバイル決済を運営するアリババやテンセントが提供する「信用スコア」が普及している。ネットショッピング、モバイル決済、ネットの人間関係、保有資産、学歴などのデータをもとにAIがスコアを算出する。このスコア基に融資の審査からその人の社会的信用までもが評価されている。一見不気味なようにも見えるが、このスコアを上げれば、学歴もなく大きな企業に勤めていない人でもお金を借りることができる。(日本では企業や役所などの組織に勤めていないフリーターはクレジット審査通過が難しくお金を借りることもできない。)行政の電子化も急速に進んでおり、かつては日本以上に数多の申請書が必要であったが、今では顔認証技術に基づいたスマホ・アプリだけで完結するようになり始めている。利便性は格段に向上している。監視カメラ網についても、犯罪の抑止、摘発に効果を示している。「安全」、「便利」さと「プライバシー」を天秤にかけ、「中国の消費者はプライバシーが保護されるという前提において、企業に個人データの利用を許し、それと引き換えに便利なサービスを得ることに積極的だ」と、検索サイト最大手百度の創業者であるロビン・リーは言う。“近年の中国社会、特に大都市は「お行儀がよくて予測可能な社会」になりつつある”。
新しいデジタル・テクノロジーが発展していくに従って「監視社会化」が進行することは不可避のように思える。それは日本も例外ではない。それではこの監視社会にどう対峙していけばよいのだろうか。 “テクノロジーの導入による社会の変化の方向性が望ましいことなのかどうかを、絶えず問い続ける姿勢をいかに維持するかということに尽きる”。これが筆者の結論である。
民族や宗教による紛争、気候温暖化などの環境問題、ますます加速するテクノロジーの進歩。多様な価値が鬩ぎ合い、答えが見つからない世の中で、むしろ人は誰かに決めてもらいたいと思っていることが多いのではないだろうか。議論によって正しい答えを導き出すよりも誰かにうまくコントロールしてほしいと願っているのではないだろうか。専門家ではないふつうの人々が、高度化するテクノロジーの中身と効果を確認し、その運用を決定していくには、相応の努力が必要であろう。
Posted by ブクログ
「こういう本は今の日本では売れないだろうなぁ・・」と「こういう本が出版される間はまだ大丈夫かなぁ・・・」というのが、本書を読み進める時に感じた最初の感想だった。
世の中に数多ある中国すげー本でもなければ、中国はもうすぐ破滅する的な本とも違う、中国で現在進行形の事象と、その現象を進めることが可能になる(ルールや主体ではない)原理を読み解こうという本書は決して多くのターゲットに刺さるものではないだろう。著者の一人である高口さんが担当されている部分では中国の最新事例を楽しむ読む人間はそれなりにいるだろうが、そういった人たちが梶谷先生の部分を噛み締めて読むというのは、あまり想像が出来ない。
難しいし、目の前のビジネスにはあまり関係がないからだ。
しかしながら、中国の為政者・・・というか、法的な対応を検討したり、政策を立案したりする国家と党のエリート層は、必ずこういった思想的な議論を行なっているであろうと、僕は確信している。権力という意味においてエリートである彼らは、同時に知的なエリートであり、どのようにして中国という国家を舵取りすべきかということに対して、常に高度な論理性と世界中の過去から学んだエッセンスを適用しているはずなのだ。こんな難しいこと考えているわけないよ・・・ともし感じるのであれば、あるいは日本の政治を見てそう思うのであれば、それは自らの劣った基準で物事を理解しようとしているからに他ならない。