あらすじ
クルティカは僕にとってまさに理想のクライマーだ ―― 山野井泰史
ポーランドが生んだ偉大な登山家、ヴォイテク・クルティカは、
ヒマラヤの難峰を厳しいラインから、アルパインスタイルで攻略してきたクライマー。
その大胆な発想、先進的なラインは、世界中のクライマーを魅了し続けてきた。
本書は、その登攀と人生を丹念にたどる一冊。
チャンガバン南壁(1978)、ダウラギリ東壁(1980)、ブロード・ピーク縦走(1984)、
ガッシャブルムⅣ峰西壁(1985)、トランゴ・タワー東壁(1988)、チョ・オユー南西壁(1990)……。
アルピニズムの歴史に衝撃を与えた登攀を振り返る合間に、その登山哲学が明らかにされる。
クルティカにとり、山は単なる冒険ではなかった。
人生の本質を見いだすための旅、それはすなわち「山の道」だった。
2017年にアメリカで刊行後、すでに6カ国で翻訳出版された、待望の日本版。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
クライマーとは何かという問いに対して、一つの解であることをはっきりと感じられる良書です。
フリーという言葉にすら縛られず、自由にそして賢く生きる姿がとても印象的でした。
Posted by ブクログ
大切なのは、生きて帰ること。
自分が生きていることの尊厳を証明するために、目標はとにかく高く。ただし標高は問題ではなく、ひたすらルートの美しさをひたすらに求める。
彼らにとってクライミングは日常であり「なぜ登るのか?」は、もはや意味をなさない。とにかく「どうすれば美しく登れるのか?」という問いだけが、彼らには重要。
だが、いったん命の危険が迫った時は、法を犯そうが、家庭を壊そうが、仲間が断固進むを言い張ろうが、とにかく直感が働いた時は、退く、かわす、逃げる。
ポーランドの登山家、ヴォイテク・クルティカは、間違いなくヒマラヤに数々の偉大な足跡を残した登山家だが、時に入山許可を得るために堂々と嘘をつき、共産主義政権下のポーランドでは資金調達がままならず物資の密輸に手を染め(そして後にそのノウハウを活かして輸入業で身を立て……しぶとい)、ハシシをがばがばと吸い、仲間との調和ではなく自分の求める「美しさ」と「危機回避判断」をいちばんに信じて、パーティとの決裂を辞さなかったという。
信念を貫いた孤高の人。だから生き残れた、と。山に入れ込みすぎて二度離婚されていますが……
1,000m下まで切り立った岩壁の上、この大きく突き出したオーバーハングを越えないと頂上にはいけない。一方で装備が足りず、うかつに降りることもままならない。唯一の光明、思い切ってランジすれば届くあの小さなホールドに指をかけるには……
そんな極限状態で信じられるのは、結局のところ自分がそれまでに壁の上で積み上げてきた自分の身体との対話の経験値しかない。日和ったら、終了。
そもそもなんでそんな危険なことをするのか、というのは本人とっては当たり前すぎてまったく理解できない問いなのだろう。そうしないと生きている感じがしない、ということ。とにかく「自分の尊厳のために全力を尽くせ。しかしどうにもならない驚異が目の前に感じたなら、躊躇せず退け。命がなにより大事だ」と。
そういえば最近、なんか似たようなことを言っていた奴がいたなと思ったら箕輪厚介氏の「死ぬこと以外は、かすり傷」だった。
だからCOVID-19からは、とにかく必死で逃げていい。空気は読まなくていい。経済なんて無視していい。命が大事。生きるためには知恵をつかえ。結局、自分の尊厳を担保してくれるのは、自分だけだから、なんとでも納得できるはず。
それにしてもクルティカ氏、めちゃんこイケメンですね。