あらすじ
出身家庭と地域という本人にはどうしようもない初期条件によって子供の最終学歴は異なり、それは収入・職業・健康など様々な格差の基盤となる。つまり日本は、「生まれ」で人生の選択肢・可能性が大きく制限される「緩やかな身分社会」なのだ。本書は、戦後から現在までの動向、就学前〜高校までの各教育段階、国際比較と、教育格差の実態を圧倒的なデータ量で検証。その上で、すべての人が自分の可能性を活かせる社会をつくるために、採るべき現実的な対策を提案する。
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Posted by ブクログ
地域による学歴格差はいつの時代もあり、世帯収入や学歴などの住民の社会経済的な格差拡大へつながり、児童・生徒の学歴達成を左右し得る教育環境の差になる。
23区で教育意識が高いのは、「大都市だから」ではなく、「近隣住民の大卒割合が高いから」である。すなわち、集合的な階層(近隣階層)によって、人々の選択、行動、意識は変わる。
どの高校に入ったかで大きく異なる高校生活を送ることになり、学校間で卒業後の進路に大きな差がある。
中流階級の親は子どもの生活に意図的な介入を行うことで望ましい行動、態度、技術などを形成しようとする「意図的教育」を行うのに対し、労働者階級・貧困家庭の親は大人の意図的な介入がなくても子どもは育つと考える「放任的養育」を行う。
親学歴は父母の学校行事・保護者活動の参加頻度と関連があり、父母の学校参加頻度の増加は児童の学校への適応化を促している。
小学校入学までの幼児教育で形成される小学校入学時点での学力が、小4時の学力と関連している。
「子どもの意志」に任せた上での大学進学率は両親大卒で65%、両親非大卒で32%と、「子どもの意志に任せる」というが、「子どもの意志」は生まれた環境によってだいぶ異なる。
「小さな学校」として子どもの自由を尊重し、部活や補修・課題を廃止すれば、公教育の枠割は縮小し、「生まれ」は今以上に直接的に引き継がれる。
多くの生徒が学習せずに時間をゲームやメディアに使うのは、他に打ち込めるものが見つからないから。
Posted by ブクログ
参考文献として読んだ。社会的格差が教育格差につながるよってことを様々なデータを使って何度も主張している感じ。ちょっと飽きた。今うちの大学にいるから松岡教授の授業とってみようかな。
Posted by ブクログ
前半2/3ぐらいはSSM調査の結果を示すことに費やされているが、冗長な上、解釈にも慎重な姿勢が目立っているので読んでいてちょっと疲れる。
著者の主張は最後の一章。われわれには生まれによってそれぞれに異なった「ふつう」が与えられる。子供のまわりの「みんな」もそれぞれ階層化されており、日本全体の平均とは全く異なっている。「みんな」に合わせているうちに進学していく子もいれば、大学進学が珍しい高校に入学する子もいる。
スタート地点である親のSES・教育度が小学校時代の学習時間、学校への親の関与率、通塾率、メディア消費時間(YouTubeなどを眺めたりする時間)、大学進学率、、、とその後も格差を全く縮めることなく引き継がれていくという。
これを打開するには「平等」な教育の廃止、すなわち、同じ学校の同じクラスにいるから、と同じ教育を与えるのでなく、能力別の教育によって優秀なものは優秀さを追求するシステムが望ましいという。現代の日本のように、独自の価値判断や自由な風潮を強調して学校教育の間だけ表向きの平等を維持したとしても、最終的に労働市場に出た時には労働市場の価値基準で評価されることになる。
Posted by ブクログ
データで環境による学力格差を表した。学力格差を埋めるために、データをもっと収集し、教職課程で教育格差の履修を提案している。
現在の日本の学校の機能は、学校という集団社会での生活方法を伝えること、学力によって選抜することである。
1990年代までは、地方の方が教育意識が高かった。しかし、現在は、三代都市圏内の方が高い。また、教育環境が不利な状況からでも、大卒になる人が多かった。現在は、教育環境が不利な状況の人は大学になりにくい。つまり、教育格差は拡大している。
幼児教育期
親が大卒以上である場合の方が意図的教育をする傾向にある。→親が高学歴であるほど、子どもの教育に関するスタートが早い
例
良い音楽を聞かせる、子どものテレビ視聴時間が短い、生活の中で時間管理をしている など
小学校
親の学歴によって、世帯収入は、子どもが大きくなるにつれ拡大。→教育にかけられる金額も変わってくる。また、学校間で格差がある。学校によって、「当たり前」「ふつう」といった感覚に差が生じているのである。
そのため、意図的養育に差がある
例
読書量の差、大学進学への期待度に大きな差、習い事、メディア視聴時間 など