あらすじ
表現力、論理的思考力、コミュニケーション力・・・「生きる力」を育むアート鑑賞
「どこからそう思う?」って聞いてみて!
これからますます求められる「主体的に学ぶ力」はどうすれば伸ばせるのだろう?芸術鑑賞の手法としてニューヨーク近代美術館で生まれ、効果抜群の学習スタイルとして幅広い学年・教科、さらにはビジネス界にも広がり始めた「対話型鑑賞」の入門書。
★新たな学習法として注目高まる「対話型鑑賞」、待望の入門&実践書。
★実際の授業のやり取りの様子、幅広い教科・分野での実践事例を紹介。
★新学習指導要領が目指す「主体的・対話的で深い学び」を促す手法としても有用。
対話型鑑賞とは・・・作品についての情報や解釈を専門家や教員が一方的に伝えるのではなく、鑑賞者自身の思いを尊重し、グループでの対話を通して作品を味わっていく鑑賞法。1980年代にニューヨーク近代美術館(MoMA)で生まれた。鑑賞力だけではなく、観察力・批判的思考力・言語能力・コミュニケーション能力といった総合的な「生きる力」の育成につながる手法として、他教科での応用や企業研修への導入が進んでいる。
第1章 問いかけの魔法――対話型鑑賞とは何か
第2章 学びを促す仕掛け――対話型鑑賞の4つの柱
第3章 ある日の「教えない授業」
第4章 対話が生まれる理由――授業の中で起きていること
第5章 さまざまな分野で「対話型授業」
第6章 ナビゲーションの実践
第7章 よりよい学びの場づくりのために
第8章 対話型授業がひらく未来
ニューヨーク近代美術館で始まった「対話型鑑賞」。これを4年間かけて、美術にとどまらず全教科に応用・普及させた愛媛県。本著は対話型鑑賞の基礎とその可能性を具体的に提示する待望の一冊。――京都造形芸術大学教授福のり子
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
ニューヨークの現代美術館(MoMA)で生まれた「対話的鑑賞」の実践方法やその効果について紹介している。
知識に基づいた鑑賞だけでなく、「どう感じたのか」、「何がそう思わせたのか」という問いを中心に鑑賞のワークショップが行われ、主体的な学びにつながっていく様子が印象的。
実践例を与えながら易しい文体で書かれていて読みやすい。
Posted by ブクログ
対話型鑑賞のエッセンスはビジネスにも日常生活にも適応でき、観察力・論理的思考力・創造力・表現力・コミュニケーション力を養うことにつながる。
本書を読んで重要だと感じたことは、問題を発見し、論理的に思考し、情報共有を行うことで新たな価値観、思考に気づけること。
答えのない問いに答えがないからこそ考えることは、自らが成長するために必要な要素の1つだと学んだ。
Posted by ブクログ
対話的鑑賞は知識がいらず、子供と直島に行ったときに大きな考え方の指針になった。教育分野の本だが、子供と美術館や博物館に行くときのヒントとしても役立つと思う。
Posted by ブクログ
対話型美術鑑賞の技術を学ぼうシリーズ。実際の授業の様子を再現してくれており、現場での進め方や生徒の反応、それに対するコーディネーターの対応などがとてもよくわかる。「どこからそう思う?」「そこから(さらに)どう思う」という問い。「一つのものを見て対話する」ことで意識の共有が生まれやすいこと。「教える側・教わる側ではなく、みんなで話すこと」「一見問いのような、実は答えであることを見抜く」「すでに理解していることを承認してあげる」「察しの悪いナビゲーターになる」ことなど。ただ、事例が小学生中心なので、大学生や大人が対象となると更なる工夫が必要かもしれない。
Posted by ブクログ
なんとなく読み始めたのだが夏休みの終わりに刺激になった。ふりかえりがなかなか書けない子どもたちのことを思い出す。言葉にすることを面倒くさがらないことが大切だよなぁ。
Posted by ブクログ
子どもとの対話型鑑賞の手法と、他分野への落とし込み、対話型鑑賞を行う際の注意点について。
アサーティブコミュニケーションやモンテッソーリ系の子育ての本を読んでいると、共通ているなと感じる内容もあるが、後半部の実例QAはウッカリ気を抜くとありそうな事例で、時間を置いてもう一度再読したい。
でも、恥ずかしながらこの本で対話型鑑賞というものを知り、もう少し深く読み込みたいなと思いました。
Posted by ブクログ
具体的に対話型鑑賞の授業でのやりとりのケースまで読ませてもらえるので、ファシリの具体的イメージを膨らませるのにいいかも(^^)
4月から美術館勤務になる友達に読み終わったあとそのままあげちゃった(^^)
Posted by ブクログ
視覚的教材を用い、教師が前提となる知識などを一切教えず、子供たちにより自由なを促す授業の取り組み方についての本。
教師がその役割を担うナビゲーターが、どんな声かけをし、どんな役割をすればいいのか、どんなことに気をつければいいか、子供たちがどんなふうに変わっていったか、どんな発言をしたかなどが詳しく書かれている。
子供たちが視覚的教材の中で見つけたこと、感じたこと、疑問に思ったことを自由に発言する。その際、大切なのが、「どこからそう思ったのか」という声かけ。なぜそう思ったのか?より、どこからそう思ったのかの方が、根拠がしっかりと作品の中に見出せるということだった。
目指すのは
[不確実性の中で自ら課題を見出していける人材、未知のことにも自分の頭で考え答えていける人材]
自分の感情を言語化する人の意見を、本当の意味でよく聞く(聞きたいことだけ見たいことだけを見るのではなく)の大切さを感じられた。こういった授業をしていたら、確かに、自分の感情が何に基づいてされたのかを見つけ、もっと思ったことを言ってみよう、考えてみようという意欲が発現するだろうと思う。ただ、同時に、自分でもはっきりとわからず、口惜しいのだが、大きな落とし穴があるような気がして怖さをずっと感じながら読んでいた。
答えのある問いが、悪者のように捉えられているのを時々見かけるが、問いの種類によっては、答えがはじめからあるのではなく、そこに多くの先人たちの観察や経験や熟考の末に答えがあるのだということを、どれほど考慮してそう言っているのか、疑問に思う。発展は、先人たちが積み上げてきたものをベースに、それをさらに新たな視点や工夫を重ねて時代に合わせてなされているものだと思う。そのベースの十分の知識なくして、思ったことを感じたことを話して、一定以上の実りがあるのか疑問に思った。
昨今見聞きする発表や対話形式の発表などの中には、雄弁に語ってはいるが、内容がないものが非常に多く、発信すること自体に重きが与えられ、発信内容についての重さ濃さが薄れすぎているように感じる。
小学生低学年のうちから、この教えない授業で書かれているような、気持ちを言語化し、人に伝え、人の意見も聞くということを癖付けて、学ぶ意思を増大させて、実際に多くの学びをしていけば、内容も一定以上のレベルに達し、社会の問題を解決できるようになるのではないかとは思った。
最近、短い間だったが、授業をする経験をさせてもらった。この本を読んで思い返すと、もっとここは子供たちの感じたこと、考えたことを聞いて、膨らませて、発言をしない子からも引き出せるものがあるとよかったなと反省する点が多々出てきた。私が受け持った授業は主要教科ではなかったので、それが比較的できやすい環境にあった。しかし、これが主要教科だったとしたら、膨大なことをインプットしないといけない今の教育内容や試験内容である限り、そんな贅沢な時間が取れるのか、教員に余裕があるのか?子供達にさらなる負担をかけることになるのではないかと感じた。
Posted by ブクログ
・コメントする。
・考えを聞く「どこからそう思う?」
・視点を広げる「他にはありますか?」
・考えを深める「そこからどう思う?」
・考えをもっと深める「さらにそれについて考えることはありますか?」
・指図:ポインティング
・言い換え:パラフレーズ
・集点化:フォーカシング
・結びつける:コネクト
・情報を提供する:インフォメーション
・全員を参加者にする
・こまとめ:サマライズ
Posted by ブクログ
(あまり本の内容と関係ない感想)
作品を鑑賞する時、いつも言葉にできない込み上がる感情があるかないかで判断してた。
おそらく自分の経験や好みを無意識に照らし合わせているんだろうけど、言葉にできない。でもそういった作品もなんでそう思うのか問い続けることで、学び、新たな発見が自分の財産になるのかもしれない。
あとは例え好みではない作品でも見方を変えればおもしろく見れるという可能性が湧いてきた。
一目惚れでも徐々にでも、いろんな作品を観て好きな作品を増やしていきたい。
Posted by ブクログ
指導者(教師)がファシリテータをつとめるときに、学習者に寄り添いながら一緒に学んでいくことがた
いせつなのは分かる。が、実際にどういう感覚なのか今一つ掴みづらい。小学校2年、3年生で、追試してみた。確かに授業は盛り上がるのだが…。どこで交通整理するかは教師の腕や経験、知識(ひけらかさずもっておくのは必要だと思う)がものをいうのは変わらない気がする。教材研究がとても大事。
Posted by ブクログ
MoMAのアートを通じたラーニングメソッドでもある感じ、表現し、そして学ぶ。それを日本式に置き換えて導入した愛媛県などの事例を交えて新しい授業の形を紹介する本。残念ながら、それが成功しているという事例を感じないということはあるが、、、いずれにせよ強制的に導入するのではなく、自ら生まれてくる疑問とそれをファシリテートするファンクションが必要で、自分の経験を思い起こしても、それが毎週、10年間通ったアトリエの画家の先生だったことに気が付く。何を書きたいの?どうして書きたいの?そうかそうか、書いてみよう。小さかったころ、緑の木々が好きだった。黒田清輝の絵を模写しながら緑で塗っていくと先生が、この絵の緑って、本当に緑かな?と聞いてきた。その時、衝撃が走ったのを覚えている。あ、黒い、、これは陰に入っているからだ、あれ白いところもあるぞ、、、これは光が当たっているんだと。そういう気づきをMoMaは絵と向き合う方法として提示していて、決してそれ単体が究極的に学力やアートの力を伸ばすことにはならないのだと思うが、こうした考え方をする子供と、そうでない子供とで大きな差が生まれていくのは間違いない。見る、考える、話す、聞く。このシンプルなチャートを回す。それぞれ、丁寧に、じっくり見ること、なんでそう思ったのかかんがえること、感じたことを伝えること、そしてそのフィードバック、また他の人の新しい意見に耳を傾けること。インプリが非常に難しいし、本書でも苦悩している事例を多く提示しているのが特徴だが、これって大人が学んだほうがいいような気がする。絵を見て説明がきを見る時間が、絵を見る時間より長い人がいる、これは「13歳からのアート」でも記載されていたと思うが、絵と対話するというのは感じるということなんだということに気がついた。今週はMoMAに行ってみよう。
Posted by ブクログ
2020.07.14 ビジュアル・シンキング・ストラテジーの日本版。日本にアレンジしたものなのでそれはそれで参考になる。ぜひ、試してみたいと思います。高校生や大学生、社会人の事例も知りたいと切に思います。
Posted by ブクログ
どうしてそう思う?という問いかけに対して40%は個人的な解釈が入る。どこからそう思う?の問いかけには解釈が20%しか入らず、事実ベースの発言が74%を占める。
小学生の授業が検証対象になっていたけど、大人の会議なんかでもよく起きることで、個人解釈の発言が増えると同じイメージを共有することが難しくなり、議論の停滞やアウトプットの段階で「なんか違う」が起こってしまう。学校の先生の役割がナビゲーター/ファシリテーターになっていくというイメージが具体化できる内容だった。
と、同時に自分が小学生時代に毎日授業してくれていた先生は何を教えてくれたんだろうか?その時の自分の頭の中では、クラスメートの頭の中では何が起きていたんだろうか?と悪い意味でなくノスタルジックな気分になった。5教科全部を教える小学校教諭の可能性(責任)の大きさを再認識。毎日同じ授業を受けているはずなのに、学力差や嗜好の違いが生まれるのはなぜだろう?