あらすじ
「えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい」「「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい」──この世界への鋭敏で繊細なまなざしから生まれたやさしくつよい言葉たち。彗星のように短歌界にあらわれ、2009年、惜しまれながら二十六年の生涯を閉じた夭折の歌人のベスト歌集が没後十年を機に未発表原稿を加え待望の文庫化。
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はじめてしっかりと、詩というものを読んだ。
たった数行の詩のパワーはときに、小説が作り出す世界をはるかに飛び越える。そのことを深く実感する体験だった。次はいつこのような体験ができるのか、不安になるほどよい本。
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こころがふるえる瞬間と、きらめきと、少しばかりの切なさが、ぎゅっと三十一文字に閉じ込められた短歌集です。「もうそろそろ私が屋根であることに気づいて傘をたたんでほしい」という短歌が心に残りました。「「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい」という短歌も、繊細で瑞々しい感性が、優しかったです。
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美しくて、素で、ひかりまばゆい。
「美しい」なんて陳腐な言葉で言うのは恥ずかしい。なにがどう美しいのか説明・言語化できないとダメだよなぁ。
どれを読んでも切ない。思春期の頃のよう。
すべてがくっきりはっきりしていて、ひかり輝きするどく尖り、空気も風もパチパチはぜるようだったその頃。いつももどかしく急ぎ焦り、ちよっとしたことが痛くて苦しい。
きれいな感性を持ち続けることの、なんと難しいことか。
少し、フジモトマサルさんの世界に似ていると思った。
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短歌集は本作品が初めて。
突飛な作品も多く意味を汲み取ることが難儀ではある。でも、著者の世界の結びつける力の特異さ、達観した視点が全編を通して感じられた。
作品の裏に隠された虚脱感を、表現によって少しのユーモアを交えて非現実的なものへ昇華していり。そこに著者の世界に対する根源的な信頼感があるように思える。その優しさに触れるようで、作品から生への肯定を受け取った、そのような体験。
折に触れて何度も味わいたい作品です。
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特にすきなうた5つ、わたしの解釈と想像
p18.葉桜を愛でゆく母がほんのりと少女を生きるひとときがある
母だと思っていた母が、わたしの知らないわたしの生まれる前の、母が母ではなかった時の表情をふとみせたとき、知ったときのおどろきとはがゆさ
p19.蜂蜜のうごきの鈍ささへ冬のよろこびとして眺めてをりぬ
はちみつがとろとろしないようになることで冬の寒さと季節の移り変わりに気づく。なにげない日常を取りこぼさない繊細さ
p72.ひろゆき、と平仮名めきて呼ぶときの祖母の瞳のいつくしき黒
ひらがなはなぜかかわいくてやさしい。名前を呼ぶ祖母のやさしい声色と、そのときの美しく強くやさしい瞳の色
p108.しあきたし、ぜつぼうごっこはやめにしておとといからの食器を洗う
ぜつぼうしてもいい、でも目の前にはやらなければならないこと。これにまだ気づいてやらなければと思えるうちはきっと生きていける、ぜつぼうをごっこあそびにして現実を生きることで今日のわたしは救われる
p135.生きてゆく返しきれないたくさんの恩をかばんにつめてきちんと
恩返しはきっと、まだ生きていくわたしが、きちんと生きていくこと。日々わたしを大切にすること。わたし自身がもらった命を生き抜くこと。
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とにかく衝撃的で凄かった。自分の世界観では到底築けない言葉の流れを目の当たりにしてただひたすらその文字を追って想像を膨らますばかりになってしまった。
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この歌集は、ブク友のまことがコメントですすめてくれて読んだ。
2009年に二十六歳で亡くなった歌人、笹井宏之のベスト歌集が文庫化されたもの。未発表だったエッセイや詩、俳句も掲載されている。人間のみならず、風とかテレビなどの無機物に対しても優しいまなざしを向けている感じがして好きな作品ばかりだった。本は気づくと付箋だらけである。
いくつか、特に印象に残った短歌を紹介したい。
「スライスチーズ、スライスチーズになる前の話をぼくにきかせておくれ」
つぼみより(きみがふたたびくるときは、七分咲きにはなっていたいな)
廃品になってはじめて本当の空を映せるのだね、テレビは
ひろゆき、と平仮名めきて呼ぶときの祖母の瞳のいつくしき黒
ひきがねをひけば小さな花束が飛びだすような明日をください
夏らしきものがたんすのひきだしの上から二段目で死んでいる
影だって踏まれたからには痛かろう しかし黙っている影として
スプーンに関心のある親指とない小指とのしずかな会話
「とてつもないけしごむかすの洪水が来るぞ 愛が消されたらしい」
(この短歌は、もしかするとこの歌集で一番好きかもしれない短歌。大量の「けしごむかす」で愛の大きさを表現したのが凄いなあ、と思った)
風という名前をつけてあげました それから彼を見ないのですが
生きてゆく 返しきれないたくさんの恩をかばんにつめて きちんと
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最初の数歌を読んだだけで涙がでました。
あまりに歓びが体を飛び出そうとするから、
私は思わずこれを紹介してくれた方々に「これは凄すぎる!教えて頂きありがとうございます!」とメッセージを送っていました。
言葉が繊細とか、やさしいとか、そういうことだけでは説明のできない。
このうつくしい世界の、注ぎ込む言葉の雨を、全てをかけて短歌にして、詩にしていってくださった、という印象だった。
このひとの短歌にであえてよかった。
言葉にはどこまでもまだ知らない平原がひろがっていることが証明されたと思います。
Posted by ブクログ
気になった歌に付箋つけたら「だらけ」になるし、だんだんと好きな基準がわからなくなってくるし、イメージの奔放さに刺激を受けて周囲の情景が短歌に変貌してくるので何度も立ち止まってしまうし。読み返したら、もうほんとんどの歌に付箋付けてしまいそう。
冬の野をことばの雨がおおうとき人はほんらい栞だと知る 笹井宏之
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永遠解く力?永遠と口から?タイトルへの違和感から始まる。
フィクションが短歌になるとノンフィクションめく感覚が楽しい。
生活で使わない言葉が出てきて、新鮮でハッとする。
言葉に色、重さ、強さ、香りがあることを教えてくれる。
優しい刺激が心地いい。
日々鈍感に生きる我々を突き刺すように、筆者の鋭い感性が流れ込んでくる。
ー『この星に消灯時間がおとずれるときも手を繋いでいましょうね』
ー『ひきがねをひけば小さな花束が飛び出すような明日をください』
ー『つぎつぎと星の名前を言いあてるたそがれの国境警備隊』
どこかホッとする、絵本の一ページのような詩が特に好きでした。
懐かしさと温かさであふれた作品です。
Posted by ブクログ
笹井宏之さんの生涯は26年でした。
Wikipediaによると、インフルエンザからくる心臓麻痺で亡くなられたとのことです。
宏之さんは長らく身体表現性障害を患っておいででした。
病名すら、初めて目にした私です。
穂村弘さんによる『短歌のガチャポン』の解説で、
「えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい」
を初めて読んだときは、一瞬"永遠と口から"…?と思ってしまい、下の句でそれが正しくは"永遠解く力"だと分かっても、この短歌を感じ取ることは難しかった。
"永遠を解く"って何だろう。。。
けれど今回『えーえんとくちから』に触れて、突如として様々なことを感じることとなった。
もしかしたらだけど、
病状の辛さがご本人には永遠に続くとさえ感じられ、その永遠を解く力を下さいと欲する歌なのではないか。
自らの力で切り開こうとする彼が、力強く思えた。
永遠を「解いてください」ではなく、「解く力をください」と歌う宏之さんだからだ。
人生が病と共にあっても、彼の歌たちの多くはキラキラと眩しくて、
鳥や魚になったり、ある時は樹になり、
私には、少なくとも短歌の中では、永遠から解き放たれた宏之さんを感じた。
病が体を支配する瞬間も詠まれている。
それでも、彼がご家族に向ける温かなお気持ち、遠距離である恋人との心模様は、色鮮やかで自由だ。
彼の中で青色は恋人、赤色が愛を、象徴するカラーだったのかな。
ヒツジグサが歌われているのを目にしたときは、涙してしまった。
私事ながら今年の1月に父が亡くなる少し前、
父と、ヒツジグサの名前の由来は、
14時(ひつじの刻)に"花開くからか"、それとも"花が閉じるからか"、
などとメールで語らいあったのを思い出したからだ。
いくつか、宏之さんの短歌を挙げてみたい。
「ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす」
深い愛。
優しさと、温かさ。
包み込みながらも邪魔はせず、永遠にただ一本の樹となって実を落とす。
「切れやすい糸でむすんでおきましょう いつかくるさようならのために」
これ、彼が病だからではなく、全ての人に当てはまると思う。
人はいつか、一人で旅立ってゆくのだから。
「かまきりに祈られているおばさんを優しくよけて公園に着く」
本来カマキリがこのポーズをとっている時は威嚇で、こんな表しかたがあるのだと衝撃を受けた。
「すまいらげん 決して滋養強壮に効くくすりではない smile again」
先日宮沢賢治の"永訣の朝"のレビューでも触れたけれど、"あめゆじゅとてちてけんじゃ"や"Ora orade shitori egumo"のような、"話し言葉の呪文"に思える。
不思議な響きと効果がある。
"えーえんとくちから"も、そう思う。
"すまいらげん"は文字にすると確かに滋養強壮剤のようで笑ってしまうけれど、本当は"smile again"。
その仕掛けにニコリとしてしまうけれど、「もう一度笑って」と言ったのか言われたのか。
誰かの笑顔が失われてしまってるから、詠んだのですよね?
『えーえんとくちから』には短歌だけでなく、彼の俳句や詩もおさめられている。
『再会』という詩が印象的だった。
「さかなを食べる
さかなの一生をざむざむとむしる
さかなは死体のように
横たわっている」
このあとも続くのだが、"ざむざむ"という独特のオノマトペが胸を掴む。
この詩だけでなく短歌にも、"ゆっ と片手でつかむ"であるとか、"ふぁーんとひかる"など、初めて目にするのに絶妙に感じ取れてしまう擬音が多々ある。
そして続く
「二00八年初春、投網にかかった魚」に対し、
「二00八年初春の投網が
あすのわたしを待ち受けているかもしれないのだから」
と言うのだ。
ドキリとした。
投網にかかるとは死を表している。
けれどこの詩は、ここで終わるわけではなかった。
続きはこうだ。
「きれいにたべてやる
安心して、むしられていろ
そして、
今度は二00六年夏のオホーツク海で
奇跡的な再会を果たそうではないか
ただしく、まったきさなかよ!」
"まったきさなか"は、食物連鎖の最中か輪廻転生か。
この詩は死に怯える詩ではなく、"再会を果たそうぞ!"という詩だ。
またも眩しく明るい。
本当は奮い立たせているのかもしれないが、それはご本人にしか分からない。
彼の第一歌集より「あとがき」もおさめられている。
何故なら笹井宏之なる歌人は第二歌集まで出しており、本書はベスト歌集だからだ。
ご本人の言葉で、現実の厳しさと短歌への思いが語られていた。
「自分以外のすべてのものが、ぼくの意識とは関係なく、毒であるような状態です。」
過酷すぎて、私には想像も出来なかった。
温かな家族に囲まれ、恋をして、色鮮やかで、心は自由に万物に姿を変えても、
現実にはそれらは、ある時は希望であり、ある時は毒だった。
それでも想像してみたものの、
"短歌は救いだったのかな?"という考えも、
一瞬で、呑気な健常者の、実に安易なものだったと思い知らされた。
彼は言うのだ、
「ぼくにとって、文学とは遠い存在なのです。
何に感銘を受けるでもなく、気づいたら自然と短歌をかいていました。」
少し話が逸れるが、1つ前にレビューをあげた
太宰治『ろまん灯籠』の中の『散華』に登場した三田君を思い出した。
彼の原隊からの手紙。
まさにそれは"文学からは程遠く、気付いたら自然と書いていた"ものではなかったか?
だとしたらちゃんと、太宰はそれを汲み取っていた。
ここでも私は浅はかであったことを思い知った。
誰かが心を揺さぶられて書き留めた文章はもうそれだけで詩や短歌や小説に値するものなんだなぁ。
この1冊は間違いなく、私の宝物となった。
希望を感じるのだ。
宏之さんの生み出す短歌や詩をもっと目にしていたかったと、強く思う。
けれど宏之さんは、この世の全ての事象になったのですよね?
私たちは、春の光を感じ、夏の風をうけ、秋の空を見上げ、冬の雪を踏みしめ、肉や魚を食べ、木々に触れ、しっかり生きてゆけば良いのですよね?
なんだか、私の父もまたこの世の全ての事象になったのだと思えて、気持ちが満たされました。
有難う御座います。
Posted by ブクログ
最近読んだ歌集で1番好きかもしれない。
穂村弘よりすき。
感性に共感できる歌はとても共感できるし、
意味わからない歌も、わからない理解できないけどなんかいいなって思ってしまうものが多かった。
えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力をください
めっちゃ謎の魔力あって頭の中でループしてる。
Posted by ブクログ
2025年64冊目
★★★★☆
#えーえんとくちから #笹井宏之
過去の #Chapters 本。
初めて短歌集に触れました。
初めはサラっと読もうと思ってたけど、一句一句噛み締めて読みたくなったので思ってたよりじっくり読んだ。
笹井さんのお父さんが書かれているあとがきを読んで、さらに深まる句が多かった。
難病を抱えて、寝たきりの生活を送っていた笹井さんが、世界との繋がりを感じるための手段が短歌だったというのが伝わってくる。
くすりとできるものから、みんな人生観を感じるものまで気に入るものに出会えるんじゃないかなーと思いました。
Posted by ブクログ
以前、Eテレの「理想的本箱」で紹介されていた
笹井宏之氏の『えーえんとくちから』を再読。
「えーえんとくちからえーえんとくちから
えいえんとくちからをください」
初めて聞いた、呪文のような言葉。
何言ってるの?と、
テレビの画面の方に振り返る。
えーえんとくちからえーえんとくちから‥
本当に呪文みたい。
そしてその謎の言葉が、解説によって
漢字変換され、"永遠解く力"だと、
ようやく分かる。
「えーえんとくちからえーえんとくちから
永遠解く力をください」
26歳という若さで生涯を閉じた、歌人
笹井宏之氏のベスト歌集の文庫本。
「はなびら」と点字をなぞる
ああ、これは桜の可能性が大きい
ねむらないただ一本の樹となって
あなたのワンピースに実を落とす
葉桜をめでゆく母がほんのりと
少女を生きるひとときがある
ゆびさきのきれいなひとにふれられて
名前をなくす花びらがある
ひとりでにりぼんむすびになっていた
ひもの痛みの、はかりしれない
戦争が優しい雨に変わったら
あなたのそばで爪を切りたい
きれいごとばかりの道へたどりつく
私でいいと思ってしまう
花束をかかえるように猫を抱く
いくさではないものの喩えに
これ、短歌なんだよね、と、改めて気付く。
どの句も瑞々しく、痛々しいほど繊細で優しい。
26歳という若さからの美しい句なのか、
今だったらどんな句を詠まれただろう。
そんな事を、この歌集を読むたびに思う。
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笹井さんの当時の状況を知ったことでよりそれぞれの歌に情景が浮かんでくるようで、切なさを感じつつもやさしい語り口に心を落ち着かせられる。好きと思う歌についてここが好きとか語りたい気持ちと、自分の平凡な言葉で表したくない気持ちがせめぎあう。せっかくやさしい言葉に触れたので、難しいことは考えずに好きな歌を残しておくことにする。
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手のひらのはんぶんほどを貝にしてあなたの胸へあてる。潮騒
この星に消灯時間がおとずれるときも手を繋いでいましょうね
切れやすい糸でむすんでおきましょう いつかくるさようならのために
ばらばらですきなものばかりありすぎてああいっそぜんぶのみこんでしまいたい
暮れなずむホームをふたりぽろぽろと音符のように歩きましたね
きれいごとばかりの道へたどりつく私でいいと思ってしまう
本棚に戻されたなら本としてあらゆるゆびを待つのでしょうね
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某書店のほんぶくろフェアで購入。
「とてつもないけしごむかすの洪水がくるぞ愛が 消されたらしい」
たっぷりと春を含んだ日溜まりであなたの夢と少し 繋がる
好き、というかハッとした。こう、薄く広がっていく愛みたいなのがいい。
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この本で印象的だったのは、
風という言葉が、何度も出てきたこと。
若くして亡くなった作者にとって、
風がいのちを表しているのかと
わたしは感じた。
どんな人が書いたのかを知ることも、
読書の奥深く楽しむ一つだと思う。
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NHKの理想的本箱で紹介されていた本。
あまり句集を読んだことないからすごく新鮮。
若い時分の清々しさもありつつ、病床で紡がれたどす黒さみたいなものが混在していてそれがまたユニーク。
「この星に消灯時間がおとずれるときも手を繋いでいましょうね」が一番好き。
Posted by ブクログ
歌集。未発表の俳句と詩も含まれる。
喫茶店に置かれていて、手にとってめくったらもうこころ惹かれてしまった。透明なあかるさと隠れながら対比される影、そんな抽象的事象があるとしたらきっとこの本があてはまると思う。
Posted by ブクログ
言葉の美しさと、立ち上がる情景、視点が行き来して、ふわっと広がる世界に魅了されました。
読み返すタイミングで見えてくる情景が変化してきそうな、繰り返し読みたい歌集でした。
Posted by ブクログ
NHKの番組の中で触れられていて、興味を持ちました。
まず、タイトルに心がつかまります。
『えーえんとくちから』って何?!
私の頭にまず浮かんだのは「永遠と口から」何かが溢れ出すイメージでしたが、全く違った。
「永遠解く力」でした。
若い感性に溢れた、瑞々しさのある作品集でした。
ことばの力、を感じます。
短歌っていうと、難しくてとっつきにくさを感じますが、これは違いました。自由で翼をつけて色んなところに飛んでいったり、羽を休めたり。
一瞬の切り取り方が本当に上手。
中には自分の想像力では、たどり着けないものもあったけれど、「コレ好き!」と思えるうたが沢山あって、手帳に書き留めてしまいました。
その中でも私が特に好きなのは、ユーモアが組み込まれたもの。
『切れやすい糸でむすんでおきましょう いつかくるさようならのために』
『とてつもないけしごむかすの洪水が来るぞ 愛が消されたらしい』
そして、自分と同じことを考えていた人がいたんだ!と嬉しく思ったのが
『本棚に戻されたなら本としてあらゆるゆびを待つのでしょうね』
です。
きっとお気に入りのうたが、見つかるはず。
Posted by ブクログ
絵本のよう。今読むと、すてきさも苦手さも絵本に似ている。笹井宏之にかぶれた人たちとわりと交流してきたので読みながらいろいろ去来したし、いまの私にとっては結構はずかしい感じが多かった。なんてか短歌は喋りすぎる。
いいなと思った歌はフレーズメモへ。
Posted by ブクログ
笹井さんが書かれる言葉には、色があって、温もりがあって、匂いがあるような気がする。
パキッとした原色ではなくて、淡い水彩画のような色を纏っている。
ひらがなにはひらがなの、漢字には漢字の色がついていて、さわりごごちがある。
えーえんとくちから
永遠解く力
子どもの目がみるえーえんと、成長した自分が見る永遠と、その2つは違うもので、でも一本の線で繋がっているものだ。詩を読んで、そう感じた。
笹井さんの世界には、空気にも触感がある。強烈な個があるわけではなくて、私というくっきりとした輪郭があるわけでもない。でも、色があって匂いがあって温もりがあって触感がある。
えーえんとくちから、わたしにもください。
Posted by ブクログ
思いの外、知っている歌が多くて驚いた
知らず知らずのうちに、笹井さんに何度も出会って生きてきたんだなあ
ぼんやりしていたのがはっと我に返るような、そんな気持ちになる歌が多い
好きな歌を書き留めようと思ったけど、あんまりたくさんあったので諦める
初めて笹井さんに出会った本は覚えている
『桜前線開架宣言』
この本も好きな歌が多くて、この時はせっせと書き溜めた
◇ 「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい
◇ 君の目の水平線を染めてゆく太陽というさみしい組織
Posted by ブクログ
初期の作品はピュアで瑞々しい。
それが次第に諦念とも取れるような歌に。
私にはちょっと前衛すぎる(要は意味わからん)かな…という歌も多かったけれど、この人の今でなければできなかった作品群なのでしょう。