あらすじ
すみれが消息を絶ったあの日から三年。真奈の働くホテルのダイニングバーに現れた、親友のかつての恋人、遠野敦。彼はすみれと住んでいた部屋を引き払い、彼女の荷物を処分しようと思う、と言い出す。親友を亡き人として扱う遠野を許せず反発する真奈は、どれだけ時が経っても自分だけは暗い死の淵を彷徨う彼女と繋がっていたいと、悼み悲しみ続けるが――。
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Posted by ブクログ
すくいがあってよかった
震災、戦争を風化させてはいけない
という”当たり前”の意識に対して
一刀されたような感覚になった場面があった
作者はそれらに対して
フカクフカク考え込んだんだろう
夢なのか回想なのか
誰の視点なのかわかりづらい箇所もあったけど
そこも作者の意図だろうとおもう
これからの人生で
きっとこの物語のことを何度も思い出す
Posted by ブクログ
3回読んでます。構成も好きだし読みやすい。何度も何度も出てくるおばあちゃんが、あーもう立ち止まっていいよと優しく諭す。それを跳ね除けて、そして生まれ変わる。あの震災で亡くなって、魂が洗われて生まれ変わって報われた。あの海まで何度も行く姿が切なくて、サムイボでした。友人の想いもしっかり出ていて私にも伝わった。4回目も必ず行きます
Posted by ブクログ
今年三月まで、東日本大震災で行方不明者は2523人となっています。
行方不明となったすみれの不在をどのように受け止めればいいんでしょうか。真奈は、すみれの死亡を認めずにいて、「形見分け」をする遠野も、仏壇に向かい記憶の「改竄」をするすみれの母も許せない。自分が苦しければ苦しいほど、すみれが近い。一人で暗闇のなかを彷徨うすみれを手放してはいけない。
一方、遠野は暗闇から去ると決め、「すみれはきっと歩き続けるだろう」と、自分も勇気を出して進まなければと考えている。
どちらにしても、現実の時間は生者の悲痛をものともせずに流れていく。真奈は時の移ろいの中で忘れていくことを怖がり、「本当にいいのか」とすみれに問い続け、「遠ざかるものにさようなら以外の言葉をかける方法を探している」(218) のだ。
消えても、流されても、何かが残れている。その残されたものを通じて、死者と会える。死んでも、生きても、きっと暗闇を通り抜けたあと、どこかへと辿り着く――というのは、本作のメッセージだと思います。
Posted by ブクログ
苦しくて。苦しくて。苦しくて。胸がつまる時間だった。〈普段考えないことは心細い。なので、突風にあおられるようにすみれに会いたくなった。〉湖谷真奈とすみれと、遠野くんの物語。フカクフカク。私も物語に引き込まれていった。戻ることも進むこともできない思いに塞がれてページをめくった。〈頭ではわかっても、私のてのひらや、耳や、指先がわからないとぐずり続ける。〉あの日の震災から三年。すみれが居なくなって、三年。〈会いたいねえ〉真奈はすみれが感じたであろう痛みを、恐怖を手離さないことで、すみれとの繋がりを保ち続けようとしていた。もう帰り道もわからなくなってしまった魂のすみれ。〈たくさんの約束も、大事にする方法がわからなかったことも、町と一緒に流れ去った。大事にしたかった。〉〈どれだけこわくても、痛くても、私のままで帰りたい。〉会いたくて。会いたくて。会いたくて。会いたくて。胸のうちにすみれが居てくれたことに気づいた真奈。学生時代にすみれに聞いた話を意識をせずに自分の言葉に乗せ同僚の国木田さんに話した瞬間、〈こんなところにいたの、と胸の内側に呼び掛ける。血の一しずく、骨の一かけら、私を生きる方向へと押し出す、意識にすら上がらないほんの数秒の思考のうねり。とても、とても久しぶりに、彼女に会えた。〉そしてすみれも。すみれの魂もやがて真奈と遠野くんの元へ〈帰ってきた、帰ってきたよ。大きな声で泣きながら、私は私をすくい上げようとする一対のてのひらへ飛び込んだ。〉震災を自ら経験された彩瀬まるさんだから書けた物語なのだろう。思いが、救われますように。
Posted by ブクログ
毎年3月になると読む本。
あの日を思い出す時、この本を読まなくてはいけない気がする。
今まで何度読んでも分からなかった、ずっと私には分からないと思っていた偶数章が、少しだけわかった気がした。
偶数章は、すみれと、真奈が望むすみれが入り交じった『私』なのではないかと思う。根拠はまだない。
どんなに重くて暗くてもずっと道は続いていて、その先には新しい靴が用意されている。
いつかはフカク、フカク。誰かと想い合いたい。
Posted by ブクログ
震災で失った友人の不在とそこからの再生の物語
友人が震災で亡くなって、海にかえる(成仏?)まで闇の中をさまようながら、思い出せない生きていたときの記憶を探る
奇数章は現実を生きる主人公が、友人が付き合っていた彼氏や職場の店長、同僚、友人の両親、女子高生たちとの時間と会話で少しずつ再生していく
偶数章は友人の視点で、生前深く大切に思っている人たちへの残り香のような繋がりを明確には思い出せないながらもかすかに感じながら、少しずつこの世から消えていく様子が美しい夢を見ているような感覚においる描写
同僚やある女性の言葉からいなくなってしまった人たちはただ消えるだけでなく、残された人たちに何か影響を残していくということが確かに感じられた。
Posted by ブクログ
突然姿を消した親友のことを
いつか忘れようとする周囲に抵抗を感じながら
忘れることってどういうことなのか
何が正しい反応なのかとか
悩み苦しみながらも
自分なりの答えを見つけていく。
読みながら苦しくなるんだけど
大災害とかいつ何があるか分からないし
誰にでも起こりうる状況たがら
目を背けたらいけないと思ったし
途中で本を閉じることが出来なかった。
Posted by ブクログ
「なにが、なにか困ったことはある?だ。あんな電話、しなくてよかったのに。職場のことなど考えず,迷惑をまき散らしながら逃げて逃げて、どこかの温泉にでも浸かってくれていた方がよかったのに。そうしたら、きっと探しに行ったのに。
本当だろうか、と熱いコーヒーを口に含んで自問する。死んだ人間相手だからと、非現実的な絵空事のやさしさを掻き集めていないか。実際にそれをやられたら,私はそれまで尊敬していた楢原店長をすぐさま見下すようになったはずだ。私も同じような目に遭ったことがあるけれどこんな風にはならなかった、なんて弱い人だろうと、さっきのように自分のたった一度の体験を引き合いに出して、わかる部分だけ切り刻み、乱暴に評価しようとしたはずだ。」p129-130
Posted by ブクログ
すごい、よく理解できない様の情景が多くあったけど。読みやすかった。
友達とか家族とかが死んだ時、死者をどういう扱いにしたらいいのか。どういう思いでずっと思い続けてたらいいのか。もう亡くなったんだからくよくよ考えずに潔く天国では幸せだよと言ってればいいのか。それとも、辛かったね。苦しかったね。と辛い思いを代弁するかのような気持ちを持ち続けてればいいのか。
カエルちゃんとキノコちゃんが言ったように、震災や戦争のことを忘れないようにしようと言われるのはもう二度と繰り返さないようにっていう思いが強いと思う。けどそれは教訓であるわけでじゃあ何を忘れないようにしたらいいんだろう。
亡くなった人の気持ちを勝手にこうだっただろうこれからは幸せになって欲しいとかそんなことは考えたくない。これから何を思って亡くなったこのことを考えたらいいんだろう。
ただこれを読んでわかったことは、悲しいこと思い出してずっと記憶に残してくれるよりかはもっと楽しい思い出とか。その子とすごした忘れられない何かをずっと覚えてくれてた方がいいなって。
体のアザが消え時間が流れても火は残る。
店長が築いた店は他の人が入ることで面影もなくなったかもしれないけど。「店長がいつもお店では楽しそうでトラブルが起きても、プライベートでどれだけ苦しんでも常に安定した暖かい振る舞いを崩さなかった。部下が未来の自分を想像して上司へ抱く夢のようなものを崩さなかった。だからこそ私はこの職場で生きていく未来を、困難はあっても楽しいものにできる、と無意識に信じていられたのだ。」
上記の文のような、人にとって素敵なものを残してくれていた。そういうものに気づいていけたらいいな
Posted by ブクログ
私にも大切な親友がいます。
もし真奈のように亡くしてしまったらどうしようと不安になりました。
「形見」という言葉に違和感があるのも凄く分かります。置いていかれたくないし、置いていきたくない。
しかし、「同じ場所にとどまってないと思う。歩いてると思う。俺たちがずっと同じところにいたら、たぶん置いていかれる」
という遠野の言葉に救われたような気分になりました。
Posted by ブクログ
愛する人の不条理な死を目の前にしたとき、人はどのように向き合っていくのか。
亡き人のそのままを残し、過去を生きようとする、亡き人の姿を解釈し、今の一時を乗り越えようとする、亡き人への思いを片隅に未来へ生きようとする…。
「死を乗り越える」とは何をするのか、そんなことを思わされた。
「忘れないって、何を忘れなければいいんだろう」
経験を持たない自分が、教師として何を伝えていけるのか。そんなことも考えてしまう。
Posted by ブクログ
読後に込み上げるこの想いはなんだろう。
ありふれた言葉では形容できない。
生者は喪くした人を日常に探してしまう。
どうしようもなく、その人の痕跡を探してしまう。
それが苦しく、胸をかき立ててゆく。
やがてもう訪れることはないと人は知り、人はそれぞれのやり方で明日への一歩を踏み出す。
それは残された者の抗いの記憶。
その過程を真正面に見据え、丁寧な筆致で描かれた本作は何度も読みたくなる一作。
Posted by ブクログ
『死者への誠実を保てない』このフレーズに改めてドキッとした。
正解なんてない。それに万人に当てはまる方法なんてない。それぞれがそれぞれに消化していかなければならないことだ。
この作品で、それを見守る事で何か少しきっかけや勇気をもらえる気がする。すくんでいる足を動かす気持ちを。
優しく背中に手を当ててくれるような作品だ。
Posted by ブクログ
とても考えさせられる作品でした。残された人たち
の想いが沸々と胸に染みて、現実でも、こういった
境遇の方々がおられる事を改めて実感しました。
悲しい過去を風化させることは良くないが、あまり
にも過去に囚われると上手く生きていけないが、過去について少し考えるだけでも、その先自分の新たな財産になると思うし、戒めにもなると思います。
ノスタルジックな気持ちになりました。
Posted by ブクログ
あなたは、『引っ越すことにしたんだ』と友人から言われて、そこに何を思うでしょうか?
散らかった部屋を片付けよう、綺麗にしようと日頃思っていてもなかなかにそれを実行する機会は持てないものです。今は忙しいから、と理由をつけて、ついつい先延ばしにしてしまいがちです。もちろん綺麗好き、整理整頓好きという方には、そんなことない、と否定もされると思いますが、一般論として、当たり前に続いていく日常生活の中においては、後回しにしがちなことの一つであるとは言えると思います。
そもそも『引っ越す』こと自体が、自身のそれまでの人生を一旦リセットする、『引っ越し』とは、そんな一つの機会でもあるのだと思います。だからこそ、人が『引っ越し』をすると聞くと何かあったのかな?そんな風に詮索する思いが頭をよぎります。
ここに、友人から 『引っ越すことにしたんだ』と、連絡を受けた一人の女性が主人公となる物語があります。そんな女性は、友人からもう一言、『引っ越し』についてこんな風に告げられます。
『俺のところにあるすみれのものは、ぜんぶ処分する。引き取りたいものが無いか、いちおう湖谷にも立ち会って欲しい』。
『引っ越し』に伴って『すみれのものは、ぜんぶ処分する』と語るその友人。そんな言葉を聞いて『すうっと周囲から音が無くなる』のを感じたというその女性。
この作品は東日本大震災によって行方不明になってしまった友人のことを思い続ける一人の女性の物語。そんな女性が、『引っ越し』に伴って行方不明になった女性のものを処分すると聞いて戸惑いを感じる物語。そしてそれは、そんな女性がその先の人生を生きていくきっかけを掴んでいく様を見る物語です。
『私は都内のホテルの最上階にあるダイニングバーに勤めている』というのは主人公の湖谷真奈(こたに まな)。休憩時間になった真奈は『今年二十八になった私よりも、四つか五つ年上』という『キッチンリーダーの国木田』から、『店の入り口に、前に湖谷としゃべっていた男がいた』と教えられます。『思い当たるのは一人しかいなかった』というその場にいたのは遠野敦(とおの あつし)でした。仕事の後『向かいのファミレス』で会うことを約束した真奈は、過去を振り返ります。『まだ大学二年』だった時、『海辺の温泉街』へと友人の卯木(うつぎ)すみれと出かけた真奈は二人で山道を散策します。『私もうハタチなのに、ちゃんとした恋って、したことないのかもしれない』と言う真奈に『ちゃんとした恋って、どうしてもしなくちゃだめかな』と答える すみれ。そんな話をしながら隣の街まで歩いた二人。そして後日、『私には卒業まで彼氏ができ』なかった一方で、すみれは『「付き合うことにした」と言って遠野くんを真奈に紹介したのでした。仕事が終わり遠野の元へと赴いた真奈は『引っ越すことにしたんだ』と打ち明けられます。『俺のところにあるすみれのものは、ぜんぶ処分する。引き取りたいものが無いか、いちおう湖谷にも立ち会って欲しい』と言う遠野。その瞬間、『すうっと周囲から音が無くなった』と感じた真奈は、『わ、かった』と『つっかえながらも、しぼり出すように了解』の旨を伝えました。場面は変わり、遠野の暮らす2LDKの部屋で荷物の整理をする遠野と真奈。『こんなの、もらえない』『俺が持ってたってしょうがないし』というやり取りの中で『でも、形見分けってそういうものだろ』と語る遠野の『鋭い言葉に深々と刺され』たと感じる真奈は、『三つ目の箱』から『白いリボンの麦わら帽子』が出てきたのを見て、二人で散策した日のことを思い出します。『三年前、大きな地震がこの国を揺らし、沿岸の町へ押し寄せた津波がたくさんの命をさらった』という『肌寒い春の日』。『最近忙しかったから、ちょっと息抜きに出かけてくるね』とそんな地震の前日に部屋を後にした すみれは『そのまま行方がわからなくな』りました。『あの子は今、どこにいるのだろう』と思う真奈は、結局『麦わら帽子以外の品を選ぶことができ』ません。あの日から三年という時が過ぎても すみれのことに心囚われ続ける真奈。そんな真奈のそれからと、死者となった すみれのそれからが交互に描かれていきます。
彩瀬まるさんの二つ目の長編小説として2016年に刊行されたこの作品。14の章について奇数章と偶数章で視点の主を交互に交代させながら描かれていきます。そんな物語を読んだ読者は恐らく物語前半であまりに茫洋とした雰囲気感に物語の全容が見えない苛立ちを感じることになると思います。それが、
『三年前、大きな地震がこの国を揺らし、沿岸の町へ押し寄せた津波がたくさんの命をさらった』。
そんな一文によって、この物語が2011年3月11日に発生した東日本大震災のことを描いた作品であることに気づかせられます。東日本大震災から11年の時が流れましたが、その衝撃の大きさは未だこの国の多くの人の心の中に深く刻まれていると思います。それは、多くの作家さんの心も刺激するのだと思います。震災後のボランティアによる『きのう』のための仕事を描いた辻村深月さん「青空と逃げる」、二人の”ハル”が3月11日に東京で出会う奇跡を描いた宮下奈津さん「ふたつのしるし」、そして『それぞれの家庭に、それぞれの原発事故がある。それぞれの家庭に、それぞれの放射能被害がある』という原発事故に光を当てる金原ひとみさん「持たざる者」など数多くの小説が出版されています。そんな小説の中にあって彩瀬まるさんという作家さんには、東日本大震災を取り上げる理由があります。”私は、東日本大震災のときに死にかけたけど生きて帰って来られた、という体験をしているんです”と語る彩瀬まるさん。”あのときに、曲がる道が一本違っていたら間違いなく津波にのまれていました”と続ける彩瀬さんは、「桜の下で待っている」という短編集の中で福島のことを取り上げられています。この作品では、そんな彩瀬さんがさらに本格的に東日本大震災に向き合われます。”理不尽な死に遭っても恨みや悔いをあまり残さないように生きる、というのはどういうことだろう”という先に”心を折らずに死ぬにはどうしたらいいんだろう…という気持ちに対して、回答を出せるようなものを小説で書こう”とこの作品に取り組んだとおっしゃる彩瀬さん。そんな物語では、上記で触れた小説群にはないほどに一歩踏み込んだ東日本大震災のあの日、津波が押し寄せるそんな瞬間についての描写がなされていきます。
この作品では、上記した通り奇数章と偶数章で視点の主が交代します。奇数章の視点は『都内のホテルの最上階にあるダイニングバーに勤めている』という湖谷真美視点です。そして偶数章で切り替わるのがまさかの卯木すみれ視点。つまり、『最近忙しかったから、ちょっと息抜きに出かけてくるね』という言葉を残していなくなってしまい死者となったまさかの すみれ視点の物語が展開するのです。”どうしたら説得力のあるように死者を書けるのか、悩んでずいぶん時間がかかりました”とおっしゃる彩瀬が描く すみれ視点の物語。それこそが読者に茫洋とした雰囲気感を与える原因でもあります。そんな展開の中で、上記した、津波が押し寄せる瞬間の描写が登場します。その一部をご紹介させていただきます。
『大きな大きな、地面が割れるかと思うような揺れだった』という街の中、閑散とした駅前を歩く すみれ。そんな中『なにかがおかしい。おかしいのだけど、なにがおかしいのかよくわからない』と感じる すみれは『違和感のある方へ目を向け』ます。『なんの変哲もない松林が連な』る、その『林の奥で、なにか大きなものが動いている』のに気づいた すみれは『なんだろうあれは』と思います。そして、そんな瞬間から『数秒も経たないうちに』、『すぐそばの林からもまっ黒い泥水があふれ出し』ます。『逃げる、逃げなければ、でも道がない』と焦る すみれですがうまく走れません。『全身が恐怖でびりびりと痛んだ』という中に『曇り空を切り裂いて、甲高いサイレンが響き渡』ります。『帰りたい。いやだ、こわい。足が冷たい水にからめとられる』という中に『上体がぐらつき、いつのまにか膝まで水位を上げた波へ前のめりに倒れ込んだ』という すみれ。そして…と描かれていくあの日たくさんの人々の命を奪った出来事を文字にしていく彩瀬さん。“あのときに、曲がる道が一本違っていたら間違いなく津波にのまれていました”というリアルなあの日の現場を体験した彩瀬さんだからこその強い説得力を感じさせるその描写は、あの日あの場所で何があったのかという真実を、そして恐怖の現実を伝えてくれるものだと思いました。そして、死者となった すみれが描かれていくその後の物語含め、体験者の立場から極めて説得力のある彩瀬さんならではの物語がここにあるように思いました。
一方で物語の現実世界の主人公が湖谷真美です。そんな真美は『たとえば災害の衝撃をこの肌で感じていたら、「あんな大きなものに奪われたなら仕方がない」と納得できたのだろうか』というように、あの日から三年を経た今も、変わらず すみれへの思いに囚われています。そんな中、引っ越しによって すみれの遺品が処分されてしまうことに複雑な思いを抱く真美は、『残り少ないすみれの欠片がこの世からなくなる』と感じ、『命や体を奪われ、この上さらに彼女がいたという存在の椅子まで奪われる』という思いに苛まれていきます。『もしかして、新しく好きな人ができたの?』と引っ越しの理由を訝しがる真奈に、『湖谷にはぜんぜん関係のないこと』と反発する遠野。誰が悪いということのない自然災害による結果に起こる諍いがなんとも辛い思いを抱かせる物語は、真奈のその後の日々を描いていきます。
そんな中で彩瀬さんはある登場人物の言葉にこんな思いを託します。
『震災を忘れない、悲劇を忘れない、風化させない。忘れないって、なにを忘れなければいいんだろう。たくさんの人が死んだこと?地震や津波がこわいねってこと?…いつまで忘れなければいいの?悲惨だってことを忘れなければ、私や誰かにとっていいことがあるの?』
11年の時が流れ、言葉としては”風化させてはいけない”と言われてはいるものの、実際にはどんどん過去の歴史の中に埋もれつつある東日本大震災。そんな中にこの彩瀬さんの言葉は強いメッセージをもって私たちに迫ってくるものだと思います。何のために、どうして、何故、”風化させてはいけない”のか、その意味なく言葉だけが独り歩きする現実。東日本大震災による被害の現場にいて、津波被害のまさしく当事者になる寸前だった彩瀬さんだからこその説得力ある物語は、残された人の心の有り様、そして死者の心の有り様という一歩踏み込んだ表現をもって私たちにあの震災の意味を再度思い起こす機会を与えてくれたように思いました。
『私が頭の中で作り出した、夢のすみれだ。こうだったらいいなあと思う幻だ』という幻想の中に生きる すみれへの思いに引きずられ続ける主人公の真奈。そんな真奈は一方で『だけど私は忘れていく。どんどん、どんどん、遠ざかる』という現実を憂う日々を生きていました。東日本大震災から11年の年月が経った今、次第に忘れ去られるあの災害に真正面から光を当てたこの作品。残された者としての苦しみの中に生きる人がいることを、そんな人たちの心の根底に今も強い思いがあることを、この作品を読んで知ることができたように思います。
東日本大震災を当事者として体験した彩瀬さんだからこその強い説得力が物語を強く牽引するこの作品。彩瀬さんの震災に対する深い思いを強く感じた、そんな印象深い作品でした。
Posted by ブクログ
わたしがたまに思い起こすイメージがある。
わたしの前には道が続いている。
でも見えるのは数メートル程度で後は真っ白い光のようなものに覆われていてよく見えない。
でも私がひとり歩ける程度の1本道だから、進む先はわかっていて、早足になったり、ゆっくりになったりしながら私は進み続ける。
辿り着く先は私自身の消滅ということはわかっていて、でも立ち止まっていても時間は流れて私は老いていくから、歩き続ける。
たまに私は後ろを振り返る。
後ろの景色はある程度しっかり見ることができる。
そこには私が出会った人たちや出会ってきたものが見える。生活圏で見た景色や、好きな漫画や映画で観た景色も混ざって、私の記憶とリンクしたイメージとして見える。
隣を見てみると同じように1本道を歩いている人たちがいる。家族や職場の同僚の道はずっと近くあって、たまにとても近くまで接する。街ですれ違う人の道はすぐに遠ざかる。
わたしは近くの道の人とは言葉を交わしたり、触れ合うことすらできるけど、自分の1本道を外れることは決してない。
✴︎✴︎✴︎
私の中で人生や人の縁とはこんなイメージだ。
本作を読みながら、またこのイメージを思い起こしていた。
そういう、人が生きていく中での人の繋がりや、出会い・別れについて、切実に向き合った作品だからだと思う。
本作は2011年の震災で大切な友人・すみれをなくした真奈が主人公。
震災から時間が流れ、すみれの不在を受け入れていく人が増える中で、真奈はすみれの不在を今もどう処理してよいのかわからず、戸惑い続ける。
本作で、すみれは真奈の記憶の中で以外は最初から不在である。
また真奈は作中、職場の穏やかな店長・楢原さんの自死で新たに身近な人の不在を突き付けられる。
大切な、自分の心の一部になっていた誰かを失うことは、たぶん生きることの中で最も辛いことの一つだと思う。
どんなに願っても、どれだけの痛みを感じても、自分自身すらないがしろにしたって死別した者はかえってこない。
本作はその事実をふまえて、でもその事実を消化できない残された人のやりきれなさを柔らかく温かいもので包んで照らすような静かな優しさを感じた。
すみれの光るふくらはぎ。
楢原さんのCDをかける背中と、停滞した水槽のようと真奈が表現した真夜中の店内の空気。
カフェで泣く真奈に声をかけたカエルちゃんとキノコちゃんの逡巡。
国木田さんの静かな気遣いと煙草の匂い。
本作はそこにいなくても活字だけで感じた匂いや空気がたくさんあって、好きなシーンがたくさんある。
あと作中の国木田さんの言葉、
〝ものすごい数の死者の置き土産が積み重なって、今の世の中ができてる〟
〝そんな生まれてもいない、名前だって間に合わなかった存在でも、俺の母親をずいぶん変えたらしい。きっとそういうものなんだろう〟
という考え方が好きだ。
それは今を生きる私たちの希望だ。
Posted by ブクログ
親愛なる友の影を追いかけてまぼろしを捕まえようとするお話。
表現がやさしくて美しいのと、苦しむ人が無理をしないで喪失感とか罪悪感みたいのをなじませていくみたいなのがよかった。
Posted by ブクログ
まなとすみれ、それぞれに共感できる考えや気持ちが多くあった。私は関東で東日本大震災を経験したけれども、あの時東北にいた人たちはもっとすごい経験をしたと思う。私は、この本を通して少しでもその人たちに寄り添うことができるのではないかと思って、この本を手に取った。
Posted by ブクログ
震災で友人を亡くした女性の話。死人はなにも語らない、だから残された人たちは考える。勝手に、思い思いに都合よく、願望や祈りを込めてまっすぐに、よこしまに。死人に囚われるのは間違ったことではないとわたしは思います。主人公の葛藤がつらくて苦しくてかなしくて読んでてぼろぼろ泣きました。震災の描写が迫真的で胸が苦しい。自分はなにも体験してないけれど災害というものは、死というものは、一方的で圧倒的で、横暴で、文章を通じて改めて感じることができてよかったです。苦しいけれど、繰り返し読みたい。
Posted by ブクログ
時折描かれる土砂が流れてくるところで当時を思い出しました。私も被災地出身であり遠い親戚を亡くしました。
真奈のすみれに対する執着というか執念ともみれる愛はすごかった。
個人的には場面展開がわかりづらく読み解いていくのが難しい本だと思ってしまいました。
Posted by ブクログ
2016年第5回新井賞受賞
さて新井賞とはなんぞやと調べてみると
カリスマ書店員でエッセイスト、そしてストリッパーデビューを果たした新井見枝香さんが個人的に推したい本に贈られていたらしい
2023年に終了している
過去受賞作13作を眺めて見たのだけれど、なかなかのセンスと思ったのでした
彩瀬さんが旅行の途中東日本大震災に被災された事から生まれた作品の一つ
親友を震災で亡くした女性と その親友の恋人
ふらっと出かけたまま震災にあい帰ってこない親友の死を徐々に受け止めていく、という章と
亡くなった親友が震災にのみこまれた後の幻想世界.彷徨いながらやがて海の石となり、全てを受け入れたのち、再生に向かうという章
が交互に描かれていく
大切な人を突然失う、苦しい哀しみ
そこに時間が流れていく
時間が解決するものばかりではないが、彩瀬さん自身が過酷な経験から自らも救いたいと描いた作品
残された人達の気持ちの昇華は難しいだろうなと思う.数年を亡くなった友人に寄り添って生きてきた二人が、好きな人ができたと抱き合って泣きながら喜ぶ姿にとても惹かれた
Posted by ブクログ
親友が震災で消息を絶ってから時間をかけて不在を受け入れていく再生の話。
映画化されたけど、ファンタジーなシーンがけっこうあるから実写では厳しいんじゃないかと思ってたらそこはアニメーションになるのかな?映像化でどんな風になるのか観たい。
Posted by ブクログ
震災で親友すみれを突然亡くした主人公の話し。間に、すみれが現世と来世をただよっている話(たぶん)が挟まれるのが、私には違和感があって読みにくく感じた。
生きている人は、周囲の人との関係の中で確実に現実を生きていく。新しい思い出には死者はいない。
大切な人の不在、その現実にどう向き合いどう乗り越えるかはいろいろ。必要な時間もそれぞれ。何が正しいというものでもない。ゴールがあるのかないのかすら分からない。忘れないってたやすく言いたくない。
Posted by ブクログ
東日本大震災。
あのとき亡くなってしまった人たちは、すみれのようにさまよって、何回も何回も繰り返し、最期は会いたい人に会いに行けたのだろうか。
匿名
深い傷と鎮魂
人間の生や死、それから人との繋がりというものを、とても鋭敏に繊細にとらえている作家さんなのだと思う。過激ですらある独特の生死の表現から、震災を間近に体験したという作者の深い傷がうかがえた。
☆3つなのは、私自身がこのように震災を作品として読んで感傷に浸ったりして本当にいいものか、よくわからないから。
Posted by ブクログ
いない人、いなくなった人に自分がどう関わっていくのがいいのか考え、立ち止まり、悩む奇数章は文体が心地よく読みやすかった。偶数章の解釈は難しい、彼女のことを真奈だと思ったりすみれだと思ったりした。
忘れてもいいことにするって大事だね、それも一つの選択肢だ。
映画は見てないけれど気になったので読んだ、震災のこととは別の話なのかなと予告を見た感じでは思うんだけどどうなんだろう、岸井ゆきのちゃんみたさに観とくべきだったな
Posted by ブクログ
偶数章をどう解釈すればいいか分からなかった。だが、自分は東日本大震災の被災者ではないし、身近な人を亡くした経験もない。分からなくて当然なのかもしれない。でも、分かりたい。もっとたくさんのことを経験したあと、もう一度手に取ってみたい。それまでは、すみれのように、歩き続けようと思う。
Posted by ブクログ
物語が始まったと思ったら突然異世界に迷い込む、これは何の話だと思っていたら、東日本大地震で行方不明になってしまった親友すみれの事が忘れられず、新しい生活を送ろうとするすみれの恋人や両親に違和感を感じてしまう。やがて勤めているダイニングバーの店長が自殺したことによって物語は動き出し、新しい彼氏が出来る、なんじゃこりゃ男が欲しかっただけかよ。「余命10年」を読んだ後だからかこのご都合主義の主人公真奈には共感出来ない。確かに理不尽な別れは辛いだろうが、いつまで震災で飯食ってンダよと言いたい。これ映画大丈夫かな。
Posted by ブクログ
まもなく(2022年4月)映画化されると云うことで読んでみたが、私の趣味ではなかった。1章毎に視点が入れ替わってややこしいし、特に偶数章はよう分からん文章。映画も見ないなあ・・・