あらすじ
【2020年10月2日(金)映画公開!】
W主演 佐藤大樹(EXILE/FANTASTICS)&橋本環奈
小説は、好きですか?
今、この文章を読んでいるあなたのおかげで、生み出された物語があるのだと、あなたに知ってほしい。
あなたのせいで、もう書けない。親友から小説の価値を否定されてしまった成瀬。書店を経営する両親や、学校の友人とも衝突を繰り返す彼女は、物語が人の心を動かすのは錯覚だと思い知る。一方、続刊の意義を問う小余綾とすれ違う一也は、ある選択を迫られていた。小説はどうして、なんのために紡がれるのだろう。私たちはなぜ物語を求めるのか。あなたがいるから生まれた物語。
感情タグBEST3
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秋乃の性格が 自分の性格と似ていたこともあって
感情移入をしながら読ませてもらいました.
作家さんと読者というふたつの視点から展開される
物語はとても新鮮で 興味深かったです.
『 世界の行間を読む 』
という言葉 とっても素敵ですね.
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千谷、小余綾、成瀬たちの純粋さが眩しすぎて目に染みる。続刊の意義、物語は人の心を動かすのか?など、実際の書き手側ならば、より身近でグッと来るものがあるのかも。書店員の立場から見た万引きや海賊版サイトの問題などが書かれていて、広がりや現代性を感じた。表紙絵の千谷は、クールな感じに見えて、ちょっとイメージと違うなあと最後までギャップを埋められなかったのでした。
Posted by ブクログ
2018年108冊目。⌈続編の意義」というテーマはなかなか盲点で、それをシリーズの続編でやるあたりにメッセージ性の強さが窺える。書き手と読み手双方の視点から多角的に掘り下げているので話に深みが生まれている。エピソードや展開が読書家の心に響くものばかりで、非常に濃厚な読み応え。
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ふたりの後輩・成瀬秋乃が視点人物にがっつり加わり、友人関係のすれ違いや見え隠れするスクールカーストなど、おそらく作者が無視できない(それを軽視したり書き漏らすことはあってはならないと考えているだろう)テーマも内包しつつ、前作以上に「物語の力とは」をじっくり考えてしまう『小説の神様』続編。
…本作を読むとこういうレビューも考えなしにテキトーにするもんじゃあないなと思うなどする。
Posted by ブクログ
好きな作家さんのシリーズ2作目。
子供の時から年に百冊前後だから、結構な小説を読んだと思うけど、いつもその小説から滲み出てるものを汲み取って咀嚼しようとはしてる。そう言う読者ばかりでもなく、そもそも読む人も減っている現状で、とても息苦しい話ではあります。
本から感じたものは、今の自分を形づくり、支え、周りを彩ってるから、こう言う小説が好き。
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主人公が複数いるが奇しくも同じ悩みを持っている
『小説が好きだ』自分の心に気が付くまでの曲折が
少年少女には死ぬほどの悩みになる
秋乃は小説を紡ぎ出す少女の最初の読者になった
詩凪は自分で小説を紡ぎだせなくなった
一也は「詩凪の小説」と引き出し共著を出す
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間違えてこの続編から読んでしまったが、さほど困らずに読めた。でも、ちゃんと続編として読んだ方が色々楽しめたんだろうな。
自分に自信がもてずにうじうじした性格の人が語り手の割には読むのが辛くない。日常感じてることの表現が透明感があって、登場人物の年齢と合ってて良かった。
Posted by ブクログ
作家と読者側の両方の視点から書かれていて色んな考え方が有って信じたいような話が薄っぺらく感じて残酷な真実が頭に残るのが印象に残った。登場人物がどんな結論に辿り着くのか気になる。
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■小説は、好きですか?
もう続きは書かないかもしれない。合作小説の続編に挑んでいた売れない高校生作家の一也は、共作相手の小余綾が漏らした言葉の真意を測りかねていた。彼女が求める続刊の意義とは……。その頃、文芸部の後輩成瀬は、物語を綴るきっかけとなった友人と苦い再会を果たす。二人を結びつけた本の力は失われたのか。物語に価値はあるのか? 本を愛するあなたのための青春小説。
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久しぶりに読む続編。間が空いてしまったせいで細かいあらずじを忘れてしまっていたが、相変わらずこの作者の小説に対する眼差しというか、姿勢が好きだ。本当に小説が愛おしくて、たくさん悩んだ結果、生まれた小説なんだな、と思わせてくれる。
自分が読んだ小説にどうしようもない感動や興奮を覚えても、いざ他人のレビューを拝見すると自分とは真逆の感想を抱いている人を見て勝手に落ち込む。でも、いざ本屋さんでその作者がピックアップされていると、なぜか自分のことのように誇らしく思える。それはその小説が自分の一部になった、ということなのかな、とこの小説を読んで思った。
読書には読み手の能動的な協力が必要不可欠、という一文にいろいろ考えさせられた。普段は全く意識せずに本を読んでいるが、言われてみれば確かに、読書はただ受け取るだけの行為ではない。そこには感情移入や解釈など、文章から受け取ったものに自分の想像力を加えるからこそ、小説は色鮮やかに輝くのだろう。
下巻へ続く~
Posted by ブクログ
“物語は人の心を動かすのか?”
そんな哲学的とも言える章題が並び、さながらゴーギャンの有名な絵画のタイトル「我々はどこから来たのか(略)」を連想させる。その流れで言うならば、本作は「小説はどこに行くのか」を考えさせられる。
高校生作家2人が、小説を書く意味を求めつつ、もがきながら作品を創っていく物語の続編。前巻でひとつの作品を産み出した2人だが、その続編を巡り、あるいは新作を巡り、さらなる「創作の深み」に嵌っていく。
後輩の創作をめぐる傷も絡み、それどういうこと?な引きで上巻終り。続きが気になる!
Posted by ブクログ
今回もいろいろぶっこんできたね、相沢さん…。
このご時世にこのレーベルから出して、ここまで言わせるか、と。
相変わらず、誰にも感情移入はできはいけれど、悲しくも納得してしまう。
物語を殺すのは読者。
だから、わたしはいつまでも、いつも、誰かにとっての九ノ里でありたいと願う。
小説は好きだし、物語も好き。
できれば手抜きではなく全力で書いたものが読みたいし、全力で書かせてあげられる読者でありたいものです。
与えられた添加物まみれの餌に食いつく飼い犬じゃなく、自ら獲物を探して仕留めるハイエナでいたいものよ。
Posted by ブクログ
合作小説を出した2人の高校生、小余綾と一也のその後の物語。続編を要請され、物語を書くことを巡って、再び2人は衝突する。著者ならではの濃密なタッチで若者達の懸命な生き様が描かれます。
感想は下巻で。
Posted by ブクログ
「凄い・・・。物語って、読むだけじゃなくて、書くものでもあるんだ・・・」
「物語が与える影響なんて、そもそも微々たるものなのかもしれない。けれど、中にはその優れた感性で、かけがえのないものを掴み取る読み手もいる。それは物語の力というより、作家から読み手に委ねられた力なのかもしれない」
「物語じゃなくて・・・、読み手の力、ですか・・・」
「なんか小説って、兼業?売れない芸人みたいに、普段は本職の仕事をしてて、空いた時間で小説を書いてる人が多いんだってさ。それで、よくよく考えてみると、芸能人とかが小説を書いて、それがすごい話題作になっちゃってるとかよく聞くでしょう。要するに、みんな片手間にやってるわけだよね。でもさ、漫画は違うの。大勢の人が、ものすごい時間と労力を注ぎ込んで作ってるわけで、片手間にできることじゃないと思う。ほら、小説と違って、芸能人が漫画家デビューしましたって話とか、全然聞かないじゃん」
作家デビューする芸能人はいても漫画家デビューする芸能人いないという話も、確かになるほどと思えてしまって面白い。
僕は知らなかったんだ。夢を叶えるまでの道より、夢を叶えたあとの道の方が、ずっと過酷だということを。
「努力や才能は、運には勝てない」
「あなたは、お父様の背中が、格好悪くて情けないものだと、そう言ったわね」僕は頷き、そのまま視線を落とした。悩み苦しんで、藻掻いていた一人の男の背中。情けなく、みっともなく、憧れを感じられない人間の姿。しかし小余綾は、闘うことは格好の悪いことなのだという。悩み苦しむことは闘うことの証なのだと。
Posted by ブクログ
シリーズ2作目で、後輩の秋乃の話が多い。1作目と共通しているのはネガティブな考え方。いい加減鬱陶しくなってきた。私にとっては読書は娯楽で、読んでる時に、そして読み終わった時に楽しければそれでいいのだが、この作品は後半は読まない方がいいのかしらとも思ってしまうわ・・・ でも、読むだろうなあ~
Posted by ブクログ
映画化すると聞いたので手にとって見たが
こちらはシリーズの続刊のようだ。
上巻を読んだ限りでは、九ノ里がやや良い印象だが
そこまで活躍を見せておらず
共感できるキャラクターがいない為、
淡々と読んでいる。
そんなにも『最近の高校』は未だに漫画を嫌い、
図書委員は漫画や雑誌、ラノベを読むことも許されないのだろうか。
漫画村をモデルにした件にしても、
こんなに最近の高校生はモラルがなく頭が悪いのか?
と疑問に感じた。
好む物語の話でも、同族嫌悪で失敗し成長する主人公を
好きにならないというのも同じく疑問だ。
本当にそんなものなのだろうか。
ただ、確かに
もう物語じゃ人の心は動かせなのかもしれない
というのは自分の時折感じなくもない。
そもそも文章を読めない人が多くなっており、
200文字もあれば『長文』と言い出す。
『世界の行間を読む』という真中の言い方は好きだった。
地の文で同じ言葉の繰り返しが多いのが気になった。
たとえば、『訥々と』。何度も同じように使われるし
話し手が同じなら口癖設定なのかなとも思うが
違う人に変わっても同様だった。
天月彼方の持論は中々興味深い。
・売れている作品は運がいいだけ
・読者は売れている本しか買わない
・運の悪い本は存在すら知られない
・読書好きじゃない普通の人たちは自分で本を探さない
・本気を出さないでうまく手を抜いて書くべき
・届かない相手にはいくら頑張っても届かない
・物語が人を動かすかどうかなんて、読者の力量次第だ。読み解く力がないやつには、何を言っても無駄だ
・真摯に書くのは売れてからでいい
小余綾などは反感を覚えているようだが
間違いとは言い切れない。
彼女が言うように実際天月が売れているから、というだけではなく。
漫画しか読まない人が増え、
読書をする人が少なくなり、
自分で好きな本を選んで行間もきちんと読める人ではなく
テレビで紹介され平台に積んである本だけ気まぐれに手に取るのが
『普通の人たち』。
そんなのは間違っている、と思いたくても
手にとってもらえないなら話が始まらない。
どんなに良い本でも気づかれなければ読まれないし、
読解力の無い人が読んでもつまらない、わけわからないで終わってしまう。
それなら、真剣に書くとしても流行に迎合した
漫画化や実写化しやすい軽くて頭が悪くてもわかる内容を
量産して名前を売ってからでもいい。
これは、そのとおりだ。
物語が本当に好きで、真摯に向き合って
向き合いすぎて書けなくなろうが、血反吐を吐きながらやっとの思いで書こうが
そんなの読者には関係無い。
多分、真摯に物語に向き合うことが正解だと
持っていきたいのではないかと想像するが
ここまで現代日本の読書力低下や
本が売れないという『真実』を書いた後で
どう正解まで持っていってくれるのか下巻を読むのが楽しみだ。