あらすじ
「異常」「正常」という言葉を、我々は日常的に使っています。かつ、精神の異常と正常の区別も、線引きできるものだと当たり前に考えます。たとえば、統合失調症の患者や、認知症の老人に対して、「正常な感覚を失っている」「異常な世界を見ている」と認識します。しかし、それは「普遍的な真理」なのでしょうか? 本書では異常と正常の線引きがいかになされてきたのか、日本と西洋の古代までさかのぼって検証します。
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Posted by ブクログ
発達障害当事者として、ずっと「自分は異常だ」という自覚があった。しかしうまく言語化できず、周囲と馴染めず衝突し、迷惑をかけまくって孤立した。周囲からは「個性的だが普通の人」として「普通たれ」というプレッシャーがあったし、病識のない頃は自分で自分にも「普通」を強い、40年適応できず二次障害的な精神疾患も発症していた。
「異常」といわれるものは、時代や文化・見る方向などでいくらでも変化するというのは、経験から何となく知っていた。
本書では、いくつも具体的な事実を専門家の客観的な視点で語られていたため、しっかり納得できた。
何度も読み返したい。
自分や他人、思想や嗜好に対して「異常」などと軽々しく口にしないように、客観的で冷静な視点を自分の中に持っていたい。
Posted by ブクログ
「正常」と「異常」の境界線について現役の精神科医が論じた本。精神医学を「狂気を排除する」と主張したフーコーの説も批判的に検討されている。
正常、健康であることが常にポジティヴ、異常、不健康であることが常にネガティヴであるというのは今も昔も同じだが、その物差しは時代ごとに変わります。現代語の「マニア」の語源である古代ギリシア語の「マニアー」は「躁病」、さらにたどれば「預言者」という意味であること、「大宝律」に記述のある「癲狂」は誇大妄想、パラノイアのことであり、彼らは犯罪を犯しても刑罰を軽減される存在であることなど、面白い記述が多くある。他にも、「狂」という字の「王」はシャーマニズムの儀式で使う神聖な鉞(まさかり)である、というものもある。
中世~近代の市民社会形成期には、一方で異常なる者が高く評価され、他方で排斥されるという一見逆説的な現象が起きた。これにはキリスト教信仰熱が高揚する一方で、都市部を中心に脱宗教化(世俗化)が進んだという背景がある。
14世紀のペスト大流行、15世紀の新大陸発見、16世紀の小氷期到来など、社会が目まぐるしく変化する中で、鬱憤を晴らすためのスケープゴートが求められた。それが形になったのが「異端審問」、「魔女狩り」。
著者は現代日本に関して、「健康ファシズム」への警鐘を鳴らしている。これはメタボリック検診において血圧や体脂肪率などが正常値の枠内に収まらなければ、例外なく「異常」と診断するような風潮に見られる。これがナチスの行った優生学に基づく「遺伝病子孫予防法」制定などの政策を思わせるものだとして批判される。著者の見解は少し極端に感じられるが、大筋では納得。
秩序や規則も極端にまで推進すれば異常なものになる。何の事情も例外も考慮せず、「遅刻は規則違反」とするのは、全体主義的で柔軟性に欠いた。ルーズさや余裕さを許容したほうが寛容で住みやすい社会と言えるだろう。
「異常」という問題には前々から興味があったが、満足出来る内容だった。