【感想・ネタバレ】なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのかのレビュー

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Posted by ブクログ 2013年06月24日

ドキュメンタリー映画って客観的と思われがちだけど全然そうじゃないんやな。それがすごくよくわかった本。

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Posted by ブクログ 2012年11月14日

 ナレーションもBGMもないドキュメンタリー映画『選挙』を観て、想田和弘という監督を知る。この手法を彼は「観察映画」と呼んでいる。ここでは、その理論と実践、方法論などが明かされている。
 「観察」とは、製作者である監督のみが行うものではなく、映画を観る者も行うという二重性を持たせた概念である。そのた...続きを読むめ、「しっかり観ること」「耳を傾けて聴くこと」が基本となり、ナレーションもBGMも自ずから排除されることになる。しかも、台本もなく撮影が始まるので、「観察映画」は、「偶然に遭遇し続ける旅」の様相を見せる。そして、スクリーンで展開されるドキュメンタリーは、人生そのものへと変貌する。
 「犬も歩けば棒に当たる」という言葉が思い浮かぶ。
 「偶然とは街だ。限りなく真実をはらみ、変幻する街、それでいて書物より単純な街」というセリーヌの言葉も想起させられる。
 寺山修司の『書を捨てよ、町に出よう』」というタイトルの本があったことも思い出される。
 平凡な日常も、実は偶然の連続であることに気付かされる。すると、「私は、はたして、目の前に生起する毎日の出来事を<観察>しているのだろうか?」という自問が立ち上がってきた。

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Posted by ブクログ 2012年10月26日

ドキュメンタリーが作り手の作為から自由になれないという意味ではフィクションとの境が曖昧であるという主張は森達也の「ドキュメンタリーは嘘をつく」と同じであった.森達也が同書でドキュメンタリーのフィクション性に徹底的に論及するしていったのと比較して、本書では作り手の意思から全く自由になる事はできないが、...続きを読む「台本主義」からできるだけ自由になるための参与観察の重要性を説く.

ドキュメンタリー論だけでなく、それぞれの映画への思い入れ、舞台裏、各登場人物の細かな感情描写、映画制作の台所事情など色々バラエティに富んだ内容となっている.
何より著者の登場人物達に対する親しみの気持ちがよく伝わってくる.
映像をとりあえず撮り貯めておいて、編集の時に多くの事に気づくなどは興味深かった.

以下同書から.
「観察」の対義語は「無関心」である.
観察は、他者に感心を持ち、その世界をよく観て、よく耳を傾けることである.それはすなわち、自分自身を見直すことにもつながる.観察は結局、自分も含めた世界の観察(参与観察)にならざるを得ない.

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Posted by ブクログ 2012年04月17日

台本主義を捨て、僕らの目の前でおこっていることを観察することでみえてくる世界がある。僕らは台本主義、マニュアル、事前知識のおかげで、今そこでおこっていることを見逃してしまっているかもしれない。字幕も、ナレーションもない想田映画が、とてもワクワクして、説明抜きでも何が起きているかがわかって、見返したく...続きを読むなる魅力があるのは、これほどストイックに観察をし続け結果だった。映画PEACEのメイキングとしても楽しめます。

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Posted by ブクログ 2012年01月02日

一種のメディア論でもあるが、筆者の映画や被写体、そしてこの偶然の積み重ねである世界に対する愛情が感じられた。

結局、映画でもテレビでも何かを表現することは世界を切り取ることであり、つくり手の「主観」が入るわけだけれど、この本に書いてあるようなことを知っているか知っていないかってことは結構重要である...続きを読むと思う。

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Posted by ブクログ 2011年12月10日

この本、思いの外、面白い。新書向けの文体だと思う。新書でも、学術論文っぽいくせに、冗長的なものもあるけれど、これは、スルスルと、文字通り映画でも見ているかのように読み進んでしまう。構成が、ドキュメンタリー映画作家ならではだと感じるのは、褒めすぎ? けれど、著者が提唱する観察映画が、ナレーションも台本...続きを読むもない、つまり、準備された言葉で説明されないこととは対照的に、これは本。それゆえに、言葉で伝えなければならないジレンマがなかったのだろうか。観察映画には、台本、ナレーション、音楽や効果音が一切無いという。テレビ番組のディレクター時代の経験から、真逆の作り方を提唱するようになったのだそうだ。独身の頃、深夜のテレビ・ドキュメンタリーが好きでよく観ていた。深夜枠だったから、著者の考え方に近い作り方だったかもしれない。けれど、効果音こそなかったけれど、ナレーションは内容を伝える、重要な機能を持っていたように思う。著者は、最初にテーマや台本があると、対象を深くとらえられず、発見が得られない、と言う。対象を撮り続ける過程を通じ、テーマを発見していく手法は、僕達が恩師のもとで学んだ、居住環境/空間のフィールドワークと共通する。対象に対して、心を開くと言うスタンスも。【途中の感想につき、書きかけ】

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Posted by ブクログ 2013年01月23日

気付きの多い本だ。「台本至上主義」からの脱皮を望む潜在願望があったのだろう。

例えば何かのプロジェクトや会議の前には事務局として「落としどころ」を模索しがち。オチに無理矢理持ち込むんじゃなくて、もっとその場のライヴ感みたいなものから新しい発見があったりしないのかと思ってたところ。
そうゆうとこでも...続きを読む、前半の観察映画製作プロセスの考え方は大いに参考になる。

テーマは原因ではなく結果。テーマは後から発見される。深いな、考えさせられる。
善悪二元論、どっちかに決めつけるから思考が止まる。グレーの濃淡の揺らぎこそアート。これもまた深い。

後半は著者の作品「Peace 」の撮影・編集・上演されるまでの過程を。読んでるだけで作者がカメラひとつで撮影に臨む真摯な姿勢がよく分かる。感動すらおぼえた。
現在、平田オリザの劇団の観察映画製作中とのこと。

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Posted by ブクログ 2011年10月06日

想田監督の創作態度に大いに共感。
モチーフを100%伝えるなんてできっこないことをわかりながらも
清濁あわせのむ世界を自らのフィルタを通し誠実に表現したいと努力する監督。
そうやって意識して作っているドキュメンタリー作者、意外と少ないんじゃないかと思った。
望ましくない現実も許容すること。

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Posted by ブクログ 2011年08月19日

8/19
意味を付与しない→現実の多義性
観察映画→様々な解釈に開かれた映画
出来事が現実に起きたという保証がフィクションとドキュメンタリーを分ける
言葉を使うこと/使わないこと

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2011年08月12日

私は、取材・執筆の仕事をしています。

仕事でなくても、「これは面白い」という感じたものは、NPO活動という別の枠を使って、取材しにでかけています。

「取材したい」と思うのは、その取材対象に魅力を感じているから。
だから、その対象に会って、もっと詳しく聞きたい。
それで、取材に出かけてしまう。
...続きを読むういうことだと思っていました。

もちろん、好きは、好きなのですが、

「なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか」(相田和弘・著、講談社現代新書)を読んで、もう少し深い欲求が、私の中にあることに気がつきました。

相田監督は「観察映画」という映画を撮影されています。

「観察映画」では、撮影する人は、テーマを設定せず、台本をつくらず、ひたすら対象者を「観察」しながら撮っていきます。

映画にはナレーションや音楽、テロップはつけず、完成した映画を見る人にも、ひたすら「観察」してもらいます。

見る人それぞれに、映像を受けとめてもらい、感じとってもらう映画です。

この本の中で、相田監督は、「観察」について次のように書かれています。

『観察は、他者に関心を持ち、その世界をよく観て、よく耳を傾けることである。それはすなわち自分自身を見直すことにもつながる。観察は結局、自分も含めた世界の観察(参与観察)に他ならない。観察は、自己や他者の理解や肯定への第一歩になり得るのである』

ここを読んで、
「ああ、そうだったのね。私」
と、自分の行為に、自分で納得しました。

薄々感じつつも、言葉にできなかったことでした。

私は、「人と関わりたい」という欲求を、おそらく、心のどこかに強く持っているのです。

人と関わることによって、何かを発見したり、刺激を受けたり、
自分自身についてよく分かったり、自分も変わったり…。
そういう経験をすることを求めているのだと思います。

その欲求に従って、自ら行動せずにいられない。そういうタイプなのでしょう。

ただし、「人と関わりたい」と思っても、すぐに親しくなれたり、仲良くなれるわけではありません。

家族でも、友人でも、知人でもない、「取材する人」という立場に立つとき、取材する相手との間には距離があります。

その人について詳しく知りたいので、じりじりとその距離を詰めていくのですが、打ち解けてきたように感じても、やっぱり第三者だよな、距離があるなぁ…と感じることもあります。

逆に、取材が終わっても、メールのやりとりしたり、ご飯を食べたり、友達のように親しい間柄になれる場合もあります。

「人と関わりたい」といっても、「取材」という特別な理由で出会って関わっていくので、相手と緊張感のある関係になったり、家族でも友人でもないからこそ大事なことを教えていただける関係になったりします。

取材は、人と出会うための口実といえるのかもしれません。
いろいろな出会いを経験できることが、面白いのです。

この本には、「ドキュメンタリーをつくる」ということに関する相田監督の考え方が盛り込まれていて、上記の引用箇所だけでなく、興味深い箇所がたくさんありました。

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Posted by ブクログ 2011年07月18日

観察映画。想田監督の作家との視点から学ぶ、日常を捉える方法は、映画鑑賞に限らず、勉強になるところが多かった。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2017年01月07日

ドキュメンタリー映画を最近好んで見る。多額のお金をかけずにプロの俳優も使わずに、自分たちのお金で自分たちの映画を撮るドキュメンタリー映画。有名になって大ヒットしたりすることもないけれども、じわじわと感じられるよさがある。

そんな映画の中でもマイナーのドキュメンタリー映画の中で、ちょっと変わった映画...続きを読むが想田監督のドキュメンタリー映画である。彼はセレンディピィティを追い求めて映画を撮るという。
“Serendipity” :思いがけないものを偶然発見すること、能力
想田監督の映画は「観察映画」というスタイルを標榜する。台本を書かない観察映画の方法は予期せぬ偶然や発見を呼び寄せ人々の内面のやわらかい部分を描き出す。
作り始めの時にはテーマもなく撮影がどうなるか分からず、一種のギャンブルともいえるが、偶然が拾える準備は入念にしておき、Serendipityが訪れるときを逃さない。

もともと彼はNHKのドキュメンタリー番組を撮っていた。ひとつのドキュメンタリー番組では撮影スタイルは今とは間逆で、台本通りに撮ることに重きが置かれていた。
一方、観察映画を撮るにあたっての10の具体的方法論は以下の通り。
1.被写体や題材に関するリサーチを行わない。
2.被写体との撮影内容に関する打合せは原則行わない(集合場所などは除く)
3.台本は書かず、撮影前や撮影中に作品のテーマや落としどころを設定しない。行き当たりばったりでカメラを回し、予定調和を求めない。
4.機動性を高めるためカメラ・録音は原則一人で回す。
5.必要ないかも?と思ってもカメラは原則長時間で回す。
6.撮影は広く浅くではなく狭く深くを心がける。
7.編集作業でもあらかじめテーマを設定しない。
8.ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない。
9.観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、その場に居合わせたかのような臨場感や時間の流れを大切にする。
10.制作費は基本的には自社から出す。

本当に上記の方法でうまく撮影できるのだろうか、と思ってみてみたのが、想田監督の最新映画は「牡蠣工場」という映画。奥さんの実家のある岡山県牛窓で漁師さんに出会う。日本の漁業に関しての映画が撮れると思い、「仕事場」に行くと、そこは牡蠣の殻剥き工場。船で魚を撮るイメージを想像していたがはじめから大きく覆される。
しかし、監督は観察を欠かさない。工場のカレンダーの脇に「9日中国来る」という書き込みがあり、そこから牡蠣工場の牡蠣剥きという作業が高齢化が進み中国からの研修生無しには成り立たなくなっている現状や、しかし中国から来た研修生がいつの間にかいなくなってしまって受け入れが必ずしもすんなりうまく言っているわけではない現状が次から次へと明らかにされていく。

多分いいドキュメンタリー映画は遊びがあり、見た人それぞれの感じ方が異なり、いろいろな解釈がある映画を指すのだろうと思う。
例えば、普段の仕事でも、計画通り(台本通り)にある決められた範囲の答えに向かって進めるのはとても大事なことだけれども、計画や結論ありきの仕事はこなす感じになってしまうし、なにかとても大事な出会いを失ってしまうような気もする。
そんなことを考え、来るべきセレンディピティが来たときに気付けるように、適度に計画を緩めて過ごして行きたいと思う。

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Posted by ブクログ 2015年01月13日

ドキュメンタリーというジャンルで映画を作っている監督が自分が撮った映画『選挙』『精神』『peace 』という作品をベースにドキュメンタリーについて、自分の作品について深く記述してある。ドキュメンタリーといっても様々な方法や手法があることや、監督自信が撮影するに当たって気をつけていることや自分の作品へ...続きを読むの回顧など、ドキュメンタリー映画の業界の事など、映画好きの人は楽しく読める。

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Posted by ブクログ 2012年11月30日

恥ずかしながら今まで知らなかった映画監督、想田和弘さんの著作です。
「台本や事前のリサーチ、ナレーションや音楽などを使わない「観察映画」の提唱者」だそうで、本書ではドキュメンタリーとは何か、なぜ人がドキュメンタリーに惹かれるのかについて、想田さんの丁寧な言葉で綴られています。
4章にある、

究極的...続きを読むには「人間の心の中を垣間見たい」と思って劇場にやってくるのだと思う。

という意見に物凄く納得させられました。
私は観察映画と聞いて、大好きな「花とアリス」を連想しましたが、あくまであの作品から私が感じたのは、主演二人の演技力であり、それを引き出す岩井監督の技量であり、「人間の心の中を垣間見た!」とまでは思いませんでした。
と、いうワケで今、「映画作家が撮れるのは、撮影者の存在によって変わってしまった現実以外にあり得ない」と言い切ってしまう想田さんの作品をモーレツに観てみたい。

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Posted by ブクログ 2012年11月30日

フレデリック・ワイズマン

結果的にテーマが出てくるのはよいが、製作中にテーマに縛られないことが肝心なのである

個人的には、タイトルはシンプルであればシンプルであるほど、観客の頭の中でイメージが広がりやすく、強い印象と余韻を残すのではないかと思っている

ショットが長ければ長いほど、観客に自分の目...続きを読むで観察・解釈できる時間が与えられるので、映像は多義的になる。逆にショットが短ければ短いほど、作り手による操作の強度が高くなり、映像は多義性を失っていく

観客に観察モードを立ち上げさせるために、長いショットを使う

つくづく思うのは、作品が結果だとすれば、方法論は原因である。旧態依然たる作り方をすれば、必ず作品もそうなる。原因をそのままにして、結果だけ変えようとしても無理だからである。逆に言うと、作品を変えたければ、方法論を変えればよい。それは映画だけでなく、あらゆる分野の「イノベーション」に言えることだと思う

マース・カニングハム チャンス・オペレーション

ブレアウィッチは、映し出された学生たちが現実に存在し、彼らの身に降り掛かった出来事が実際に起きたものだという前提があってはじめて、観客を魅了することができた
同じ映画を観ても、それをドキュメンタリーだと思って観るのと、フィクションだと思って観るのでは、こうも印象が違うものか

観察は、他者に関心を持ち、その世界をよく観て、よく耳を傾けることである。それはすなわち、自分自身を見直すことにもつながる。観察は結局、自分も含めた世界の観察にならざるを得ない

映像にはそのような言葉の呪縛、つまり固定観念を乗り越えられる可能性がある。既成の言葉を介在させることなく、現実をダイレクトに映し出すことが可能だからだ。だからこそドキュメンタリー映像は、うまくすれば、現実を理解する枠組そのものを溶解させ、更新するための契機になり得る。ドキュメンタリーにナレーションによる説明が不要であることの、もう一つの重要な理由であろう

演劇を観る人々は、「人間の心の中を垣間見たい」と思って劇場にやってくる(平田オリザ)
そして、俳優が演じる演劇なら、いくら人間の心の内側を覗き見ても、倫理に反することはない

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Posted by ブクログ 2011年11月09日

今夏「Peace」という映画を見ました。
その監督がこの本を書いているのですが、映画の裏側、思いを綴っていて、予備知識なく映画を見た私の(映画を見て不思議に思っていたことの)謎解きをしてもらいました。

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Posted by ブクログ 2011年08月21日

実は、一度学校の講演で、選挙の撮影時のお話を聞いていて、
あっ、と思い読んでみた。
その後の作品が、テーマというか内容が少し気が引けて観ていなかったが、
機会があれば観てみたいなぁ、と思った。
ドキュメンタリーと一重にいっても色々な考え方があるのを深く知れて良かった。作者の知見も◎

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Posted by ブクログ 2011年08月08日

Peace」の想田監督のドキュメンタリー論。映画を通したもミュニケーション論と受け取る。映画において監督はピッチャーなら、観客はキャッチャーではなく、バッター。どう打ち返すか。見る側の力が、良い映画には試される。

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Posted by ブクログ 2011年08月01日

虚心坦懐に素材を観察した結果から見えてくるものを編集する撮影手法に意外性を感じた.「選挙」には個人的に強いメッセージ性を感じていたし,あれだけ面白い作品がプロットなしに撮られたとは到底思えなかったからだ.
監督の撮影手法が自分の脳に実装できたとしたら,ありふれた日常も,何かしらの意味性を帯びて立ち上...続きを読むがってくるかもしれない.

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Posted by ブクログ 2011年07月27日

「選挙」「精神」の想田監督による(ちょっと乱暴だけど)ドキュメンタリー論。


文脈は異なるけれど、「写真を撮るに際し撮影者の存在をどう処理するか」
という問題を常々考えていた僕にとって、
本書は今まで考えてきたことと大きく重なる部分があったり、
新たな視点を与えてくれた点で貴重なものだ。

本書の...続きを読む内容を大まかにまとめると、
(1)「観察映画」の定義・手法
(2)その方法論を採用する理由
(3)その方法論を基に撮影した映画のエピソード
ということができるでしょう。
(勿論本書の構成はこれとは違います。)

世界から何かを学ぶこと、その方法を学ぶことの一助になる。

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Posted by ブクログ 2019年03月07日

自分も学生の時からドキュメンタリー大好きだったので論文を書くために森達也、フラハティ、ワイズマンなどなどたくさんの映画観たなーと思い出した。

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Posted by ブクログ 2011年09月21日

これまでの作品と最新作の『PEACE』をより楽しむためのマストアイテム!
映画本編を観てからのほうがいいかも。
いろいろと影響をうけて、観察映画もだんだんと進化を遂げてきたのだなぁ。

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Posted by ブクログ 2011年07月25日

印象に残った一節『ドキュメンタリーの素晴らしさの一つは自分にとって大切な瞬間や時間を保存することができる、ということだと思います。』226ページ

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