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なぜ/どうやって、ナレーションや音楽なしでドキュメンタリーを作るのか? なぜリサーチや打ち合わせなどをしないのか? 〈タブーとされるもの〉を撮って考えることは? 客観的真実とドキュメンタリーの関係とは? このような問いへの答えを率直に語る、いまもっとも注目される映画作家によるライブな表現論!
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Posted by ブクログ
ドキュメンタリー映画って客観的と思われがちだけど全然そうじゃないんやな。それがすごくよくわかった本。
ナレーションもBGMもないドキュメンタリー映画『選挙』を観て、想田和弘という監督を知る。この手法を彼は「観察映画」と呼んでいる。ここでは、その理論と実践、方法論などが明かされている。 「観察」とは、製作者である監督のみが行うものではなく、映画を観る者も行うという二重性を持たせた概念である。そのた...続きを読むめ、「しっかり観ること」「耳を傾けて聴くこと」が基本となり、ナレーションもBGMも自ずから排除されることになる。しかも、台本もなく撮影が始まるので、「観察映画」は、「偶然に遭遇し続ける旅」の様相を見せる。そして、スクリーンで展開されるドキュメンタリーは、人生そのものへと変貌する。 「犬も歩けば棒に当たる」という言葉が思い浮かぶ。 「偶然とは街だ。限りなく真実をはらみ、変幻する街、それでいて書物より単純な街」というセリーヌの言葉も想起させられる。 寺山修司の『書を捨てよ、町に出よう』」というタイトルの本があったことも思い出される。 平凡な日常も、実は偶然の連続であることに気付かされる。すると、「私は、はたして、目の前に生起する毎日の出来事を<観察>しているのだろうか?」という自問が立ち上がってきた。
ドキュメンタリーが作り手の作為から自由になれないという意味ではフィクションとの境が曖昧であるという主張は森達也の「ドキュメンタリーは嘘をつく」と同じであった.森達也が同書でドキュメンタリーのフィクション性に徹底的に論及するしていったのと比較して、本書では作り手の意思から全く自由になる事はできないが、...続きを読む「台本主義」からできるだけ自由になるための参与観察の重要性を説く. ドキュメンタリー論だけでなく、それぞれの映画への思い入れ、舞台裏、各登場人物の細かな感情描写、映画制作の台所事情など色々バラエティに富んだ内容となっている. 何より著者の登場人物達に対する親しみの気持ちがよく伝わってくる. 映像をとりあえず撮り貯めておいて、編集の時に多くの事に気づくなどは興味深かった. 以下同書から. 「観察」の対義語は「無関心」である. 観察は、他者に感心を持ち、その世界をよく観て、よく耳を傾けることである.それはすなわち、自分自身を見直すことにもつながる.観察は結局、自分も含めた世界の観察(参与観察)にならざるを得ない.
台本主義を捨て、僕らの目の前でおこっていることを観察することでみえてくる世界がある。僕らは台本主義、マニュアル、事前知識のおかげで、今そこでおこっていることを見逃してしまっているかもしれない。字幕も、ナレーションもない想田映画が、とてもワクワクして、説明抜きでも何が起きているかがわかって、見返したく...続きを読むなる魅力があるのは、これほどストイックに観察をし続け結果だった。映画PEACEのメイキングとしても楽しめます。
一種のメディア論でもあるが、筆者の映画や被写体、そしてこの偶然の積み重ねである世界に対する愛情が感じられた。 結局、映画でもテレビでも何かを表現することは世界を切り取ることであり、つくり手の「主観」が入るわけだけれど、この本に書いてあるようなことを知っているか知っていないかってことは結構重要である...続きを読むと思う。
この本、思いの外、面白い。新書向けの文体だと思う。新書でも、学術論文っぽいくせに、冗長的なものもあるけれど、これは、スルスルと、文字通り映画でも見ているかのように読み進んでしまう。構成が、ドキュメンタリー映画作家ならではだと感じるのは、褒めすぎ? けれど、著者が提唱する観察映画が、ナレーションも台本...続きを読むもない、つまり、準備された言葉で説明されないこととは対照的に、これは本。それゆえに、言葉で伝えなければならないジレンマがなかったのだろうか。観察映画には、台本、ナレーション、音楽や効果音が一切無いという。テレビ番組のディレクター時代の経験から、真逆の作り方を提唱するようになったのだそうだ。独身の頃、深夜のテレビ・ドキュメンタリーが好きでよく観ていた。深夜枠だったから、著者の考え方に近い作り方だったかもしれない。けれど、効果音こそなかったけれど、ナレーションは内容を伝える、重要な機能を持っていたように思う。著者は、最初にテーマや台本があると、対象を深くとらえられず、発見が得られない、と言う。対象を撮り続ける過程を通じ、テーマを発見していく手法は、僕達が恩師のもとで学んだ、居住環境/空間のフィールドワークと共通する。対象に対して、心を開くと言うスタンスも。【途中の感想につき、書きかけ】
気付きの多い本だ。「台本至上主義」からの脱皮を望む潜在願望があったのだろう。 例えば何かのプロジェクトや会議の前には事務局として「落としどころ」を模索しがち。オチに無理矢理持ち込むんじゃなくて、もっとその場のライヴ感みたいなものから新しい発見があったりしないのかと思ってたところ。 そうゆうとこでも...続きを読む、前半の観察映画製作プロセスの考え方は大いに参考になる。 テーマは原因ではなく結果。テーマは後から発見される。深いな、考えさせられる。 善悪二元論、どっちかに決めつけるから思考が止まる。グレーの濃淡の揺らぎこそアート。これもまた深い。 後半は著者の作品「Peace 」の撮影・編集・上演されるまでの過程を。読んでるだけで作者がカメラひとつで撮影に臨む真摯な姿勢がよく分かる。感動すらおぼえた。 現在、平田オリザの劇団の観察映画製作中とのこと。
想田監督の創作態度に大いに共感。 モチーフを100%伝えるなんてできっこないことをわかりながらも 清濁あわせのむ世界を自らのフィルタを通し誠実に表現したいと努力する監督。 そうやって意識して作っているドキュメンタリー作者、意外と少ないんじゃないかと思った。 望ましくない現実も許容すること。
8/19 意味を付与しない→現実の多義性 観察映画→様々な解釈に開かれた映画 出来事が現実に起きたという保証がフィクションとドキュメンタリーを分ける 言葉を使うこと/使わないこと
観察映画。想田監督の作家との視点から学ぶ、日常を捉える方法は、映画鑑賞に限らず、勉強になるところが多かった。
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