【感想・ネタバレ】なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのかのレビュー

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2011年08月12日

私は、取材・執筆の仕事をしています。

仕事でなくても、「これは面白い」という感じたものは、NPO活動という別の枠を使って、取材しにでかけています。

「取材したい」と思うのは、その取材対象に魅力を感じているから。
だから、その対象に会って、もっと詳しく聞きたい。
それで、取材に出かけてしまう。
...続きを読むういうことだと思っていました。

もちろん、好きは、好きなのですが、

「なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか」(相田和弘・著、講談社現代新書)を読んで、もう少し深い欲求が、私の中にあることに気がつきました。

相田監督は「観察映画」という映画を撮影されています。

「観察映画」では、撮影する人は、テーマを設定せず、台本をつくらず、ひたすら対象者を「観察」しながら撮っていきます。

映画にはナレーションや音楽、テロップはつけず、完成した映画を見る人にも、ひたすら「観察」してもらいます。

見る人それぞれに、映像を受けとめてもらい、感じとってもらう映画です。

この本の中で、相田監督は、「観察」について次のように書かれています。

『観察は、他者に関心を持ち、その世界をよく観て、よく耳を傾けることである。それはすなわち自分自身を見直すことにもつながる。観察は結局、自分も含めた世界の観察(参与観察)に他ならない。観察は、自己や他者の理解や肯定への第一歩になり得るのである』

ここを読んで、
「ああ、そうだったのね。私」
と、自分の行為に、自分で納得しました。

薄々感じつつも、言葉にできなかったことでした。

私は、「人と関わりたい」という欲求を、おそらく、心のどこかに強く持っているのです。

人と関わることによって、何かを発見したり、刺激を受けたり、
自分自身についてよく分かったり、自分も変わったり…。
そういう経験をすることを求めているのだと思います。

その欲求に従って、自ら行動せずにいられない。そういうタイプなのでしょう。

ただし、「人と関わりたい」と思っても、すぐに親しくなれたり、仲良くなれるわけではありません。

家族でも、友人でも、知人でもない、「取材する人」という立場に立つとき、取材する相手との間には距離があります。

その人について詳しく知りたいので、じりじりとその距離を詰めていくのですが、打ち解けてきたように感じても、やっぱり第三者だよな、距離があるなぁ…と感じることもあります。

逆に、取材が終わっても、メールのやりとりしたり、ご飯を食べたり、友達のように親しい間柄になれる場合もあります。

「人と関わりたい」といっても、「取材」という特別な理由で出会って関わっていくので、相手と緊張感のある関係になったり、家族でも友人でもないからこそ大事なことを教えていただける関係になったりします。

取材は、人と出会うための口実といえるのかもしれません。
いろいろな出会いを経験できることが、面白いのです。

この本には、「ドキュメンタリーをつくる」ということに関する相田監督の考え方が盛り込まれていて、上記の引用箇所だけでなく、興味深い箇所がたくさんありました。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2017年01月07日

ドキュメンタリー映画を最近好んで見る。多額のお金をかけずにプロの俳優も使わずに、自分たちのお金で自分たちの映画を撮るドキュメンタリー映画。有名になって大ヒットしたりすることもないけれども、じわじわと感じられるよさがある。

そんな映画の中でもマイナーのドキュメンタリー映画の中で、ちょっと変わった映画...続きを読むが想田監督のドキュメンタリー映画である。彼はセレンディピィティを追い求めて映画を撮るという。
“Serendipity” :思いがけないものを偶然発見すること、能力
想田監督の映画は「観察映画」というスタイルを標榜する。台本を書かない観察映画の方法は予期せぬ偶然や発見を呼び寄せ人々の内面のやわらかい部分を描き出す。
作り始めの時にはテーマもなく撮影がどうなるか分からず、一種のギャンブルともいえるが、偶然が拾える準備は入念にしておき、Serendipityが訪れるときを逃さない。

もともと彼はNHKのドキュメンタリー番組を撮っていた。ひとつのドキュメンタリー番組では撮影スタイルは今とは間逆で、台本通りに撮ることに重きが置かれていた。
一方、観察映画を撮るにあたっての10の具体的方法論は以下の通り。
1.被写体や題材に関するリサーチを行わない。
2.被写体との撮影内容に関する打合せは原則行わない(集合場所などは除く)
3.台本は書かず、撮影前や撮影中に作品のテーマや落としどころを設定しない。行き当たりばったりでカメラを回し、予定調和を求めない。
4.機動性を高めるためカメラ・録音は原則一人で回す。
5.必要ないかも?と思ってもカメラは原則長時間で回す。
6.撮影は広く浅くではなく狭く深くを心がける。
7.編集作業でもあらかじめテーマを設定しない。
8.ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない。
9.観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、その場に居合わせたかのような臨場感や時間の流れを大切にする。
10.制作費は基本的には自社から出す。

本当に上記の方法でうまく撮影できるのだろうか、と思ってみてみたのが、想田監督の最新映画は「牡蠣工場」という映画。奥さんの実家のある岡山県牛窓で漁師さんに出会う。日本の漁業に関しての映画が撮れると思い、「仕事場」に行くと、そこは牡蠣の殻剥き工場。船で魚を撮るイメージを想像していたがはじめから大きく覆される。
しかし、監督は観察を欠かさない。工場のカレンダーの脇に「9日中国来る」という書き込みがあり、そこから牡蠣工場の牡蠣剥きという作業が高齢化が進み中国からの研修生無しには成り立たなくなっている現状や、しかし中国から来た研修生がいつの間にかいなくなってしまって受け入れが必ずしもすんなりうまく言っているわけではない現状が次から次へと明らかにされていく。

多分いいドキュメンタリー映画は遊びがあり、見た人それぞれの感じ方が異なり、いろいろな解釈がある映画を指すのだろうと思う。
例えば、普段の仕事でも、計画通り(台本通り)にある決められた範囲の答えに向かって進めるのはとても大事なことだけれども、計画や結論ありきの仕事はこなす感じになってしまうし、なにかとても大事な出会いを失ってしまうような気もする。
そんなことを考え、来るべきセレンディピティが来たときに気付けるように、適度に計画を緩めて過ごして行きたいと思う。

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