あらすじ
生存率51%! あなたは生き残る側? どうすれば仕事が消滅しても人間は幸福か? いま最も必須の知識! 2025年 まずドライバーの仕事が消滅。金融ではAIファンドマネジャーが人間を駆逐。2030年 銀行員、裁判官、弁護士助手など専門的頭脳労働者がAIに換わる。2035年 経営者、中間管理職、研究者、クリエイターもAIに
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
半端なくショックでかいです。2014年にオックスフォードやマッキンゼーが「遠くない未来(少なくとも私はまだ存命。下手すると就労が必要な時代)に、半分以上の職業がAIとロボットに奪われて消滅する」というレポートを出しました。その時点では、消滅する職業は、職業運転手やパラリーガルなど、言葉は失礼ながら高額所得者でない職種が多かったです。
ところが2016年を皮切りにAIが予想を超える速度で発展しているため、その予想が大きく知的労働者の失業に針路を変えているようです。
例えば2035年には絵や音楽を書くアーティスト・デイトレーダー・弁護士・学者・診察と処方を中心にする臨床医、さらには勤務評定を行う上司などの管理職すら不要になるというのです。著者は自らの商業である経営コンサルもAIに人間が勝てなくなるのは間違いないと言っています。
例えば、AIが発達すると、人類が数百年かけても解けなかった高等数学の命題も次々と解明されるでしょう、数学者の存在意義がなくなります。ヒット曲の傾向も分析して若者に共感されやすい詩と曲とアレンジをAIが提供してくれます。
「そんなんありえんだろ?」とつい思ってしまいます。しかし技術の進歩はそれをいま生業にしている人の不都合など一顧だにしません。我々が経験しているのはカメラの現像屋です。かつてデジカメは画像が粗くでかいデータを保存するのに難儀したので、アナログフィルムが廃ることは当面ないと言われていたそうです、それが今やこの有様。インターネットだって登場してから30年間でここまで日常生活に欠かせないインフラになってしまうことは誰も予想していなかったのでは。
AIが人間の仕事を奪うのは、24時間仕事させても初期投資のみで済むから、人間よりも経済的で、企業が利益獲得にはこの導入を回避するはずがないからという当たり前の推測です。ラッダイト運動も一時的には人間により起こるだろうが時の流れを押しとどめるには至らないという意見にはわたくしも同意せざるを得ませんでした。
著者は人間が職業を奪われなくするための対策を提唱してはいますが、正直非現実的です。ということは、この流れは必須で、一部の超富裕層と、中間層のいない圧倒的多数の低所得層にAIの発展で分離することになります(というのが、AIの発展スピードほどロボット技術の発展は早くないので、細かい手作業などは依然人間の仕事として残るそうです。ただし、残る仕事に比べてあぶれた人間の数が圧倒的なので、ワークシェアの形を強制するにせよ、1人1人の収入は減らざるを得ないそうです)。
最近読んだ本の中ではまるでNHKスペシャルのようで、ピカイチに引き込まれました。
Posted by ブクログ
ドライバーは減るが、宅急便屋は減らないとのことだが、確かに、ラストONEマイルの、家庭まで運ぶ人に関して今は自動運転で代替はできないかもしれないけど、ドローン配送など、全く違う技術が汎用されたら、クロネコの人達も経ってしまうのでは??とか思った。
未来の予測は当てにならないが、AIに代替されないよう、どう自分のキャリヤやスキルを創っていくのか考えるきっかけになった。
Posted by ブクログ
本日の書評は「仕事消滅」鈴木貴博著。著者はバリバリの経営コンサルタントである。
本書はロボットやAIの発達によって、いかに人間(特に日本人)がどれだけ影響を受けるか著わした書籍である。
まず、AIとロボットの進化によるテクノロジー失業が起こす経済への影響を「シンギュラリティのパラドックス」と呼ぶ現象があることを指摘する。
つまり、AIとロボットの進化により、人が失業するのだ。
かみ砕いていうと、国の中に収入が得られない人、収入が減る人の数が大幅に増え、デフレが起こって大不況になるという、いわゆるディストピア(破滅的な未来)をもたらすのだ。
それとは対照に、完全に人間と同じかそれ以上の能力を持ったロボットが出現し、ひとりひとりの人間の仕事を肩代わりして、世の中は今まで通り問題なく回っていく。その結果、GDPも減らない。
本書の目的は、このパラドックス(矛盾)を解説することで、人間の未来を経済学的観点から答えを示すことをゴールとする。
近未来に最初にやってくる仕事消滅の危機は2025年前後、日本内で123万人いるドライバーの大量失業危機だ。その引き金は自動運転車である。
自動運転は危ないという人があるが、実際は逆だ。人間の運転の方がはるかに不注意による失敗が多い。
なぜなら、自動運転の技術が発展すれば、必ず事故は減る。自動運転車もまれに自己を起こすかもしれないが、2025年の世界では人間の運転の方がずっと危ないのだ。その結果、世界中で交通事故は過去のものとなる。
一般市民にとっては素晴らしい未来だ。たとえば家族の中でドライバー役を担当する人間は、休日に長時間の運転で疲れることもなくなる。
週末にショッピングモールで、駐車スペースが見つからないときも、いらいらする必要はない。止める場所がなければ車を降りて、無人の車に周辺をぐるぐる走らせて、買い物が終わりかけたころに、戻ってくるような指示を出せば駐車場は必要ない。
このような未来が2025年以降に間違いなくやってくる、と著者は断じる。
また、それが意味することは、同じ時期、ないしはそれから10年ぐらいの時差で、ドライバーの仕事は世界から無くなってしまうということだ。
すくなくとも、タクシー運転手と長距離ドライバーの仕事は確実に無くなると著者はいう。
この労働力人口だけで日本では123万人の失業に相当する。だから自動運転車が実用化された段階で、かならずドライバーの失業が社会問題になるはずだと著者は予測する。
「とはいえドライバーをかならず運転席に座らせるように、官僚や政治家が法律を作るから大丈夫じゃないの?」
それはいいアイデアかもしれない。ただし、筆者がトラック会社の経営者だったら、法律を順守して運転席には時給の安いフリーターを乗せておくという。それで法的には問題ないと筆者は喝破する。
さて、話は変わるが、2016年8月に発売された国産初の自動操縦機能を備えた日産セレナは自動運転レベル2と定義され、ドライバーがハンドルに手を添えれば、あとは自動運転が実現されるが、事故を起こした場合はドライバーの責任となっている。
完全な自動運転車はレベル5と定義されており、日本政府はその前段階のレベル3の自動運転車の実用化を2020年に目標設定している。レベル3とは、加速、操舵、制動の基本運転をすべてシステムが行う一方で、緊急時の対応責任はドライバーが担うというレベルである。しかしこれでは、まだまだ役不足だ。
一方、グーグル社が開発中の自動運転車は「AIを搭載したロボット」である。つまり、AIが進化し結果、それらのカメラやセンサーから入ってくる情報を認識し分析する能力が人間レベルに高まってきたということだ。
そもそも画像処理という分野はコンピューター処理としては、最も大量の情報処理能力を必要とする。人間の脳はその点で非常に高性能にできていて、目から入ってくる画像処理をリアルタイムで分析し、隣のレーンの車がこちらのレーンに車線変更しようとしているとか、対向車が道を横切るために提起しているとか、状況を把握しながら運転している。
ディープラーニング(コンピューターが自力で事理を弁識する能力)をするようになったAIは上記のような、人間と同様の判断能力を学習で身につけることができるようになる。
一方で古いAIは危険だった。日本では2013年にブレーキアシスト機能を導入した乗用車が体験試乗会で事故を起こしたことがある。当時、その車の自動ブレーキは時速30キロ以上出している通常走行時には作動しないように、人間のエンジニアによってプログラミングされていた。
つまりその車は、街中を低速で運転しているときにふいに目の前に子供が飛び出した場合はブレーキが作動するが、道路を普通に運転しているときに、不意に前の車が事故を起こして止まった場合はブレーキが作動せずに、事故車に突っ込む設計になっていたわけだ。
これは当時の車がまだラーニングができないAIを搭載していたから起きた話である。今後進化していく自動運転車は、人間がルールをプログラミングするのではなく、自力で運転とはどのような行為なのか学んでいくことになるはずだ。
そうなれば、人間のような運転能力を獲得し、不注意な人間とは違う「安全な運転」を機械がこなせるようになるだろう。
したがって、上記のようなAIによって自動運転車が誕生すれば、当然ドライバーの失業問題が起こる。それを解決するため、筆者は「ロボット経済三原則」を提唱する。
原則1:すべてのAI/ロボットの利用権を国有化する
原則2:AI/ロボットの産業利用に対しては、その働きが人間何人分か計測し、その仕事に応じた賃金を国に支払う。(後略)
原則3:AI/ロボットに支払われた給料はそのまま国民に配分する
つまり、ロボット(+AI)問題の本質は、「人間の競争相手になるAIとロボットが圧倒的に低いコストだから、人間の仕事を奪ってしまう」点にあるからだ。
そして、大規模に起きるであろう仕事消滅の失業対策として、ロボットの所有権は企業が持っていても利用権は国が持つ形にしておく。ロボットが人間の代わりに働いたら企業は国に対して、人間と同じように給料(利用料)を支払うようにするのだ。
コストが変わらなければ人類とロボットが職場で共存できるようになる。分かりやすく言えば手塚治虫の「鉄腕アトム」のような、ロボットと人類が共存するユートピア社会が訪れる。
そしてコストが変わらないのであれば、企業はロボットを主に人手不足の職場で雇用するようになる。
つまり、AIやロボットが人間よりも労働力が劇的に安くて人間の仕事を奪ってしますから、人類の未来は失業があふれ経済が縮小したディストピアになってしまうのだ。そうではなく、ロボットが人間の代わりに働いてくれる未来にしてしまえば、人類とロボットが経済的にも共存できるものである。
ここで重要なことは、企業がロボットに支払った給料は、ロボット経済三原則に従って国民に等しく配分することだ。これが真の意味での国民のベーシック・インカムになる。
2025年の自動運転車の登場による最初の大失業のときにはまだ小さな財源だが、2030年、2040年とシンギュラリティの日が近づいて、AIだけでなくロボットの性能が人類の能力を凌駕するようになった場合に、どんどん財源が拡大する。そして再配分される富が年々大きくなるから、それによって経済は縮小することもなくなる。
そのような世界は、人間は誰も働かなくなって今ある仕事はみんなAIやロボットが肩代わりしてくれるような時代が来たとする。それでも企業はロボットの仕事分の給料を払い、そのお金は国民に配分される。マクロ経済のGDPを計算すれば、そうなってもGDPは今と変わらない。
つまり最後には人類は誰も働かなくても経済はきちんとまわる、ある意味でのユートピアが出現するのだ。
と本書を自動運転車の観点からかいつまんで紹介したが、なにせ紙幅の都合上、つぎはぎになっていることをお断りしたい。バリバリのコンサルタントの先生よる精緻な「仕事消滅論」を欲している方はぜひ本書を手に取って欲しい。
勉強にはなったが
著者の言うロボットに給与を払う論の主張が強すぎて後半ちょっとしんどかった。
ただ、今後のAIやロボットの世界観を感じられるので一読をおすすめする。