あらすじ
昔ながらの「話せばわかる」が成立しない時代。職場でも、地域でも、いま大きな問題になっているのは、背景、考え方、立場が違う「他者」と、どうやってコミュニケーションをとるかいうこと。そこで必要となるのが本書で紹介する「対話」の技術。対話とは、ひと言でいえば、「他者とコミュニケーションを取ること」に他ならない。本書では30のヒントを通じて、対話を学ぶ。
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Posted by ブクログ
心に深く染み入るように言葉が入ってくる本でした。淡々としながらも土台のところではどこか温かいもの感じさせる文章です。コミュニケーションに悩んでいた自分は、この本に救われた気分です。
ー相手を「他者」としてみることから「対話」は始まる。
これほどのシンプルなことを自分はどれだけ気付けていなかったのか。そのためにこれまでどれほどコミュニケーションエラーを起こして前に進めないという苦い経験を積み重ねただろうかとショックを受けた。
自分は人と分かりあえたと感じると嬉しく感じる。反面、人と分かり合えないと感じると意見の違いを受け止めながらも限界を感じ、途方もない気持ちになっていた。そこで腑に落ちないけれど謝ってみたり、もう気にしていないというふりをしてきた。
この本を読み、自分がこれまでしてきたのは「会話」であり、「対話」ではなかったのだと腑に落ちた。
自分の場合、夫婦間のコミュニケーションである。ずっと興味の対象であった「他者」であるパートナーが家族になり、子供も生まれ、より親密な関係になるはずなのに一緒に暮らせば暮らすほどささやかな違いを積み重ね、分かり合えないことが増えていく。それに伴いざらざらした感情で過ごす時間がどんどん増えていった。
この本を読んで、この不可解な問題の根底は「他者」という視点の欠落だったのだと気付かされました。
家族として共に過ごす時間が増えるだけでなく子育てというタスクも増え、お互いがなくてはならない存在になればなるほど、どんどん視野が狭まり「うちの世界」や「ムラ的共同体」の思考が強くなり自他の区別が溶けてなくなりつつあったようです。
自分も「他者」も尊重されるべき独立した存在であること。その独立した「他者」同士がともに考え合うことができる関係を保つには「対話」を重ねること以外にないこと。それが引いては愛に生きることを選ぶ生き方に他ならないということ。
文章の冒頭から締めくくりまで、読みながら痺れるような体験をさせていただきました。
経験と考察をもとにひとつの物事を深く掘り下げて表現されていくことの美しさ、面白さを体感させていただきました。
Posted by ブクログ
『普通がいいという病』が良かったので、次に手に取った泉谷閑示さんの著書。
「対話の最も重要な部分は、話すことよりも、むしろ聴くところにあります。話し手が語る場を提供し、聴いた話を処理しようと急ぐのではなく、まずはそれを共有することに意味があるのです。」
養老孟司さんの『考えるヒト』に「われわれの意識は主観である」と書いてありましたが、対話を成立させるためには、われわれが各々違う主観に基づいて世界を認識していることを意識し、先ず相手が認識している世界を知った上で対話することが大切なのだということだと思います。
>「理解する」というのは「同意する」ということではない…という話は、多くの人の気持ちを楽にしてくれるのではないでしょうか?相手の気持ちに寄り添い(自分は違うけれども、そういう気持ちになることは)理解できますよ、という応対は、対話を円滑にするコツでしょうね。
>「頭」が用いる言葉は「~すべき」「~してはならない」と分析を行った上で打算的な行動をする。「心」が用いる言葉は「~したい」「~したくない」と即興的に物事を判断する。「心」は「頭」には解析不能な高度な判断を行っている。
相手の話は、相手と自分のコンテキストの違いを意識しながら聴く必要があります。そのギャップを埋める姿勢がないと、中立的な立場で判断できないからです。平たく言うと、相手の立場になって考えるということです。