あらすじ
パレスティナ発の「聖書ストーリー」は、メソポタミア平原を越え、イラン高原へ。東方へ膨張をつづける聖書ストーリーに対し、諸民族はいかに向き合ったか。最大の土着宗教ゾロアスター教、「真のキリスト教」を自称したマニ教、イスラームのグノーシス=イスマーイール派――。13世紀に「異教の魔神たち」が封じ込められるまで、宗教的想像力がもっとも奔騰した1000年を描きだす、東方の精神史。
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Posted by ブクログ
古代オリエントは、多神教の世界である。
その中で、ほぼ唯一、一神教なのが、ユダヤ教。
(イクナートンの宗教改革は突然変異として除外)
なぜ、ユダヤ教が一神教なのか。
説明しようとすれば、それなりに説得力があるものもひねり出せるのであろうが、相手は宗教である。
信じるか否かは、理性で説明しようとする一線を越えている。
だから、ユダヤ教がなぜ一神教なのかは、ここでは問わない。
しかし、そのユダヤ教を母体として、キリスト教、イスラームなどが次々に誕生した。
そしてそれらの枝葉は大きく成長し、今や多神教の世界を駆逐して、三大宗教のふたつにまでなっている。
なぜ、このような事態になったのか。
『古代オリエントの宗教』は、パレスティナ発「聖書ストーリー」が、メソポタミア、地中海世界、そしてイラン高原へと拡大していく様子を、聖書が誕生した頃の「神話並立時代」、聖書ストーリーが爆発的な力を得て他の神々を駆逐する「聖書ストーリー発展期」、最後にイスラームによる「聖書ストーリーの完成と安定」と、大きく段階を3つにわけて概観する。
また、そもそも「聖書ストーリー」そのものの発展についても、主に東方教会においては、「グノーシス的理解からの聖書再検討」、「土着宗教の聖書ストーリーへの取り込み」、そして「聖書ストーリーの続編の可能性」、といった問いかけが成された、という。
このような問の中で、東方教会世界では、聖書の「アナザーストーリー」「サブストーリー」が次々に生まれた、という。
グノーシス的な聖書再検討、といっても、よほどグノーシスと聖書についての知識がなければ、ピンとこない。
もちろん私もその一人である。
著者によれば、この動きは、グノーシス主義が乱立した2~3世紀と、グノーシスによく似た思想を持つシーア派が出現した8~10世紀に顕著だという。
そもそもグノーシスとは、特別な叡智を指す。
これを会得した人間にしか理解できない秘密がある、とする考えだ。
この系統で聖書を再検討したグループとして、マンダ教、マルキオーン主義、原始キリスト教教会、マーニー(マニ)教、最後にイスラームがある、という。
筆者はこれを「聖書のアナザーストーリー」とよぶ。
要は『旧約聖書』+『新約聖書』をよしとするか、何かを付け加えるか、といった、聖書の構成を再検討する上での立場の違い、と考えて良いようだ。
これに対し、聖書ストーリーが土着宗教を飲み込んでいく中で、当然、土着宗教の神々を、聖書の中でどのように正当化するのか、という宗教習合問題が生まれる。
筆者はこれを「聖書のサブストーリー」とよぶ。
ここでは、ゾロアスター教、ミトラ教などが挙げられている。
そして、本書はそれぞれの様子を、最新の研究成果を盛り込みながら概説する。
本書で取り上げられる宗教は、いわば「負け組」であり、日本人にとってほとんどなじみのないものばかりだ。
前提となる知識が不足しているため、丁寧な解説を心がけて著述されているものの、ややハードルが高い印象だ。
たとえば、ゾロアスター教といえば、善悪二元論や終末論で有名で、ユダヤ教にも大きな影響を与えたらしい、などといわれる。
一方で『アヴェスター』はアケメネス朝からはるか時代が下った7世紀に成立した、という。
善悪二元論や終末論のような、単純であるが故に高度な神学理論が、経典なしに生まれ得るのか?という疑問をもっていた。
その答えとして、本書は「ゾロアスター教はアケメネス朝期にはズルヴァーン主義なる「時間信仰」と、イスラームという「聖書ストーリー」の攻勢にさらされるなかで整備された「善悪二元論」という、同じ宗教と言うにはあまりにかけ離れた内容を持つ」と解説する。
また、マニ教というのも、今ひとつつかみ所がなかったが、本書は「マーニー・ハイイェーは「真のキリスト教」を掲げて、もっともラディカルに聖書のアナザーストーリーを展開し、地中海世界の「原始キリスト教教会」と真っ向衝突した」とあり、なるほど、異端として厳しく弾圧された理由が分かった気がした。
他にも謎の多いミトラ教の遺跡の貴重な写真などもあり、ハードルが高い異国の魔神たちについて知る、入門書的な本といえる。
謎が多いこれらの宗教について、手軽に概観することができる本は少ないので、このくらいの内容がちょうどいいかもしれない。
もっとも、冒頭の問に対する答えは、本書にはない。
本書は「聖書ストーリー」に飲み込まれる側の物語なのだから、主題から外れるのだろう。