あらすじ
日本語に主語は重要か? 「は」と「が」はどこが違う? なぜ自動詞が多用されるのか? 受身文に秘められた日本人の世界観とは?……学校では教えられない日本語の知られざる姿をわかりやすく紹介する一冊。これだけは知っておきたい日本語の基本!
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学校の国語で習う文法が大得意だった私。どこかで「『は』は主語に付ける助詞だから、『カレーは昨日食べました』のような文は誤りで、『カレーを昨日食べました』が正しい」と学び、今までそれを守ってました。でも、世間では主語以外にも「は」を付けて話すし、ずっとモヤモヤしていました。そんなとき出会ったのがこの本。学校の文法とは違った切り口から日本語が解説されていて、「は」の使い方を始めとした、学校文法では納得いかなかったところも理解することができました。
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学校で習った国文法ではなく、論理的に日本語を説明することができる文法理論、それが日本語文法である。眼からうろこである。面白かった。ボイス(態)、アスペクト(相)、テンス(時制)、ムード(法?)。表題と解説。コトと話者の気持ち。
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こないだ読んだ本多勝一「日本語の作文技術」で出てきた、日本語では主語は重要じゃないという話をもうちょっと詳しく知りたくて読んだんだけど、これが当たりだった。説明が実にわかりやすいし、そもそも日本語学習者向けの文法説明というのが理論的でわかりやすくできているので、理解しやすかった。「日本語の作文技術」ほど実際的じゃないけど、文法というものにちょっとでも興味があるなら読んだ方がいい。
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語句ひとつひとつの意味を掘り下げることで、微妙なニュアンスの違いを理解できる。ふだんの我々が感覚的に読み書き話す言葉の意図や、潜在的な狙いが、文法を学ぶことで顕著化する。
日本語文法の学者たちが、いかにして自らの母国に問いを投げかけ、体系化していったのか。そんな足跡をうかがえるだけでも、十分に価値のある入門書だ。
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学校で習う日本語文法はとにかく退屈。その日本語文法をわかりやすく、取っ付きやすく解説してる。英語でおなじみの要素が日本語にも存在することに驚き。文型、自動詞と他動詞、受動態、複文と従属文。言語学的に日本語を知ることで、外国語との違いを理解する足がかりになりそう。
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こういうことを教えてくれなかった高校のカリキュラムに対する怒りが湧いてくる。
この本の記述自体は教育的配慮からかなり冗長になっているので、普段から文法を意識して日本語を使っている人なら専門外の人でもこの本の1/5ぐらいの記述で同じ内容を理解できる気がする。
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外国人に教える為の日本語文法をつかった、日本人のための文法入門。小学校・中学校でも、こういう教え方してくれればいいのに、と心の底から思う。
いまさら文法? いやいや、日本語のしくみを学ぶということは、日本人がなにを大切にしているのかを学ぶということにもつながる。
例文として感心したのは、留学生がよく言うというこの文章。
■日本に来る時に、友達がパーティを開いてくれた
■日本に来た時に、友達がパーティを開いてくれた
英文法であれば「時制の一致」という法則に従うところ、日本語ではこの両方が存在して、しかもそれぞれ意味が違ってくる。前者は「もといた国で」、後者は「日本に来てから」パーティが開かれたということを、日本人ならわかる。(はずなのだが……聞き取り調査してみると、けっこうな確率でわからないという日本人も……)
「が」と「は」の違いなど、日常つかっている日本語を、より意識して使えるようになる、という意味でもおすすめの一冊。
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日本語文法が非常に分かり易く書いてあり,また,日本語に隠れた日本の文化の良さまで書かれている。言葉はその国の文化を表すというけれど,そのとおりだなと思った。外国人にもお勧めしたい一冊。
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日本語の文法についての説明。学校で習った文法とは少し異なる視点で日本語文法についての見方がかわる。
主語と述語、の捉え方が違って見えるようになった。相手がわかるだろう言葉は省略されるとか。
堅苦しくなく、さらっと読めるのがよい。
また言語学者では有名な「象は鼻が長い」が引用されていた。
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なんとなくもやっとしか捉えられていなかった日本語の諸現象を解釈する枠組みが得られた感覚がある。
諸所に若干の疑問を抱く部分もあったが、改めて日本語について、その背景にある思想を含め考えるとても良いきっかけをもらえた。
今後日本語学習者に質問をされた際には、再度読み返したいなと思えた。
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言語は使用している国や地域の文化を表している。
日本の自然と調和・共存するような言い回しが、他言語と比較するとはっきりと浮き上がってくるのはとても興味深かった。
2章(だったかな)の「日本語文法はコト+ムード(本書参照)で完成する」と言うのは初めのうちは何を言っているんだ、コトだけで文法上は成立するだろう、と思っていたが、7章で著者がその言わんとしていることを理解できた。
「〜は」=主題、「〜が」=主格という、三上章氏の主語廃止論も納得のいく理論だった。格という成分(主格・所格・共格・対格など)は全て主題となり得、その主題をどの格にしようが文章は変化しない。
【太郎がカフェで次郎とケーキを食べる。】
①主格が主題
太郎はカフェで次郎とケーキを食べる。
②所格が主題
カフェでは太郎が次郎とケーキを食べる。
③共格が主題
次郎とは太郎がカフェでケーキを食べる。
④対格が主題
ケーキは太郎が次郎とカフェで食べる。
主格と述語の関係性はいずれの格が主題となろうとも変わらないため、述語が「食べられる」というような受身の文とならないのだ。
またこの他にも「〜は」と「〜が」の違いを説明する情報の新・旧という問題があり、これは英語の冠詞に類似するという。さらに一般論を説明する場合と中立描写文を説明する場合に分けられるという違いがある。
今までは無意識のうちに発していた日本語が、このように理論的に分かるとなんだか楽しい。他にも多くの理論を学べた。日本語って面白い。
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日本人でも(日本人だからなのか)細かい部分まで理解しようとすると、説明が難しい問題に直面する。仮に外国語として習得するとなったら、結構大変そう。特に語尾とか格助詞のニュアンスや語法は理論的に説明するのは難しい。(今ここでサマリー書くのも難しい、、)
結構印象的だったのが、言語体系は思っていた以上にその国の文化の影響を受けていたこと。「思いやり」の表現、「ウチ」と「ソト」の発想は確かに日本語独特。
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日本人だけど、日本語について知りたいと思って手に取ったこの本。私たち日本人が学校で学んだ国語文法と外国人が日本語を学ぶ時の日本語文法を比較して、外国人からの視点で、日本語の文法を説明してる。自然に話せているから、文法について考えたことない分、改めて日本語文法を考えさせてくれて、とても面白かった。語学はその国の文化や考え方から来たものであり、英語を学ぶものとして、その国の文化を理解することが大切だと教えてくれた。とても面白い本だった♪( ´▽`)
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私たちが学校でならう「国文法」とは別に、外国人に日本語を教えるための「日本語文法」なるものがあることを知るきっかけとなった本。
とても興味深く読んだが、ページ数の関係から内容がやや中途半端。
興味が湧いた方は同著者による「考えて、解いて学ぶ日本語文法の教育」を読んでさらに理解を深めることをお勧めします。
以上
Posted by ブクログ
日常的に日本語を使っている日本人には分からない、ニュアンスとしての日本語の話がてんこもり。少し学術的に偏っている感もあるけど、翻訳業の人間には有用。
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ムード、ボイス、テンス、アスペクトといった外国語文法ではおなじみの道具立てでもって、日本語がクリアに説明されていくのは壮観です。
ついに日本語がグローバルスタンダード(?)の土俵に乗ったかとの感慨すら覚えます。
そして、クリアに説明されているだけに、日本語と英語との差異が浮き彫りになります。間接受身文や時制の一致に関する部分が典型でしょう(本書では英語との比較が随所に出てきます)。
学校でいくら勉強しても英語ができるようにならないことについては様々な議論がありますが、ひょっとすると学校文法(国文法)と欧米語文法の相性の悪さもその一因なのかもしれません。
英語教育の失敗(僕は必ずしもそうは思いませんが)の原因が、英語教育ではなく、国語教育にあったのだとしたら、悪い冗談だとしか思えません。
日本語と外国語を同一平面で見渡せるという点で、外国語学習者には相当得るところがある本だと思います。
日本人の自然を愛する心や思いやりの心が日本語文法にあらわれているという著者の意見にはやや閉口したので、マイナス1点。
日本語だけが人と自然にやさしいエコでロハスな言語だということはないでしょう。語末表現の多様さ、補助動詞の使い方やアスペクトの表現はほぼ日本語と共通の朝鮮語も同じではないかという話です(本書では日本語文法と朝鮮語文法の比較もよく出てきます)。
どうでもいい話。
(迫真)(震え声)(小並感)といった淫夢語は、ボイスの説明だったんですねー。(「一流企業に就職したい。(願望)」本書p146)
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無味乾燥だった学校文法に比べて「日本語文法」の斬新さに驚嘆した.外国人に日本語を教えることがベースになっているからか、英語との対比が面白かった.昔話の「おじいさんとおばあさんが」の「が」と「おじいさんは」の「は」が英語の冠詞のaとtheに対応する件は、思わず「その通り!」の声が出た.
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テーマは興味深く、面白く読むことが出来ましたが、説明が足りないと感じる部分がありました。もう少し詳しく説明された日本語文法の本を読みたくなりました。日本語文法の入口の本としては有用だと思います。
Posted by ブクログ
学校文法とは異なる日本語文法の姿に初めて触れることができた。
ボイス(態)、アスペクト(相)、テンス(時制)、ムードといった聞きなれない用語も、概略が分かりやすく理解できた。
丁寧で分かりやすい説明というのは、このような文章なのだと感心させられる。
文化・メンタリティと言語が不可分であることも、よく認識できた。
知識としては面白かったが、これを読んでも日本語の上達にはつながらないように感じる。
12-155
Posted by ブクログ
扱われているのは次のような内容。
・日本語の文型
・コトとムードの文構造
・自動詞他動詞の機能
・ボイス
・アスペクト
・テンス
・ムード
・複文
部分的には知っている話もあったが・・・。
自動詞他動詞の問題は、動詞の性質(あらわすものが動作か、状態か、変化か)ということと関わる。
このことが、「~ている」「~てある」の使い分けにも関わっているという。
たしかに、言われてみれば理屈は納得。
これまでそのことを総合的に考えようとしてこなかった自分に愕然とした。
ただ、その一方で、ただトピックを並べただけの章もあり、そこはちょっと残念。
個々の文法的な減少から見えてくる大きな風景がもっと見られたらよかった・・・。
Posted by ブクログ
まえがきから今まで自分たちが学校で学んできた文法と、実際の日本語文法と違うという指摘があり、
全くそのことを知らなかった私にとっては目からうろこが落ちる思いでした。
また、普段何気に使っている言葉には、何をどう選択するのが正しいかという論理的な理由があり、
曖昧だと思っていた言葉が実はかなり明確なものだということに気付かされました。
全体を通して非常に読みやすく、小難しい部分はありません。
日本語について興味がある方だけでなく、外国語を勉強している方にもためになる内容だと思います。
Posted by ブクログ
「日本語文法入門」だなんて、義務教育時代の国語授業を学び直す内容なのだろうな、と簡単に推測して買った本です。しかしながら、どうやらそういう中身ではなかったのでした。「どうやら」なんて言い方をするのは、僕が義務教育時代に、どうやって文法を教わったのかを、ほとんど覚えていないからです。「連用形」だとか「体言止め」だとかといった言葉は覚えていますが、文法といえば、どちらかというと英語文法のほうが頭に残っているほうです。
さて。
これまでみんなが国語で習ってきたものって「学校文法」と呼ばれていて、「日本語文法」とは区別されている、とあります。それでもって、日本語文法のほうが正しい、と。なぜか。学校文法は古文と現代語との連続性を考え、あえて論理的矛盾に目を瞑り、言語感覚を養っていくようなところがあるようです。日本語文法は、まるで外国語の仕組みを研究するように日本語を扱い、どういった論理で言語が成り立っているかを学術的に研究したうえでの論理的文法解読。
日本語文章は、「主語述語と装飾する言葉たち」というとらえ方ではなく、「述語とその他の装飾する言葉たち」というとらえ方がほんとう。述語以外は文の成分になります。主語は重要ではないのでした。述語こそが重要なのです。
初めて知った言語学の言葉に「ボイス」「アスペクト」「テンス」「ムード」がありました。とくに「ボイス」を見たときの日本語の見え方がとても面白いです。「ボイス」とは、受動文、使役文などといった用法をいいます。そんな、受身形、使役形のほか、もうひとつ重要なものに「やりもらい形」があり、これこそ日本語の特徴的な形であり、そして、この言語を使用する日本人の心に表したり影響を与えたりしているわけでした。
「やりもらい形」は「~~してあげた」「~~してくれる」「~~してもらった」といった使い方がそれにあたります。たとえば、「教える」という言葉をあてはめて、「A君がB君に日本語を教えてあげた」「A君が私に日本語を教えてくれた」「B君がA君から日本語を教えてもらった」という三つの分があるします。「やりもらい形」を外すと、「A君がB君に日本語教えた」「A君が私に日本語を教えた」「B君がA君から日本語を教わった」ととてもシンプルな形になるのですが、日本人はそこに物足りなさを感じやすいといいます。なぜか。
「やりもらい形」は日本人の思いやりの心が込められているからだと著者は書いています。さっきの三つの文章に戻ります。どう思いやりが込められているかというと、「A君がB君に日本語を教えてあげた(A君がB君に日本語を教えるという思いやりをあげた)」「A君が私に日本語を教えてくれた(A君が私に日本語を教えるという思いやりをくれた)」「B君がA君から日本語を教えてもらった(B君がA君から日本語を教えるという思いやりをもらった)」という以上の例文のようになるのでした。著者も、なんともまどろっこしいのだけど、どうしてこういう表現をするのか、と問いかけつつ、つづけて解説をしてくれます。
日本人は和を尊重します。そこでは助け合いが必要で、必然的に他人とのやりとりには思いやりのやりとりが重なっていった。著者は聖徳太子の憲法十七条にある「和をもって尊しとなし」を引用して、日本人らしさはこういうところにあるといいます。現代の日本人もこういった言語の仕組みの影響を受けながら、思いやりの心を育むのかもしれないですね。これが英語だと、自我中心の言語なのでこうはいきません。他の章でもあるのですが、日本語は自然を受け入れるかたちの用法に満ちていて、自然中心の言語だと言えるのだそうです。
というように、このような日本語文法の本を読んでいると、言葉たるものがどれだけ心に影響するか、また、日本語が心の細やかな動きにどれだけよく対応する言語か、ということが行間または文章の奥のほうから立ち現れてくるのを感じるのでした。
ふだん、あまり意識せずに使っている日本語を、客観的に学問するように眺め直してみると、なかなか頭が柔軟に対応してくれませんでした。過去に学校文法を学んだ時の脳の部位がかちかちになっていて、なんだか変化を拒むかのようでした。それでも、用法の細かいところはさておき、英語とは違った構造による人の心理への日本語の影響をうかがい知ることができたのはよかったです。
あとがきに「サピア・ウォーフ仮説」という言語理論について述べられています。言語の構造は、その言語の話し手の認識や思考様式を条件づけるというものです。社会や環境、遺伝子のみならず、言葉なんていうものからも、人間の心理や精神構造、思考様式は大きな影響を受けているのではないか、ということなのです。こうやって日本語についてちょっと詳しくみただけで、僕はもう、この仮説を受け入れたい気持ちになってくるのでした。