【感想・ネタバレ】興亡の世界史 アレクサンドロスの征服と神話のレビュー

あらすじ

ギリシア北方の山岳地帯で山羊の放牧を営んでいたマケドニア人が王国を建設したのが前7世紀半ば。前4世紀にギリシアを征服したフィリッポス2世の後を継いだアレクサンドロス大王は、前334年に東方遠征に出発し、ペルシア帝国を征服。たった10年で地中海からインダス川にいたる大帝国を築き上げた秘密と、ローマ帝国の皇帝崇拝など後の歴史に大王が与えた影響力を解明する。

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Posted by ブクログ

マケドニアのアレクサンドロス
今から約二千三百年前、かつてないほどの広さを一代にして征服し、わずか32歳にして領土とともにこの世から消え去った。

後世の歴史家などからさまざまな解釈がなされ、政治情勢にも利用された、「巨大な矛盾を孕んだ複雑極まりない人物」の物語。

〈興亡の世界史〉では極めて異色かつ強烈な“個人”の興亡として、大王自身の人物像に切り込みを入れた書。

ペロポネソス戦争の後も争いに明け暮れるギリシャ諸国、バルカン半島北部に興ったマケドニアの王フィリッポスはバルカン全域を支配するも、暗殺される。あとを継いだ若き王アレクサンドロスは、父が果たせなかったアカイメネス朝ペルシャへ戦いを挑む。

戦いに勝つことに自分の居場所を見出す人は、戦った後のことには興味がないのだろう。
大王は確かに短時間で広大な地域を巡った。
それは、在らん限りの心と体を捧げたにも関わらず、ただそれだけに思えてしまうほど、虚しい。

後世のひとがどう評価し利用ようが、結局、アレクサンドロスの物語は大王自身の生き様の物語であった。

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2025年10月31日

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アレクサンドロス大王は、紀元前の古代にマケドニアから東方征服を行い地中海東側からペルシア、中央アジア、インド西側に至るまでの王国を短期間に築くという偉業を成し遂げた。しかし輝かしい功績の影には無数の一般市民が亡くなり、街が破壊されていたという負の面があることに気づかされた。武勲と名誉という分かりやすい価値観とは異なる現代に生きていれば、安易に受け入れることが難しい人物かもしれない。とはいえ、大王の残した功績や影響は大きく、例えばアレクサに声をかけて情報を得ている現代人がいる。大王の個人的な魅力とは距離をおき、現代にふさわしい指導者・為政者とはどのような人物像がふさわしいかを考え直す機会になった。

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2025年01月17日

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興亡の世界史。

いかにして、あれほどの広大な土地を征服したのか、彼のエピソードや当時の世界情勢などを考察しながら、読み解いていく。

ワクワクして読んだ。

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2021年10月17日

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 「ぺルシア・アジア世界へのギリシャ文明の浸透」と一般に解されている「ヘレニズム」。ここに西洋文明の東洋に対する優越というバイアスを嗅ぎ取った著者は、東洋へのペネトレーションを驚くべき迅速さで達成し、古代ギリシア的価値観の体現を目指したアレキサンドロスの生涯と業績にフォーカスし、その背景に当時の東洋と西洋の邂逅の実際を浮かび上がらせようとする。
 
 「ギリシアの大義」を掲げて始まったアレキサンドロスの東方遠征だが、アカイメネス朝ベルシアとの戦いではギリシア人部隊を重用せず、またギリシア的価値観に反する僭主制を許容するなど、そもそも矛盾含みの立ち上がりであった。アカイメネス朝滅亡後はペルシアにおける支配体制確立を企図し、宮廷儀礼にペルシア風の跪拝礼を取り入れ、またペルシア王族に倣い豪奢な天幕を備えるなど「王権の視覚化」に傾注するが、かえってマケドニア古参らの反感を買いクレイトス刺殺の遠因を作る結果となる。そればかりか、ペルシア人貴族らの重要性に気づいていながら彼らとの安定的関係構築を怠ったため、自身の死後に帝国の不安定化を招いてしまう。結局ペルシア文化に倣う風を見せながら、アレキサンドロスの東方世界の文化・伝統に対する理解と洞察は、あくまで表面的な水準に止まっていたのだ。
 名誉を重んじるマケドニア人の心性を利用した論功行賞の巧みさに見られるように、結局帝国を纏め上げていたのはアレキサンドロス自身に対する臣下らの「忠誠心」であり、その中心にあったのは常勝を宿命づけられたホメロス的英雄像に沿わんとするアレキサンドロスのあくなき競争=アゴンの精神だった。アレキサンドロスの最大の功績は、神の系譜に繋がる神性に英雄の姿を見るギリシア的心象を最大限に利用し、後のローマ帝政に繋がる君主崇拝に道を拓いたことであり、アジア地域へのギリシア文化の浸透に対する貢献は限定的で、従ってヘレニズム文化形成における当時のギリシア文化の比重も然程高くはない、というのが著者の主張。むしろギリシア文化再評価を経由したローマ文化の方が影響大であると説く。

 著者はさらに歩を進め、ヘレニズムという概念自体、「アレキサンドロス=文明の使徒」とするドグマが、19世紀の西欧帝国主義において、文化融合の旗頭として御都合主義的に用いられた結果の産物だと喝破する。「結局われわれがなすべきなのは、ギリシア文化を含む多様な文化の、アジアにおける動向を実証的に研究していくという、当たり前のことしかないのではないか」としてしまうのはやや真っ当に過ぎるような気もするが、西洋に深く根差した異文化蔑視の空気に対するもどかしい思いが伝わってくる。

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2019年11月10日

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伝説のベールの向こうにいるアレクサンドロスとは、どんな姿なのか。
いろいろな立場の人が自分の立場に都合良く作り上げたアレクサンドロス像
その向こう側の姿を追っていった結果、それはもはや人では無く、むしろ本人が望んだような『不滅の名声』を手に入れた英雄であり、むしろ『叙事詩』そのものであったという…
その結果、アレクサンドロスの帝国は、ナポレオンの帝国と違ってあくまでも個人商店であったのも納得。しかし、彼の名声は、彼の後継者が後継者争いをしながら作り上げていった面が多々あるとはいえ、彼の東方遠征はやはり不滅の英雄譚としか言いようがないなと。
ただし、ギリシャと東方との融合とか、ギリシャ文化を『未開の』東方に広めてやったとかそう言った余計な話は、英雄譚に、叙事詩にふさわしくないからいらないよな。

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2018年10月14日

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2016/4/24
アレクサンドロスも興味深いが、父フィリッポスも興味深い。父の野望を息子が引き継いだのかも。そして対戦相手のペルシャ帝国のことが知りたくなった。ヘレニズムの国々も知りたい。どんどん知識欲が増えてくる。アフガニスタンは急峻な山河が多くそれぞれ部族単位で生き延びている。いろんな征服者が挑んだが、決して征服されることなく現在に至る。すごいね。バクトリアについてもっと知りたい。イラン・アフガニスタンに行ってみたくなった。

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2016年12月16日

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アレクサンダー大王の生前のマケドニア王国から後継者戦争までを多様な視点で書いたもの。アレクサンダー大王を中心とした歴史の概要がよくわかる。
アレクサンダー大王があれほどの征服ができたことは世界史上の大きな謎だが、この本ではアレキサンダー大王の個人的な資質に帰しているようだ。
フィリップ2世に育成されたマケドニア兵の強さが大きいとも思うが、ギリシア兵が思った以上に使われていなかったのが不思議。
後期はペルシア兵などをかなり登用したようだが、戦争しながら異民族から兵を育成するなどよくできたと思う。

変貌するアレキサンダーについていけないマケドニア兵、統治体制が不十分な中の反抗と粛清、10年ならば勢いに飲まれた家臣や民衆も征服が止まったらアレキサンダーにどう向かったのか、彼がここで死んだのは幸運だったのかもしれない。

アレキサンダーの征服戦争は10年だが、後継者戦争は60年。
その長さやマケドニア王族の悲惨な末路はアレキサンダーの征服で溜まり込んできた矛盾の解消に費やされたのではないか。

個人的にはフィリップ2世があと20年生きれば、もっと堅実にマケドニア王国を発展させたと思うし、父のほうが名君だったと考えるが、アレキサンダーの太く短い閃光のような業績故に歴史に輝いたのだろう。

それにしてもアレキサンダーのエピソードを読むと、信長と同じように絶対に仕えたくない上司だと思う。
彼に最後まで仕えられた将軍達が後継者戦争で王国を作ったのも故有ってのこと。
次は後継者戦争の詳しい歴史を読みたい。

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2024年09月20日

Posted by ブクログ

240121004

アレクサンドロスもそうであるように、いかなる人物もその時代から自由ではありえない。アレクサンドロスは古代ギリシア人の価値観を追求するなかで空前絶後の帝国を築いた。私たちが歴史を見るときはそのような考えで見つめるべきである。

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2024年01月21日

購入済み

面白い

新しい大王の姿が見られます。

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2020年10月02日

Posted by ブクログ

アレクサンドロス大王の征服について、帝国の拡大だけでなく支配体制などから批判的な考察もされている。個人的に興味深かったのが神格化と古代ギリシア的価値観について。後世への影響と名誉が英雄として今でも語り継がれる原動力というのは凄いなぁと思う

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2020年01月16日

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