あらすじ
「あたしは絶対、人とは違う。特別な人間なのだ」――。女優になるために上京していた姉・澄伽(すみか)が、両親の訃報を受けて故郷に戻ってきた。その日から澄伽による、妹・清深(きよみ)への復讐が始まる。高校時代、妹から受けた屈辱を晴らすために……。小説と演劇、2つの世界で活躍する著者が放つ、魂を震わす物語。
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Posted by ブクログ
強烈な自己愛を持つ澄伽。
澄伽は高校卒業後、女優を目指して田舎から上京していたが、両親の事故死で4年ぶりに帰省。田舎に住む妹・清深や、兄そして兄嫁をまじえ、様々な騒動をまき起こす、というお話。
話が進むにつれ、ドロドロとした4年前の出来事が明らかになっていきます。
当時18歳の澄伽は、女優になるべく上京を望む。自身の才能を信じて疑わない澄伽は、上京さえすれば成功すると思い、上京の資金を貯めるため、身体すら同級生に売っていた。
澄伽は女優になりたいので上京したいと父親に訴えるが、澄伽の演技力は高校の文化祭ですら失笑されるレベル。父親は「お前に女優の才能はない」と一蹴するが、反発した澄伽は刃物を振り回して暴れ、兄に大きな傷を負わせる。
引っ込み思案の清深は、以前より澄伽の日記を盗み読みしており、澄伽の中で育つ自己愛を観察。この事件を機に澄伽の自己愛を何かの形として表現したいという衝動に駆られ、漫画にして応募してしまう。結果、この漫画は受賞。澄伽が同級生に身体を売っていたことを含めて内容は村全体に知れ渡る。そして。。
清深の分析は秀逸です。
「高校を卒業すれば、現実が日常に入り込んで来る割合は今までとは比べものにならない。・・・普通なら自信をなくす場面で、姉のプライドは一層高められ、自意識はますます強められていったのである。だから姉が社会に出て行くことは『姉の自我と現実との闘いなのだ』と清深は思った。現実が姉を呑み込むか、姉が現実を呑み込むか。」
自己愛は、自分を成長させる原動力になり得ます。一方で、自己愛が強すぎると、現実との折り合いをつけることが難しくなります。澄伽のように、「自分が何物でもない可能性など、あり得ない」と考えるまでこじらせてしまうと、もはや後戻りはできない。現実に呑み込まれてポッキリおれてしまうか、自己愛の対象に足るだけの成功をおさめるか、どちらかしか道はなくなってしまいます。
実際、澄伽の精神は、これまで侮蔑の対象だった清深にすら馬鹿にされていたという事実と、「ほらね。やっぱりお姉ちゃんは四年経ってもお姉ちゃんだ。最高に面白いよ。」という言葉で崩壊します。
「唯一無二の存在。あたしじゃなきゃ駄目だと。あたし以外は意味がないと。あたしだけが必要だと。誰か。あたしのことを。あたしを。特別だと認めて。他と違うと。価値を見出して。あたしの。あたしだけの。あたしという存在の。あたしという人間の。意味を。価値を。理由を。必要性を。存在意義を。今すぐ。今すぐに。だって死ねば終わる。終わる。消滅する。どこにもいなくなる。消滅する。死ねば終わる。終わる。終わる。終わる。・・・・」
澄伽の「終わる。終わる。終わる。・・・・」という言葉は約1ページ続きます。
自己愛で身を滅ぼさないようにしましょう。
Posted by ブクログ
作者は演劇の世界に身を置く人物であるので、きっと澄伽みたいに「実力はないけど、自尊心だけは高い」人物。
男性、女性に関わらずたくさん見てきただろう。
モデルはいるのだろうか。いるとしたら、作者は本気で嫌ってるんじゃないだろうか。
清深はどうだろう? 「不謹慎だと思いながらも物語のネタにしたくてしょうがない」人物。
これも沢山いそうだ。私生活を削って脚本を書く人。身近な人物をネタに使うわけだから、近ければ近いほどネタにしやすい。結果、ネタ元には嫌われる。こちらに対して、作者は同情的な立場にいるように思う。
タイトルの「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」は誰から誰に対するメッセージなのだろうか。「腑抜けども」と複数形であるからには一対一の関係の中で発せられた想定のものではないだろう。
私には、作者から登場人物、ひいては演劇の世界に身を置く人たち全てに対して言っているように感じられた。身内を売ってでも、人の心を動かすものを作れよ、誰に嫌われてもいいだろ、と。
Posted by ブクログ
力強いタイトルが印象的な一冊。でも読み終わって、なんでこのタイトルなんだろう、、と思うなどした。美人だけどそれ以外がメチャクチャな姉と、才能があるけどその興味が姉に偏ってしまった妹。義兄と義姉のいびつな夫婦関係。激しい怒りの応酬。呪い。
ラストシーンの赤い封筒が散らばるシーンの鮮やかさが印象的だった。舞台という映像ありきで書かれた小説だからこそ、抽象表現が見事なのかもしれない。
激辛カレーを食べたあとみたいなすっきり感だけが救い。救いはないけど。。
Posted by ブクログ
『異類婚姻譚』以来2冊目。既に崩壊しきっているる感のある家族で両親が死んでしまい、残された子どもたちと嫁いできたお嫁さんがいよいよ大変なことになっちゃう話。今年読んだ中でも屈指のヤバイ小説だった。もう本当に、ヤバイ以外の形容詞が思い付かないのだ。
『異類〜』は極めて近い人間関係が齎す発酵のようなものが非常に印象的だったが、こっちは発酵などといわず完全なる腐敗。もう捨てるしかないって感じ。
超絶自意識過剰ワガママ女に育った姉、間違った方法(だと私は思う)家族を守ろうとする嫁にDVする兄、家族の不幸を売り物にしちゃう妹、不幸欲張りセットな人生を歩んできたお嫁さん。楽しい話になる訳がない(ある意味めちゃくちゃ面白いが)。
丁度先日、引きこもりが小学生を殺害して自死を遂げる事件や、元政府高官が絵に描いたようなドラ息子を殺める事件があった。こうした家庭の問題(家庭が悪いという意味でなく、家庭の中で発生している問題)は、往々にして家庭内で解決するものではないと思う。
私も、嫁(私の母)小姑義父母の絡む問題が持ち上がって実家がヤバイことになっていることがあった。私は実家は出ていたので、個人的に外部の人に相談し、色々な知見を得たのを覚えている。家族の延長ではあるが、嫁の実家だったり知人だったり。家族の常識が傍から見れば非常識であることは結構あって、私も二十歳頃にカウンセリングを受けているなかで初めて家族の持つ「いやそれはおかしいよ」という点に気付いて目から鱗が落ちる思いをした。今は家族が好きになっている。
だから、窓を開けて換気をするような行為が、家族には必要なのだと思う。
そうした視点から本作の家族を見てみると、もうどんどん殻にこもる方向へひた走っている。人様に家庭の問題が妹のせいで外に漏れた(しかも噂がガンガン広がっていくムラ社会で)ことで、ますます煮詰まっている感がある。中でもこの傾向が一番強いのが兄で、俺がなんとかしなければと努力する方向性がヤバすぎる。まるで、火事になった家から外に飛び出さず、まだ燃えていない部屋に逃げ込んでいるかのようだ。
それだけに、最終盤で動く物語は、多大すぎる犠牲を払いつつも、打ちのめされた登場人物たちがスタート地点に立てたのだという爽やかさを感じないでもない。こんなこと『異類〜』でも書いた気がするな。
Posted by ブクログ
女優志望の女性が両親の葬儀のため実家に帰ったことから巻き起こる家族内の確執とその結末を描いた物語です。
どこかにいそうと思える部分がなくはないものの、現実離れした個性を与えられた登場人物が何よりも印象的でした。
特別な人間でありたいという思い。
自分の負の側面から目を背けること。
本人が大真面目でも、他人から見て滑稽であること。
誰もが経験するありきたりなものと思えますが、その歪さを何倍にもして見せつけられました。
登場人物たちの姿は読後振り返ってみると滑稽としか言いようのないものですが、ままならない性質や環境に対する切実さ・重々しさは尋常でなく、悲劇というのか喜劇というのか判別不能な作品でした。