あらすじ
「あたしは絶対、人とは違う。特別な人間なのだ」――。女優になるために上京していた姉・澄伽(すみか)が、両親の訃報を受けて故郷に戻ってきた。その日から澄伽による、妹・清深(きよみ)への復讐が始まる。高校時代、妹から受けた屈辱を晴らすために……。小説と演劇、2つの世界で活躍する著者が放つ、魂を震わす物語。
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Posted by ブクログ
小説でここまで感情をむき出しに伝えられるのはすごい。
パッションに圧倒されつつ、自分も勘違いな学生時代を生きていたよなって思い出しながら主人公のことがちょっと愛しく感じる。手段を選ばなすぎてちょっと引くけど。
Posted by ブクログ
幸せって諦めることなんだな
どれだけ酷い仕打ちに遭っても不幸中の幸いを見出そうとする待子の姿が印象的だった
相反して自分だけは特別だと思い込む澄加はどう見ても痛々しかった
自分に似た部分があるから余計に
ある程度の諦めが大事なのかもしれないな
映画の方もまたみてみたい
Posted by ブクログ
異常な自尊心とそうではないものとの境界はどこなんだろう。人に必要とされたい要求、特別だと思われたい要求は、人間の普通の感情な訳で、でもそこがあまりにも高いとその人にも周りの人にも悲劇を生む結果になる。自尊心は大切だ。誰のものも。ただ相手を大事にすることが行き過ぎると、自分を粗末にし汚してしまうことも起こる。本末転倒だ。自尊心をコントロールするバランスはなかなか難しい。
Posted by ブクログ
「もう誰も思い出せないほど昔からこの家で活動する扇風機の生温かい送風を受け、彼女の短い黒髪、制服のスカートの裾だけがもがく生き物と化し、バタバタとはためいては逃亡の意志を見せている」
言葉が視覚的な意味で具体的。全ての場面が映画の一シーンのように脳に浮かぶ。さすがだと思いました。
読み返してみると姉以外はほとんど心理描写がなく迷いや期待もどこか遠くから解説しているようで。その無関心さが、逆に(読み手にとって)救いであるように感じた。
浅はかで残酷で、人間として何かを踏み外していて、やっぱり彼らは愛おしい兄妹なんだなと思いました。
最後に言葉が全部自分に跳ね返ってくる皮肉的な終わり方も良い。
Posted by ブクログ
こんなことって、現実にあるのかな?
なんか、ありそうで怖い。
人から承認欲求を満たしてもらわないと、
生きられない人間って…
悲劇だな。
滑稽とも言える。
他人事ならね。
普通は気づくよね?
周りの人の反応で、自分に才能があるかどうかって。
わからなくて突っ走る。
25歳くらいまでなら、有り得るかも。
その頃までって、意外と自分のこと、
よくわかってなかったりするから。
1番最後が救い。
やっと本当の人生を始められる。
だから、読後感はそんなに悪くはない。
本当に、自分で自分のこと認められないって、本当に悲劇だね。
身に沁みてわかったわ。
Posted by ブクログ
セブンルールってなんだかいけ好かない連中が出てるテレビ番組でこの人かわいいなって思ったのが本谷有希子で、どんな本書くのかなと読んでみた。んーところどころ面白い - ぷっと笑えるって意味と、実は深い考察が裏にあって興味深いって意味で - んだけど、なんだろうな心の底から楽しめなかったな。各キャラはめちゃくちゃ面白いからもっと動かして欲しかったな。この妹の必死な人間を茶化すところがめちゃくちゃシニカルで面白いからもっと見せて欲しかった。
Posted by ブクログ
強烈な自己愛を持つ澄伽。
澄伽は高校卒業後、女優を目指して田舎から上京していたが、両親の事故死で4年ぶりに帰省。田舎に住む妹・清深や、兄そして兄嫁をまじえ、様々な騒動をまき起こす、というお話。
話が進むにつれ、ドロドロとした4年前の出来事が明らかになっていきます。
当時18歳の澄伽は、女優になるべく上京を望む。自身の才能を信じて疑わない澄伽は、上京さえすれば成功すると思い、上京の資金を貯めるため、身体すら同級生に売っていた。
澄伽は女優になりたいので上京したいと父親に訴えるが、澄伽の演技力は高校の文化祭ですら失笑されるレベル。父親は「お前に女優の才能はない」と一蹴するが、反発した澄伽は刃物を振り回して暴れ、兄に大きな傷を負わせる。
引っ込み思案の清深は、以前より澄伽の日記を盗み読みしており、澄伽の中で育つ自己愛を観察。この事件を機に澄伽の自己愛を何かの形として表現したいという衝動に駆られ、漫画にして応募してしまう。結果、この漫画は受賞。澄伽が同級生に身体を売っていたことを含めて内容は村全体に知れ渡る。そして。。
清深の分析は秀逸です。
「高校を卒業すれば、現実が日常に入り込んで来る割合は今までとは比べものにならない。・・・普通なら自信をなくす場面で、姉のプライドは一層高められ、自意識はますます強められていったのである。だから姉が社会に出て行くことは『姉の自我と現実との闘いなのだ』と清深は思った。現実が姉を呑み込むか、姉が現実を呑み込むか。」
自己愛は、自分を成長させる原動力になり得ます。一方で、自己愛が強すぎると、現実との折り合いをつけることが難しくなります。澄伽のように、「自分が何物でもない可能性など、あり得ない」と考えるまでこじらせてしまうと、もはや後戻りはできない。現実に呑み込まれてポッキリおれてしまうか、自己愛の対象に足るだけの成功をおさめるか、どちらかしか道はなくなってしまいます。
実際、澄伽の精神は、これまで侮蔑の対象だった清深にすら馬鹿にされていたという事実と、「ほらね。やっぱりお姉ちゃんは四年経ってもお姉ちゃんだ。最高に面白いよ。」という言葉で崩壊します。
「唯一無二の存在。あたしじゃなきゃ駄目だと。あたし以外は意味がないと。あたしだけが必要だと。誰か。あたしのことを。あたしを。特別だと認めて。他と違うと。価値を見出して。あたしの。あたしだけの。あたしという存在の。あたしという人間の。意味を。価値を。理由を。必要性を。存在意義を。今すぐ。今すぐに。だって死ねば終わる。終わる。消滅する。どこにもいなくなる。消滅する。死ねば終わる。終わる。終わる。終わる。・・・・」
澄伽の「終わる。終わる。終わる。・・・・」という言葉は約1ページ続きます。
自己愛で身を滅ぼさないようにしましょう。
Posted by ブクログ
タイトルが格好いい。「腑抜けども」とはなかなか実生活で言う機会がないから、言ってみたい。エキセントリックな女優志願の姉・澄伽と、内に秘めた思いが凄まじい妹の清深、血の繋がらない兄の宍道。そして宍道の妻の待子。4人のおかしい人達の死闘のようなぶつかり合い。皆さん相当ぶっ飛んでるけど、各々にほんのちょっとずつ共感できる不思議。どう読んでもホラーでクレイジーな物語だが、何故か読後はピエロを見ているような、滑稽さと悲しみと爽快を感じる。こういうの嫌いじゃない。たぶん短い物語だから良いのかも。
Posted by ブクログ
作者は演劇の世界に身を置く人物であるので、きっと澄伽みたいに「実力はないけど、自尊心だけは高い」人物。
男性、女性に関わらずたくさん見てきただろう。
モデルはいるのだろうか。いるとしたら、作者は本気で嫌ってるんじゃないだろうか。
清深はどうだろう? 「不謹慎だと思いながらも物語のネタにしたくてしょうがない」人物。
これも沢山いそうだ。私生活を削って脚本を書く人。身近な人物をネタに使うわけだから、近ければ近いほどネタにしやすい。結果、ネタ元には嫌われる。こちらに対して、作者は同情的な立場にいるように思う。
タイトルの「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」は誰から誰に対するメッセージなのだろうか。「腑抜けども」と複数形であるからには一対一の関係の中で発せられた想定のものではないだろう。
私には、作者から登場人物、ひいては演劇の世界に身を置く人たち全てに対して言っているように感じられた。身内を売ってでも、人の心を動かすものを作れよ、誰に嫌われてもいいだろ、と。
Posted by ブクログ
力強いタイトルが印象的な一冊。でも読み終わって、なんでこのタイトルなんだろう、、と思うなどした。美人だけどそれ以外がメチャクチャな姉と、才能があるけどその興味が姉に偏ってしまった妹。義兄と義姉のいびつな夫婦関係。激しい怒りの応酬。呪い。
ラストシーンの赤い封筒が散らばるシーンの鮮やかさが印象的だった。舞台という映像ありきで書かれた小説だからこそ、抽象表現が見事なのかもしれない。
激辛カレーを食べたあとみたいなすっきり感だけが救い。救いはないけど。。
Posted by ブクログ
『異類婚姻譚』以来2冊目。既に崩壊しきっているる感のある家族で両親が死んでしまい、残された子どもたちと嫁いできたお嫁さんがいよいよ大変なことになっちゃう話。今年読んだ中でも屈指のヤバイ小説だった。もう本当に、ヤバイ以外の形容詞が思い付かないのだ。
『異類〜』は極めて近い人間関係が齎す発酵のようなものが非常に印象的だったが、こっちは発酵などといわず完全なる腐敗。もう捨てるしかないって感じ。
超絶自意識過剰ワガママ女に育った姉、間違った方法(だと私は思う)家族を守ろうとする嫁にDVする兄、家族の不幸を売り物にしちゃう妹、不幸欲張りセットな人生を歩んできたお嫁さん。楽しい話になる訳がない(ある意味めちゃくちゃ面白いが)。
丁度先日、引きこもりが小学生を殺害して自死を遂げる事件や、元政府高官が絵に描いたようなドラ息子を殺める事件があった。こうした家庭の問題(家庭が悪いという意味でなく、家庭の中で発生している問題)は、往々にして家庭内で解決するものではないと思う。
私も、嫁(私の母)小姑義父母の絡む問題が持ち上がって実家がヤバイことになっていることがあった。私は実家は出ていたので、個人的に外部の人に相談し、色々な知見を得たのを覚えている。家族の延長ではあるが、嫁の実家だったり知人だったり。家族の常識が傍から見れば非常識であることは結構あって、私も二十歳頃にカウンセリングを受けているなかで初めて家族の持つ「いやそれはおかしいよ」という点に気付いて目から鱗が落ちる思いをした。今は家族が好きになっている。
だから、窓を開けて換気をするような行為が、家族には必要なのだと思う。
そうした視点から本作の家族を見てみると、もうどんどん殻にこもる方向へひた走っている。人様に家庭の問題が妹のせいで外に漏れた(しかも噂がガンガン広がっていくムラ社会で)ことで、ますます煮詰まっている感がある。中でもこの傾向が一番強いのが兄で、俺がなんとかしなければと努力する方向性がヤバすぎる。まるで、火事になった家から外に飛び出さず、まだ燃えていない部屋に逃げ込んでいるかのようだ。
それだけに、最終盤で動く物語は、多大すぎる犠牲を払いつつも、打ちのめされた登場人物たちがスタート地点に立てたのだという爽やかさを感じないでもない。こんなこと『異類〜』でも書いた気がするな。
Posted by ブクログ
自身の才能を信じる女優志望の姉、彼女を観察し漫画にした過去のある怯えた妹、最悪のちょっと上の半生だった鈍い兄嫁。俯瞰するような視点が独特の心地好さで、どうしようもなくても三人が不思議と力強くて、無二の世界にとても引き込まれた。ぼんやりと覚えている映画版を思い出しながら、更に濃やかに強力に感じた。
Posted by ブクログ
女優になるため上京していた姉・澄伽が両親の訃報を受け帰郷。その日から妹・清深への復讐が始まる。家族間で繰り広げられる悲しみの愛を描く、魂を震わす物語。
非常に非現実的なストーリーだが、決して嘘っぽくない。人間が持つ嫉妬や羨望、愛情と憎悪がチクチクと突き刺してくる。妹の痛烈なしっぺ返しは驚きだが、彼女たちに大きな影響を与えたと思われる母親の描写があまりないのが残念。
Posted by ブクログ
和合家の両親が交通事故で亡くなったところから、物語はスタートします。女優になることを夢見て上京していた長女の和合澄伽も実家へと戻り、その日から、長男の和合宍道と次女の和合清深、そして宍道の嫁の待子は、澄伽に振り回されることになります。
澄伽は幼少時から自分は女優になるべくして生まれてきたのだと信じきっていました。周囲はそんな彼女を冷ややかな目で眺めていましたが、もっとも冷酷な観察者が妹の清深でした。高校生のとき、清深は姉のエキセントリックな振る舞いをマンガに描いて応募し、見事に受賞してしまいます。その結果、澄伽は妹を深く恨み、彼女を止めようとして宍道も傷つくことになります。やがて東京へ出て女優の道をめざすことになった澄伽は、しだいにかつての自信を失い、現実の自分を思い知らされることになります。しかし彼女は、それでも自己認識を改めようとせず、自分が成功しないのは周囲の無理解と妹の所業のせいだと決めつけ、きょうだいたちを追いつめていきます。
田舎の町で何者かになることを夢見た女性の挫折を残酷に描いた物語で、ドラマティックな構成が印象的な作品でした。
Posted by ブクログ
劇作家としての本谷有希子さんのほうが、
小説家である本谷有希子さんよりも先輩なのだろうか。
本作は自作の戯曲を小説化したものです。
それを知ってから読んでしまったこともあって、
舞台で繰り広げられるような展開だなぁなどと読めてしまった。
そう感じてしまったところには、
まず「インパクト」がありますよね。
キャラクターのインパクト、キャラクターの行動のインパクト。
こういうのいるかもしれないなと思わせながらも極端で、
人間離れすれすれのキャラクターに感じられるところもあります。
そういうのが、舞台映えするだろうな、と思い浮かぶところでした。
ストーリーでいえば、
話の幹の部分よりも、枝や葉っぱの部分が充実していて、
幹よりも太い感じ。そういう作りのように思えました。
…と、木に喩えるからわかりにくいのですが、
例えば、地下鉄の何何線がテーマだとすると、路線というよりか、
駅ばかり注目して充実させて紹介する感覚かなぁ。
とにかく、出来ごと重視。
こうなってこうなった、ってのをこまごまと書いているというよりは、
こうなった、そのことを重点的に書いて、それの連続という感じ。
なので、また下手な木の喩えに戻りますが、
幹の見えない、大きな葉っぱだらけの木のような小説に、
僕なんかには見受けられたということです。
しかし、わき役の待子さんのキャラクターは面白かったですね。
打たれ強すぎて、かつ不幸すぎて。
おいしい役どころでもあります。
こういうことあるかもしれないっていう出来ごとが、
装飾されて虚構の中にその突き出て感じる部分をもっと突き出させた感じがする。
出っ張った部分をもっと出っ張らせよう、という。
そういう試みによって特色を持った作品のように思えました。
アンバランスな家族が主役になっています。
ドタバタと、リアルに落とし込みすぎて読むと、
暴力シーンには辟易としてしまうでしょうが、
ちゃんとフィクションとして読むとこの作品の暴力シーンは笑えてしまう。
また書きますが、そこが戯曲的だと思うのです。
澄伽は自信たっぷりに女優を目指す性格にふさわしい美人なんだろうなぁと
想像して読みましたが、いやいや、迷惑な人でもあります。
群像劇みたいな感じですが、この人の行く末を中心にして語られる物語なので、
そこを注目すると、報われるのか報われないのか、なかなか一転二転するので、
そういうところからは目が離せずに読めてしまいました。
言葉も、語彙が豊富だし、文章をちゃんと泥臭く構築していく感じで、
20代半ばでよく書いたなぁと、驚いたりもしました。
ただ、ちょっと、お酒を飲みながら書いているんじゃないのかいと
思わせられるところもあるんですよね。
まぁ、いいですけど。
本谷作品は初めてでしたが(舞台はひとつDVDで観たことがある)、
面白かったです。
Posted by ブクログ
悲惨な方向へ、悲惨な方向へとストーリーは展開していく。救いようがなく、救う必要もない。そうなることが必然であるような家族の物語。
ひたすら悲惨で、救いようがなく、読んでいて心地良くは決してないが、面白い。
それぞれの思惑、異常性が読み進めるうちに受け入れられる。
この作家、嫌いじゃない。
Posted by ブクログ
面白いと言えば面白んだけれど、どうも読んでいて後味が悪いというか薄気味悪いストーリー。ある意味ホラー?きっと、こういう世界を生きている人も実在してもおかしくないよな、とは思えるリアリティがあったけれど、それがまた気持ち悪さを誘う。個人的にはあまり好きではなかったかな。というか、こーいう人種とは関わりたくないなぁ、、、、と思ってしまう所が本音かな。とは言え、続きが気になりすぐに読破。
Posted by ブクログ
「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」
1.著者 木谷有希子氏
知るひとぞ知る劇作家。
作品は2000年に舞台化されていて、小説が2005年。
2.作風
タイトルは激しく挑発的。
内容は、読者に対して挑発的ではない。
色彩に例えると黒または灰色のトーンである。
そう、明るい兆しが一切ない。
3.テーマ
人間の内面にある保身、プライド。
それに気づかず大人になった人間の顛末を描いている。
4.読み終えて
人間はどんなときに「絶望」をするのかと考えた。
同じく、分をわきまえる、足るを知るについても考えてみた。
わきまえる、足るを知るには、自己と向き合う/認識する時間づくりが必要となる。
それは、どれだけ歳を重ねても無いよりは、あった方が無難なのだろう、、、。
Posted by ブクログ
ストーリー的には面白かった。だが恐れ多いが、情景描写に美しさを感じ取れなかった。本谷有希子さんは劇作家でもあるので、台詞は煌めいていたし、その部分に関しては惹き寄せられるものがあった。個人的に私は散文詩のようなものを好んでいるし、今回の作品のような硬い文章であるのなら、もっと奥ゆかしい部分が欲しかったと思う。
Posted by ブクログ
しんどー!終始陰鬱な雰囲気で読んで疲れた。全然良いことないし、みんな狂ってるし。笑
しかし、最終シーンでのスミカの圧倒的な咆哮、独白は強烈に心に刻まれた。
田舎というギミックを使って陰鬱な雰囲気を微細に描くのが上手すぎる。
Posted by ブクログ
2018.2.25
小説の中には絶対に筆者が登場していると思う
この場合は次女 どの人間の視点も微妙に狂っている
こういう姉の性格は先天性のものなのだろうか?
Posted by ブクログ
女優志望の女性が両親の葬儀のため実家に帰ったことから巻き起こる家族内の確執とその結末を描いた物語です。
どこかにいそうと思える部分がなくはないものの、現実離れした個性を与えられた登場人物が何よりも印象的でした。
特別な人間でありたいという思い。
自分の負の側面から目を背けること。
本人が大真面目でも、他人から見て滑稽であること。
誰もが経験するありきたりなものと思えますが、その歪さを何倍にもして見せつけられました。
登場人物たちの姿は読後振り返ってみると滑稽としか言いようのないものですが、ままならない性質や環境に対する切実さ・重々しさは尋常でなく、悲劇というのか喜劇というのか判別不能な作品でした。
Posted by ブクログ
悲しみの愛ってなんだろうか。
憎悪に満ちたなんとも烈しくて凶暴な話だった。
両親の死をきっかけに東京から戻ってきた姉の澄伽が、かつて自分を貶めた妹に復讐をしかける。
この姉がくせ者というか、プライドの高さがエベレスト級なのである。
「自分は特別なんだ」という自意識はこんなにも周囲を破滅させていく恐ろしいものだったとは。
突き抜けすぎていて、読者としてはいっそ面白いほどだったのですが、それでも拭えぬ絶望感。
澄伽を救おうとする兄の宍道が、結局のみこまれて身を滅ぼすところなんて目も当てられない。
でも、不思議だ。
みんなはいつ気付くものなんだろう。自分は特別な存在なんかじゃないんだってことに。
才能なんかなくって、何者にもなれないんだってことに。
どうやって折り合いをつけて、悲惨な澄伽のようにならずに済んでいるのだろう。
Posted by ブクログ
救われない生き方を突き進む主要人物達、たとえその「現実」が他者からはどうしようもない「絶望」だと捉えられるものだとしても、そこから立ち上がって生きていく姿を我々は読後抱くのではないだろうか。そこまでが作者の企みであり、救いないと思われた物語の結末に与えられた「希望」なのかもしれない。