【感想・ネタバレ】からだ・こころ・生命のレビュー

あらすじ

著者は、常に臨床の現場に身をおきながら精神病理学と哲学を往還する独創的な学問的地平を切り拓いてきた。症例分析を通じて「もの/こと」や「あいだ」といった柔軟かつ強靱な概念装置を創出し、独自の自己論、時間論を展開、その思索は生命の根拠の探究へと旋回する。「からだ」と「こころ」はどのように関係しあっているのか。「生きる」とは、そして「死」とは? 木村生命論の内実と射程を雄弁に語る好著。解説:野家啓一 (講談社学術文庫)

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Posted by ブクログ

現象学を医学の現場で、科学の視線を持って実践して著者が辿り着いた知の領域。
適切な例を挙げて説明されている為、間主観性への理解が乏しくても話について行ける。

整理された思考。
整然とした論理展開。
丁寧な説明。
どれを取っても満点なのですが…

自分の知識や思考力不足の為に分からないところがあるので⭐️一つ減^^;
本のせいではありません。今後著者の本やヴァイツゼガーの著書を読んでまたチャレンジしたいです。

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2023年09月10日

Posted by ブクログ

「自己とは何か」を追求する著者が行った二つの講演をまとめたもの。

・第一講演「身心相関と間主観性」
「主観/主体」を手がかりに、身心二元論を乗り越えようと試みている。
・第二講演「人間学的医学における生と死」
第一講演の生命論を「生と死」という主題にまで発展させ、それを基盤に現代医学のあり方を問い直している。

各講演とも40頁程度で、かつ5,6の節に分けられているので、初学者であっても読み進め理解することが可能。
ただ、なんとなくわかったような気にはなるが、完璧な理解には程遠い。心の経験をより積んでいけばもっと身を持って理解できるようになるのだろうか。

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2021年01月24日

Posted by ブクログ

学生のときに勢いで著者の『自己・あいだ・時間』や『分裂病と他者』などの代表作を読んだ。『生命のかたち/かたちの生命』『偶然性の精神病理』『自覚の精神病理』といった本も続けて読んでいるので、何か重要なものがそこにあると感じていたのは間違いない。精神病理を現象学的に捉えたということで、どこか人間心理の深い真実に連れていってくれているような気がしていたのだ。同時に、その思想の根幹について、分かったような分からないような状態で読んでいたのもまた確かだ。という思いをもって、久しぶりに読んだ木村敏の著作は、最近の二本の講演をもとにした比較的短いものであった。

「心的経験には単なる脳のソフト機能以上の、つまり脳というハード機構にはどうしても還元できない、なんらかの特別なありかたが備わっているからに違いありません」という著者の主張に対しては、それは自明なことではないと今は考える。ネーゲルの「コウモリであるとはどのようなことか」を持ち出し、その主張にある程度寄り添いながら、心身相関の問題を単なる主観性の問題ではなく著者が主によって立つ概念である「間主観性」の問題であるとする。そして、主体を環境世界との「境界」こそが、主体それ自体であると主張するのである。

ということで、、、やはりわからんなというのが、最新の感想でもあるのだな。

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2016年03月07日

Posted by ブクログ

8割くらい分からない。しかし,この分からない感じが面白い。第2講は第1講に比べれば理解しやすいと思った。個人と集団,主観/主体,共同的な主体性,今取り組んでいる現象と密接に関連することなので,定期的に読み直してみる。理解の深さの変遷や発想の展開が楽しみだ。

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2025年01月14日

Posted by ブクログ



#講談社学術文庫
#木村敏 「からだ・こころ・生命 」

ヴァイツゼッカー 「 ゲシュタルトクライス 」の主体概念から生命論に展開した講義録

とても難解。相即を含めた主体概念と アクチュアルな「生と死」が つながるまで時間がかかった


著者が論じる主体概念に基づく生命論は〜生きものは 世界との関係 や 境界を生き、関係や境界は いつも「相手」をもち、死ぬということは 関係や境界が消滅する、といっているのだと思う


著者が最後に伝えたのは「医学に主体概念を導入し、医者が患者と二人称的な関係に立つことにより、生きている現実として生命を捉えた 人間学的な医学が実践される」というもの


相即とは
生きものが、その生存を保持するために知覚と運動の両面を動員して、環境世界とのあいだで保っている接触のこと

主体とは
生きものと環境世界との接触現象そのものであり、有機体と環境との「あいだ」の現象のこと〜主体は 環境世界との相即が保たれているかぎり主体として存続することができる

主体概念により、生きものは物理的環境に身を置く「からだ」であると同時に、環境との境界で営まれる相即活動を通じて「こころ」としてはたらくことを実現する

二重の主体性
人間は、一方では生物の一種として集団的主体性を生きる存在であり〜他方では「各自性」をもった 個的存在でもある〜各自性とは「私はいつも ほかならぬ私である」ということ

「生命そのものは決して死なない。死ぬのは個々の生きものだけである」

生命そのものを 実在(リアリティ)でなく、生きているという現実(アクチュアリティ)として捉える

生きものが生きているとは、環境世界から独立していながら、環境世界との接触を失わないということ

あらゆる生きものはその周囲の環境と接触し、他の個体と接触することによって生命を保っている。生きものの存在の意味は、生き続けること、生命を保つこと以外ありえない

個体生命が「もの」でなく「生きているもの」である限りにおいて、環境との境界を生きる存在である


だれかが死ぬという出来事は〜二人称的な関わりにあった人にとっては、アクチュアルで主体的な出来事として体験される〜死の連帯性

二人称的な関わり
「わたし」と「あなた」が一つの親密なまとまりをつくっている「われわれ」の場面































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2024年11月23日

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