あらすじ
偉大な皇帝ナポレオンの凡庸な甥が、陰謀とクー・デタで権力を握った、間抜けな皇帝=ナポレオン三世。しかしこの紋切り型では、この摩訶不思議な人物の全貌は掴みきれない。近現代史の分水嶺は、ナポレオン三世と第二帝政にある。「博覧会的」なるものが、産業資本主義へと発展し、パリ改造が美しき都を生み出したのだ。謎多き皇帝の圧巻の大評伝!(講談社学術文庫)
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
彼が"ナポレオン"を背負って生まれなければどうなっていたのだろうか?
彼にとって家名、というより叔父の名は人生を縛り続ける鎖であり、生きる目標や誇り(こだわり?)ともなり、世に出る際には大きな助けともなった。人生の最後までも晩年の叔父の敗北と再起をなぞろうとするかのようにも見える。"ナポレオン"ではない彼を想像できないほど人生と家名が一体化している。こういった人物は珍しいのではないだろうか?
名家の出や、有能な父祖と同じ職業に就いている人達なら彼の生い立ちや人生について私とは違った気持ち、実感でこの物語を読むのだろうか。
本書は国内外の研究書や資料を参考に、一般向けの物語にまとめた一種のレビューである。
学術文庫では著者の研究成果を基幹にし、それらの補強や背景説明として既往研究を盛り込んで解説するものが多いので、本書のように著者の研究成果がほぼ入っていないレビューだけの内容は珍しいと感じた。
レビューとは言っても、史料から文言を直接引用している部分以外は引用箇所は明示されていないし、文章も物語調のやわらかいものなので、構えることなく気軽に読み進めることができる。ただし、文中の記載に引用が無い分だけ厳密性はちょっと怪しい。
副題の『第二帝政全史』は伊達ではなく、ナポレオン三世統治時の政治、経済のドラスティックな変化が詳しく書かれている。主題のナポレオン三世よりこっちの方が本編かと思うくらいだった。
最初のプロローグは著者の語りなのだが、この部分の癖が強く、『マルクスを読んでいる中年以上のインテリ』という文言や、 "(それらと同年代ながら)一段高いところにいるオレ"という感じの書き方に「コレは好きになれない。本編は大丈夫か?」と心配になりながら読み始めた。
幸い、ルイ=ナポレオン(後のナポレオン三世)の出生から始まる本編には著者の過剰な自我は出ておらず、文章も軽快で読みやすかった。本書は600ページを超える大著だが、この軽快で生き生きとした文体と、連載ゆえの1〜2ページごとにまとまった文章でスイスイと読み進めることが出来た。
また、この手の本としては珍しく、写真や図が非常に豊富(2〜3ページに1つは載っているのではないか)なので 文字情報だけでなく視覚的にも事件、出来事の様子や人物の表情を補完できる良いデザインになっていたと思う。
また、著者のクセを除けばプロローグで述べられている内容は興味深く、多くの人が抱いているであろうナポレオン三世のイメージが形作られた経緯が手短に、しかし上手くまとめられている。
ナポレオン三世は、当初はイメージ通りの甘やかされた軟弱な少年だったが、家庭教師がつくことで生活が一変する。家庭教師によって肉体的・精神的にも鍛え上げられていく様や、反体制的な活動へと身を投じる様、青年期を通して自らの意思で学んでいく姿勢はイメージとは全く違う自主性や強い意志、活発さを感じた。
・・・ただ、その後は40近くまで何の実績もあげず(2度の反乱は業績と呼ぶには中身がお粗末過ぎる)、2度の反乱での逮捕・追放歴有り、女癖も良くない。と、理想だけ高いダメなおっさんで、そのくせ莫大な遺産を自分のためとはいえ短期間で使い切ってしまうのは「コイツ、本当に大丈夫か?やっぱりイメージ通りのロクでなしなんじゃ?」と思わせ、評価が難しい。
ナポレオン三世は64歳で亡くなっているのだが、80ページ付近まででうだつが上がらないまま人生のほぼ2/3が描かれてしまう。史料が無いのか、よほど書くことが無かったのか。
しかし、ここからは時間経過が一変し、長い雌伏の期間を経て、フランス大統領へと躍り出ていく場面がはじまる。第二帝政期の前夜である。物語はここから数日ごとに情勢が変化する濃密なドキュメンタリーへと変貌する。
この大統領就任からクーデターを経て皇帝へと即位する4年間は、80ページもかけて描かれる濃密さだけでなく、ギリギリの綱渡りが何度もあるスリラーでもある。
過去のクーデターでの不手際がウソのように、優れた感覚をもって他の有力政治家に先んじていく様や、大統領在任期間中の妨害にも使える手札を活かしてじっくり民衆の支持を獲得・維持していく(妨害を正面突破するアクロバティックな英雄譚ではなく、じっくり(ねっとりかも)機を見るというのがナポレオン"3世"らしいと思える)など、「幽閉されている間に別人と入れ替わっているんじゃないか?」と思わせるような優れた手腕を発揮している。このあたりはまるで「40過ぎまで無職のおっさん、覚醒した結果 並み居る名士を圧倒し、民衆に推されて4年でフランス皇帝になりました」とかいう出来の悪いラノベのタイトルになりそうな活躍である。
皇帝即位後の行動を見ても、これまでのイメージだった「運や知名度だけ」では片付けられない成果を上げていると思った。労働者階級への社会福祉政策を打ち出し、旧態依然とした金融、経済の分野にも新しい流れを持ち込んでいる。フランスの近代化のためにイメージを持ってパリ市の大規模な改造も行っている。
若くしてサン=シモン主義に触れ、その後も深く学んだこととそれらをじっくりと熟考する時間があったこと、イギリスでの生活が長く、その優れた部分を肌で感じ学ぶとともに、外からフランスを見ていたことが良い方向へ作用したのだろうか。
この第二帝政期の部分では、ナポレオン三世そっちのけで当時の社会の様子を詳細に描いているので、ぼんやりと「ずいぶん長く混乱が続くな」という印象だったフランスの共和制 - 帝政の行ったり来たりの時期に、世界史の知識以上の肉付けをしてくれ、歴史の動きを身近に感じることができた。
図が多く差し込まれているのが本書の特徴的な部分であり良いところであるが、「地図が欲しかったな」と思うところが何カ所かあった。
パリ改造の部分では土地勘が無いとどう変わったかがわかりにくいし、現在の地図では旧市街の雑然とした状態がわからない。見開きで新旧の市街地の地図があれば、どこの話をしているかがよくわかるのになと思った。
また、最後の普仏戦争に関しても簡略な地図が欲しかったと思う。この戦いは第二帝政とナポレオン三世のクライマックスなので、文章だけではわかりにくいお粗末な軍事行動を地図も合わせて描いて欲しかった。
自由帝政期の様子からナポレオン三世は終身の、現代の大統領制のような権力構造を目指していたのだろうか。ナポレオン三世は政治、特に権謀術数にはめっぽう強い。しかしそれだけではなく、民衆のためになる行動ならば政府が不利になる場合でも舵を切ることができる。平時の首脳としては優秀だったのではないか。
一方で、戦争には本当に弱い。戦略面でも無能気味で、実戦を経験しているのにそれが有効にフィードバックされていない。兵站面への理解も浅い(ナポレオン一世は戦術面だけでなく兵站にもかなり気を配っていたようだ)。軍事に関しては有能なブレーンがいなかったのだろうか。イタリア統一戦争で活躍したマクマオンは普仏戦争まで何をしていたのだろうか。
そう思う一方で、ナポレオン一世以降のフランスは大国然とはしているけれども戦争では噛ませ犬的な存在なので、ナポレオン三世だけが悪いわけではなくフランス軍や国内の構造的な問題があるのかもしれないとも思った。単純に相手(プロイセン・ドイツ)が悪いのかもしれない。
また、軍隊に費用をかけなかったことが経済に吉と出ていた可能性もあるとも思った。強力な軍隊は維持費だけでなく多様な人材をも奪っていく。戦争ともなればそれら優秀な人材を完全に消耗してしまうこともある。軍隊が弱体だったからこそ人的なリソースを社会・経済分野に割けた可能性もある。
女癖に関しては「もうちょっとなんとかならなかったのかなぁ」と思ってしまう。世に出る前に作った人脈は非常に強力なものがいくつもあるので、ソコは否定できないが、晩年の醜態の原因になっているのは明らかなので「中年以降に去勢してれば・・」と思ってしまう。終盤の描写をみるとセックス依存症だったのではとも思えるので、『肉の欲望に苦しめられた男』が文字通りの意味だったのならば気の毒でもある。
Posted by ブクログ
偉大な皇帝ナポレオンの凡庸な甥が、陰謀とクー・デタで権力を握った、間抜けな皇帝=ナポレオン三世。しかしこの紋切り型では、この摩訶不思議な人物の全貌は掴みきれない。近現代史の分水嶺は、ナポレオン三世と第二帝政にある。「博覧会的」なるものが、産業資本主義へと発展し、パリ改造が美しき都を生み出したのだ。謎多き皇帝の圧巻の大評伝。
Posted by ブクログ
全600ページに上る長い評伝だが、飽きさせない。文学者の鹿島氏が書いており、左翼史観に偏らず、産業皇帝として、フランスの近代制度の礎を築いた人物として、ナポレオン3世を正当に評価しようとしている所が勉強になる。なかでも、オスマンによるパリ改造、ペレール兄弟のクレディ・モヴィリエ(投資ファンド)、鉄道敷設、ロスチャイルドとの抗争、皇帝の発案による労働者慰労施設の建設や、労働者の集会を擁護する法律、関税クー・デタによる産業の育成、高級娼婦の暮らし、デパートの発展などはたいへん興味深い。モルリー公・ペルシニーを中心とした権力奪取の様相も面白い。ナポレオン3世は96%という大変高い得票で、「民主的」に皇帝に選ばれたのである。フランス革命は重要な歴史的事件であったが、右に左にゆれたフランスの歴史のなかで、民衆はいつも不幸であった。このなかにあって、「帝国とは平和である」というナポレオン三世の言葉は重い。普仏戦争で負けたときも、メンツを保つために、最後の突撃を進言する臣下を斥け、「私には兵士を殺す権利はない」といい、自ら捕虜となったところは、なかなか偉大な人物であったと思わせる。明治維新前後にフランスの皇帝だった人だから、渋沢栄一の銀行設立や、「坂の上の雲」の秋山好古の「馬術」にも関わってくる。ナポレオン三世は、日本の近代を理解するうえでも重要な人物である。