あらすじ
政治学をこれから学ぼうとする読者や、社会人として最低限知っておくべき教養として政治学を身につけたいという読者に向けて、最先端の研究者が最新の論点を提示。いま政治学で何が問題になっているのか、なぜそれが争点なのかを、政治史・政治理論・国際政治・福祉政治・行政学・地方自治などの専門研究者が、「日本と世界」「歴史と思想」「比較と地域」の3部構成、12のテーマで幅広く、わかりやすく論じる。学問の面白さ、大切さを伝える、初学者から学べる現代政治学案内。
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Posted by ブクログ
本書は、まさに「教養としての」政治学といった趣である。
政治学と一口に言っても、カバーする分野が広くどこから学んでいいか分からない、あるいは分厚すぎる専門書を前に呆然とすることが多かったのだが、本書においては、12名の教授陣がそれぞれの受け持ちの分野を2、30ページほどで解説をしてくれる。元々、成蹊大学に入学した学生に対して行われるオムニバス形式の講義が元になっているようであるが、それを極一部であっても追体験することができるのは非常にありがたい。
各分野の終わりには、参考になる書籍まで書き加えてくれているので、興味のある分野はさらに深掘りすることができるのも魅力である。
分野により執筆者が異なるため、当然、読みやすさや文章の難しさに差が出るのは当然であるが、一定の制約があるためか、そこまで気になる部分を感じることはなかった。
政治学の入門書として、自信をもっておすすめできる。
Posted by ブクログ
オムニバス形式で10章ほど
ロシアソ連の戦時の民衆の動向が興味深かった。戦時中の方がいきいきとしてたなんて考えられない。
特に筆者の意見とかはなく、これから学ぼうとしている人に、色々な角度からの政治学を見れるという観点からおすすめ
Posted by ブクログ
政治学に関係する12のテーマについてそれぞれの研究者が読みやすく、コンパクトに紹介している。
政治学を深掘りするというよりは、あまり学んだことがなく、またそれに関心のある人がより興味を持ち、次の書物を手に取れるようにと導いてくれる一冊。
Posted by ブクログ
政治学の中の各分野ごとに、その専門の大学研究者によって書かれた本であるので、馴染みがない分野の話では初めて聞く単語も多く少々難しかったです。
本当に一から政治学の勉強を始めるならもう少し簡単なものを読んだ後に、この本を読んだ方がいいと思います。
ただ、各章は独立していますし、馴染みのない分野でも著者によっては読みやすかったので、興味がある章や読みやすい章だけまずは読んでみるのもいいと思います。
私としては、アメリカの政治は最近特に興味があるので、新しい知見も得られて良かったです。
Posted by ブクログ
政治学入門というより、最新の政治学の研究テーマで面白そうなものを集めたというような。というわけで取り上げられた内容はどれも面白い。
日本の議院内閣制ということでガングホーフの類別、公務員制度、権限と財源から見た地方自治、現代における戦争と暴力、官僚制の思想史、日本の敗戦と民主主義、戦後の日本外交、ロシアにおける大祖国戦争の受け止め方、生活保障システム、政治不信と分極化、ドイツ政治の変貌、中国政治の12テーマ。
Posted by ブクログ
2021/08/25
お世話になった先生方が書かれた一冊。
政治学の基本を復習しようと思い手に取った。どの章からも学ぶことが多かった。授業づくりに生かせるような小ネタもあったので、機会を見て読み直したい。
Posted by ブクログ
政治学の入門編としては非常に勉強になる本である。特に日本の政治や諸外国の政治の成り立ち、あるいは国際政治や地方行政など今現在の社会がどのような歴史を通って今に至っているのかと言うことを歴史と思想、地域との比較などの面で詳しく学ぶことができる。全く政治の事などわからない人が読んでもわかるような入門的な要素もあり教養を深めるにも良い本と言える。
Posted by ブクログ
ポピュリズムによる世界政治の問題の中でのドイツの組閣に時間がかかることの政治機構の問題点、中国と西側諸国との立ち位置の関係の歴史、外交史、戦後日本の政党政治や地方自治の視角など専門分野を興味深く考えられるように書かれている。
Posted by ブクログ
以下引用。
もとより政治はとっつきにくい。そもそも、何をもって政治とするのかさえはっきりしない。「政治とは何か」という問い自体が古代以来のものであって、人間の歴史を通じて数多の賢人たちが論争を重ねてきた。ひとつはっきりいえるのは、他者との関係性のなかで生きる社会的存在としての人間の営みがあるところには、必ず政治が存在することである。
政治は、相違なる利害が共存する事実を受け入れるところではじめて生起する。特定のイデオロギーに基づく一体性を徹底し、それへの異論を唱える「KY」な人たちをことごとく排除するところでは、政治の出番はない。人々は多様な利害を抱え、複雑な相互関係を結ぶ。共存のための解を見出すのは容易なことではない。人々は多様な利害をかかえ、複雑な相互関係を結ぶ。共存のための解を見出すのは容易なことではない。したがって、政治は面倒でひたすら手間がかかる。だが、それを引き受けることこそが、野蛮から離れる叡智である。
イギリスの知の巨人J・S・ミルによれば、教養とは、人間の利害にかかわるあらゆる重要な問題について何かしら知識をもつことである。それは、いくつもの個別独立した知識や見解同士を結びつけ、全体を見通すために不可欠である。
権力は公共善を実現する「善きもの」とみなすのであれ、一定の秩序を得るための必要悪とみなすのであれ、私たちの社会には必要である。
紛争のメカニズムを大きく変えた要因としてグローバリゼーションをあげることができる。グローバリゼーションとは、一般的には、人・財・資本・サービス・アイデアなどの移動の量と速度が高まるなど、国境を越えた相互作用が大量、急速かつ多様に展開する結果、各国社会の結びつきが複雑かつ緊密になることを意味している。こうしたプロセスが各国社会に与える影響は多様だが、抽象的にいえば、富の生産と分配の仕組みが大幅に変容する。
「官僚」には今日でも、杓子定規で、融通がきかず、血の通わない嫌な奴らという負のニュアンスがついてくるが、こうしたイメージは、この言葉の生成と同時にできあがっていた。
バルザックは役人の生理学を書く。「生きるために俸給を必要とし、自分の職場を離れる自由を持たず、書類作り以外になんの能力もない人間」、彼は役人をこのように定義している。
一方官僚制をウェーバーは合理的とする。大規模な組織には「規則による規律」が不可欠であり、「即物的非人格性」が求められる。という視点は、今日においても、それどころか「政治主導」「官邸主導」が強く打ち出されている時代だからこそ重要である。
戦後日本を代表する政治学者である丸山眞男は、日本があのような「非合理」な戦争にズルズルとのめりこんでいった事情について批判的な考察をのこしている。「軍国支配者の精神形態」において丸山はナチの幹部と比較しながら、日本の政治エリートを分析する。日本の軍国支配者には「今度の戦争において主体的責任意識に希薄だ」としてきする。こうした「無責任」を、「自己にとって不利な状況のときには何時でも法規で規定された厳密な職務権限に従って行動する専門官吏になりすます」ウェーバーのいう「官僚精神」に由来すると彼はいう。政治家が自分の仕事と責任を放棄し、官僚的に振舞うことに彼は問題をみた。
ウェーバーは政治決断とその責任を、共同体を導く政治家に負わせながら、官僚制をそうしたリーダーに従う「マシーン」として描く。たとえ自分の見解がリーダーと異なるとしても、あたかも自分もそれに賛成であるかのように淡々と誠実に職務をこなすことを、彼は役人の「名誉」とすら呼んだ。これに対してアーレントが問題にしようとするのは、まさにこうした官僚的な行動であった。「怒りも興奮もなく」淡々と仕事をすることが、「行政的大量虐殺」を生み出したのではないか、とアーレントは問う。大悪人による巨悪が問題なのではない。「アウシュヴィッツ」という、人類史上最大の犯罪行為を可能にしたのは、役人的に振舞う、「陳腐」ですらある悪だった、と彼女はいう。
政治的に「思考」するということは、ジレンマに直面して、安直に結論を出さず、そのせめぎ合いのなかで考え、判断することである。
ある一定の規則や命令に従って、真面目に粛々と業務を遂行しました、という態度に、アーレントは「悪の陳腐さ」をみいだした。これを避けようとするなら、今ある規則を猛進することなく、強い主張になびくこともなく、自分で「思考」する力をつけなければならない。政治学はそのためにある。
安吾によれば、人間は「堕ちぬくためには弱すぎる」存在であるため、一定の社会規範・行動規範・規約を求める。その最たるものが「日本歴史のあみだした独創的作品」としての天皇制であった。安吾は、空襲のような巨大な破壊をまえにしてもそうした社会規範を守って粛々と「運命」を受け入れる人間の姿を「美しい」とも表現する。だが、と安吾は続ける。「そこには美しいものがあるばかりで、人間がなかった」。「泥棒すらもいなかった」戦時中の日本は「嘘のような理想郷」であったが、「それは人間の真実の美しさではない」。安吾からみれば「堕落ということの驚くべき平凡さや平凡な当然さに比べると、あのすさまじい偉大な破壊の愛情や運命に従順な人間達の美しさも、泡沫のような虚しい幻想にすぎない」のである。「特攻隊の勇士」も「未亡人が使徒たること」も「幻想」でしかない。
連合国軍の戦争責任、戦争犯罪を自分の問題として裁くためには、当然裁く側の日本人も「連合国」と同じように「戦争責任」をもち、「戦争犯罪」を犯したという「加害者意識」を持たなければならない。「加害者体験をぬきにして被害者体験を話すことはできないし、ひいては平和そのものを語ることはできない」のである。しかし、「私たちの被害者体験」は「自分がかつて加害者たり得たかも知れないという意識」を「特徴的に欠いていた」。
「状況がよいときは、国家原理と個人体験はぴったりと重なり」、「人々は容易に戦争遂行者としての自分を自覚することができた」が、「状況が悪化して、国家原理と個人体験のあいだに亀裂が生じて行くとともに、そうした自覚は次第に曖昧なものになっていき」「敗戦という決定的な破局が来たとき、人は「だまされていた」と言い切ることができた」のであった。
その帰結は、「誰もが無差別、限定的に被害者であり、誰もが「だまされていた」という奇怪な結論」である。そこでは、「すべてわるいのは国家であり、その国家から被害者体験をテコとして自分を切り離すことは容易にできたから「だましていた」責任の主体は、それを構成する人間を欠いた国家という得体の知れない抽象体でしかあり得ない」ことになった。このような状況においては、国民の一人一人が「国家の敗北を自分自身の屈辱として」受け取ることもない代わりに、「自分が真に戦争遂行者であると自覚」することもない。
Posted by ブクログ
本書は、成蹊大学法学部政治学科に在籍する研究者による政治学の入門書である。政治学の様々な領域の専門家が、初学者を自身の分野へ招き入れるためのテーマを選定し、何が問題・争点になっているのか、それらの問題・争点をどう考えるのか、をできるだけ平易に叙述している。
具体的には、「日本と世界」、「歴史と思想」、「比較と地域」という3部構成で、日本政治、行政学、地方自治、国際政治、政治理論、西洋政治思想史、日本政治外交史、西洋政治史、比較福祉政治、アメリカ政治、ヨーロッパ政治、アジア政治の12の分野の最先端トピックを取り上げている。
各章によりやや当たり外れはあるものの、総じて、政治学をこれから学びたくなってくるような知的刺激に満ちた内容となっていると思う。特に、高安健将氏の「第1章[日本政治]議院内閣制と政党政治―日本はいかなる政治システムの国か?」、遠藤誠治氏の「第4章[国際政治]現代世界における戦争と暴力」、野口雅弘氏の「第5章[政治理論]官僚制の思想史―デモクラシーの友か敵か?」、井上正也氏の「第7章[日本政治外交史]戦後日本外交入門―日中国交正常化を事例に」、西山隆之氏の「第10章[アメリカ政治]政治不信の高まりと政治的分極化」、光田剛氏の『第12章[アジア政治]中国から政治を見る」が、自分にとって興味深かった。
Posted by ブクログ
政治学は今何をトピックとしているのか、どのような研究しているのか、が分かる、まさに入門書。
政治学を目指す高三生、大学一年生に読んでもらいたい本。