【感想・ネタバレ】富嶽百景・走れメロス 他八篇のレビュー

あらすじ

太宰治が短篇の名手であることはひろく知られているが、ここに収めた作品は、いずれも様々な題材を、それぞれ素材に適わしい手法で描いていて、その手腕の確かさを今更のように思い起こさせる。表題作の他、『東京八景』『女生徒』『きりぎりす』『駈込み訴え』『魚服記』『ロマネスク』『満願』『八十八夜』を収録。 (解説 井伏鱒二)

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Posted by ブクログ

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学校の国語の試験で、作家の意図は?という問題がよくありました。
採点結果を見ると、どうしても納得できないことがよくありました。
本当に、作家は、それを意図したのでしょうか?
作家の意図は単純ではないのではないでしょうか?
走れメロスは、分かりやすいかもしれないし、太宰らしくないかもしれない。
作品ごとに別々に読むか、作家ごとまとめて読むかは、その人の好みです。
ただ、複数作品まとめて搭載している本を買うかどうかは、迷うかもしれません。
富嶽百景だけでも価値はあるし、走れメロスだけでも価値はあると思います。
両方好きになる必要はないと思いますがいかがでしょうか。

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2011年09月22日

Posted by ブクログ

ネタバレ

教科書にも載ってあるとても有名な作品をまだ
読んでないことに気付き、急いで買いました。
「走れメロス」をまだ読んでいなかったとは、かなり自分でも意外でした。冒頭の有名なフレーズが「メロスは激怒した。」から始まるのですが、妹の結婚式のために、3日間のあいだ、竹馬の友であるセリヌンティウスを人質にささげ、ひたすら
走り続けるメロス、その疾走感と、セリヌンティウスとメロスの友情にも注目してほしい。
今回一番私の中で、心に響いた作品が、「富嶽百景」で、太宰治が、山梨県にある御坂峠の茶屋にて、執筆活動中の出来事を描いているのですが、その茶屋で出会う人々との交流がとても微笑ましくて、闇の太宰治がここで払拭されている印象がありました。最初富士山の形があまり気に入らないようなことが描いてあったのですが、その風景に触れていって、太宰の中で何か変わったのか、そこも注目ポイントです。茶屋の娘との交流がとても良かったです。

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2023年08月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「太宰君の作品が、あるところは感想風であったり、またあるところは思想の独白になったり、対話になったり、随筆風だったり____」(名著初版本復刻版 解説 より)
だから飽きないのか。なっとく。

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2022年01月13日

Posted by ブクログ

ネタバレ

『魚服記』

『ロマネスク』

『満願』

『富嶽百景』

『女生徒』

『八十八夜』

『駆け込み訴え』

『走れメロス』

『きりぎりす』

『東京八景』

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2012年07月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

この作品は「富士山」を中心に主人公の様々な心情から「富士山」への価値観を述べ、そこから生まれる主人公にとっての考え方、心情の変化から人間としての成長が「富士山」を通して見えてくる作品だと考える。
この物語で主人公は、十五つにも及ぶ「富士山」に対しての心情や価値観を述べている。一つ目、最初の主人公の発言として客観的に「すらと高い山ではない 」これはある意味日本で一番高いとされている山に対しての「侮辱」とも言える言葉である。しかし、二つ目の発言ではこの富士山をあらゆる視点から見た時(十国峠)「高い」「完全のたのもしさ」があると富士山への価値観が一変にして変わったことがわかる。三つ目、東京での「アパートの窓から見る富士はくるしい」というように富士山が「苦しく」見えたそうだが、これは自分自身の「三年前の意外な事実を打ち明けられた」という自分自身の心情を富士山と共感しているような文であり、主人公は「富士山」に対して一心同体のような感性を持っているのではないかと考える。また、御坂峠で思いをあらたにする覚悟でみた富士山は「風呂屋のペンキ画」と本物の富士山を複製画と同じ扱いをしている。これも一つ目の侮辱のように富士山を貶しているように思えるが、ある意味では白のキャンパスに絵を描くという概念のように、絵のような富士山でも、これからの様々な人生の経験によって本物の富士山を目にすることができるように主人公は富士山と共に成長をするといった意思がここから感じとられるのではないかと考える。加えて、主人公が見る富士山は(御坂で浪漫派の友人と)「どうも俗だねえ」これは最後の甲府の安宿「酸漿に似ていた」との対比的比喩表現と考え、主人公の成長前と成長後の輝きを表し、ある時は、主人公は寛大な器だと富士山を見ながら自分自身を映しながら「いいねえ〜やっぱり偉い」や「富士がしたたるように青い」のように自分の鏡としてみていることがわかる。さらにまた、(御坂からの雪を降った富士山をみて)「御坂の富士もばかにはできない」や(ねるまえに)「『単一表現』の美しさなのかも知れない」と富士山の魅力について語っている。これは初めの「すらと高い山ではない」また「風呂屋のペンキ画」と言ったような表現と対照的であることがわかるが、これは先ほども言ったように主人公が、時が経つにつれて様々な人々と出会うことによって色んなものの見え方が変わっていったことがわかる。さらに主人公は、富士山を「大親分」と師弟関係のような表現が使われ、師弟の「弟」である主人公の「弟」イコール「若さ」が感じとられるような「少年の如く感奮」という感情を持てたこと、このような全てのことに関して、成長した主人公は「お世話になりました」と最後に富士山に感謝の気持ちを述べ、その返答のように富士山は「酸漿」のように朝焼けに照らされ輝き、人間の人生の通過点とも言えるような人間の成長としての輝き、そして成長したことによって本物の富士山を目にすることができたというものではないかと考える。
このことから、主人公の富士山に映し出す心情は人間の人生そのものであり、この「人生の輝き」というものを日本一の山である壮大な「富士山」をバックテーマに描くことによって、人間の「人生」というものの「壮大さ」とを掛け、輝かしく美しい作品だということが言える。

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2020年11月28日

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