あらすじ
2016年3月11日、「東日本大震災」から5年。津波で甚大な被害を受けた宮城県東松島市に、3人の高校生がいる。彼らは、あの日を「ただのつらかった過去」にせず、「学び」に変えるために立ち上がった若き震災の語り部だ。彼らはこの5年間、何を思い、何に迷い、歩んできたのか。本書はあの日、まだ小学5年生だった子どもたちが歩んできた3.11の記録であり、彼らが見据える未来を書き留めた「希望の書」である。
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あの日を語ることは未来を語ることなのだ
と、この本には書かれていました。
今日は珍しくノンフィクションを読んでみました。東日本大震災の16歳の語り部三人の実体験でした。この本を読むと改めてすごいことがあったんだなと感じました。当たり前のようにあったものが突然なくなるなんて考えられません。人は失って初めてその大切さに気づくという言葉を何処かで聞いたことがあるのですがまさにそのとおりだと思いました。震災のことを忘れないでいたいと思いました。
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東日本大震災で被災した子どもたちの語り部が3つ掲載されています。ニュースなどメディアの放送では分かり得ない、あの時の様子、そして震災をどう受け止めて日々を過ごしたのか。
震災から5年経ち、16歳になった彼らの口から紡がれる言葉一つ一つに込められた想いが響きました。
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小学校に講演会に来てくださった佐藤先生のお話にあったこの一冊。
これまで、震災に関する話や防災について積極的に手に取ったことはなかったのだけど、子供が小学生になり改めて自分の家族を守るには…という視点で自分から知っていくことを始めたいと思った。
彼らが語ってくれたことをしっかりと受け止め刻み、これからの行動に繋げたい。
毎日ただいまを言えるように。
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当時16歳の高校生が体験した震災を自分たちの言葉で語っている。
年齢もほとんど変わらないからこそ、同世代の彼らの語りが胸に突き刺さる。
自分だったらどう震災を受け止められるのか、もしかしたら10年経った今も受け止められないのかもしれない。
未災地を生きている者だからこそ、いつ起きてもおかしくない震災について考えることが必要だと感じた。
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生きること、命を継ぎ背負っていくこと。誰かの言葉や想い、生きたかった人生、聞けなかったただいま。震災以降の体験をそれぞれの視点でありのままで語る言葉の引力に打ちのめされる。
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YA向けブックガイドから。自分の確たる意思をもって物事に向き合えるようになるの、だいたい小学高学年くらいか~。自分のことを思い出しながら、どうだったかなって考えてしまった。確かに、そのあたりから急に記憶が鮮明になる気はするかも。先日終戦記念日に、語り部が減っていることが問題視されていたけど、震災もそれは同じ。風化させず、意識に止め続ける努力の素晴らしさよ。
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この本を読んで感じたことは「震災を実際に体験した方の立場になることはできないこと」「災害は自分事として捉えること」この2つです。
自分自身も実際に東北に行って震災遺構やスタディーツアーを行いましたが、その方たちが感じたことをその方の立場になって想像しますが、それはあくまで想像。その方たちが感じたことは何倍何十倍のことです。
けど、実際に行ってそして話を聞くことで、もし自分の周りで災害が起きたときにそのことを思い出して被害を減らす行動は取れると思います。
本の中には、今東日本大震災の風化が進んでいるのは現地の子ども世代だと書かれていました。そのような現状もこの本を読まないと気づかなかったでしょう。
同じ東日本大震災でも、感じたかはその人たちによって違うこともこの本を読まないと気づかなかったでしょう。
この3人の一つ一つの想いがすごく重みのあるものに感じました。今生きていることがどれだけ大切か。
もう一度自分で見直すきっかけになりました。
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2011年3月11日。沢山の人の命がなくなりました。震災を経験した3人の語り部。目の前で津波にのまれたり、その日を境に家族や友達との別れ、暗闇の恐怖とそれぞれが体験、経験したことが生々しく、当時の恐ろしさがわかります。辛い出来事を経験した子供達だけど、勇気を持ちありのままの事を沢山の人に語り、今後このような辛い思いをする人が少しでも減って欲しい。という思いを大切にしたいですね。
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東日本大震災の日。小学校5年生だった3人が語る、当時のこと。美談ばかりのメディアでは語られない、リアルな内容です。そして、辛い想いを吐き出せない子どもたちを、気にかけて、見守ってほしいというメッセージでもあります。
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自分も言葉で伝えられるだろうか。
一つの物語としてまとめたいと、思った。
この本がこれから起こる災害の被害を少しでも少なくすることを祈って。
子どもたちとのつきあい方、むきあい方間違えないようにしたい。間違えても、ちゃんと見守っていてあげたい
Posted by ブクログ
佐藤敏郎先生の講演を聞いて購入した本(その4)。語り部の皆さんの言葉が現実を知らせてくれた。目を背けたい事実だったかもしれないのに、語ってくれて、ありがとう。私たちも聞かなければいけない話だと思った。
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年月ととともに事実は変わらないが、成長や経験を経て個々人の心の中での真実は変化してくるのではないだろうか。
震災時当時小学生だった3名の子どもたちが高校生になって震災の話しをしている内容をまとめたもの。またそれに関わる大人たちのお話。
3名とも同じ出来事に出くわしたのだが、受け止め方、考え方、また表出が全く異なるのが、大きな出来事に出くわした時の人間の反応の多彩さを示している。
成長とともに言語化できることもあれば、当時の心境の強弱などは時間とともに変化する部分もあるのではないだろうか。当時の記録や周囲の人たち、特に家族からの話などもあるとより一層興味深いだろうなと思った。
今回の3名はそれぞれの信念を持って、たまたま語るという手段をとっていたに過ぎず、もちろん3人以外にも多くの人々が被災している。他の大多数の方々が同じ気持ちのレベルで語る以外の思いや反応も現在もあるだろう。
本書の当事者の3.11とはという寄せ書きの中にも驚くべきコメントが散見されたことからも、隣の人の心の中は覗けそうで覗けないものだなと改めて感じた。
また直接被災していない人であっても、心に大きな影響を受けた人もきっといるだろう。
3名の語り部の熱量も異なるように感じた。このように、読者側の背景などによってももこの本の印象や評価は分かれるところだろう。
映像は直接体験したものでない限り受け手側の様々な思いや考察が入るためいかようにも解釈されやすい。そのため、話す、文字として残す以外で次世代に伝えていくのは難しい。
大人たちには見守っておいて欲しかったということだが、果たして未曾有の大災害に出くわして、正常に振る舞える人がいただろうか。当時の大人たちの子供たちへの思いもおそらく三者三様だろう。
我々は考え、語り、時に対話、沈思し続けるしかないのだろうか。時に、無為なことや遊びも必要ではないだろうか。
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自分がいかに震災を知らないか、気付かされる。
オーディブルで聞いた。本人たちによる朗読は素人とは思えない。
震災は自分にはやや他山の石であった。
3/11 2:46PMの黙祷はする。原発問題を討論した。ボランティアにも行った。防災に関わる仕事をしている。
それでも分からないことは多い。話の1割以下を受け取れて、自分にも誰かの命を救うための行動ができるかもと、少しアンテナを立てることができたくらい。
聞き初めは、災害時に聞かれない子どもの声は重要だと考えていた。子どもだからと聞かないのは、権利侵害とも言えるんじゃないかと考えていた。そういう話、ではないところに僕は吸い込まれた。大人も当時何をいうべきか分からなかったことだ。当時彼らと同年代で、今は「大人」となった僕には、「大人」にもいろんな人がいることがわかる。今大人である自分は子どもたちに向き合い、語り部の周りの大人たちのようにすら振る舞えるか?
朗読者の後悔をしていないこと、心配をかけたくないけれども声を出していきたいこと、誰も恨んでいないこと、これら矛盾するようで矛盾しないバイブス(こんな言い方時はおかしいがしっくりくる)が伝わる。
人にはいろんな感じ方があること、みている世界が違うこともよくわかる。同じ経験、同じ場所を、大きく見れば共有している。私は外から見ておんなじようなもんだろうと直感していたが、違う。共通するのは外的なことばかりである。社会関係の中で、人によって微妙な糸の繋がり方が全く変わることがわかる。3人の語り部と教師の告白がそれを見せてくれる。
子どもたちの辛さとその背後にも大人たちの辛さとがあることが、僕には新しかった。僕はまだこの意味で子ども的な目線でしか世界を知らない。危機に瀕して、なんだか責任を背負い込もうとしている「大人」はどれだけのものなのか。等身大の大人像が少しだけわかる。
仕事で僕は防災を通して人の命を救う。
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高校生の文章を読んで、本で読むのもいいけれど、震災を被災者として経験した人たちの話を直接聞いてみたいと思った。彼らの声で、感じたままのことを聞くのは、震災の違った一面を見せてくれるだろう。被災していない人を未災地の人という。確かに、そうだ。いつかはどこかでまた起こる。なるべく被害が小さくて済むように、亡くなる人が少なくなるように、被災者は思っているのが、とてもよく伝わってきた。
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東日本大震災から5年。当時小学5年生だった3人の高校生があの日経験したこと、そしてそれ以後の日々を赤裸々に語っている。眼前で津波に流されていく人、瓦礫と共に並べられた多くの遺体、救援物資を奪い合う大人たち…。子供が経験するにはあまりに重たい現実の数々。しかし、あの震災を風化させまいと、「未災地」や後世の人に自分たちの体験を語り伝える「語り部」として活動している彼らに頭が下がる思い。
Posted by ブクログ
同じ震災を経験していても、視点が違えばこんなにも違って見える。震災は個々の経験なのだ、ということを浮き彫りにしてくれる。決して一括りにはできないのだ。
彼らに比べれば、全然大したことはなかったけれど、自分の経験と重なる部分もあって、阪神淡路当時、中1だった記憶が蘇った。
海側と山側で被害が違って、状況が全く異なる生徒が一つの教室にいる不思議。ふわふわとした、でもどこかヒリヒリとした、何とも言いようのない空気を感じていた日々。そして、それでも続いていく日常。
25年を向かえようかという年月を考慮したとしても、多くを、いや大半を、忘れている自分に気づいて愕然とした。
あの時、自分は何を考えていたのか。何をやったのか。
当時のことを記したものは、なにも残っていない。
被災地でこそ風化するというのは、こういうことなのだろう。
Posted by ブクログ
人生を大きく変える同じ出来事をほぼ同じところで経験して、そこから復興までの間に精神的にどのような変遷を遂げたのか、当時小学生だった3人の人たちから語られる。
大きな視点から見ると東日本大震災という同じイベントを、同じ小学校で経験した3人がイベント前後でどうして違った反応をするのか、を考えると人間の気質の多様性を改めて実感した。
本当にいろいろな葛藤があり、客観的な答えがない中で、360度悩み抜いた上で自らが取るべきスタンスを選んだこの人達はすごいと思う。