あらすじ
「知者は“心のある道”を選ぶ。どんな道にせよ、知者は心のある道を旅する。」アメリカ原住民と諸大陸の民衆たちの、呼応する知の明晰と感性の豊饒と出会うことを通して、「近代」のあとの世界と生き方を構想する翼としての、“比較社会学”のモチーフとコンセプトとを確立する。
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人生のバイブルとなる本。
あまりにも衝撃的であまりにも魅力的な本だが、むしろ全てにおける基本が書かれている本とも言える。
人生はここから始めなければいけない。
これを読まないことには、まだ本当の人生は始まっていないとすら言えるかもしれない。
ここを起点にあらゆる物事を考え、整理し、理解することで、自分の人生を組み立てていく必要がある。
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1979年12月発行。
真木悠介は、社会学者見田宗介の、もうひとつの筆名。
学生時代から何度も読んだ。
真木悠介が、言葉の魔術を遺憾なく発揮した、80年代若者のバイブルと言える。
社会学が青年の悩み自体を真正面から取り扱いうることを知って、誰もが感動した。
カルロス•カスタネダの迫ったアメリカインディアンの知を頼りに、現代の知のあり方を大きく転換してみせる衝撃的な書。
「人間の解放とは何か」を、北米ポピインディアンの思想を準拠として、近代西洋的なしがらみを取っ払って、読者の心を揺さぶる。
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バイブル。大事な人には、これを読んでほしいと渡し続けるだろうし、わたしはこの本と生きていきたい!ずっと出会いたかった、ずっと待ってた、とふしぎなことを思ってしまったくらい。
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今年亡くなられた見田宗介さんの名著。大学時代に出会い、人生の節目節目で何度か読んできた座右の書で、読むたびに新しい発見がある。 常に自分のものの見方が狭い枠組みに囚われているかもしれないことを思い、そこから外に出ようとする営みをやめないこと(「翼」)。言葉にできない、より大いなるものに感覚を開き、そこに根ざすこと(「根」)。そういう姿勢を持ち続け、「心ある道」を歩いていきたいと自分も思う。
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真木祐介のペンネームで書かれている、見田宗介氏の著書。
1977年に発行された。
自分は1975年生まれなので、ほぼ同い年くらいの本だ。
ドン・ファンやドン・ヘナロという名のインディオの生活から、現代社会を生きる知恵を探る試み。ドン・ファンはカスタネダというアメリカ人にインディオの知恵を授けていく。そのカスタネダの書いた本を通して、著者はエッセンスを抽出していく。その結晶が本書。読後、著者の素晴らしい知性に圧倒された。ドン・ファンの教えは決して易しい内容ではないが、それを非常にわかりやすく概念化していく。著者の世代の知識人(エリート)の知性の高さには本当に驚かされる。
元々この本は、ジャーナリストである神保哲生さんと社会学者の宮台真司さんがやってる「マル激・トーク・オン・デマンド」にて、見田宗介氏の追悼番組で知った。宮台さんは見田宗介氏の弟子にあたるらしく、現在宮台さんが発する言葉の節々に、この本の影響が垣間見える。
自分は普段から宮台さんの発言に触れているので、この本の内容はスッと腹落ちした。それは、マル激を20年近く見続けているからだろう。いきなりこの本を読んだら、結構難しい内容だったと思う。
とりあえず読み終えたが、それほど長い本ではないので、また何回か読み返すと思う。都度、内容を頭に入れて身体で実践できるところまで内在化しないと、すぐに忘れてしまう。「今を生きる」ことや「生きている奇跡」を味わう、という感覚は、日々の忙しさに振り回されていると忘れてしまうので。
これを機に、見田宗介(真木祐介)氏の別の本も色々と読んでみようと思う。
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「どんな時にも心あるみちを行く。」
カルロス・カスタネダのドン・ファンシリーズを
真木先生が体型的に再解釈した本です。
理屈や言葉でがんじがらめになってしまった時、
この本を手に取ると、いつも一筋の風が流れる。
とても楽な気持ちになれます。
生命の喜びは、遠い場所や時間の果てにはない。
いつも、この場所に。
ここにあると、実感させてくれる
大切な本です。
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地平線の彼方へ 異世界と明晰と感性との出会いを通して生き方を解き放つ想像力の翼を獲得する
見田先生が真木悠介名で書いた本。学生時代に読んで、《世界》に気づき、「世界」と、どう向き合うか考えるきっかけになった一冊。
【目次】
Ⅰ 「共同体」の彼方へ
Ⅱ カラスの予言
人間主義の彼岸
Ⅲ 「世界を止める」
〈明晰の罠〉からの解放
Ⅳ 「心ある道」
〈意味への疎外〉からの解放
結 根を持つことと翼を持つこと 他
時に立ち止まり、異なる世界に心を馳せる…そんな時間が私たちには必要だと思う。いや求めていることだと思う。
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「知恵 のあるものは
心のある道を選びそれに従う。
そこで彼は無心に眺めたり喜んだり笑ったりもするし
また見たり知ったりもする。
彼は人生がすぐに終わってしまうことを知っている し、
自分が他の皆と同様に
どこにも行かない事を知っている。」
見田先生は私たちの住む 「この世界が実存と意識の中でどのように存在をしているのか」 American Indianの呪術師が捉えていた ナワールとトーナールの説明にも挑戦してくれている
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学生時代に物理学から真木ゼミに転向した先輩からいただいた。
当時は よくわからなかったが、
何度か読み返して、そのたびに 少しずつ
あぁ、これはあれを言ってたのか、そういうことだったのか、
ということが 増えてきて うれしい。
たぶん わからないなりに 大事にずっともっている本だと思う。
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理性からの覚醒剤としての幻覚サボテン
世界をカッコに入れること
図と地の反転
コントロールされた愚かさで他者と繋がる
万人が全世界を所有する
彩色の精神と脱色の精神
ライヒとマルクーゼ
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「人が世界はこういうものだぞ、とお前に教えてきた。人はわしらが生まれてきたときから世界はこういうものだと言い続ける。だから自然に教えらてきた世界以外の世界を見ようなぞという選択の余地はなくなっているんだ。」
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ネイティブの物事の捕らえ方の一端を社会的視点から俯瞰した書物。
目で見て記して学ぶ世界と、世界を静止させて在ることを感じる世界。
マンガ家の五十嵐大介の描く世界のようである。
実に面白かった!
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文化人類学者のカスタネダが、シャーマンであるドンファンのもとを訪ねる話をもとに、精緻に描く、
現代の私たちの自明性の罠からの解放を目指す、真木氏の一冊。
ドンファンの言葉を、カスタネダや私が言葉という文字で「理解」したと思ってはいけない。
私たちが当たり前だと思っているもの、貨幣や西欧中心的な思考などは、ドンファンの住むメキシコの地では通用しない。
何が、本当の価値なのか、私たちのツールとしての言語や貨幣、思考は、本当の普遍性を持つものなのか
エゴイズムからの解放、死への恐怖からの解放、私たちの内奥をすべてを解き放ったときに、交響するコミューンが開かれる。
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最初は、インディオは何を言ってるのかなと思うが、読んでいくと分かってくるのが面白い。
異なる世界に片足を踏み入れる感じ、理性の蓋を半開きにする感じが、スポーツに似ていると思った。
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比較社会学であり、文化人類学であり、民俗学であり、哲学であり、色んな様相を持ちながら、至高の文学であり、知の巨人の視点を見ている感じでした。内容そのものも、生きることそのものについて、深く深く掘り下げられていて、何かストン、とコペルニクス的展開で驚かされたり、とにかくすごい本。何より、編まれる言葉が見せかけではない夢のような寓話に仕立てあげてしまっているその想像力と底なしの知性に脱帽です。これは魅了されちゃいますね。
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■気流の鳴る音
序 「共同体」のかなたへ
――コミューン構想のための比較社会学
I カラスの予言――人間主義の彼岸
II 「世界を止める」――〈明晰の罠〉からの解放
III 「統禦された愚」――意志を意志する
IV 「心のある道」――〈意味への疎外〉からの解放
結 根をもつことと翼をもつこと
■旅のノートから→もっと読みたい!仮に<旅エッセイ>と考えても、抜群の面白さ。
骨とまぼろし(メキシコ)
ファベーラの薔薇(ブラジル)
時間のない大陸(インド)
■交響するコミューン
彩色の精神と脱色の精神――近代合理主義の逆説
色即是空と空即是色――透徹の極の転回
生きることと所有すること――コミューン主義とはなにか
出会うことと支配すること――欲求の解放とはなにか
エロスとニルヴァーナ――始原への回帰と未踏への充溢
プロメテウスとディオニソス――われわれの「時」のきらめき
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「人間の主観のおりなす世界の全体がひとつの共同のまぼろしだとすれば、「動かぬ真実」という岩盤のありやなしやにどれほどの意味があろうか。きららかな幸福と夢の波立つメンティーラの水面の上を、彼らはほんとうに身を入れて歌い、争い、約束し、求愛し、踊り、倒れるように眠る。」
国家や民族というものは時に哀しい程に脆く、時に驚異的に膨れ上がって現代の我々にのしかかってくるが、著者は自らの足で世界を歩き、自らの目で人間を見つめた。鮮やかな体験の描写がわれわれに美しい何かを、遠い時間の一点にそっと提示してくれる。
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山岸会とか紫陽花邑といったコミューンの話から、人類学者のカスタネダが4冊の本で紹介したヤキ族の老人との生活で学んだことなど。この「世界」からの超越(彼岸化)、〈世界〉からの超越(主体化)、「世界」への内在化(此岸化)、〈世界〉への再内在化(融即化)といった話は面白かった。
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哲学という魔力は不思議だ。
そして、難しい、暗号である。
だけれども、その尻尾をつかみたいのです。
…つかめないや。
物事の考え方が変わる本でもあります。
もしかしたら今いろいろな問題も
ある種先住民の方に
学ぶ要素はあると思うのよね。
狭い檻にとらわれていきがちな我々には
特にね。
だけれども、これは繰り返し読んでいく本だと思うの。
その断片を体にしみわたらせることで
自分が変わっていく気がするの。
難解なので要注意。
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南アメリカのインディアンで「呪術師」とか「戦士」と言われている老人との交流から、現代人との対比で社会を見極めようとする試みを描いたもの。老人の言葉に成る程と思うことが沢山あって考えさせられる。「時間に対しては、時間で支払う」「お前はおかしな奴だなあ。質問さえすればわかると思っている」「次第に言葉、しかも地域によって違う言葉でしかものを感知できなくなくなっている」「指揮者の激しい動きが滑稽に見えるということは、音楽を理解していないからである」「明晰とは、一つの盲信」「私とは、境界線を切って外とわけ、囲い込むこと」「死刑囚が美しいものに気づくのは、余計なものを捨て去ったから」
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当時読んでおくべきだった本を敢えて今更読んでいるのです。
そういうわけで、私の目から見れば真っ当で良質でも、最早エッセイにしか読めない。
なんちゅーか。
ようは人生論・生き方論として学んでしまっていた。
その背景にある分厚い教養や議論、それ以上に実証研究の積み重ねには指先すら触れることなく。
いや、だから人生論・生き方論としての学びは大きかったし、良かったと思うのです。「良識」てやつ、(但し知識としてではなく、態度として)は勉強させてもらったと思うし。
でもそこからどこに行くのでしょうね?てところで、
もはや読む本がない。
あるはずなのに、何を読めば良いのかわからない昨今でございます。
論文雑誌でも購読しますかねぇ?(まぁそれも教育課程から離れてしまっている今、何を目指して?ということになる。)
たぶん、リアル古典に行くか、完全に同時代研究を読みに行くかなんだろうなぁ。
(それこそ、古市さんとかチャーリーとかさ。)