あらすじ
ソクラテスと三人の人物との対話は、弁論術が立身栄達の術とされている現実や若い人の実利主義的道徳意識などを次々と明るみに出す。プラトンは本編によって、個人の道徳と同時に政治の問題を追求し、アテナイの現実の政治に痛烈な批判を投げかけた。後に『国家』において発展させられた哲人政治の思想の第一歩である。
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Posted by ブクログ
政治家は何をしたらいいの?といういまとあまり変わらない話を延々としている。
国家は民衆に「快」と「善」とのどちらを示すべきか?それともどちらかがどちらと合一なのか?それともどちらかがどちらの下にあるのか?それとも上にあるのか?ということだ。
プラトンは最終的に、「政治家は民衆の料理人や給仕ではなく、医者でなければならない。」とする。ということは善を与えるべきであるとする。これが哲人王であるということなのだろう。
このような発想は、てっきりアリストテレスのものだと思っていたが(彼はどうすれば善く生きられるか、何が目的なのか、という思考であるから。)、ソクラテスの時代からあったのかと思った。
プラトンの考え方から云えば、大衆迎合主義は批判さるべきである。
ただこれは非常に危険な考え方だ。一つ間違えれば、「これが正しい。」という名の下に専制支配が行われる危険性さえある。ただ、憲法典で「民主国家を志向する」と歌い上げればそれが目的になるし、大衆迎合主義はそれを批判することさえある。逆に専制国家であれば、大衆迎合主義は民主国家を志向することもあるだろう。「自由か、それとも目的か。」は、常に堂々巡りをしているのであり、それは古代ギリシアから語りつくされているのかもしれないが・・。