あらすじ
有沢広巳ら一流経済学者を擁する陸軍の頭脳集団「秋丸機関」が、日米の経済抗戦力の巨大な格差を分析した報告書を作成していたにもかかわらず、なぜ対米開戦を防げなかったのか。「正確な情報」が「無謀な意思決定」につながっていく歴史の逆説を、焼却されたはずの秘密報告書から克明に解き明かす。瞠目の開戦秘史。
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Posted by ブクログ
本書は、陸軍軍人であった秋丸次朗が主導して構築した経済学者集団である「秋丸機関」の活動と、当機関が作成した報告書とその影響をまとめたものです。
一般的に秋丸機関は経済力分析を通して日米開戦の無謀を説いたが、その報告書は(戦争遂行という)国策に反したため闇に葬り去られたといわれてきました。
しかし実際のところ秋丸機関は何を語り、陸軍はそれをどう受け止めたのか。そして何故に開戦という選択がとられたのか。そのいきさつと分析(開戦理由については著者の説)が本書には詳細に紹介されています。
率直に言ってこれは素晴らしい一冊です。一言でいうなれば非常に詳細かつ大胆。
まず前半では秋丸機関の由来が語られます。秋丸機関は発起人である秋丸次朗少佐にゆかりの深い満州に起源を求めることができる。そして機関発足を指示したのが岩畔豪雄だというのがまた面白い。この男は太平洋戦争前後のたいていの謀略ごとにおいてその名前が出てきます。
またそれとは別に、当時盛り上がりを見せていた体制変革運動(新体制運動)と、秋丸機関への影響が語れますが、実はこれは非常に重要なポイントです。
「戦前の日本は独裁的な国家だった(軍事独裁)」とよく言われますが、当時を分析した歴史書によるとこれとは真逆で、実は過剰なまでに分権制度の敷かれた体制だったことが指摘されています。例えば内閣において総理大臣は閣僚と同列に位置付けられており、それがゆえに首相は独断できなかった。
新体制運動はソ連に影響を受け中央集権体制を目指すもので、これにより大政翼賛会が結成され、最終的には国家総動員法につながっていく流れです。しかし主導した近衛文麿は途中で動揺し、中途半端な形で終わります。つまり政治機構は従来のままとどめ置かれたことになります。
これは何を意味するか。端的に言えば「何事も決められない意思決定体制が残った」ということです。
本書ではその後、秋丸機関の具体的な活動と報告内容が説明されます。分析は日本、米英、ドイツの主に3軸から行われましたがその内容の正確さに驚かされます。
特に「アメリカの経済構造に特に弱点はなく、英の弱点を補って余りある」こと、「日本とドイツの経済力は今が頭打ちであり、あとは下降するのみである」こと、「日独ともに長期継戦は不可能である」ことなどが正確に分析されています。
また報告書をつくり、これを受けた陸軍も実際はそれほど硬直した姿勢ではなかったことがわかります。秋丸次朗は機関設立にむけて経済学者たちを集める際、マルクス主義者として当局からマークされていた有沢広巳をスカウトするなど柔軟な人選を行います。そして日本に都合の悪い分析結果であっても「よく分析できている」とその成果を褒めてさえいます。
報告書は全般的に日本と米英の経済力に隔絶の差があることが述べられています。では次の問題は必然的に「なぜ日本は米英開戦を選択したのか?」ということになる。
巷では秋丸機関の報告は「好戦的な軍人たちに一顧だにされず葬られた」ことになっています。しかし本書を読むと、軍人たちは素直に報告書を受け止めたこと。それどころか米英との経済差の大なることは、当時では「常識」であったということがわかります。つまり秋丸機関の報告は闇に葬られたのではなく、当時の常識を補完するものとして受け止められたにすぎない。
ますます開戦動機の謎が深まったところで著者の開戦理由の仮説・分析が行われます。
『逆説的ではあるが、「開戦すれば高い確率で日本は敗北する」という指摘自体が、逆に「だからこそ低い確率にかけてリスクをとっても開戦しなければならない」という意思決定の材料になってしまうのだろうと考えている。それはどういうことだろうか。』
以降で語られる著者の分析はなかなか面白い(株をやったことがある人ならしっくりとくる説ではないでしょうか)。
上記の心理的作用に加えて、当時の軍人、政治家たちが実にバラバラな思惑を持っていたことがわかります。
外相の松岡は即時対ソ戦をの望み、陸軍参謀部も同様に対ソ戦を強硬に主張。一方で同じ陸軍でも軍務局では南進論が主流でその中にも消極的南進論と積極的南進論があった。
これらバラバラな意見を一体だれが調整するのか?「だれもいない」というのがその回答だった。これが冒頭に触れた「何事も決められない意思決定体制が残った」の帰結だったわけです。
本書での秋丸機関の活動言及は詳細にわたっており、その一つ一つが有意義です。また世間の通説がいかに誤解に満ちたものかもわかります。たとえば新体制運動の盛り上がりとともに東条英機は秋丸機関への介入を深めます。それはソ連の政治体制に影響を受けた革新派軍人たちが政体転覆の無謀をおこすことを気にかけていたことが透けて見えます。軍事独裁を目指す人間であればそのようなことはしない。
また軍務畑の武藤章は対ソ戦に絶対反対であり、対米英戦に消極的賛成ながら実際のところこれにも反対していました。
両者は東京裁判において極刑に処され、巷では「戦争を起こした極悪人」として認識されています。しかし事実はそうではなかったことを物語っています。
個人的には戦争動機を語るうえで海軍の動向は欠かせないと思うのですが、これは本書の趣旨にそれているので著者は深入りしなかったのでしょう。それを差し引きしても、本書は非常に面白い。
第二次世界大戦の欧州戦争の開戦理由は明快です。それはヒトラーの戦争決意だった。しかし太平洋戦争の開戦動機は何だったのか?これまで多くの歴史家たちにより様々な説が出されてきました。つまり謎なのです。
本書を読むことは、読者がその謎のヴェールを脱ぐ一端になると思います。
Posted by ブクログ
第二次大戦、日本は圧倒的な不利な条件なのになぜその当時の政治家達は開戦に踏み切ったのか。
当時の経済学者達が国力(経済力や軍事力)を分析しそれをそれをまとめた秋丸機関の文書を発掘し、その当時の雑誌の記事や新聞などから精力的に調べ上げた本。
戦争をしなければ国力ジリ貧、戦争に負けたらドカ貧となる公算が高いが、戦争に勝ってさらにいろいろ都合の良いことが重なると日本は「貧」を回避できるかもしれないとい思ったのだろうという指摘は首肯できる。
日本の国内のマスコミ(新聞、雑誌)などをつぶさに読めば
日本の政局がよくわかることに驚いた。アメリカに通じているひとがアメリカに報告するだろうと思わなかったのであろうか。
アメリカには簡単に日本の状況を知り得て、日本は敵の造船能力や軍事力を過小評価して戦争を始めてしまったことがよくわかる。
造船に力をそそいでいなかったとう事実も驚愕的。
本当に短期決戦しか考えていなかった。しかい短期で戦争をやめる術もしらなかった。
嗚呼。
Posted by ブクログ
この本は陸軍省戦争経済研究班、通称「秋丸機関」をめぐって、日米開戦にあたって経済学者たちは、開戦の判断にどのように関わったのか、また20対1とも言われた対英米と日本の経済戦力の差にもかかわらずなぜ開戦を阻止できなかったのかについて追求している。秋丸機関の報告書については、「報告書は開戦を決定していた陸軍の意に反するものだったので国策に反するものとして焼却された」というのが従来からの通説であった。しかし筆者が報告書を探し出し(ある資料は古書サイト「日本の古本屋」で見つけた)、改めて内容を確認したところ、「当時の「常識」に沿ったものであり、あまり陸軍内でも大きな問題になるようなものでは」ないことがわかった。問題はむしろ「専門的な分析をするまでもなく正確な情報は誰もが知っていたのに、極めてリスクの高い「開戦」という選択が行われた」のはなぜなのかにあると言っている。
筆者はまず最近の行動経済学に基づいて分析している。開戦前に案Aと案Bの二つがあった。案Aは座して敗北を待つ、何もしなければ2〜3年後には「ジリ貧」になって戦わずして屈服する。案Bは、アメリカを敵に回して戦えば高い確率で致命的な敗北を招く。しかし、条件1(ドイツが独ソ戦に短期間で勝つ)と、条件2(ドイツが英米間の海上輸送を寸断する)と、条件3(日本が東南アジアを占領して資源を獲得し、国力強化してイギリスを屈服させる)が成立すれば、アメリカの戦争準備が間に合わず交戦意欲を失って講和に応じるかもしれない。この二つの案のどちらを選択するのか。日本は案Bを選択した。案Aを前にしたとき、案Bの可能性への期待が大きくなる。「「長期戦は不可能」の裏返しである「短期戦なら可能かもしれない」という判断が過大に評価される」こととなり案Bが選択されたのである。
さらに社会心理学的に見れば、「「集団意思決定」の状態では、個人が意思決定を行うよりも結論が極端になることが多い」。集団の中ではより極端な意見の方が魅力的に思えてしまうというのだ。
日米開戦の意思決定を行動経済学の観点から分析しているところが興味深い。日本の意思決定が通常の経済学が想定する意味で「合理的」に行われていれば、違ったものになっていたはずだ。この教訓は活かされているだろうか。今も日本人は同じような方法で意思決定をしているのではないだろうか。