あらすじ
夢の木坂駅で乗り換えて西に向かうと、サラリーマンの小畑重則が住み、東へ向かうと、文学賞を受賞して会社を辞めたばかりの大村常賢が住む。乗り換えないでそのまま行くと、専業作家・大村常昭が住み、改札を出て路面電車に乗り、商店街を抜けると……。夢と虚構と現実を自在に流転し、一人の人間に与えられた、ありうべき幾つもの生を深層心理に遡って描く谷崎潤一郎賞受賞作。
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Posted by ブクログ
本人も言うとおり、この小説は「ラストがうまくいってない」かもしれないけど、そんなことは気にせず最期まで休み休み読みました。これを読んだのは確かまだ義務教育を受けていた頃だと思うので、その頃の僕には一気に読むほどの理解力がなく、「え、どうなってるの」と読み返しながら読み進めたのを覚えています。
だからこそ、よく最後まで読んだとも思うし、そのぐらい面白かったんですね。
Posted by ブクログ
出版当時に購入して読んだ小説であるが、二十数年ぶりに読み返した。現実と虚構と夢が目まぐるしく行き来し、登場人物や設定が微妙にずれていくので、読んでて気持ち悪い。でも面白い。
Posted by ブクログ
筒井康隆初体験。独特の文体、独特の世界。一人の主人公がいつの間にか違う名前・違う環境の人物へと「変容」していく、重層的なような単一的なような摩訶不思議な世界に、あっという間に引き込まれた。筒井康隆、強烈なオンリー・ワン。
Posted by ブクログ
虚構の中の夢、夢の中の虚構
入れ子になった世界に迷い込んだ意識は深く進むことはあっても遂に基底的な現実に戻ることはない仮にそこが現実だとしても
とにかくメタメタメタ
唯一の救いは夢の中の秩序だろうか
巻末の解説が非常にわかりやすかった
Posted by ブクログ
世界に存在していると確認できるのは「私」という存在の精神だけである。これは独我論の基本認識であるが、しかしその「私」が唯一の存在であるということまでを独我論は示すものではない。もし仮に「私」という精神を表象する人間が複数人存在し、それぞれ固有の世界で生きているとしたら?
本書はそうした一種の思考実験を、虚構の小説世界における「虚構内存在」である主人公の意識を複数に分散させることで示そうとする。読んでいるうちに、「なぜ私という存在が唯一しか居ないと言い切れるのか」という不安を感じながら、作品世界を楽しむことができる。
小説の主要なテクニカルタームである心理学的ロールプレイについては、初期作品に見られるようなブラックユーモアが満載で、そのあたりだけはつい笑いながら読んでしまう。
Posted by ブクログ
[novel][SF]
面白かった。
現代日本でもっともスキルの高い作家の一人である筒井康隆の実力を愉しむことができる一冊。
こういう読んでいると頭がクラクラしてくる話、大好き。
Posted by ブクログ
“夢”、つまり“意識”をテーマにした心理学的作品。
例えば、今生きてるこの瞬間。これが夢ではなくて本当の現実だという証拠は一体どこにあるのだろうか。
そんな考えに取り憑かれたことはありませんか?
たくさんの意識が重なり合う手法で、一体どれが主人公が生きる本物の“現実のとき”なのか分からなくなってしまう。読んでてとても不安にさせる本です。
Posted by ブクログ
夢の木坂分岐点 電車 サラリーマン 兼業サラリーマン 専業作家 意識だけが人間であるならば、夢や妄想も実体験の一部 とりあえず作中に出てくる喫茶店のイメージは断固としてルノアール
1990年って20年前なんだね!
Posted by ブクログ
筒井康隆らしい作品である。読み終わった後にきっとそう思うだろう。主人公をはじめとする登場人物の名前が微妙に変化していく。「あれは誰であったかな? 浜中? 中浜? 大浜?」と言った人間の曖昧さをよく表していると思われる。
どこから、夢なのか? どこまでが現実だったのか? そもそも現実などあったのか? そんな作品である。初めて読む人にはお薦めできないという欠点はある。
Posted by ブクログ
52歳のプラスチック会社の課長の主人公は夢を見るたびに、侍に切られる。しかし目覚めると少しずつ違う男の人生に(分岐した様々な人生)入り混んでいる。夢で逃げれば逃げるほど逃げた先の世界は落ちぶれた惨めなものになっていく。主人公は自分の深層心理の世界を探求する。そして、バラバラだったはずの分岐したはずの夢の世界が繋がって・・・
主人公は、夢の木でヤクザに殺される。
Posted by ブクログ
文章の軽快さが著者の魅力だ。しかしついていけなかった。敷居が高いように思える。
中学生の頃、背伸びして大江健三郎を読んだことを思い出した。
軽快すぎて置いていかれた本書にいつかリベンジしたい。